「あー、久々の我が家、やっぱりよかったなあ」

 宵が伸びをしながら、夜空に声を飛ばす。
 それが宵なりの空元気であることを察していた。だから僕は無理に宵をなぐさめようとせず、宵のテンションに並ぶことを選ぶ。

「弥生さんと浩一さん、いい人だった。すっごい緊張したけど」

 あのあと、宵が僕のことを送ると言いだした。
 だから危ないからと条件反射で断ろうとすると、幽霊なんだから大丈夫だよといつもの感じで断られてしまった。

 幽霊というワードは少しだけ、僕たちの中で定番のネタになっていた。
 でも多分それも、目の前の現実を茶化すためなのだと思う。そうやって茶化して虚勢を張っていることで、なんだ大したことないねって思えるように。

「灯くん、完璧だったよ」
「そうかな」

 照れくさくて頬をかくと、宵が頬を顔を覗き込ませてきた。

「私にとって灯くんは、実直で温かくてかっこいい自慢の彼氏だよ」
「えっ?」

 どきんと心臓が跳ねて立ち止まれば、宵がくすぐったそうに微笑む。

「嬉しかったから、さっきの」
「20分くらいの仮彼氏だけどね」

 恥ずかしさを隠すように苦笑する。
 でもたった20分でも宵の彼氏になれて、僕は浮かれるくらいに幸せだった。だからもう少しだけ、浮かれていてもいいかな。

「……じゃあこれもさっきの続きってことで」

 そう囁き、宵の小さな手を握る。
 宵の手は僕の手のひらに収まってしまうほど小さい。
 愛おしさが胸に募る。大切な人と手を通して繋がっていられる、その奇跡を実感する。

 けれどそれと同時に、あまりにもひんやりとしたその温度に驚いてしまった。
 まるでこの世のものではないような……。今まで何度か触れたそのとき、宵はこんなに冷たかっただろうか。

 不意に、すんと鼻をすする音が隣から聞こえてきた。

「宵?」

 涙に濡れたその気配にはっとして横を見れば、宵が鼻の先を赤くし、瞳を潤ませていた。

「どうしたの?」

 問いかける。
 なぜだかその潤んだ気配を見逃してはいけない気がしたのだ。

「なんかじんとしちゃって……。ごめん」

 宵は困ったように笑って見せた。

「……未練は、初恋の人だけだったはずなのになあ」

 息をのんだ。思わず立ち止まり、宵に向き合う。

「宵……」

 宵の背中をさすってやりながら、徐々に込み上げてくるのもまた涙だ。
 本当はずっと哀しかった。切なくて悔しくて、今にも心臓が千切れそうだった。そういうものが、まるで宵の哀しみが伝播するかのように噴き出したのだ。

「ごめん……。なにもしてやれなくて」

 かっこ悪く涙を流しながら、宵の手を何度もさする。
 そうしていると虚勢を張っていた心臓が脆くふやけ、ずっと喉の奥に押し込めていた本音が漏れた。

「ほんとは……ほんとは、せっかく宵が生きててくれてありがとうって言ってくれたのに、僕じゃなくて君が助かっていたらよかったなんて思っちゃったんだ」

 なんで僕が助かって、君は助からなかったのだろう。
 神様はあまりに残酷だ。
 両親にあんなに愛されて、だれより優しくてまっすぐで、そんな君がどうして死ななければならなかったのだろう。

 すると宵は、必死に涙をこらえるようにしながら、それでも懸命に僕を見つめてきた。

「いいんだよ。貴方の人生なんだから」

 僕が宵の手をさすっていたはずなのに、いつの間にか僕の手の方が小さな宵の手に包まれていた。
 ぎゅうっと僕の手を握り、嗚咽の狭間に何度もつかえながら声を紡ぐ。

「生きてなんてそんなこと軽々しく言えないけど、つらいことも苦しいこともきっとたくさんあるけど、それでもいつか生きていてよかったって思える日がくるはずだから。止まない雨も明けない夜もないから」

 宵の言葉はいつだって、臆病な心に勇気の炎を灯してくれる。
 けれど今日は、少しだけそんな宵の言葉をずるいと思った。まだ手を離さないでよ。ここにいてよ。

 僕は聞き分けのない子どもみたいに宵に縋る。

「やっぱり寂しいよ……」
「寂しいね……」

 僕たちはぽつんと立つ街灯の下、静かに温度を重ね合った。
 別れの満月は、明日だ。