何か悪い予感がするが、俺、柏陽は杏子の元へ戻らずに一人の元へ訪ねた。

 もちろん、杏子のところには別の武官が護衛をしている。


 「右近、実は杏子から」

 「兄上、杏子はもう女御で我々よりも位は高いのですよ?」


 別に良いじゃないか。

 今いる場所は右近の部屋。

 周囲の人間には聞こえなくなっているのに、わざわざ気にする必要があるのか?


 「兄上、もしかしたらこの呪具に問題があって、誰かに聞かれたらどうするんですか?位が高い者を下げたい者は大勢いますよ。まあ、私なら、下げたい者を返り討ちにして集めた情報を元で逆にこちらが位を下げますけどね」


 にっこり笑っているが、言っていることはかなり物騒だな。

 誰からも好かれそうな気を放ち、知的な見た目をしているが、中身は違う。

 つくづく味方で良かったって思ってしまう。


 「そんなことして目立つようなことはしないでくれよ。父上が左大臣。母上が内親王。杏子が女御。これ以上看板はいらないから」


 ただでさえ、高い位が多いせいで知らない人から急に絡まれたりするのに、これ以上仕事を増やすな。


 「言ってみたかっただけですよ。東宮からの仕事と同僚の文で忙しいのに、仕事なんて増やせませんよ」

 「話したいことがあったが、その前に同僚の文って?」

 「同僚の文官から文を代筆するように言われたのですよ。でも、これが中々に面白くて、やめられないんですよね。今では大半の若い文官と一部の武官の女性関係を把握しました」


 見た目だけは知的だからな。

 頼むには打ってつけだろう。

 だが、こいつに情報を渡していることになるが。


 「それで、話とは何ですか?」

 「さっき、杏子......女御から弘徽殿殿と淑景舎殿について調べるよう頼まれた。どうやら、後宮では調べるのが難しそうでな。一応、式を作っているが、どこまで集められるかが分からない。そこで、右近にも手伝ってもらいたい」

 「弘徽殿様と淑景舎様ね。文官の中で噂になっているのは更衣の淑景舎様が女御の弘徽殿様に恥をかかせたっていうやつ」

 「それは聞いたことがある。ついでに杏子女御と東宮が演奏したっていうのも」


 宮中にいる官なら誰しもが知っている噂。

 先日行った東宮主催の遊びで弘徽殿様が恥をかいたっていうやつか。

 それと一緒に飛香舎様と東宮がこの世とは思えないほど素晴らしい演奏をしたって言うのも聞いた。

 一体何があったんだ?


 「おそらく杏子の噂は後宮の女房から出ていますね。これはその場にいた後宮の者から興奮気味に聞いたので」

 「仕事が早いな」

 「大半の噂は嘘ですが中には本物があります。噂の発信源の様子を見て本当がどうか調べるのが楽しいのですよ」


 意味が分からない。

 情報集めは確かに楽しいが、ここまで情報に執着はしていない、と思う。


 「弘徽殿殿の噂については?」

 「嘘ですね。発信源が弘徽殿様の兄君と弘徽殿の父親だったので。後宮の者に聞いたところ、淑景舎様の姿はなく、身分の高い順に弾いていったと。杏子の演奏は熱烈に話していましたが、弘徽殿様の話になるとみんな歯切れが悪くなっていましたよ」

 「杏子の次に演奏したのか」


 杏子の琴は琴の名手であった母上から教わっていた。

 身内贔屓ではなく、杏子の演奏はこの国一番。

 杏子の見た目効果もあるが、演奏技術が高い。

 全員の意識を向けさせて、感情移入させて来る。

 あの演奏の後はどんなに上手くても見劣りしてしまう。

 弘徽殿様には同情するな......。

 弘徽殿殿は杏子の次に演奏をしたのだからきっと位は高い。

 直接的に言われてはいないが、空気で分かるだろう。


 「でも、なんでそこに淑景舎殿が来るんだ?」

 「ほら、淑景舎様には後ろ盾がいないんですよ。私は入っていないんですけど、父親はどこかしらの派閥に入っています。濡れ衣にさせたら、本当の噂が回って立場が無くなりますからね。その点、父親がいない淑景舎様はちょうどいいんですよ。しかも実家は没落していますので」


 そんなことを言いながら、右近は茶を啜っている。

 おいしいですね、とか言っているがよくこんな情報を言った後に言えるな。


 「これはどこからの情報なんだ?」

 「父上からですよ。ちょうど、兄上がいなかった時ですね。昔、仲が良かった大納言には一人の娘がいて何とかしてやりたいと言っていましたので、そこから集めました」

 「はあ。でも、なんで杏子は調べるように言ったんだろうな?」

 「そうですね......。目的があるのとないのでは集める情報も変わります。といことで兄上、私が流した情報を渡して、目的を教えて下さい。こちらでも集めるので」

 「分かった。明日でいいか?」

 「できれば今日が良いですね。もちろん杏子が起きていれば、ですけど」

 「こんな夜遅くまで起きているわけないだろう」

 「では起きていたらこの後下さい。寝ていたら、連絡お願いしますね」

 「分かった」


 きっと杏子は寝ているぞ?

 そんなことを思って、部屋から出たがそれは甘い考えだった。





 「あ、柏陽お兄様。お帰りなさい。どこまで洗いに行ったのですか?帰りが遅くて心配でしたよ」


 杏子の目は眠気を感じさせなかった。

 その横にいる卯紗子も同様。

 今は作業を止めているが、机の上には筆と書きかけの紙があった。

 なぜかその横には和歌集と漢詩があったが。


 「何をやっていたんだ?」

 「勉強です」

 「昼間でもできるだろう?」

 「......夜だからこそ良いのです」

 「何一人でやっているんだ⁉」


 一つの紙には漢詩が書かれていていかにも勉強していたって感じがするがもう一方は違う。

 呪いが書かれた紙とぎっしり書かれた紙が散乱していた。

 これはやってたな。

 呪いは昼よるも夜の方の方が強くなる。

 俺も呪いを書くときは夜にしろと言われ続けた。

 必死に隠しても、本当に分かりやすい。

 素直なことは美点だけど、後宮で生きて行けるのか?


 「これは一種の情報集めです。呪いではないので大丈夫です」

 「杏子様は雪子様のために集めていたのです」

 「雪子とは誰だ?」

 「柏陽兄さま、気になりますか?雪子様はわたくしの友人です。今日、話をしていたら少し反応がおかしいところがあったので、気になって調べていたんです」


 杏子の友人ってことじゃなくて、どんな位についているのか気になるのだが。


 「あー、杏子。雪子殿の位は?」

 「あれ、言っていませんでしたっけ?淑景舎ですよ。柏陽お兄様に調べて欲しい方の一人です」

 「それなら弘徽殿殿も友人なのか?」

 「......いえ。わたくしは友人とは思っていません」

 「......先日の遊びで弘徽殿様は雪子様を落とそうとしたのです。ですが、東宮陛下の一言で落ちたのは弘徽殿様の方でしたが」

 「卯紗子、今日は遅い。明日詳しく教えてくれ」

 「は、はあ。かしこまりました」

 「杏子。今日はそれくらいにしとけ。明日、右近も連れてくる」

 「分かりました。おやすみなさい、柏陽兄さま」

 「ああ、お休み」


 これは、今日寝られないな。

 まだ俺の長い夜は始まったばかりだった。