♢タクシー運転手の恋

「ねぇ、凛空。幽霊も恋ってするのかな? 幽霊だと気づかなくて恋をした人間の話は聞いたことがあるけどさ」

「元人間ならば恋愛感情はあるんじゃないか? 俺は美人な幽霊ならば惚れる自信はある」

「人一倍怖がりのくせに、馬鹿なこと言ってるよね」

「怖いと美しい、好きだ、は紙一重。重ならないものなんだよ」

「またよくわからないことを言うんだから」

「将来どんな仕事につきたいとかあるのか?」

「まだわからないなぁ。怖い体験をしなくてよさそうな仕事がいいけどね。怪奇集めに限って言えば、この職種ならばということを考えてみたんだよね。直接聞きに行ったりする機会があれば何かつかめそうな気がして。病院関係者や警備員や葬儀屋やタクシー運転手なんか怪奇体験が割とありそう。お寺や神社も意味深な何かはあるよね」

「違った意味で怖い経験できそうなのは、警察官かもな。色々な市民がいるわけだし。反社会勢力とか暴力行為や犯罪を行う人を制圧しなきゃいけないわけだし」

「それはそうだね。一番怖いのは人間ってことだ。それにしても、凛空はどれも合わなさそうな感じだよね。力仕事向いてなさそうだし。怖い場所や仕事は無理そうだし」

「俺って社会の役にたてるのか不安になってきた」
 泣きまねをする。

 いつものようにスマホで検索する。流れるように情報が入ってくる。今日のニュースから昔の事件から創作物語まで。全部網羅できない量だが、個人の好みに合わせて検索できるのも現代の機能だろう。

 怪奇現象に遭遇しやすい職業として挙げられるのが、タクシー運転手だ。というのも、誰を乗せるのかもいつどこで乗せるのかも偶然だからだ。そして、深夜勤務も多く、実際、怖い人間を乗せる確率も高い。現代はドライブレコーダー機能も搭載され、犯罪防止にはなっていると思われる。よく、運転手の前のミラーを見ると後ろにいたはずの乗客がいなかったとか、席が濡れていたとか……そんな話はよく聞く。物語上でだと思うが。

 今回は怪奇集めのサイトに書き込みがあった。書き込み主は通りすがりのタクシードライバーと名乗る男性だった。男性は50代と書いてある。ドライバー歴が長すぎて色々と怪奇な体験をしたとのことだ。

♢♢♢
 特に印象に残っているのが、彼が30代だったころに出会った髪の長い20代の女性だ。いつも同じ時間に同じ場所、つまり自分の家までタクシーを使う。たまたまその女性に遭遇し、いつものようになんとなく世間話をした。

「お客様どちらまで?」
「自宅がある知らず町1丁目の廃工場のむかえまでお願いします」
「了解しました」
 知らず駅1丁目の廃工場と言えば、ちょっとした心霊スポットとして有名だった。知らず駅1丁目自体現在は高齢化が進み、かつてはベッドタウンとしてファミリー世代が住む場所だったが、人口が減り、古い住宅がほとんどだった。だからなのか、新しい家のない古い町という印象がつきまとい、あまり若い世代が購入していないようにも思えた。厳密に言うと、まだ住んでいたり、土地を所有していたということもあり、土地を売りに出していないため、新たな買い手がおらず、そのままになっている場合も多かった。または、一人暮らしの高齢者も多く、タクシーの需要は多かった。

「こちらには、お仕事か何かで?」
「自宅があるんです。両親がおりまして、門限があるもので、タクシーを使っております」
 OLくらいの年齢だし、タクシーを使うほど遅い時間ではなかった。しかも、知らず町は高級住宅地というわけではない。厳しいご両親がいるのかと思う。タクシーの料金も馬鹿にならないだろう。でも、バスが少ないのも事実だった。一回目はそうなのか、程度に思った。

 その人は寂しそうな感じがするが、とても優しく、美しい女性だった。見た目に反してとても話しやすい穏やかな人だった。美しい女性と滅多に話す機会のない独身のしがない運転手は、その人にまた会いたいと思い、その駅に同じ時間に止まった。すると、その人はやはり短距離にもかかわらず同じタクシーを使った。複数のタクシーが並んでいる場合、一番前を使うのが暗黙のルールだったが、彼女はそれをしなかった。もしかして、俺と話をしたいのかもしれない、なんてうぬぼれた考えを少しばかり持ってみた。

「こんにちは。どちらまで?」
「自宅までお願いします」
 二回目はこんな感じで、わかっているよね、という簡単な説明だった。

「知らず町1丁目の廃工場のむかえですよね」
「そうです」
 ゆっくりとアクセルを踏み、前に進む。お客様に負担をかけないために優しい運転を日ごろから心がけている。しかし、彼女が乗る時は、もっともっと優しくアクセルを踏んで負担をかけない優しい運転をしている自分がいた。

「廃工場って結構前から廃ビルになっているんですか?」
「私が子供の頃は、賑わっていて従業員もたくさんいました。不景気のあおりを受けて、社長さんも高齢になって、自殺事件が起きたんですよね。それで、跡継ぎもいないし、壊すお金もないし身内もいないしということで、放置されているらしいんです」

「自宅の前にユーチューバーとか廃墟マニアとか来て迷惑ですよね。心霊スポットっていう噂は聞いたことがあります」

「あれ、デマですよ。マネキンを作っていた工場で、倒産した後片づけする人がいなかったことから、そのまま廃墟になって、マネキンが不気味に見えるだけなんです」

「マネキン工場だったんですか? 出身がこの町じゃないんで詳しいことは知りませんでした」

「いい社長さんだったし、私の両親も仲がよくて、母はそこでパートしていた時もあったんです」

「尚更、デマを流されると、社長さんがかわいそうで……」
 泣きそうな表情をミラーで確認する。やっぱりきれいな人だ。髪の毛は長く手入れが行き届いていて、服装は清楚で落ち着いていた。きっといいところにお勤めなのかもしれない。そんなことを思う。

 ゆっくり運転しても距離は近くあっという間についてしまった。
 料金を払うと女性は、工場があったという場所のむかえの古い戸建てに入っていった。その後、毎日女性は同じ時間、夜の7時くらいに駅に現れて帰宅した。表札を見ると、前野と書いてあり、女性の名字を知ることができただけで、鼻歌を歌う自分がいた。ご機嫌な自分に突っ込む。最近は若い女性と話す機会があまりなく、新たな出会いのような気がしてしまっていた。

 必ず夜の7時に知らず町の最寄りにある知らず町駅に行った。平日のみ彼女は現れた。きっと土日は休みなのだろう。しかし、土日も何となく、彼女がいないか駅には行く。そして、別な客が乗らないように、次第にその時間だけ予約という表示をする。

「すみません、もう予約が入っているのですか?」
 と聞かれたが、
「いつもあなたが乗るので、あなたのために予約しておきました」
 と答えたこともある。その答えに少し頬を赤らめて何も言わず乗り込んだ。「嬉しいです」と彼女は笑う。なんだかいい感じか? 歳も10歳は離れていないし。個人的に誘ってもいいかもしれない。

「お仕事はどんなお仕事をされているんですか?」

「私は、OLです。街の方で、大手会社に勤務しています」
 声も品があって美しい。もっと声が聞きたい。

「私はしがないタクシードライバーだから、憧れるなぁ。若い時、少しだけ大手会社の営業をしたこともあったんですけどね。やっぱり、多数の人の機嫌を伺うようなことは苦手なんですよね。営業成績が悪くて、結局この仕事をしています。パワハラなんて日常茶飯事だったし。俺の性格がパワハラ受けやすいというのもあるのかもしれませんね。この通り見た感じも弱そうでしょ」
 ひ弱な体は元々だ。肉体労働向けでもない。とりあえず、この仕事を細々続けている。

「よかった。あなたみたいな話しやすいタクシードライバーさんって案外少ないんですよ」

「タクシー毎日利用って結構料金高くつきませんか?」

「でも、親が門限に厳しくて……」

「大人になってもそんなに厳しいご両親なのですか?」
 少しばかり珍しいと思った。社会人の娘に対して毎日門限を設けるなんて毒親も甚だしい。彼女がどこかせつなく悲し気に見えるのはそのせいだろうか。かわいそうに思う。

「たまには夜の街をドライブしてみませんか?」

「え?」

「たとえば、近くの海に行ってみませんか?」
 精一杯の誘いだった。仕事云々ではなく、ただ一緒にもっといたいという気持ちが膨らんでいた。

「でも、それは難しいと思います。お誘いありがとうございます」
 あぁ、断られた。でも、ありがとうございますといういい方はそんなに嫌がっているわけではないということが分かったような気がした。

「昔から厳しいご両親なのですか?」
 夜の街は様々な色の看板やライトによって昼間とは違う景色を車内から映し出す。

「そうなんです。待っているから、帰らないといけないと思ってゆっくり友達と遊ぶこともできなくて」

「逆らったりしないのですか?」

「とてもできません」

 深い事情があるのかもしれない。ミステリアスな部分にもなぜか惹かれている自分がいる。もっともっと彼女を知りたい。そう思いながら平日は毎日毎日車の中で話をする。10分弱でも、至福の時だった。そんなもどかしいけれど、何も聞けずに距離を縮めることができずに1カ月が過ぎていった。

 何となく知らず町駅の周辺を昼間も客待ちするようになっていた。彼女にもしかしたら会えるかもしれないという淡い期待があったのかもしれない。そして、何か彼女の手がかりがつかめるかもしれないと思っていた。未だに名前すら聞けない超奥手な自分に嫌気がさすが、そのうち彼女の下の名前を聞き出したいという目標は持っていた。恋をしたのはどれくらいぶりだろう。久しぶりの胸の高鳴りに学生時代を思い出す。出会いなんて、この年齢になると、なかなかあるものではない。

 客待ちしているタクシーの一番前に来た時に、年配の女性が乗り込んできた。街の方で買い物をしてきたらしく大きな紙袋をいくつも持っている。今の時期はデパートのバーゲンセールだから、きっと買い込んできたのだろう。

「どちらまで?」
「知らず町1丁目までおねがいします」
 そのワードにドキリとする。つまり、毎日彼女を送り届けている住所だったからだ。1丁目といっても広いので、彼女と知り合いという確率はかなり低いだろう。でも、もしかしたら、知り合いかもしれないし、廃工場についても色々知っている可能性が高い。この仕事をしているとぱっと見で、どんな性格かが見えるようになった。決して超能力ではなく、場数を踏んで、その客が世間話をしたいのか、無言でいたいのかを見極めるところから始まった。そして、年齢、服装、髪型、しゃべり方からその人がどんな世間話を好むのか、おしゃべりかどうかということも見極められるようになっていた。この乗客は高確率で情報通だろうということは予想できた。

 彼女は50代くらいで比較的裕福な専業主婦だろう。この時間帯にデパートに買い物に行くということは、仕事を休んでいるか専業主婦のどちらかだろう。そして、結婚指輪をしており、服装は今時の流行を取り入れた比較的派手なものだった。今時の流行を取り入れている50代女性は高確率で情報通であり、ママ友ネットワークを持っていたタイプだろうと思う。顔色の血色は良く、病院通いをしているとか引きこもっている様子はない。タクシーを使うということは貧困層ではないというのも予想はしやすい。

 髪の毛は白髪ひとつなく、真っ黒に手入れされており、美容院に頻繁に行っているのだろうということも予想ができた。身なりに気を使うということは、意識が高いタイプであろう。そして、住所はマンションではない戸建てということは、ローンなどのことを考えると住み始めたのは20年以上前だろうと予想はついた。たまに空き地や売地ができると、新築住宅が売り出されたり、土地が売り出されていることがある。しかし、大規模な土地開発はとうの昔に終了したため、一気に若年層が住みつく機会がない。

「廃工場のお近くですね」
 最近毎日通る彼女の家のもう少し奥にその女性の自宅はあるようだった。

「そうなのよ。あそこ、危ないし古いから取り壊してほしいんだけど、所有者が色々あって、結局あのままなのよね」

「何かあったんですか?」
 何も知らないふりをして一から聞くとこの手の女性は話が弾む。

「あそこはご近所トラブルが多かったのよね。私の子供の同級生の親御さんが変わった方だったのよ。被害妄想が強くて、学校にもしょっちゅうクレームを入れていたの。見た感じは普通なんだけど、夫婦共々性格があまりにも過激でね。娘さんがひとりいたんだけれど、過保護というか過干渉というか。インフルエンザとかウイルスが流行すると学校にも行かせないなんていう時期もあってね。友達も選別されて気の毒でね。工場の社長が自殺したのもその夫婦のせいみたいでね。どんな手を使ったのかわからないけれど、自分たちの家に騒音被害を与えたと訴訟を起こしたり、悪い噂を流したり、元々零細企業で年配の社長だったから、気の毒だったわ。まさにモンスターよ」

 もしかして、彼女のことかもしれない。そんな気がした。この人を乗車させたのはきっと何かの縁だ。もっと聞きたい。知りたい。

「その方はもう社会人になって自立されたんでしょうね」
 そう言えば、今どうなったのか暗黙の了解で客は言ってしまう流れだ。

「それがね。今はどうしているかさっぱりわからないのよ。ここだけの話、廃工場のむかえのお宅なんだけどね。ご両親が死んで娘さんがひとり暮らししているという話もあるし、誰も住んでいないという話もあるの」

「え? ご両親が亡くなったんですか?」

「噂では失踪とか変死だとか本当の所はわからないのよ。ここらへんでは娘さんが殺した説が濃厚なんだけどね」

 品があるように見えた女性は突如にんまりと薄ら笑いを浮かべる。おばさんという表現がこの世で一番似合うように感じられた。

 背筋が凍るとはこういうことを言うのだろうか。この女性がもしも嘘をついているのならば、嘘をつくメリットがあるのだろうか。だいたい、毎日同じ時間にタクシーに乗車する彼女はなぜ未だに両親に囚われているのだろう。両親が死んだとしても、死んだと思っていないのだろうか。乗客を降ろすと、その日はいつもの駅にはいかずに、別な場所でタクシーを運転した。やはり、彼女はどこか普通ではないと思ったからだ。そして、二人きりになるのが怖いと心底思ったからだ。あんなに心底心躍らせてタクシー乗り場に鼻歌を歌いながら向かっていたのが嘘のようになった瞬間だった。

 しかし、なかなか乗客がつかまらない。タクシーを待っていそうな道端に立っている人を見かけても、その人は全くこちらを無視して立ち尽くしている。何人かそういう人がおり、偶然ではないのかもしれないとふと左側を見ると、なぜか予約車と表示されていた。予約にした覚えはない。空車になっているはずだったのに。それはとても怖い何かが作用しているのだろうと感じていた。予約したのはもしかしたら、あの女性、前野さんではないだろうか。そんな気がしたからだ。毎日毎日あえて俺のタクシーに乗ってくる女性。それは、彼女自身が勝手に予約していたのだろう。

 怖くなり、早めに退勤することとした。今日は仕事はおしまいだ。回送と表示して、運転する。なるべくあの町から離れた町を走る。しかし、なぜか彼女に似た人が手をあげてタクシーに乗ろうとしていた。いつもの駅にいるはずなのに。両親が死んでいるはずなのに、なぜ毎日門限を守っていたのだろう。工場を滅ぼしたのはあの一家だったのだろうか。全ては闇の中だ。しばらく、あの町には近づかないようにしていたが、やはり夜7時になると予約に表示が変わり、その後、女性らしき人が道端で手を挙げていることが何度もあった。多分、あの人はもう死んだ人なのだろう。本当に怖いのは、あの廃工場じゃなくて、そのむかえの一家の両親ではなく、娘だったのかもしれない。

 もし、廃墟やホラースポットに行く際はその場所の周辺に注目すると本当に怖い場所があるかもしれないと感じるようになった。

♢♢♢

「これは、ちょっと怖いね。両親がある意味怖いし、その被害者だと思っていた女性がもっと怖いよね。廃工場の件も闇を感じるよ」

「人間の怖さってさ。こういうものをいうのかもな。例えば、子供を過干渉対象にしたり、クレームをつけたり、自殺に追い込んだり……。でも、それが死んだ人間が毎日門限守っているって言うのも、どういったいきさつなんだろうな。いきすぎた育児の末なのか。彼女が殺めたのならば、彼女は何を思っていたんだろうな」

「このタクシードライバーって色々話持ってるみたいだし、もっと聞きたいね。怪奇収集できそうだし」

「そうだな。きっとわすれたい記憶をたくさんもってるだろうな」

「さっそく、DMメッセージ送っちゃいました」

「返ってくるといいな。俺自身のために怪奇を少しでも多く集めないといけないんだからさ」

 半日くらい経った頃に、DMの返事が来た。

「怪奇はたくさん体験しています。体験談を電話でお話してもいいですよ。怪奇体験について、経験は豊富なので、掲示板にもっと書き込んでもいいですよ」

「掲示板に書き込んでいただけるならばありがたいです。是非お電話してお話を聞きたいです。怪奇体験はなくしてもいい記憶ですか? 忘れてもいいならば、私たちに記憶を怪奇魂としていただきたいのです」

「忘れたいです」

「じゃあ、詳細は後日メールにて」

 私たちは電話をする日時を決めた。それまでの間、まるで何かに取り憑かれたように通りすがりのタクシー運転手さんは怪奇集め掲示板に思いついた話を書きこんでいった。これが、創作ならば、相当長年書き溜めた作品なのかもしれない。でも、小説家志望でもなければ、こんな話を色々考えたりはしないだろう。なえならば、その内容は、絶妙に怖く、奇妙だからだった。実体験だからこそ、頭の中に鮮明に残っているのかもしれない。もしかしたら、霊感が強いのかもしれないし、霊感を呼び寄せる何かを持つタクシー運転手の生き様を私たちはネット越しでのぞかせてもらった。稀有な経験は誰にでもできるものではない。本人が望まなくとも勝手にあちらからやってくるのかもしれない。

 私たちが出会ったのも何かの縁だ。きっと怪奇が繋げた縁に違いない。