♢元ホスト園長の恋
夕方5時ごろに幼稚園には不似合いなスーツ姿の女性がやってきた。
「この前のこども食堂の決算報告書と活動報告書をもってきたわ」
NPO法人代表であり園長レオの幼馴染であり婚約者である春日小春が園長室へハイヒールの音を響かせながらやってきた。
素っ気ない冷めた瞳で椅子に座る園長を見下すように鋭いまなざしを向けた。とても幼なじみに対する態度とは思えない冷たいまなざしだ。レオは申し訳ないと心の中で思っていた。いつの間にやら小春との距離は歳を重ねるたびに遠くなるばかりだった。学業に励む小春とバイトでホストをはじめたレオの距離は大学生になると決定的に遠のいた。絶対に小春に嫌われている。汚らわしい存在だと思われているとレオは感じていた。
しかし、親が小さなときに交わしたという許嫁の契約だけが残り、小春を苦しめているのではないだろうか。レオは小春に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。本当は好きな人がいるのかもしれない。そんなちっぽけな契約で小春を縛り付けるのは、本当に申し訳なかった。しかも、小春の家はこの辺りでは有名な地主であり資産家だ。ある程度広い土地を所有していて、父親が幼稚園経営以外にも事業をしているとはいえ、レオの家のほうが裕福度は低い。
思い切って、ずっと思っていたことをレオは口にした。
「許嫁の話だが、なかったことにしないか?」
レオは、小春のために解放してあげたいと思った。自由に恋愛をしてほしい。小春は美人なのに一度も彼氏を作ったという話も聞かない。そろそろ適齢期になったわけだし、好きな男くらいいるだろう。
「……どういうこと? 本気で好きな女性でもできたの?」
「おまえにも自由に恋愛してほしいと思っているんだよ。好きな奴はいないのか?」
「……いるけど」
「そうか、じゃあ、結婚の話はなかったことにしよう。親に話しておくよ。今時おかしいだろう。親が幼少時に勝手に決めるなんて」
小春はレオを睨みつける。いつもより機嫌が悪いのだろうか。
「わかったわ。結婚の話は白紙にしましょう」
小春は淡々と事務的な返事をする。
やっぱり嫌われているんだな。レオは確信していた。
レオはその日は残業に追われて、夕飯はコンビニのおにぎりを食べながら仕事をしていた。だいたい仕事が片付いた夜9時頃、エイトから電話がかかってきた。
「レオ、女性客で酔っぱらって寝てしまった客がいるんで、連れて帰ってほしい」
「はぁ? 俺の知り合いか?」
レオは忙しい仕事の手を休めたが、本当は仕事を早く終わらせて帰宅しようと思っていたので、手を休めたくないというのが本心だった。
「結婚する相手なんだから知り合いだろ」
「もしかして小春か? あいつが居酒屋に行ったのか? あいつ酒、飲めないんだぞ」
突然の電話の内容にレオは動揺を隠せない。
「1人で来店して1杯飲んで、酔っ払って寝ちまったらしい。営業中だから、他の客の手前、迎えに来い」
「でも、もう俺たち婚約破棄することにしたんだって」
「とにかく来い!!」
エイトの声は非常事態ということを感じさせる緊迫した声だった。レオは小春のことがとても心配で、今やっている仕事を投げ捨てて、一目散に居酒屋へ向かった。
レオはエイトに言われるがまま、小春を迎えに行った。あの完璧主義者で酒を飲まない小春が一人で居酒屋にいって酔いつぶれたという話を聞いて、レオは信じられない気持ちだった。他人の前でスキを見せない完璧な女性が酔いつぶれて寝るなんてありえないと思っていた。エイトの冗談かとも疑ったが、電話の声は本気の声だった。レオは、仕方なく小春のもとへ向かう。
(あいつ、好きな男がいるなら一人酒なんてしなくてもいいのに。でも、片思いなのかもしれないな。プライド高そうだし、あーいうのが意外とホストにひっかかりやすいんだよな)
そんなことをあれこれ考えていた。少しパニックになっていたのかもしれない。
レオは自家用車でエイトの居酒屋へ向かった。すると、客席で突っ伏して寝ている女がいた。いつもスキがない、ばっちり決めている小春はそこにはいなかった。ハイヒールを脱ぎ捨て、ジャケットも脱ぎ、ブラウスの上の方はボタンを開けている。ちょっと胸元を開けすぎだと感じる。胸がみえてしまいそうだった。髪の毛もいつもばっちりなのに、ぼさぼさだ。酒に弱い小春はそういうことにならないように、基本ウーロン茶とかノンアルコールしか飲まないタイプだ。最近、あまり話すこともないしプライベートは知らないが、こんな彼女ははじめてだった。
「起きろ、家に送っていくから」
小春をゆすり起こす。
「ん……? やだよ。ねむい」
いつものテキパキキャリアウーマンのイメージがゼロだ。目の前にいる酔いつぶれた女は初めて見る素の小春だった。
「車で来たから、乗せるから。車で寝ろ」
「もう少し飲ませてよ」
「水を飲んだほうがいいんじゃないか?」
「水は飲ませたんだけどね。少し飲んだら寝ちまった」
あきれ顔のエイト。なんだか営業妨害しているみたいで申し訳ない気持ちになったレオは力づくで、小春の腕を俺の肩にまわし、なんとか店から車に運ぶ。
ドアを開けて、後部座席に寝せて、彼女の家に送ることにした。
「エイト、支払いは俺がやっとく。悪かったな」
レオは急いで支払いを済ませて、車に戻る。小春が足を広げて寝そべっていた。こんな小春、見たことがない。そんなことを思い、俺は動揺していた。
「実家に送るか?」
「今は1人暮らししてるんだから」
眠りながらも一応会話は成立していた。
小春がすぐ近くの高級マンションの一室に住んでいることを知っていたので、レオはマンションへ車を飛ばした。車だとすぐ着く距離だった。レオは、彼女のスカートから見える開いた足とブラウスのボタンをはずした胸元がとても気になったが、小春を部屋まで送り届けることを元婚約者としての使命だと感じて彼女を車から部屋に何とか連れて帰った。駐車場から彼女の部屋の入口まではすぐだ。鍵を鞄から取り出してなんとか部屋に到着した。
レオの任務は終了したかと思われたが、小春は玄関で眠ってしまった。とんでもない格好だ。内鍵を閉めなければ、不審者に襲われかねない姿を心配したレオは、小春の部屋のリビングにあるソファーにとりあえず寝かせた。寝室は幼なじみといえどもハードルが高い。最近は心にも距離ができている証拠なのかもしれない。
リビングのボードに目をやると、前回の子ども食堂のイベントの写真が無造作に貼られていた。ふと目をやると、レオが映っている写真が多いことに困惑する。偶然かもしれないが、やたらレオがアップで映っている写真が何枚もあった。小春はレオの顔も見たくないくらい嫌っていると思っていたから、レオは本気で驚くとともに疑問を持った。
とりあえず何か小春の上にかけるものをレオは探した。小春のスーツのジャケットくらいしか見当たらないので、太ももが見える短めのスカートの上にかけておく。でも、この小春の様子を見ていると、内鍵をかけないと危ない。しかし、内鍵は小春が起きてくれないと閉められない。レオは小春が心配で、帰るに帰れない状況だった。
「水、ない? ちょっと気持ち悪いかも」
小春が起きた。
「大丈夫か?」
立ち上がる小春の足はよろけていた。それを支えようとすると、レオと小春は抱きしめあう形となってしまった。
(これは不可抗力だ。)
レオは小春に責められると思い、心の中で言い訳をした。
とりあえずソファーに座らせ、ミネラルウォーターを冷蔵庫にとりに行く。冷蔵庫の中は優等生で、作り置きのおかずがラベル別に仕分けされていた。冷蔵庫の様子を見て、普段は生活が荒れていないことを確信したレオは一安心していた。やっぱり優等生の小春がちゃんとそこにいた。
「水、飲むか」
ペットボトルのふたを取って、小春に飲ませる。
「あれ? なんであんたがここにいるの? 私の部屋ですが」
少し意識が戻ったらしく、小春は感謝もなく質問する。
「エイトの店で一人で酒飲んで酔いつぶれて寝てただろ。俺が保護責任者として責任を持って送り届けたんだよ。もう、内鍵自分で閉められるよな、俺は帰るぞ」
レオが帰宅しようとすると、小春はレオの腕をつかんだ。
「まだ、具合悪いから傍にいてよ」
レオは正直目のやり場に困る。ブラウスのボタンを閉め直したらセクハラ扱いされるし、かといって見ることも失礼な気がする。視線を逸らすしかない。
「吐きそうか?」
心配な様子のレオ。
「水、飲んだらよくなってきた」
目の前にいる小春は子供みたいで、無防備だった。
「レオは私が嫌いでしょ?」
意外な質問を投げかける小春。
「むしろ俺のことを嫌ってるだろ。いっつもツンとした態度で冷たいし」
レオは常日頃感じていることを正直に小春にぶつける。
「別に嫌ってないけど、許嫁のことはなかったことにしたいのでしょ?」
レオは本当の思いを伝えた。
「小春をそんなことで束縛したくなかったんだよ。本当に好きな相手と結婚してほしいし、そんな親の約束のせいで嫁に行けなかったら申し訳ないし」
「私が、親のいいなりになるタイプだと思う?」
レオは少し考えた。小春は親の反対を押し切って1人暮らしをしたり、進路を決めていたような気がする。親のいいなりにはならないタイプだ。じゃあなんで、結婚相手のことだけいいなりになっているのだろうか。
「私たち、こども食堂の事業くらいしかつながりがなくなっちゃうね」
「そういえば、なんで俺の写真貼ってるんだよ」
レオは不思議な顔をしてボードを指さした。
「別に……こども食堂の様子を撮って部屋に貼っただけで……」
少し小春が動揺しているようだ。顔は酔っているせいで真っ赤なので、顔色からは推測できない。
こども食堂の様子というよりは、レオの様子を撮って貼ったと言ったほうが的確な感じがする。4枚もそんな写真があるのだ。レオが気づいていないときに、いつのまにか撮られているといった写真だ。
「好きな人がいるなら俺に遠慮するな」
すると、小春が生まれて初めてレオに抱き着く。それは突然で、普段あんなに冷たくしていた小春がレオの体をぎゅっと縛る。意外と大きい小春の胸がレオの腹のあたりにぶつかる。
「今日、泊まっていかない?」
少しうつむき加減で小春はレオを誘う。レオは少し不思議な顔をした。
「またまた冗談ばっか」
レオはからかわれているのだと思っていた。
「今日、既成事実を作ったら婚約しないといけなくなるかもよ」
「既成事実って……」
堅物女の意外な発言にレオは口をあけっぱなしだ。以前ホストクラブに色々な女性がやっていきていたので慣れているつもりだが、小春に対してはちょっと違う。
「もしかして、俺のことが好きなのか?」
潤んだ瞳で小春はキスをせがむ体制だ。レオは相当焦っていた。手慣れているはずだが、最近は恋愛とか女性関係にご無沙汰だったというのもある。
レオは、小春のことを好きなのかと聞かれると、嫌われていると思っていたから冷たく接していただけだという事実に気づく。本当は小春と一緒にいたいと思っている自分がいた。だから、大学も同じ大学に進学して、サークルも同じところに入って。でも、相手にされないから、友達に誘われたホストのバイトを一時期していた。派手にみられるが、実は経営に興味があって、クラブの店長と経営のほうの仕事をしていた。レオは、この人への気持ちから逃げていたのかもしれない。
そう思ったレオは、彼女と口づけを交わし、その晩は彼女の家に泊まることにした。そして、すぐに結婚を決意して、翌日には小春の両親に挨拶に行き、一緒に住むことにした。
1か月後――小春の部屋のリビングの写真は二人一緒の写真に変わっていた。そして、結婚情報誌と新婚旅行のパンフレットがたくさん置かれていた。
夕方5時ごろに幼稚園には不似合いなスーツ姿の女性がやってきた。
「この前のこども食堂の決算報告書と活動報告書をもってきたわ」
NPO法人代表であり園長レオの幼馴染であり婚約者である春日小春が園長室へハイヒールの音を響かせながらやってきた。
素っ気ない冷めた瞳で椅子に座る園長を見下すように鋭いまなざしを向けた。とても幼なじみに対する態度とは思えない冷たいまなざしだ。レオは申し訳ないと心の中で思っていた。いつの間にやら小春との距離は歳を重ねるたびに遠くなるばかりだった。学業に励む小春とバイトでホストをはじめたレオの距離は大学生になると決定的に遠のいた。絶対に小春に嫌われている。汚らわしい存在だと思われているとレオは感じていた。
しかし、親が小さなときに交わしたという許嫁の契約だけが残り、小春を苦しめているのではないだろうか。レオは小春に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。本当は好きな人がいるのかもしれない。そんなちっぽけな契約で小春を縛り付けるのは、本当に申し訳なかった。しかも、小春の家はこの辺りでは有名な地主であり資産家だ。ある程度広い土地を所有していて、父親が幼稚園経営以外にも事業をしているとはいえ、レオの家のほうが裕福度は低い。
思い切って、ずっと思っていたことをレオは口にした。
「許嫁の話だが、なかったことにしないか?」
レオは、小春のために解放してあげたいと思った。自由に恋愛をしてほしい。小春は美人なのに一度も彼氏を作ったという話も聞かない。そろそろ適齢期になったわけだし、好きな男くらいいるだろう。
「……どういうこと? 本気で好きな女性でもできたの?」
「おまえにも自由に恋愛してほしいと思っているんだよ。好きな奴はいないのか?」
「……いるけど」
「そうか、じゃあ、結婚の話はなかったことにしよう。親に話しておくよ。今時おかしいだろう。親が幼少時に勝手に決めるなんて」
小春はレオを睨みつける。いつもより機嫌が悪いのだろうか。
「わかったわ。結婚の話は白紙にしましょう」
小春は淡々と事務的な返事をする。
やっぱり嫌われているんだな。レオは確信していた。
レオはその日は残業に追われて、夕飯はコンビニのおにぎりを食べながら仕事をしていた。だいたい仕事が片付いた夜9時頃、エイトから電話がかかってきた。
「レオ、女性客で酔っぱらって寝てしまった客がいるんで、連れて帰ってほしい」
「はぁ? 俺の知り合いか?」
レオは忙しい仕事の手を休めたが、本当は仕事を早く終わらせて帰宅しようと思っていたので、手を休めたくないというのが本心だった。
「結婚する相手なんだから知り合いだろ」
「もしかして小春か? あいつが居酒屋に行ったのか? あいつ酒、飲めないんだぞ」
突然の電話の内容にレオは動揺を隠せない。
「1人で来店して1杯飲んで、酔っ払って寝ちまったらしい。営業中だから、他の客の手前、迎えに来い」
「でも、もう俺たち婚約破棄することにしたんだって」
「とにかく来い!!」
エイトの声は非常事態ということを感じさせる緊迫した声だった。レオは小春のことがとても心配で、今やっている仕事を投げ捨てて、一目散に居酒屋へ向かった。
レオはエイトに言われるがまま、小春を迎えに行った。あの完璧主義者で酒を飲まない小春が一人で居酒屋にいって酔いつぶれたという話を聞いて、レオは信じられない気持ちだった。他人の前でスキを見せない完璧な女性が酔いつぶれて寝るなんてありえないと思っていた。エイトの冗談かとも疑ったが、電話の声は本気の声だった。レオは、仕方なく小春のもとへ向かう。
(あいつ、好きな男がいるなら一人酒なんてしなくてもいいのに。でも、片思いなのかもしれないな。プライド高そうだし、あーいうのが意外とホストにひっかかりやすいんだよな)
そんなことをあれこれ考えていた。少しパニックになっていたのかもしれない。
レオは自家用車でエイトの居酒屋へ向かった。すると、客席で突っ伏して寝ている女がいた。いつもスキがない、ばっちり決めている小春はそこにはいなかった。ハイヒールを脱ぎ捨て、ジャケットも脱ぎ、ブラウスの上の方はボタンを開けている。ちょっと胸元を開けすぎだと感じる。胸がみえてしまいそうだった。髪の毛もいつもばっちりなのに、ぼさぼさだ。酒に弱い小春はそういうことにならないように、基本ウーロン茶とかノンアルコールしか飲まないタイプだ。最近、あまり話すこともないしプライベートは知らないが、こんな彼女ははじめてだった。
「起きろ、家に送っていくから」
小春をゆすり起こす。
「ん……? やだよ。ねむい」
いつものテキパキキャリアウーマンのイメージがゼロだ。目の前にいる酔いつぶれた女は初めて見る素の小春だった。
「車で来たから、乗せるから。車で寝ろ」
「もう少し飲ませてよ」
「水を飲んだほうがいいんじゃないか?」
「水は飲ませたんだけどね。少し飲んだら寝ちまった」
あきれ顔のエイト。なんだか営業妨害しているみたいで申し訳ない気持ちになったレオは力づくで、小春の腕を俺の肩にまわし、なんとか店から車に運ぶ。
ドアを開けて、後部座席に寝せて、彼女の家に送ることにした。
「エイト、支払いは俺がやっとく。悪かったな」
レオは急いで支払いを済ませて、車に戻る。小春が足を広げて寝そべっていた。こんな小春、見たことがない。そんなことを思い、俺は動揺していた。
「実家に送るか?」
「今は1人暮らししてるんだから」
眠りながらも一応会話は成立していた。
小春がすぐ近くの高級マンションの一室に住んでいることを知っていたので、レオはマンションへ車を飛ばした。車だとすぐ着く距離だった。レオは、彼女のスカートから見える開いた足とブラウスのボタンをはずした胸元がとても気になったが、小春を部屋まで送り届けることを元婚約者としての使命だと感じて彼女を車から部屋に何とか連れて帰った。駐車場から彼女の部屋の入口まではすぐだ。鍵を鞄から取り出してなんとか部屋に到着した。
レオの任務は終了したかと思われたが、小春は玄関で眠ってしまった。とんでもない格好だ。内鍵を閉めなければ、不審者に襲われかねない姿を心配したレオは、小春の部屋のリビングにあるソファーにとりあえず寝かせた。寝室は幼なじみといえどもハードルが高い。最近は心にも距離ができている証拠なのかもしれない。
リビングのボードに目をやると、前回の子ども食堂のイベントの写真が無造作に貼られていた。ふと目をやると、レオが映っている写真が多いことに困惑する。偶然かもしれないが、やたらレオがアップで映っている写真が何枚もあった。小春はレオの顔も見たくないくらい嫌っていると思っていたから、レオは本気で驚くとともに疑問を持った。
とりあえず何か小春の上にかけるものをレオは探した。小春のスーツのジャケットくらいしか見当たらないので、太ももが見える短めのスカートの上にかけておく。でも、この小春の様子を見ていると、内鍵をかけないと危ない。しかし、内鍵は小春が起きてくれないと閉められない。レオは小春が心配で、帰るに帰れない状況だった。
「水、ない? ちょっと気持ち悪いかも」
小春が起きた。
「大丈夫か?」
立ち上がる小春の足はよろけていた。それを支えようとすると、レオと小春は抱きしめあう形となってしまった。
(これは不可抗力だ。)
レオは小春に責められると思い、心の中で言い訳をした。
とりあえずソファーに座らせ、ミネラルウォーターを冷蔵庫にとりに行く。冷蔵庫の中は優等生で、作り置きのおかずがラベル別に仕分けされていた。冷蔵庫の様子を見て、普段は生活が荒れていないことを確信したレオは一安心していた。やっぱり優等生の小春がちゃんとそこにいた。
「水、飲むか」
ペットボトルのふたを取って、小春に飲ませる。
「あれ? なんであんたがここにいるの? 私の部屋ですが」
少し意識が戻ったらしく、小春は感謝もなく質問する。
「エイトの店で一人で酒飲んで酔いつぶれて寝てただろ。俺が保護責任者として責任を持って送り届けたんだよ。もう、内鍵自分で閉められるよな、俺は帰るぞ」
レオが帰宅しようとすると、小春はレオの腕をつかんだ。
「まだ、具合悪いから傍にいてよ」
レオは正直目のやり場に困る。ブラウスのボタンを閉め直したらセクハラ扱いされるし、かといって見ることも失礼な気がする。視線を逸らすしかない。
「吐きそうか?」
心配な様子のレオ。
「水、飲んだらよくなってきた」
目の前にいる小春は子供みたいで、無防備だった。
「レオは私が嫌いでしょ?」
意外な質問を投げかける小春。
「むしろ俺のことを嫌ってるだろ。いっつもツンとした態度で冷たいし」
レオは常日頃感じていることを正直に小春にぶつける。
「別に嫌ってないけど、許嫁のことはなかったことにしたいのでしょ?」
レオは本当の思いを伝えた。
「小春をそんなことで束縛したくなかったんだよ。本当に好きな相手と結婚してほしいし、そんな親の約束のせいで嫁に行けなかったら申し訳ないし」
「私が、親のいいなりになるタイプだと思う?」
レオは少し考えた。小春は親の反対を押し切って1人暮らしをしたり、進路を決めていたような気がする。親のいいなりにはならないタイプだ。じゃあなんで、結婚相手のことだけいいなりになっているのだろうか。
「私たち、こども食堂の事業くらいしかつながりがなくなっちゃうね」
「そういえば、なんで俺の写真貼ってるんだよ」
レオは不思議な顔をしてボードを指さした。
「別に……こども食堂の様子を撮って部屋に貼っただけで……」
少し小春が動揺しているようだ。顔は酔っているせいで真っ赤なので、顔色からは推測できない。
こども食堂の様子というよりは、レオの様子を撮って貼ったと言ったほうが的確な感じがする。4枚もそんな写真があるのだ。レオが気づいていないときに、いつのまにか撮られているといった写真だ。
「好きな人がいるなら俺に遠慮するな」
すると、小春が生まれて初めてレオに抱き着く。それは突然で、普段あんなに冷たくしていた小春がレオの体をぎゅっと縛る。意外と大きい小春の胸がレオの腹のあたりにぶつかる。
「今日、泊まっていかない?」
少しうつむき加減で小春はレオを誘う。レオは少し不思議な顔をした。
「またまた冗談ばっか」
レオはからかわれているのだと思っていた。
「今日、既成事実を作ったら婚約しないといけなくなるかもよ」
「既成事実って……」
堅物女の意外な発言にレオは口をあけっぱなしだ。以前ホストクラブに色々な女性がやっていきていたので慣れているつもりだが、小春に対してはちょっと違う。
「もしかして、俺のことが好きなのか?」
潤んだ瞳で小春はキスをせがむ体制だ。レオは相当焦っていた。手慣れているはずだが、最近は恋愛とか女性関係にご無沙汰だったというのもある。
レオは、小春のことを好きなのかと聞かれると、嫌われていると思っていたから冷たく接していただけだという事実に気づく。本当は小春と一緒にいたいと思っている自分がいた。だから、大学も同じ大学に進学して、サークルも同じところに入って。でも、相手にされないから、友達に誘われたホストのバイトを一時期していた。派手にみられるが、実は経営に興味があって、クラブの店長と経営のほうの仕事をしていた。レオは、この人への気持ちから逃げていたのかもしれない。
そう思ったレオは、彼女と口づけを交わし、その晩は彼女の家に泊まることにした。そして、すぐに結婚を決意して、翌日には小春の両親に挨拶に行き、一緒に住むことにした。
1か月後――小春の部屋のリビングの写真は二人一緒の写真に変わっていた。そして、結婚情報誌と新婚旅行のパンフレットがたくさん置かれていた。