「父上、杏子(きょうこ)の様子はどうでしたか?」


 帝は東宮である俺よりも先に杏子とあって来た。

 この宴のせいで全く身動きが取れなくなってしまい、父上に先越されるとは......。


 「杏子はやはり紀子の面影を継いでおる。慣れぬ正装に苦しんでおった」

 「正装は重いですからね」


 母は父の言葉に納得をしている。

 そんなに重いのか......。

 正装を簡略化させるか。

 杏子のためにそうしたいが、古きを好む物もいる。

 どちらにも納得するような政治をする。

 それが難しいことだ。


 「湊、杏子に会いには行かないのか?」

 「慣れない内裏に着いたばかりできっと疲れているでしょう。もう数日したら会いに行こうと思います」

 「そうか。湊、杏子のことどう思っているのか?」

 「この世界で慈しむ姫です」





 杏子と会ったのは、今から十年ほど前。

 父上が目に入れても痛くないほど可愛がっている妹の紀子(きこ)内親王と夫の左大臣、俺と同じぐらいの年の男と杏子がいた。


 「ほら、杏子。この方が東宮の湊様よ」

 「みんとさま?」


 舌足らずな杏子は俺の『な』が『ん』になっていた。

 訂正しようとしても、杏子は直らなかった。

 頑張って何度も練習をしている杏子の姿を見て名前を付けることができないあったかいものが俺の中から生まれた。


 ふわふわしているものが形になったのは、


 「私、外の世界に行ってみたいのです。たくさんのことをこの目で見て見たいのです!あ、すみません。はしたないところを見せてしまって......」


 杏子のような貴族の女性は外に出ることなく屋敷の中で暮らす。

 世間とは離れたそんなところも好ましい。

 誰にもに囚われず自由に舞う蝶を捕まえて見たくなってしまった。


 「いつか見せてあげるよ、杏子」


 俺は東宮。

 ここから出ることは許されない。

 でも、君と外に出られたらー。

 そんな願いを今だけ思ってしまった。





 「ー。ところで、湊、明日、何があるのか分かっているだろうな?」


 惚気た顔が一瞬にして変貌して真面目になる。


 「もちろんです」


 明日は俺が主催する管楽会。

 後宮にいる更衣や女御、女官が琴、琵琶、笛などを披露していく。

 公にはしていないが、中宮を決める際の判断材料となるかもしれないと言われている。

 そんなことはどうでもよく、せっかくの杏子に会える機会。


 「父上、母上。笛の練習をしてきます」

 「こんな時間に?」

 「練習しないといけないので」


 ヒラヒラ飛んでいく蝶を花にとまってくれるように。

 長い夜は始まったばかりだった。