三日後。『かぐや姫』は満を持して四人の男と御簾越しの対面を果たした。桃園大納言が書状で知らせてきた殿方たち。
 一人目は蔵人頭長家。苦労人の官僚。
 二人目は近衛少将行春。左大臣家の品の良い坊ちゃん。
 三人目は東宮兼孝親王。少し型破りで大胆な帝の弟。
 四人目は天羽帝……今上(きんじょう)の帝。天然入った自由人。
 彼らはみな乙女ゲーム「平安雅恋ものがたり」の攻略対象たちだ。
 よって、そろいもそろってハイスペックイケメン。身分制度に染まり切った今世の松緒は、頭も上げられない。
 御簾越しでも油断ならない。扇で顔を隠しながら、次から次へとやってくる男の顔を見ないように俯く。彼らの声を聞きながら、お付きの女房に耳打ちをすることで会話する。

『なんとお高くとまっているのか。声さえも聞かせないとは』

 そう罵られるのは覚悟の上だったが、実際は何も言われなかった。
 四人続けての面会の時間は気が遠くなるほど長く感じた。必死すぎて何を言ったのかあまり覚えていないが、一連の対面が終わった後、伝言役をした女房が、汗びっしょりになって震えていた。

「わたくしたちは何と恐れ多いことを……」
「えぇ、そうですね。幸いにも大納言さまは何もおっしゃらなかったから……」
「わたくしたちにだけ見えるところで鬼のような顔を、なさっておいででしたよ。近頃の大殿のご様子は常軌を逸していらっしゃる」
「そうですね。わたしもいつかばちが当たるのではないかと心配で……」

 松緒は同僚の背中をさすりながら同意する。
 ――かぐや姫がいてくださったら。
 松緒はただの女房としてこの場にいただろう。貴人との対面に緊張する主人を慰め、心を支えようとしたはずだ。
 同僚の女房と労を労いあったその時だ。一仕事を終えて油断していた。

「ヤヤ、こちらに鈴命婦《すずのみょうぶ》はいらっしゃいますカナ?」

 ――見られた⁈

 後方から声がかかり、松緒は目にも止まらぬ速さで扇をかざし、女房は松緒をかばうように相手の前に出る。

「だれですか! 無礼ですよ! ここはかぐや姫さまの居所ですよ!」

 同僚の女房が咎めるように相手に叩きつける。
 彼女たちの殿舎は極端に人が少なく、御簾の内部に入り込んだ者にも気付けなかったのだ。

「ヤァヤァ、失礼しましたヨ。帝の猫をお探し申し上げていたところなのです。鈴命婦という名なのです。かぐや姫と聞けば、最近話題の美女ではありませんか! 顔が見られず、残念でした」

 やや癖のある口調が気になるものの、顔を見られなかったらしいとわかった松緒はほっとした。

「――オヤ、油断しましたネ」

 あやうく相手の顔を見そうになった。相手の顔を見るということは相手からも自分の顔が見られることと同様なのだから、どうにかこらえる。松緒は引き続き背中越しに相手の話を聞く。

「ハハハ。大丈夫です。本当に顔は見ていませんヨ」

 ――からかわれた!

 松緒は内心で憤慨するも、今は「かぐや姫」なのだから、あくまで深窓の姫君らしく殿方に怯えたふりをするのがよいはずだ。

 ――でも、かぐや姫さまなら怯えたりしない。

 松緒の知る「姫様」は、邸の奥で静かに育てられたものの、物怖じをする性格ではなかった。むしろときどき、はっとするほど気の強さを発揮することもあり、松緒たち周囲の者のほうが慌てていたぐらいだ。
 松緒は小さく息を吸い、「まったく動じていませんよ」というフリをする。
 男は、小さく笑った気配がした。

「それでよいのですヨ。……『かぐや姫』はそういうものです」

 ……引っかかる言い方だった。松緒はふいに相手の顔を見てやりたくなった。

「なんという……! 名を名乗りなさい!」
「ハルアキラと申します。陰陽寮の役人にて」

 謎の闖入者は堂々と自らの名を名乗った。

「フフフ、この異形を見てもなお、そこまで思い至らないとは……桃園大納言はよほど姫君を育てていらっしゃったと思われますナ」

 そう言われ、松緒の耳にもパッと閃くものがあった。

 ――陰陽寮の役人のハルアキラ……? ゲームのサブキャラ「晴明さん」! あの、『ピンク髪陰陽師』……!
 
 「平安雅恋ものがたり」で、ヒロイン「かぐや姫」を何かと助けてくれるサブキャラの陰陽師「晴明さん」。史実の安倍晴明から名前を持ってきたと思われるが、ゲーム上はなぜか「ピンク髪」となっており、作中でもその容姿から「異形」として扱われている。しかし、陰陽師の腕はたしかであるので、宮中でも重宝されているという設定だった。
 松緒はそこまで思い出したものの、はたして「~ですヨ」と表記したくなるような変な喋り方をしていたのかはいまいち覚えていない。

「では、またお会いしまショウ……」

 晴明は衣擦れの音を立てながら去っていく。
 確実に周囲からだれもいなくなったと思われるタイミングで、松緒と同僚の女房は顔を見合わせた。

「今のことは……」
「……大殿には言わないでおきましょう」

 互いの意見が一致した瞬間である。



「『姫様』。やはりこのままでは難しいかと……」
「そうですね。いろいろと誤魔化しては来ましたがさすがに苦しいですね……」

 几帳を何重にも囲った薄暗い空間での密談の結論で、そういうことになった。
 「かぐや姫」が賜ったのは「尚侍(ないしのかみ)」という官職だ。
 そう、官職なのである。

「帝の寵愛を受けることもある地位で、実際にそういう「扱い」をされていれば、みな納得するでしょうが、『かぐや姫』はそうではありません。この地位に留まり続けるのは問題がありますよね……」

 尚侍は帝が後宮にいる時の秘書役ともいうべき立場で、帝の命令文書を取り扱うこともある。内侍司《ないしのつかさ》と呼ばれる、宮中の儀礼を扱う部署の長官《かみ》でもあるのだ。
 官職もらっておいて、仕事をしないのはいろいろとまずい。もし「かぐや姫」が戻った時、宮中に彼女の居場所がなくなってしまう。史実の平安時代と同じく、この世界でも人からの評判がものを言う。狭い世界なのだ。
 本来なら適当なところで宮仕えを辞めてしまいたいし、官位も返上したいのが本音だ。ただ、その場合、父桃園大納言が怖すぎる。冗談ではなく、太刀で一息に……なんてことになりかねない。
 大納言は毎日のように「かぐや姫」のいる殿舎にやってくる。人の目があるのであたりさわりのない話ばかりして帰っていくのだが、毎回、鬼のようにぎらつく目が怖い。
 本物の「かぐや姫」を探させているとのことだが、成果がないらしい。
 このまま「かぐや姫」が帰ってくるのを待つ、という戦法は使えないのだ。

「がんばって働こう……」
「そうしてください、『姫様』……」

 かくして松緒は働くことを決意した。
 内侍司の長官は尚侍であるが、現状は次官がその役目を代行しているため、松緒はさっそく次官を務める女官を呼び出すことにした。
 現れたのは、須磨《すま》と呼ばれている、しっかり者といった風情の漂う女だった。少しうねった白髪頭と強く引き結ばれた口元が印象的である。
 開口一番、彼女は言った。

「今ごろ、わたくしめを呼び出されるとは、何をお考えなのでしょうか」

 ――ですよね。

 仕事一筋で生きてきたような彼女からしたら、かぐや姫は仕事もしなければ、帝の寵愛を受ける気もなく、何のために後宮にいるのかわからない役立たずである。
 美女との鳴り物入りで宮中入りしたものの、本人は表に出てこないし、何をするわけでもない。いろいろな期待をされていただけにかぐや姫の評判は日に日に悪くなっている。ほかでもない、松緒のせいで。
 桃園大納言が先日、四人の男たちと対面させたのも、そのあたりの評判を慮ってのことだろう。彼にしても、心中おだやかではないはずだ。

「女のわたくしめでも、御簾越しの対面となり、直にお顔を拝見することは叶わないとは恐れ入りました。それで、御用件は?」

 彼女の身から発せられる怒りに、松緒もひるみそうになる。
 いつも伝言役をする女房が腰をうかせて、須磨に何かを言おうとしたのだが、『かぐや姫』はそれを制した。どきどきとする心臓を落ち着かせながら、口を開く。

「相模《さがみ》。御簾をあげて、こちらへ通して差し上げて」
「『姫様』……!」

 相模が驚いた顔で一瞬、松緒を見るも、視線を受けて黙り込み、『かぐや姫』の命じたとおりにする。
 宮中に入ってから、実家の桃園第から連れてきた者以外に声を聞かせたのはこれが初めてのことだった。
 須磨は衣擦れの音を立てて、相模の上げた御簾の下をくぐって中に入り、「かぐや姫」のいる居室の様子をぐるりと見渡してから、用意された円座《わろうど》に座る。
 松緒は手に持つ檜扇で額までしっかりと顔を隠しながら、須磨と相対した。

「須磨。そなたには申し訳なく思っております。本来であれば、尚侍としてお役目をいただいた以上、真っ先にそなたに挨拶しなければならなかったのですが、無知ゆえに怠っていたことを、お詫びします」

 沈黙からややあって、須磨は淡々と答えた。
 
「いえ、そのことは特に気にしておりません。先代、先々代の帝にお仕えした時の尚侍さまもそうでしたから。あの方たちは、ほとんど妃と同じでございました。そうであれば、お役目を代行するのもわたくしめの責務にて。わたくしめは、あなたさまも、同じように帝の寵愛を受けられるものと思っておりましたが」

 今の帝にはだれも入内されておりませんので、と須磨は付け加えている。
 貴族たちが自分の娘を差し出したくとも、帝はどれも断ってしまうとのことだ。そんな彼が唯一心ひかれたのが、「かぐや姫」なのである。須磨が期待したのも無理はない。
 
「そのことは、宮中入りを打診された際に、はっきりとお断りしております」
「殿方の寵愛を得たほうがよろしいかと思われますが。今でもなにくれと主上《おかみ》が文を送り、訪ねていらっしゃるのをむげにされるのはいかがなものかと」

 そんなぞっとする話をしないでほしい。松緒はあくまで身代わりでしかないのだ。

「寵愛など不確かなものでしょう。須磨さまもそれがわかっているから、結婚されていても出仕されているのでは? 頼りない身の上だからこそ、よりどころはいくつもあってもよいのです」

 須磨は何かを逡巡しているようだった。

「宮中入りしてから、だれもわたくしに尚侍の役割を教えてくれませんでした。それはそなたが有能だったからでしょう。だれもそなたに不満を持っていないのです。……わたくしは、そなたの手腕を学びたいのです。長年、宮中でしたたかに生きてこられた強さを見習いたいのです」
「……なるほど。お考えはわかりました」

 須磨は松緒へ頭を下げた。

「そのようにおっしゃるのであれば、尚侍がやるべき職務をお教えいたしましょう。……ご覚悟を見せていただきます」

 その後、須磨の配下の女官たちが、「かぐや姫」の居室に次々と書状や書簡を持ち込み、文机の上にこんもりとした山を作った。

 ――たしかに、覚悟、必要かもしれない。

 文字の羅列に眩暈がする心地になりながらも、松緒は須磨から回された仕事を必死にこなしていくのだった。