♢絶対評価の世界で殺人犯に恋をした

 絶対評価でこの世界は成り立っている。世界の秩序を保つために導入された『人間評価カード』。これは、いかに人々の役に立てるかどうか。つまりは、世界に平和をもたらすことができるかを証明するカードだ。

 秩序が乱れれば、犯罪が多くなり、平和とは程遠い世界が作られる。しかし、平和な世界を創り、保ち続けるにはある程度の制裁、つまりリスクと義務が必要だと政府は判断した。そして、平等であることを保つには政府には多額の負債がありすぎた。そのために、平等ではなく、公平である国の政策方針を掲げた。平等というのは、収入の少ない人、体が不自由な人などにも最低限の生活を約束するものだ。しかし、平等と公平は少しばかり違う。公平というのは、同じようにチャンスを与えるが、何もしない者には点数を与えない。

 点数は換金できる。つまり、貢献する者や事業を成し遂げた者は大金持ちになれるチャンスも与えるが、働かない者には点数を与えず、犯罪者からは点数を引くというやり方だ。

 今までも点数制ではなかったものの、大きな事業を成し遂げ財産を得るという人はたくさんいた。大きな会社の社長や芸術や芸能分野はそのものだろう。しかし、個人の点数を可視化することによって、よりことは深刻さを増した。生まれたばかりの子供から高齢者や障がい者、持病のある者も含めて全員が一律に同じ点数が振り込まれる。それをうまく使い、節約しながら生活することも可能だ。うまくいけば、何年でも最低限の生活を営めるくらいの金額だった。障がいがある者や高齢者にはある意味ありがたい制度でもあった。

 最初に絶対評価制度に対して懐疑的な者も多かったが、タダで多額の金額を得られるということを喜ぶ者の方が多かったように思う。しかし、この制度は数年後に大きな差ができた。

 基本的に悪いことをしなければ、点数を引かれることはないけれど、大幅にプラスの点数になる者は少ない。しかし、子供でも学校の成績がいい者、ボランティア活動や芸術活動、スポーツ活動で功績を残したものにはかなりの金額になる点数が入っていた。
 しかし、未成年の学生の場合は、親の人間評価が大きく人生を左右していた。

 これは格差社会を積極的に作ることにより、切磋琢磨しながら優良な人間を残そうとする国の策略だ。

 ため息が出るほど重い漆黒のもやに包まれた人間が存在する。深くて重くて息苦しい。何度か見たことはあるけれど、身近な人間にはいなかった。逆に言えば、それ以外の何かが見えるわけではない。それを見た瞬間、私は体が凍てつき凝視するが、刹那視線を逸らす。こんなに近くに漆黒人間がいたとは想定外だ。安堵とは逆の不安と恐怖に苛まれる。足のつかないプールから出られないような感じに似ている。自分の身の安全を確保できる術のない私は、漆黒のプールの中でもがき苦しむ。手を伸ばしても水面に指先すら届かない。もどかしくも焦る気持ちが沸き上がる。はじめて身近な人間に漆黒を感じた時に描いたイメージだ。

 私にだけ見える力――。漆黒の人間、薄黒の人間――。彼らは殺人者、または殺人者になるであろう人間だ。

 私には殺人に特化した未来予知能力がある。殺人を犯した過去がある人と殺人を犯すであろう人のオーラが見える。既に殺したことがある人は、漆黒のオーラが体中にまとわりつく。これからするであろう人の殺気は薄い黒色が体中に纏わりついている。

 その力に気づいたのは、幼少期に近所で殺人事件があった時だ。以前から薄い黒色だった人が殺人時間を起こした。そして、その人の姿が殺人を犯した後に漆黒色にに変化したのだ。しかし、テレビやネットで見る写真や映像の殺人犯の色は見えない。でも、実際に会えば人間に纏わりつく色でわかる。

 私の同級生に漆黒を纏った男子がいる。しかも薄黒い色味も帯びている。つまり、既に彼は人殺しであり、これから殺人を更に犯すつもりなのだろう。しかし、彼が前科者だという話を聞かないので、おそらく殺人犯として警察は認識しなかったのだろう。または、事件があっても明るみに出ていないか未解決事件なのかもしれない。

 漆黒の男の名は荒井狂《あらいきょう》。名前の通り、狂暴で野蛮な印象が強い。性格も粗暴で制服を着崩している。今時珍しい不良のような同級生だ。鋭い目つきにいつも傷やあざだらけ。本人曰くケンカ三昧らしく、ケンカでは負けないと豪語する。
 しかし、ある日事態は急変する。

「友達になってほしい」
 漆黒の男がまさか私に頼みごとをしてくるなんて――。ありえないと思っていた事実を目の前に私は立ち尽くしてしまった。鋭い目つきの男は、あざのある顔で丁寧に手書きした手紙を持っている。不良と手紙というアンバランスな状態に私の口は開きっぱなしだ。口調は思ったより優しいのが意外だった。

「これは……?」
「文字を通して愛情っていうのを知りたいんだ」
 こんなにケンカばっかりの人が愛情を知りたいのか。
 少しばかり意外だった。

「……」
 こんな怖そうな人の頼みを断ることなんて無理だ。

「よろしくな」
 少しばかり笑みが見えた。

 今時手紙は引くだろうと思うけれど、荒井狂の感覚が少しばかりズレているのかもしれない。恋愛には疎そうだ。

 放課後、中学の帰り道の公園に荒井狂がいる。
 ベンチに座っている荒井狂はそんなに怖い人には思えなかった。ごく普通の男子中学生だ。とても人を殺している人間とは思えない。公園で遊ぶ子供を見ながら微笑んでいる。
「にーちゃん、遊ぼうよ」
「このボールで遊んでろ、今大事な話してんだ」

 幼稚園くらいの子供から小学生まで5人の子供たちが公園で遊んでいる。

「何をしているの?」

 子供たちを見つめながら荒井狂は話を始めた。
「あの子たちは俺の兄弟なんだ」
「今時6人兄弟って珍しいね」
「貧乏なのに、子だくさんでさ。親代わりしてるんだ」

 ケンカばっかりの荒井狂がなんで子守りをしているのかも謎だ。でも、今まで実際ケンカをしている場面を見たことはない。ただの噂なのだろうか。ケガやあざが多いから、そんな噂が立つ。

「俺、中学卒業したら、就職だな。金ないし、本当の父親は死んだ。母親は働かないし、子どもを養育する気がないんだ。そればかりか新たな男を作っている。残り少ない学生生活に少しばかり青春っていうものをしてみたいなって。ガラにもない手紙なんて書いてしまった。ちょっと徹夜気味」

 クマが垣間見える。やっぱり複雑な事情を抱えているんだな。

「俺がもし、愛を知ることができたら、我が家は救われる」

 一抹の同情と疑問が沸いてしまう。横顔をみていると、せつなくて寂しい人間だということが伝わってきた。

 なぜだろう。既に殺人を犯しているにもかかわらず、更に殺気に満ちた漆黒の上に灰色を纏った男に同情してしまった。

 交換手紙は、少しでも彼の殺気が消えてくれればと思っていたのと、兄弟を見守る表情が悪人に見えなかったからかもしれない。善人であってほしいというクラスメイトとしての気持ちも沸いた。

 無下にここで断る返事をしてしまえば、殺気が満タンになる可能性も高い。少しでも、第二の殺人のストッパーになりたいと同級生として思ってしまったのかもしれない。そうそう近くに殺人者がいるわけじゃないので、殺人犯とは、はじめての関わりかもしれない。この能力はもしかしたら、事前に二度目の殺人を止めることができる力になるかもしれない。そんなことを思いながら、手紙のやりとりが始まろうとしていた。

 自宅に帰って手紙を読んでみる。今の時代に交換手紙なんて、ましてや殺人犯が書いた手紙を読む機会なんて滅多にない。汚い字で書きなぐっているが、本人としては丁寧に書いたらしい。

『これから、よろしくな。ⅡV 14106』
 何だろう? 変な記号が書いてある。二を縦にした記号と英語のV? そして、5桁の数字。意味不明だ。片隅にパセリの絵が描いてある。
  
 何これ。もう少し、長い甘い文章なのかと思ったのだが、思いのほか短い。記号が書いてある変な手紙だ。メモ用紙にただ書いただけの手紙だった。ただの茶封筒。味気ないにも程がある。

 仕方がない。短文でも何かしら返さないと。いつのまにかペンを握っていた。私がこんなことをすることは珍しい。傍観者でありたいのがモットーだ。でも、今回は殺人犯なのに普通に生きている男の傍観者なのかもしれないと思う。
 殺気が見える力はもしかしたら、今回役に立つかもしれない。それに、思ったよりも荒井狂は普通の人間のようだった。狂気や殺気は感じられない。雰囲気だけがそう見えるだけで、話してみると普通だ。

『狂という名前は珍しいですね。これからもよろしくおねがいします。暗号はどういう意味ですか?』

 無下に断ったら荒井狂は最後の良心を失うのではないかという心配があるのは本当だった。身近な同級生が既に殺人経験者であり、これからも殺人を犯すであろう殺気を感じ取れる故の同情なのかもしれない。そして、狂なんていう名前を子供につける親の心理も納得はできなかった。

 返信の内容は――
『狂という名前は推奨されていないけれど、一応名前としては使える漢字らしい。親の愛情を感じない名前だろう? 暗号の意味はⅡにVは地図記号で田と畑。つまりお前の名字だ。「1」は英語の「i」つまり「あい」として読むことができ、「4」はひらがなの「し」、「10」は英語の「ten」から「て」、「6」は英語表記のrokuの最初と最後の一文字を取って「る」。これをつなげると「愛してる」』

 頬が染まる。ストレートな愛情だ。私は今、とても辛い。正直に書く。
『辛いから、消えたい』

 手紙のやりとりは毎日続く。
『消えたいってどういうこと? それが田畑の本当の気持ちなのか?』
 白い花が描かれている。案外上手だ。

『親は会社をリストラされて、絶対評価の家族点数が激減したの。だから、うちも貧乏。私がいてもいなくても変わらない世界。むしろいないほうがいいのかもしれない。』
 心の中の想いを文字にする。

『田畑が本当に望むならば、俺が支える。333224*888』
 相変わらず文章以外の不思議な何かが手紙に書いてある。私には全然わからないけれど。紫の花の絵がかわいい。

「よう」
「今日も子守り?」

 放課後帰宅途中に荒井狂は公園でたいてい兄弟の面倒を見ていた。
 ブランコに座って会話する。
「受験、どうするの?」
「親っていうのは自分じゃ選べねーからな。絶対評価のせいで、実際損な人生を送っていると思う。でも、俺が働かねーとこの先、生きていけねーのは見えてるからな。進学予定はない」
 荒井狂はため息をつきながら前髪をくしゃりと握りしめる。少し髪が乱れると憂いを帯びた印象に変化した。

「でも、今時中卒じゃ就職先ないらしいよ」
「だったら働きながら定時制とか通信制とか公立のところを探すさ。でも、まずは今日食べていくための食費が必要だ」
「そんなに大変だったら、児童相談所とか、学校の先生に相談してみたら」

 荒井狂は遠くを見つめながら、ため息をつきながら話し始めた。
「親っていうのは絶対的な権限がある。事件が起きないと警察は手を出せないんだ。そして、グレーゾーンは児童相談所も手を出せねー。現実は甘くねーよ。気づいていて何もしない大人はたくさんいる。しかも、絶対評価の低い人間だと介入すらしようともしないんだ」

 荒井狂は、かわいそうな人なんだ。同情が沸く。でも、この人は確実に殺人を犯している。何度か殺人を犯した人間を見たことがある。それと同じ漆黒の色を纏っている。そして、更に殺人を犯すであろう薄黒い二重のオーラが見える。

 荒井狂はとても危険で狂暴な人間なはずなのに、ちゃんと自立しようとしている。彼氏だデートだと言っている学生よりも、やりたいことがないと言いながら学校に通う人よりも、一番まともな人間に見えた。それに、兄弟の面倒ばかり見ていて、ケンカなんて一度もしている様子はない。

 荒井狂の瞳はまっすぐで一点の曇りもなかった。手紙に返事を書く。
『ケガはケンカっていうのは嘘? もしかして、虐待? この前の暗号わからなかったよ』

 手紙の返信は――
『333224*888数字の通りにかな入力を打ち込むと「好きだよ」という言葉。生活態度も学校の成績も絶対評価の点数が全てだ。この世に生きるためには、逆転しないとな。128√e980。今でも、田畑は本当に消えたいの?』

 毎日の手紙のやりとりは、相変わらずシンプルで、スマホでのやりとりみたいだった。でも、数学みたいな記号がまた入っている。そして、睡蓮の花の絵。

 雨の音も優しく聞こえる。荒井狂との時間は私にとって特別な時間だった。でも、私は知っている。荒井狂が殺人を犯した人間であり、次も誰かを殺そうとしていることを。

『……死んでもいいな。荒井狂君とならば――。私も、親と成績の低下で評価底辺人間だし。やっぱり私には暗号解読は難しいよ』

『128√e980の上半分を隠すとアイラブユー。睡蓮の花は信頼を意味するんだ。今夜7時にここへ来て。今までやりとりした手紙を全部持参で』
 書いてあるのは音符のような形の上の部分がギザギザしている記号だ。

 この記号は最近社会の教科書で見た電波塔。
 胸を高鳴らせてこの町にひとつだけある薄暗い電波塔のもとへ行く。

「一緒に消えようか」

 私は告白されるとばかり思っていたが、そのままうなずいた。彼とならば――。

「これは、祝杯ドリンク。飲んで」
 ワイン色の飲み物はほんのり甘い。そして、強い睡魔――気が遠くなる。

 荒井狂がスマホで話し始めた。
「任務完了。俺に知恵を貸してくれたねがいや、あんたに感謝するよ」

「荒井狂。今までの手紙のやりとりの証拠と彼女の殺害で絶対評価点数が大幅にアップすることが決定となった。消えたい人間を消すことは大幅に得点が加算される。しかも、点数評価の低い人間を同意の上で消すことは1000万点、つまり1000万円があなたのカードに入金される。現金として利用可能だ。以前あなたが殺した父親の分も含めると、ざっと2000万点だ」

 荒井狂は私に向かって絵の説明をする。その瞳は鋭く険しい。

「花言葉でパセリは死の前兆。白い花はスノードロップ、あなたの死を望む。紫の花のシオンは君を忘れない。睡蓮は滅亡。未成年が虐待する親を正当防衛で殺した場合、絶対評価が上がる。俺は父親を殺している。そして、双方の合意のもとに低評価の人間を消すことも絶対評価が上がるんだよ。でも、双方の合意のもとに低評価の人間を消すことができるのは一度殺人を犯した未成年者限定の更生のための措置なんだ。この毒薬も俺のような一部の人間には合法で支給される。だから、死んでもいいという合意の証明が必要だったんだ。この手紙は大事な証拠品。俺は当分生活できそうだよ。愛している、忘れないよ」

 優しく囁く荒井狂。まどろみの中で、気づく。次に殺されるのは私だったのだと。彼を覆うオーラはさらに漆黒に変化した。

♢♢♢

「彼女は馬鹿ね。あんな男を好きになるなんて」

「俺ならそんなことしないのにな」
 ねがいやは微笑む。

「あなたは男でも女でもないじゃない?」

「今は性別を超えた存在だが、元男だ」

 じっと彼女を見つめるねがいや。

「一緒にならないか? 俺はこの仕事を辞めようと思ってる。この立場には自由はない」