「記憶媒体をいくつも用意しておけば、何度薄らいでも必ず鮮明に思い出せるから。だから、大事なモノこそ誰かと共有しとけ」

親友のカンナに打ち明けるときですら、腹を括るのに相当な時間を要した。大切にしたい想いだからこそ、自分だけのものだ、としまっておいた。それを一糸先生は、誰かと共有しろと言う。

――だが今の私には、全てが些細なこと。

いまは、感情のコントロールで手一杯だ。

自分の中に収まりきれない思いが、涙になって溢れ出てしまう。どうすればこの涙が止まるか、わからない。

「なんで無言になるんだよ、誰かいるだろ。楓って奴とそれができないんなら、榎本でもいいじゃん」

顎の下へ流れ落ちる雫を、何度もカーディガンの袖で拭う。
切り捨てるどころか、ここまで真摯に向き合ってくれるなんて、想定外なんだ。

「……親しい友人だからこそ話せないって言うんだったら、一糸先生にでも話せば?」
「えっ?」
「だから、今日みたいに話せばいいじゃんって言ってんの」

…………一糸先生に?

「だいぶ他人事みたいですけど」

あ然として一糸先生の顔をうかがうと、当の本人はこちらをチラリと見て、ながーく息を吐いた。

「仕方ないから、一緒に覚えといてやる。すっげぇ面倒だけど。お前がどんだけ大事にしてたか、何回泣いたか、共有してやれる存在になってやるよ。はい、解決。良かったな」

ようやく鼻先をこちらへ向けた一糸先生は、眉間に深いシワを蓄えていた。
あからさまに面倒だと訴えてくる表情こそが、その言葉が偽りではない証。そしてその事実が、心の(おり)を魔法のように消し去り、気持ちを軽くする。

「じゃあ私も。一糸先生が晴士さんに言えないことがあるときは、私が共有してやれる存在になりますね」
「さっきまで泣いてた奴が偉そうに」

呆れたように力なく笑う一糸先生は、やっぱり大人だ。
人を諭すなら、まずは自分の発言にちゃんと責任を持たなきゃ、でしょ。

「残念ながら、これは一糸先生から学んだことです。貰ったものを返すなら、共有してやる存在より、共有し合える存在。ですよね?」

自信満々に言っておきながら、一糸先生と目が合うと急に恥ずかしくなり、置きっぱなしだったカフェオレを手早く開けた。

「……ふぅ。お前、格好良いな」

そう言うのが先か、一糸先生の左手が伸びてきて、ふわりと頭に添えられた。

「あ、悪い。セクハラとか言うなよ」

一糸先生は両手を上げて釈明するが、問題はそこじゃない。

カッコイイという褒め言葉が女の子にとってどんな意味なのか、私にとってどういうものなのか、一糸先生はわかっているのだろうか?

キレイやカワイイは、化粧や服装や仕草でいくらでも補える。むしろ、挨拶感覚で『カワイイ』を使うくらいだ。
でも女子に対するカッコイイは、外見とは別に、内面から出た何かを褒めるときこそ使う――と、私は思っている。

完璧な美貌を持つカンナの隣に立つからこそ、私が目指しているものは、いつも“それ”だった。

「一糸先生って、ほんとにムカつくこと言いますよね」
「は? いまのは褒めたんだろうが」

――――ほらまた。

「あの解決策を提案するのに、こっちがどんだけ悩んだと思ってんだよ。いいご身分だな」
「そんなに面倒なら、言う前にもう一度よく考えるべきでしたね」