半妖死神と家族になる

♢ナナ視点  同居する保護者は大好きな漫画家だった



 線香が香るマンションの一室。即席でなんとか取り行われた葬儀が今、終わろうとしている。唯一の肉親を失った高校三年生の私は、途方に暮れるしかなかった。

 私のお母さんが、死んだ。それは、突然の交通事故だった。母子家庭で、決して裕福ではないけれど、貧しくもなく、不自由のない生活だった。父は、私が幼少のころに病気で亡くなった。お母さんは、毎日家事に育児に仕事に……とにかく働いた。母は出版社に勤めながら、プライベートのない忙しい毎日だったと思う。そんな私も高校3年生となった。受験生なのだが、そんな時期に実の母が亡くなった。貯金を切り崩してでも大学に行きたい。お金、なんとかなるだろうか? そんなことを悲しみの中、ぐるぐる頭の中で考えていた。

 喪失感、虚無感、そういったものがあるなか、これからの未来を真剣に検討していた。高校の学費は貯金で何とかなるだろう。しかし、これから、私はどうしたらいいのだろう? 親戚はいないし、未成年の高校生。まだ社会的に自立は難しい。天涯孤独とはこのことだ。

 線香のにおいの中で、私は喪失感に苛まれていた。葬式と言っても形だけの小さなもので、賃貸マンションの狭いワンルームに、とりあえずつくられた仏壇もどきに来るのは、母の仕事関係の人だとか、私の高校の関係者。大好きだった母は職場の人に慕われていたみたいだ。

 そこに、不似合いの細身の金髪男が現れた。黒いスーツを着ていると、ホストクラブの店員のように見えてしまう。20代前半だろうか? 大学生くらいにもみえる。その男は、手を合わせるとそのまま泣いていた。流れ落ちる涙が、とてもきれいで、みとれてしまう。まるで映画のワンシーンのようだった……。しかし、こんな知り合いがお母さんにいたのだろうか?

 すると、その男が、座っていた私の元にやってきた。

「今日から俺がお前の父親だ。よろしくたのむぞ」

 と言って、引っ越しの手配を始めた。学校の先生と何やら話し始めたが、この男、誰? 私の父親はこの世にいないし、間違ってもこんなにちゃらっとした男ではない。

「はぁ? 誰ですか?」

 私は謎の男に質問した。

「え? お母さんに聞いてない? お母さんと入籍予定だった、水瀬瑛斗《みずせえいと》って言うんだけど……」

「きいてないよ!!」

 この言葉に私の涙は吹き飛んだ。お母さんが入籍? 再婚ってこと?

「ほら、これが証明書」

 男が差し出した婚姻届けは、たしかにお母さんの筆跡で書かれたものだった。これを出そうと思っていた矢先の交通事故。

「でも、私、再婚するなんて聞いてなかったんだけど……」

 私は驚愕のサプライズにおじけづく。

「実は、サプライズでって美佐子さんが言っていてさ。まだ、言ってなかったのか……まじで驚かせちまったな」

 男は、自分の髪の毛をかきむしりながら、少し考えていたようだった。

「でも、おまえ、どうするんだ? 親戚とかいるのか?」

「……いない」

「じゃあ、俺が保護者として面倒見てやるよ。俺の娘になる予定だったんだからさ」

 なんて気楽な男だろう。父親にしては、ずいぶんと若いだろ。若すぎる!! それに危険ではないだろうか? 見ず知らずの男と同居なんて!!

「あなたと二人っきりで生活なんて無理です」

 私は断った。

「俺んち広いから、大丈夫だって。それに、俺んちアシスタントや従業員がいるから、二人っきりなんて滅多にないしさ」

「アシスタント? 従業員?」

「俺、漫画家なんだよね。1階は定食屋兼居酒屋だし。だから、いつも誰かしら出入りしてるし、アニメ化と映画化で儲かったから、戸建ても買ったし、部屋もいっぱいあるし」

 にこりと男がほほ笑む。

「何の漫画書いてるの?」

 つい漫画好きの私は漫画家というワードが気になってしまった。

「少年漫画雑誌で妖怪学園漫画書いてるんだ」

「ペンネームは……?」

「水瀬エイト、本名はエイトが漢字だけど、ペンネームも本名も一緒だ」

「もしかして、妖怪学園エンマの作者様? 私、ファンなんです」

 つい、ファン心理丸出しで、握手してしまった。しかも急に敬語になってしまった。……不覚だ。

「俺んち、部屋は10部屋くらいあるから、好きに使ってくれ、俺と住んだら後悔はさせねえ、料理も家事も任せとけ!! 家事料理全般の雑学を伝授してやる」

「とりあえず、高校卒業するまでなら……お父さんみたいなお兄ちゃんができたっていうことで」

 私は渋々納得することにした。

「あの、保護者の方ということでいいのでしょうか?」

 高校の担任や教頭がお父さんになる、金髪漫画家と話し始めた。お母さんが亡くなって、まさか好きな漫画家と親子になるなんて。でも、施設暮らしっていうのも大変そうだし……。もしかしたら、この人は神様かもしれない。そう思うことにした。お父さんだけれど、《《お母さんは未入籍》》だった。《《赤の他人》》だが、《《表向きは義理の父》》ということに―――。

 私の新しいお父さん、いやお兄さんかな? 金髪の売れっ子漫画家。しかも定食屋兼居酒屋を経営していて、広い戸建てを持っているらしい。アシスタントも従業員もいる。でも、まさか全員が半妖だなんてこのときは知らなかったんだ。

「私が(ナナ)で、あなたが(エイト)。きっとずっと前から隣同士になる運命だったんだよね」

 こんなときだから言ってみる。

「俺が六郎や八郎でもその理屈はとおるんじゃないか?」

「きっと家族になる運命だと思うの。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく」

二人がはじめて握手をした瞬間だった。
♢半妖漫画家視点  女子高校生の保護者になる

 俺の婚約者が、死んだ。それは、突然の交通事故だった。一人の女子高校生が泣いていた。正確に言うと泣くのを我慢していた。心が泣いているようだった。俺にできることはあるのか? 本当は娘になる予定だった人の娘さんだ。まるで、漫画の世界から出て来たかのように、その子のまわりだけ別世界に感じた。

 線香のにおいの中で、彼女は喪失感に苛まれていた。好きな人を失ったという突然の悲しみは、もちろんだが、それ以上に目の前の、愛した女性の娘を放っておくことはできなかった。どうする?

 遺影を前にすると涙が流れた。はじめて心から愛して、結婚を決意した女性を失ったのだからな。それまで、俺は恋愛とは無縁の生活を送ってきた。漫画ばかり描いていたし、女性との接点はあまりなかった。亡くなった彼女が俺の担当になった。年上だからこその気配りと、天性の仕事のできる人で、心から尊敬した。彼女が、手作りのおじやを持参してくれた。徹夜明けで、締め切りに追われて疲れ切った俺の心を癒したのは、一杯のおじやだった。その時、彼女にプロポーズしたんだ。

 俺は、大学に入る前にプロデビューした。飛ぶ鳥を落とす勢いで、アニメ化、映画化、コミックス重版がかかり、貯金はあった。ちょうど戸建てを買うことを決めていたので、彼女と住むために住宅を購入したのは事実だ。

 彼女は旦那さんを亡くして、女手一つで一人娘を育てていた。そんな苦労人の彼女を楽させたいと思っていた。出版社の仕事は結構きつい。時間も不規則で、仕事は山のようにある。俺みたいな濃いキャラクターの漫画家とうまくわたりあうのも、給料に不釣り合いな仕事だと思う。彼女の歳は40歳になろうとしていたので、歳の差は15歳といったところだ。

 年上が好きなわけではなく、彼女が、美佐子さんだから好きになったんだ。その人の大切な一人娘は俺がなんとか育て上げる。いわゆるイクメンってやつになってやる!! 俺は勢いで父親宣言をしてしまった。勢いだが、本心だ。
 
「今日から俺がお前の父親だ。よろしくたのむぞ」

 と言って、引っ越しの手配、そして、学校の先生と打ち合わせだ。父親は忙しい。

「はぁ? 誰ですか?」

 この娘、俺を警戒しているのか?

「え? お母さんに聞いてない? お母さんと入籍予定だった、水瀬瑛斗って言うんだけど……」

「きいてないよ!!」

 やっぱり、警戒されているか。よし、これを見せれれば――

「ほら、これが証明書」

 婚姻届けを差し出す。これを出そうと思っていた矢先の交通事故。

「でも、私、再婚するなんて聞いてなかったんだけど……」

 少女はすこし、ひかえめに質問してきた。

「実は、サプライズでって美佐子さんが言っていてさ。まだ、言ってなかったのか……」

 一応、状況を説明した。

「でも、おまえ、どうするんだ? 親戚とかいるのか?」

 たしか、美佐子さんの話だと、親戚とは縁を切ったとか、亡くなっていないとか……言っていたような。

「……いない」

「じゃあ、俺が面倒見てやるよ。俺の娘になる予定だったんだからさ」

 よし、父親らしく、男らしい一面を見せられたぞ。
 
「あなたと二人っきりで生活なんて無理です」

 まずい、いきなりのお断り宣言?

「俺んち広いから、大丈夫だって。それに、俺んちアシスタントや従業員がいるから、二人っきりなんて滅多にないしさ」

 とりあえず、家の広さでアピールしよう。

「アシスタント?」

「俺、漫画家なんだよね。1階は定食屋兼居酒屋だし。だから、いつも誰かしら出入りしてるし、アニメ化と映画化で儲かったから、戸建てを買ったし、部屋もいっぱいあるし」

「何の漫画書いてるの?」

「少年雑誌で妖怪学園漫画書いているんだ」

「ペンネームは……?」

「水瀬エイト、本名はエイトが漢字だけど、ペンネームも本名も一緒だ」

「もしかして、妖怪学園エンマの作者様? 私、ファンなんです」

 俺の漫画のファンだったのか? なんだ、この瞳の輝きは!! 有名人に会った女子高生のまなざしだ。
 
「俺んち、部屋は10部屋くらいあるから、好きに使ってくれ、俺と住んだら後悔はさせねえ、料理も家事も任せとけ!! 俺と一緒に住んだら、家事料理全般の雑学を伝授してやる!!」

 そうだ、俺は料理も家事も得意だ。とっておきの家事の技を伝授しよう。

「じゃあ、高校卒業するまでなら……お父さんみたいなお兄ちゃんができたっていうことで」

 何を遠慮してるんだか、意外とひかえめだな。大学卒業するまででもずっといてもかまわねーのに。それにしても、かわいい顔するんだな。

「あの、保護者の方ということでいいのでしょうか?」

 高校の担任や教頭にまず、保護者として面倒を見ることをアピールしなきゃな。美佐子さんが亡くなって、まさか女子高生と親子になるなんて。娘だけれど、《《未入籍》》だったわけで、《《赤の他人》》だが、《《表向きは義理の娘》》ということに―――。しかも、俺のファンだと??

 でも、俺の居酒屋の裏稼業を理解してもらえるかどうかだよな。従業員や俺の素性も含めて。正当な人間ではないなんて、普通理解しないだろうが、隠しておくのも難しいかもしれないよな。どう説明するか、俺は頭を悩ませていた。


「私が(ナナ)で、あなたが(エイト)。きっとずっと前から隣同士になる運命だったんだよね」

「俺が六郎や八郎でもその理屈はとおるんじゃないか?」

「きっと家族になる運命だと思うの。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく」

二人がはじめて握手をした瞬間だった。
♢ナナ視点  半分死神の血を引く男

 葬式がひととおり終わった後、母の婚約者だったという男が真面目な顔で話を始めた。保護者になって広い家の一室を貸すから同居をするという話になっていた。私は気が動転していたし、彼の言うままそのことを受け入れるしかなかった。

 漫画のアシスタントや居酒屋の店員もいるし、プライバシーも守られるというならば、同居も悪くない。そう思った。いわゆる下宿のような感じを想像していた。

「俺の父は死神だった。母は人間だ。俺は半妖というか半神というものなのかもしれない」

「はあ? 何中二病みたいな発言してるの?」

 私はこの男が漫画家ゆえの妄想か自作の話でもしているのかと思った。この男の正体が人気漫画家だという事実を知った後ならば、そういった創作が得意だろうと容易に想像できる。

「一応お前の保護者になるわけだ。自己紹介代わりに見せてやる」

 目の前の若い男はテレビアニメのセリフのようなことを口にする。
 母が死に、身寄りがない私の前に現れたこの男。保護者として同居するという方向で話を進めていたのだが、男が瞳を閉じると、目の前の金髪男の髪色が銀色の光と共に銀色に変わる。髪が短髪から長髪になる。これは、妖気というものだろうか? 信じられない現実を目の前にして、私は声も出せずにいた。まるでCGとかそういった画像を加工したみたいだが、目の前にいるこの人は画像ではなく生身だ。これは、映像ではない。

「俺は表向きは漫画家をしている。しかし、夜は定食居酒屋で半妖仲間と怨みを晴らすという仕事もしている。俺は「チーム半妖」のボスをしているんでな。居酒屋の従業員も漫画のアシスタントも全員半妖だ」

 銀色に光る男の話は突拍子もなく普通の人間である私には到底理解が追い付くものではなかった。

「全員半妖? 怨みをはらす?」

 私は言葉を理解することに全神経を集中させた。

「法律では裁けない怨みがこの世にはたくさんある。寿命半分とひきかえに恨む相手を処罰するのが裏稼業だ」

「裏稼業って……?」

 私は全神経を脳に集中させて、理解をすることに全精力を使った。

「ひどいことをした相手の寿命を半分にするということだ。生かすが、社会的に死んだ状態に陥れる仕事だ。場合によっては暗殺も辞さない」

 目の前の男の冷たい瞳に私は、恐怖の念を感じた。

「暗殺なんて悪人だよ? 警察につかまるよ」

 身内に犯罪者を出したくない。この人がもしも保護者になるとしたら、そんな裏家業をしている人はごめんだ。

「警察では手に負えない、教科書通りには裁けない悪事を俺たち半妖組が討伐するってことだ。妖力を使うので、人間には裁けない。俺たちは闇の中で困った人を助ける仕事もしている、証拠が残ることでもなく、俺たちのことは探偵も警察も手も足も出ないってことだ」

「つまり、警察にはばれないの? じゃあ、お母さんを事故に合わせた男の怨みを晴らすことができるの?」

「お前が寿命を半分差し出せばな。でも、おすすめはしない。自分の寿命はあと100年なのか50年なのかわからないだろ。寿命が100年ならあと50年になるし、寿命が1年ならば半年しか寿命は無くなる。正直リスクが高い」

 たしかにその通りだ。あと60年ある命が30年になるのは、生きる年数に換算するとだいぶ違う。

「あなたは結婚の約束をしていた母の仇を討ちたくないの?」

「憎いけれど相手に悪意があったわけではない。俺は半妖の血を引くが、自分自身の寿命で仇討ちはできないのさ」

 冷たい銀色の瞳でこちらを見つめる男の冷たさに私は背筋が凍った。でも、私はまだ高校生。保護者がいなければ生きていくことはできない。あと1年たてば大学生になり、なんとか自立ができる。それまでここに置いてもらうしかない。私には元々母しか頼ることができる肉親がいない。その母が交通事故で死んだとなっては……。

 とりあえず、母の婚約者であった男の好意に甘えよう。もうすぐ18歳。そうすれば、自立できる年齢だ。漫画で成功して、大きな家もお金もあるこの人の元で、母の貯金を切り崩して生きていく。

 いつか、私は母の仇を討ちたい。故意ではなくても、やっぱり殺人の罪は償ってほしい。私はそう決意していた。仇を討つという本当の意味をこの時はまだわかっていなかったのかもしれない。

 銀色の光に包まれた男の光が徐々に元に戻る。

「身内の寿命を取る気はないから」

 冷静などこか冷めた瞳の男は銀髪からいつもの金髪に戻る。私のこと、身内扱いしてくれてるのか。急にできた新しい家族は半妖の死神の力を持つ男という大変特別な人種だった。

「怨むと自分に怨みがかえって来るんだって。死神って危険な仕事なんでしょ。あんたが死んだりしたら、家族いなくなっちゃうから、死なないでよね」

 私の申し出に半妖は少し戸惑いを見せた。
♢パーティー【カレーライスとラッシー】

 新しく住むことになった家。父というよりも兄のような保護者の自宅が私の自宅になる。正確には母が入籍する前に亡くなっているので、戸籍上は赤の他人だが、面倒をみてもらうということになった。成り行きだが、仕方がない。正直心の中はずっと雨が降っていた。出口が見えないトンネルのなかで、さまよい続けていた。これからどうなっていくのかもわからないし、唯一の肉親を亡くした悲しみは他人には計り知れないことだろうと思う。その悲しみは、私にしかわからない辛さなのだと思う。

 金髪漫画家の家は、若いのにやたら豪華で正直驚いた。売れっ子漫画家だから、お金持ちというのは歳不相応だが、ありなのだろう。見た目は金髪のいいかげんな雰囲気なのだが、実は結構まじめらしい。というのは、母の葬式に来ていた編集者から聞いた話だ。原稿は落とさずきっちりだし、言葉遣いは良いほうではないが、礼儀正しく待ち合わせなどの時間もきっちり守る人だということだ。実直で一途で熱心な仕事ぶりだということを聞いた。

 人は見かけだけではわからない。正直、母がこんな人のどこがよかったのか、わからなかったが、性格を聞いていると、評判がいいので、きっと中身がよかったのだろうと勝手に思った。

 だって、亡くなった父は、チャラチャラした感じではなかったし、母が好きな芸能人は真面目そうな人しか名前は聞いたことがない。あまり外見で人を選ぶ人だとは思えなかったので、正直この男か? と最初は魂を抜かれそうになった。もしかしたら、私の将来を考えてお金がある人と結婚しておこうという計算だったとも思いにくいものだった。というのも、母は計算高いとは正反対の天然だったからだ。楽をしようとも思っている人じゃなかったし、いつも仕事に対しても、家事や育児に対しても手を抜いたりということは一切していなかった。

「今日はアシスタントたち半妖仲間も呼んで盛大にカレーパーティーをするぞ」

「え? カレー?」

 たしかにさきほどからカレーの香りが香ばしく広がっていた。

「歓迎会はうちではカレーっていう伝統があるんだ。新しいアシスタントや従業員が入ったら特製カレーでお迎えするってことだ」

「先生のカレーは本当においしいから、楽しみにしていてね」

 エプロンをつけて手伝っている女性はアシスタントだろうか。自称ボスを名乗るエイトという男と共に台所でカレーを作っている。女性は20歳くらいの眼鏡をかけた、ちょっと地味な感じの女性だった。なんとなく、漫画を描くのが好き、という雰囲気でインドアというイメージがある。髪は一つに束ねていて、今時のおしゃれというものに敏感ではなさそうだ。

「私、アシスタントの愛沢です。聞いていると思うけれど私もチーム半妖の一員なの。人づてにここのバイトを紹介してもらって楽しく暮らしています」

 メガネの女性は会釈した。正直どこが半妖なのかもわからなかった。見た目は普通の人間そのものだったからだ。

「私は鈴宮ナナです」

「色々あって大変だと思うけれど、力になるから」

 愛沢さんは優しい人みたいだった。

 私は、結構そういった今時の流行をおさえないと気が済まないタイプなので、同じクラスならば絶対違うグループだと思われる。

「実は、このカレーには俺様的なこだわりがあってな」

 エイト先生が語りだす。

「先生のこだわりは、語り始めると長くなるから」

 そう言ってやってきたのは、20代の細身で真面目そうなメガネ男性だった。

「僕は鬼山です。僕もチーム半妖。よろしく」

 日焼けしていない少し不思議で不気味なもやしっ子だ。やっぱり漫画を描く仕事というのは、インドア派の集まりなのだろうか?

「せんせぇ、おいしそーな匂いするじゃん」

 漫画家には珍しいギャル系女子がやってきた。

「もしかして、この子が先生の娘になるっていう子じゃね?」

「鈴宮ナナです」

「サイコだよ。主に居酒屋担当。たまに人手足りなければアシもやったりしてまーす。ちなみに魔女と人間のハーフだよ」

 金髪ギャルアシスタントと金髪ギャル男。この組み合わせ、似合っているような気がする。半妖でも色々いるんだな。魔女かぁ。

「居酒屋で占いすると激当たりだから、結構ウチの占い人気あるんだよ」

「こいつは、頭のねじぶっとんでるから。名前の通りサイコパスだから、気をつけろよ」

 何? サイコさんがサイコパス? ダジャレみたいだけれど、なんだか普通に暮らしていたら、絶対知り合うことのない人と出会ったような気がした。

 でも、この金髪漫画家先生はお母さんと結婚する予定だったのかなぁ。なんだか母親と金髪漫画家がお似合いの夫婦になるとは想像もつかなかった。だって、歳もお母さんのほうがずっと上だし、お母さんはいつもパリッとした感じの服装だった。パリッとというのは、スーツをいつも着ていて、派手な格好は私服でもしないという清楚なイメージだ。それにひきかえ、この男は、ジーパンにTシャツをさりげなく着こなしているカジュアル系だ。まず服装の系統が違う。

 漫画家の男は、背が高くてスリムな体型なせいか、なぜかかっこよく見える。実際の顔面偏差値は割と高いのかもしれない。自分の保護者の顔面偏差値をどうこう言うのも娘としていかがなものかと思うが。

「僕はアシスタントの樹《いつき》っていいます。居酒屋でリーダーやってます。僕は植物の精との混血なんだ」

「いつきさん……」

 この人はわりとドラマに出て来るヒロインの相手役にいそうな感じだった。どこにでもいそうだけど、なかなかいない男性っていう感じだ。優しい男性という感じがする。でも半妖? 人は見かけによらない。

 こんなに個性的なアシスタントを束ねている金髪先生は実はすごい人なのだろうか? なにやらチーム半妖のボスはうんちくを語り始めた。

「カレーライスの最後にだな。コーヒーと牛乳を入れるのが隠し味ってやつだ。コーヒーは香ばしさを感じるし、牛乳を入れるとコクが違うんだよな」

 そういいながら、インスタントコーヒーの粉と牛乳を最後の一工夫として入れていた。金髪先生は手慣れているようだ。料理は、わりとやっているという感じだろうか。と思ったのだが、この男は家事料理全部に詳しい家事男子だということをのちに知る。そして、彼がなぜそんなに家事に詳しい人間になったのかという話ものちに知ることになる。この時は、毎日を面白おかしく生きている、そんな風にしか見えていなかった。

 なかなか金髪で漫画家で半妖で家事男子はいないだろう。家事男子は省略すると「カジダン」というらしい。

「仕上げにラッシーを作るぞ」

 そう言うと、ヨーグルトに牛乳を混ぜて、かき混ぜて出来上ががった。氷も入れるとグラスの中で、氷がおどる。

「即席ラッシー、一丁あがり」

 そういうと金髪先生はブイサインをして、満足げだ。大人なのに、子供じみた漫画家先生の行動はどこかおかしくも感じた。なんでもできる男なのだが、子供っぽい。アンバランスな感じがこの人の味わいなのかもしれない。最近、人を観察する癖ができた。そして、人柄を味として感じることが多い。それは性格だったり外見ににじみでるものだったり、人には味があるのだ。

「あと、焦げた鍋は天日に干すと簡単に焦げが取れるから、洗った後干しておけよな」

 フライパンの後処理に関しても的確な指示をする。きっと、死体の後処理なんかも明確な指示をするのではないだろうか? リーダー的素質を感じる、金髪先生だった。

「先生、この黒いおたま、カレーの色で変色しています。洗っても落ちません」

 困った様子の樹さん。

「黒いおたまは変色することがあるんだ。そういうときは日光に当てておくと自然と色が戻るから」

 家事先生になれそうな手慣れた感じだ。

「なんか、家事や料理の雑学に詳しいよね」

 私が話しかけてみる。

「おう、家事は小さい時から色々やってるからな。結構詳しいんだ」

 この言葉の影に隠れた意味。実は、金髪先生も結構大変な人生を歩んできたということを私はまだ、知るよしはない。

♢初エイトの寝室


 私は、横にいる金髪先生に確認しておきたい事があった。まだそんなに親しい間柄ではないが、下宿人と下宿のおばちゃんみたいな距離だろうか。

「そういえば、あんたのことなんて呼べばいいの? お父さんっていうのも正式に入籍していないし、お兄さん? 死神先生って呼ぶべき? 人気漫画家だし」

 私はさりげなく、でも、とても重要なことを聞いておいた。

「エイトでいいよ、先生呼びは割と苦手だ。それにしても、死神先生はないだろ。お前はもう家族だしな」

「じゃあ私のことは、ナナってよんでね」

 エイトは売れっ子漫画家なのに、思ったよりも気さくで良い人のようだ。 

「ねぇ、私ってお母さんに似てる?」

「うーん、あんまり似てないな」

「えー? 結構似てるっていわれるんだけどな」

「美佐子さんはもっとしっかりしているというか、タイプが違うよな」

「私に面影重ねたりしないの?」

「しない。だって、お前にも美佐子さんにも失礼だろ。親子でも別人格なんだから」

 そっかー。お母さんと重ねることはないということは、女性としてみてないってことなのね。というかエイトのタイプの女性ではないってことなんだよね。そんなどうでもいいことを考えてみる。でも、もしコイツを好きになったらお母さんの大好きな人を奪うことになってしまう。それは、いけないことだ。だから、それだけは絶対に避けなければ。お母さん、私は元気になんとかやってます。天国で見守っていてくださいね。そんな心の祈りを天に向かってささげてみる。

「エイト、私さ、急に心に穴が開いてさびしくなる時があるんだ。どうしようもなくなる。そんなときにどうしたらいい?」

「俺がいるから。俺のところに来い。話し相手くらいにはなってやるから」

 エイトの微笑みは美しかった。なんだか初めて男の人を美しいと思った。自分だってきっとすごく寂しいのに、それでも弱さを見せない。そして、きれいで真っすぐな瞳の視線は私から逸らすことはなかった。彼は、保護者としてすごくいい人なんだな。

「エイトも辛いでしょ?」

「辛いけどさ、慣れている部分はあるな。母親が亡くなった時から、ずっとぽっかり穴が開いていて、心が満たされなくて。そんな時に漫画に救われたんだ。だから、自分でも描いてみようと思ってさ。描いているときは辛いこととか現実を忘れられるから、俺には天職なんだよな」

 漫画家になったきっかけは、エイトの心を埋めるために書きはじめたという理由だった。それが、全国にファンができるくらいの面白い作品となって世間に認知されるようになったのか。創作のきっかけというのは人それぞれだけれど、素晴らしい作品を生み出す力があるのはエイトの才能なんだろうな。

 何の才能もない私はこれからどうやって生きていこう、そんなことを考える。ソファーに並んで座る私たちは、最近家族になったというのに、不思議な安心感とか安らぎがあった。

 すると、エイトがもたれかかってくる。結構重い。何よ急に。

 顔が近い。もしかして、やはり私の魅力に気づいて、男としての本能を発揮してきたということ? 私は一気にドキドキ心臓が高鳴ってしまった。どうやってこれを乗り切る? ちゃんと話し合って、断ろう。でも。無理やり何かされたら?

 私はエイトに向かって話を切り出す。

「あのね。私は、あなたのことそういった目では見ていないから」

 視線は合わせられない。しかし、エイトは無言だ。何考えているの? このまま一気にとか? 私は流されないんだから。

 そーっとエイトのほうに視線を向けると―――

 寝てる!! 完全に眠っている!!

 疲れていたんだ。仕事が忙しいのに、私の面倒とか色々大変だったのかもしれない。それに、死神の仕事もやっている。体を酷使しすぎなのではと心配になる。その寝顔は思ったより幼くて、同級生の男子みたいだった。父親でもないし、兄でもないし、恋人でもないし、友達でもない。不思議な人だ。

 私たちの関係は不思議で奇妙だが家族として成り立っている。恩人に対して、失礼なことを考えた自分が恥ずかしくなった。というか、自分が男性としてこの人のことをみていた深層心理に驚きつつも、恥ずかしくなっていた。

「ありがとう」

 私は彼に静かにお礼を述べると、エイトの上に布団をかけるためにエイトの寝室にお邪魔した。寝室には初めて入るので少し緊張する。私の布団を貸すとなると自分が眠るときに寒くなってしまうし、エイトはそのまま寝ていたのでは風邪をひく。たった一人の家族で漫画家としても大事な体だから、健康には気を付けてほしい。そう思い、意を決して寝室に侵入。

 少し、ドキドキしている自分がいた。普段用事がないから入ったこともない。エイトの匂いがする。寝室は意外と片付いていて、物が少ないシンプルなインテリアだった。ベッドとソファーと小さな机があった。そして、好きな漫画本が並んだ棚とか、雑誌とか、仕事以外の趣味が置いてある場所のようだった。卒業アルバムとかそういった昔のものが本だなには並んでいた。エイトのパーソナルスペースに勝手に入ってしまったと思ったが、まずは毛布一枚だけ拝借しようかと思った。

 部屋に飾ってある写真は私の母の写真だった。それは、仕事で接したときに撮ったのではないかと思われる一枚だった。本当に好きだったんだなぁ……。この人は私の母を愛していたんだなぁ……。

 なんだか、母親の女性である部分をこの人は知っているのかと考える胸が痛くなるような何かを感じた。それは、母を奪われた寂しさなのかもしれない。どんなプロポーズで、どんな会話だったのだろう? キスはしたのかな? その先のことも? なんだろう、胸が苦しい。私は毛布を1枚だけ取ってエイトの体にかけることにした。

 ソファーに横たわるエイトの体は華奢で、女性のようだった。Tシャツにスウェットというラフなかっこうだが、贅肉はなく、顎はシャープだ。顔も小さいし、まつげも長い。近くで観察すると、色白できめ細かな肌が美しい。髪は金髪に染めているが、傷みはなく、艶があって、シャンプーの香りがする。この人は男臭くないのだ。石鹸のにおいがする。だから、嫌悪感がないのかな。

 彼氏がいたこともない私は、こんなに間近で男性を見たことがなかった。この人に愛されたお母さんは、死んでしまったけれど、幸せの時間のままいなくなったのだ。それは、不幸中の幸いなのかもしれない。

 エイトのこと、お母さんは好きだったのだろうか? どこに惹かれたのかな? 話術? ルックス? 性格のまっすぐなところかな? 私はしばらく、熟睡しているエイト眺めていた。死神として、仇討ちの仕事をしていると言っていたが、優しいエイトだからこそ、心の葛藤は計り知れないだろう。でも、そうしなければいけない運命を背負う。さらに、半妖のリーダーとしての責任もあるのに、この人はつぶれないのだなぁ。関心してしまう。私、この人を家族として支えたい。そんな決意をした夜だった。
♢風呂場で鉢合わせ【レモン酢ドリンク】

 私がお風呂にいつも通り入っていた時の話だ。時々アシスタントたちがシャワーを浴びたりもするが、基本、私とエイトくらいしか入ることはない浴室。私が掃除は担当している。温泉入浴剤に癒されながら入浴する。エイトの趣味でたくさんの全国各地の温泉の素があったりする。私も温泉は好きなので、毎日違う入浴剤を選ぶのが楽しかったりする。基本入浴は私が先に入る。

 エイトは死神の仕事もあったり、漫画家の仕事もあったりで入浴は深夜になることが多い。もちろん、ドアには入浴中というカードを貼っているので、お互いに間違えて入ることもないのだが……。

 ガラガラとドアが開いた。サイコさんか誰か女性が入ってきたのかなと思ったのだが――金髪の華奢な男が入ってくる。

「あれ? 入っていたのか?」

 エイトが意外そうな顔をする。下はタオルで巻かれているが、上半身は裸だ。私なんてお湯に浸かっているが全裸だ。

「札、さがっていなかったから」

 顔色を変えず、入口を指さすエイト。

「そういう問題じゃないでしょ。出ていってよ。セクハラ親父」

「はぁ? なんで俺がセクハラ親父なんだ。ここは俺の家だし、わざとじゃない、札が悪いんだ」

「とにかく、出ていってよ。私ももうすぐ上がるから、着替えはリビングで服を着ること」

「はいはい。まぁ、ガキの裸なんて見ても俺は気にも留めないがな」

「私が気にするし、それって、法律に引っかかる大問題なんだから。あんたの裸もみたくないし」

「ったく、わかったよ。出ればいいんだろ」

「謝りなさい!!」

「わるかったよ」

 怪訝そうな男はその場を去って、リビングのほうに向かったようだ。私はそうっとタオルを全身に巻いて脱衣所に人がいないことを確認した。そして、素早くパジャマに着替えた。

 パジャマ姿の私がリビングに行くと、エイトがテレビを観ていた。

「今度、また入ってくることがないように鍵つけてもらおうかな」

「でも、倒れた時、鍵かかってたら命に関わるぞ」

 この男、私を女としてみていないのだろう。顔色一つ変えない。でも、女性の裸を見慣れているタイプでもないみたいだし。わからないやつ。

「これ、飲むか?」

 エイトがドリンクを作ってくれていた。もしかしてお詫びのつもりかな。

「なに? この飲み物は?」

 目の前には炭酸水のようなきれいな色合いのドリンクがある。

「レモン酢ドリンク。風呂上がりにレモンを酢でつけて作ったドリンクと炭酸水を混ぜたドリンクは、美容に効果てきめんらしいぞ」

「ほんのり甘い?」

「はちみつ入りだ。肌が美しくなれば、男子からモテる可能性がグッとあがるぞ」

「ちょっと、モテない女子みたいな言い方しないでよ」

 私は、ぐっとドリンクを飲み干す。その様は、銭湯で片手を腰に置きながら牛乳を飲む子供の様かもしれない。

「私のこといくら女として意識していないからって、もうすぐ18歳になる女性なんだから、そこのところ考えてよね」

「悪かったよ。札はひもが切れて、落ちていたみたいで気づかなかったんだよ。頑丈な札をつくらないとな。俺は、別に親子みたいに一緒に風呂に入っても構わないけどな」

「何言っているの? 女性経験もないんでしょ? 浴槽に入っていたからいいものの、私の裸見たら興奮するに決まってるよ」

「興奮するわけないだろ!! おまえの寝間着姿だって見慣れたしな」

「家族だし、いつもカチッとした格好ばかりではいられないよ。私だってエイトの部屋着姿、見慣れてますけど」

「だいたい、おまえには色気も何もないだろ。俺は家族にそういった感情は持たないようにしているんだよ」

「そりゃ、そうだけど。エイトの上半身みたら私はドキッとするから極力見せないでよね」

 すると、エイトが黙る。

「俺の上半身を見るとドキッとするのか?」

「別にそういう意味じゃないけど、エイトのにおいにはドキッとするよ。だって、今まで男の人って接したことないから。私にはお父さんもいなかったわけだし」

 少しの沈黙の後に、エイトが語りだす。

「本当の家族になりたいんだよな。それってドキッとしない関係ってことだしさ」

「エイトってこの前も泥酔して私に抱き着いて寝ちゃうし、その前は疲れすぎて私に寄りかかりながら寝ちゃうし、どうにかならないの?」

「……わりぃ。気を付ける。おまえといると安心しちゃうのかもな」

「だって、布団取りに行くのにエイトの部屋に入らないといけないし、そうしたら、布団にはエイトのにおいがあって……」

 私のことを見つめながらエイトは静かに答えた。

「俺、父親失格だな。娘が欲しかったから、娘ができた気がしてたんだよな。でも、血縁がないからな」

「私、エイトのにおいすきだよ」

「はぁ? 何言ってんだよ? 男のにおいなんていいもんじゃないぞ」

「でも、嫌な臭いじゃないの。エイトのTシャツのにおいかがせてよ」

「だめっ。お父さんはそんな不謹慎なこと許しません」

「ケチ!!」

「私の部屋にも今度来てよ。きっと私のにおいがするから」

「俺はにおいフェチじゃねーし」

 よく見ると、エイトの顔が真っ赤になっている。結構うぶ? からかうとなんだかおもしろい。
♢トランクスと重曹の話

 『基本自分のことは自分で』がルールなので、洗濯は各自、部屋の掃除も各自ですることになっている。夕食は定食を食べることができるし、朝は買ってあるパンで済ませたり、昼食のお弁当は自分で作る。エイトは時々、時間があるとおいしい料理を作ってくれるし、部屋の掃除もしてくれる。エイトが忙しそうなときは、リビングや風呂などの共用スペースは私が掃除をすることにしている。

 洗濯物はやはり家族といえど私の下着を洗ってもらうなんて恥ずかしい。洗濯ものは、自分の部屋のベランダに干している。プライバシーも守られるこの家は有能だ。でも、なんで今日に限って、私の洗濯物の中に、エイトのトランクスが混ざっているの? Tシャツも入っている。かごを間違えて入れたのかもしれない。でも、これは、洗ったものだし、一応干してあげるべき? そもそも干すのはエイトの部屋でしょ。じゃあかごに戻す? 困ったなぁ。そうだ、いたずらしちゃおうかな。

 エイトが仕事の休憩でリビングでコーヒーを飲んでいるときに、思いっきりトランクスを見せつける。

「ねぇ、これ、だーれの?」

「うわあああっ、俺のトランクス盗んだのか?」

 動揺を隠しきれないエイトは素直な人だ。

「違うって、盗むわけないでしょ。私の洗濯物と一緒に入っていたから洗っちゃったの。Tシャツも一緒に洗ったよ」

「それ、よこせよ。俺が自分で干すから。ついに人の下着のにおいに反応する変態になったのかと思ったぞ」

「あのねー。だいたい、エイト以外の男性の下着って触ったこともないのに」

「とーぜんだろ、彼氏ができても下着を触るのは禁止な」

 父親みたいな干渉をするエイト。まんざらでもない保護者顔だ。

「でも、エイトの下着は洗濯という行為だから、OKよね」

 私はわざと確認する。

「まぁ、俺は家族だからな。俺が間違えたのかもしれない。以後、気を付ける」

「じゃあ、トランクスを返してほしければ、私の質問に答えて」

 少し緊張感のある空気が張りつめた。

「エイトはずっと結婚しないの? 恋人も作らないの?」

 エイトが真面目な顔になる。少し真剣に考える。

「ずっとかどうかわからないが、今は保護者しているわけだし、美佐子さんへの気持ちが残っているから、結婚も交際もするつもりはない」

「もし、エイトが好きな人ができたら、お母さんの娘である私への義理はいいから、ちゃんと自分の人生を楽しんでね」

「なんだよ、急にいい子みたいになって。ってまず、それ返せ」

 私は笑いながらトランクスとTシャツを渡した。そう言われてみると、男性の下着に触れる機会はお父さんの記憶がないから生まれて初めてなのか。でも、案外嫌とかそういうのはなかったな。この前なんかお風呂で鉢合わせしたし、なんだか慣れてきたというか。兄弟みたいな感覚なのかもしれない。

「もし、エイトのかごに間違えて私の下着が入っていたら、こっそり私のかごに戻しておいてね」

「まず、間違えるな」

 焦った顔をするエイトはかわいい。年上なのに、からかい甲斐がある。今回は自分が間違えたくせに。だから、同居は面白い。


♢♢

 後日、エイトのかごになぜかナナのキャミソールが入っていたのだが、洗う前に気づいた彼は静かにそっとナナの洗濯籠に入れた。いたずら好きなナナのことだから、わざとかもしれないし、うっかり入れただけなのかもしれない。そんなことを思いながらだろうか。ふいにエイトがうしろを見た。私がいないということを確認したような感じだ。

「ちゃんと、かごに入れてくれたんだね。ありがとう」

 私がいないと思っていたのだろうか。ちゃんと一部始終見ていた私はニヤニヤしながらエイトに近づく。

「おまえ、わざとか」

「ちょっとエイトの反応が見たかったんだよね。別にブラジャーじゃないし、パンツでもない。キャミソールだけどさ。意外と変態で匂いかいだりしないかな、とか」

「そんな趣味はないし、ナナに興味はこれっぽっちもない」

 親指と人差し指でこれっぽっちという表現をされたのだが、これまたほんとうに日本の指がくっつくくらいの幅だ。ちょっとむかつく。

「はいはい、ちょっとからかっただけだよ、エイトの反応見てみたくて。でも、それ、脱いだばかりだから、まだ温かかったでしょ?」

「しらねーよ」

 やっぱりエイトは女性慣れしていない感じで、そこが面白い。私たちはからかいあう家族でそれ以上でもそれ以下でもないのだから。

「そういえば、汗かいたときとかさ、重曹入れると消臭も洗浄力もアップするんだ。洗剤と一緒にな」
 
 急にエイトは得意げに家事男子《カジダン》知識を披露する。

「それじゃあ、いい匂いもなくなっちゃうじゃん」
「柔軟剤のいいにおいは残るからそれでいいだろ。それ以上何のにおいが欲しいんだ?」

 いじわるそうな顔で私を見るエイトは確信犯だ。私は絶対にからかわれている。そんなことはお構いなしに、解説をはじめるエイト。

「重曹は3種類あって、工業用、食用、薬用があるんだが、掃除用は安くてきめが粗い工業用を使うのが一般的なんだ。台所、浴室、洗面所なんかで大活躍だ。今度、重曹を使ったスプレー使って掃除を伝授してやる」

「わかったよ。エイトはいいお婿さんになりそうだね。おやすみ、ごちそうさま」

 そう言うと、私は寝室へ向かう。もし、エイトがいなければ、おやすみを言う相手もいない。その事実はなんと寂しいのだろう。私は彼のおかげで、救われたと思っているし、結構感謝はしている。