いつものあっさりとした一糸先生の反応が、優しく、温かく響いてくる。

どうして私はこうも弱いのだろう。泣いている姿なんて見せたくないのに、強くありたいと思うのに、何も伴わない。

「今日の一糸先生、いつも以上に口数が少ないですね」
「…………」

重くなってしまった空気を変えたくて、涙を拭いながら精一杯の笑顔を作る。だが一糸先生は一瞥をくれるだけで、すぐに俯いてしまった。

「じゃあ一つだけ」

タバコを携帯灰皿へ押し潰した一糸先生が、延々と続きそうだった沈黙を破る。

「ネガフィルムってわかる?」
「カメラの? 実物は見たことないですけど」

私が首を傾げると、全部ネット知識だけどさ、と“教師らしからぬ”前置きをされた。

「映画の起源は、幻灯機ってのを使った静止画のスライドショーだったんだと。『幻燈ショー』ってやつ。それが、一本の長いフィルムに連続写真を収められるようになって、映画って呼ばれる動画になったらしい」

たとえ唐突な話題でも、たとえ一糸先生が急に黙っても、私は無表情な横顔を眺めながら次の言葉を待つしかない。

私は一糸先生ほど察しが良くないから、今回は私が右耳に髪を掛けた。

「この前、彼氏との思い出は『写真みたいな記憶』だって言ってただろ。それ聞いて、映画の一コマみたいなもんかなって想像した」

フェンスにもたれた一糸先生は、またしても口を閉ざし、空を仰ぐ。やけにゆっくりと上下した綺麗なまつげを見て、何か言い渋っているのだとさすがに分かった。

「お前の記憶がいくら写真みたいでも、そのネガフィルムは存在しない。形ないものをありのまま残すなんて無理な話だし、記憶が薄らぐのも、気持ちが変わっていくのも仕方ねぇよ」

心のどこかでわかってはいたものの、一糸先生が語る覆しようのない事実に、返す言葉が見つからない。

風化してしまうのが当然でも、いつまでも大切にしまっておくことが無理でも、“仕方ない”と切り捨てて欲しくなかった。

一糸先生にはせめて、解決策を探すフリ(●●)だけでもして欲しかった――。

湧き上がってくる失望感を、震える唇と一緒に噛み殺し、目を伏せる。

一糸先生が言う通り、私が大事にしたかったは、脳内フィルムにのみ記されているモノだ。だから私が変われば、写真のような鮮明な記憶も感情も、一緒に変わってしまう。キラキラと輝いていた日々に、影が差してしまう。

――――そんなことは分かってる。

一糸先生は正しい。間違っているのは私。以前学んだはずなのに、あらぬ期待をしてしまった私がバカなだけ。現実的な価値観を持つ大人に、何を求めたってムダなのに。

八つ当たりだと自覚しつつ、それでも、行き場のない思いを眼光に込める。

「だから人は、誰かと思い出を共有しておく、んだと……思う」

ぽつりぽつりと歯切れの悪い呟きに、敵意むき出しに細めていた目を見開いた。

「……え?」
「たぶん、記憶ってのは消えていくんじゃなくて、(かすみ)がかっていくだけなんだと思う」

立てた両膝に腕を架けて俯く一糸先生は、私がどんな表情をしていたのかも、向けられた視線の意味も当然知らない。それでも、もどかしくて居た堪れない私をなだめるように、一糸先生は優しい口調で言葉を紡ぐ。

「写真みたいな記憶ってのを誰かと共有しておけば、どれだけ時間が経っても、各々が霞がかったそれを持ち寄って補い合って、その時のままの状態に戻せるんじゃね? そうなれば、当時の感情も一緒に蘇るだろ」

一糸先生の邪魔をしたくなくて、声にならない感情を、息をも漏らさないように唇を固く結ぶ。