佐々木灯(ささき ともる)~!」

 学校の休み時間。授業が終わったことにも気づかないまま机でうつらうつらしていると、親友のイチが僕の名前を大声で呼びながら、僕の背中に抱きついてきた。

「なんだよ、イチ」
「灯様、さっきの授業の板書写さして♡」

 てへぺろ顔で顔を覗き込んでくるイチ。微妙にうざいけれど、ムカつきはしない。これでもイチは、中学生の頃からの親友だ。
 僕は自分のノートを見た。到底文字として解読できない、毛虫のような線が何本も走っている。居眠りをしていたせいで、板書は授業開始から10分ほどしかできていない。

「悪い。僕も書けてない」
「え? あの灯が?」

 腕を緩め、僕をまじまじと見てくる視線に、僕は苦笑を浮かべることしかできなかった。

 一昨年の冬から、少しずつ僕の学生生活に綻びが出始めた。
 今はその綻びを隠すのに必死だ。家事と妹の面倒に追われ、限られた時間でしか勉強できない僕は、テストで平均点以上をキープするのもきつくなってきた。

「疲れてるんじゃねえの~? そういう時にはやっぱり可愛い彼女に癒してもらわねえと。灯も彼女でも作れよ」
「うん」

 イチはこれでもサッカー部のエースで、端正なルックスと持ち前のコミュニケーション能力で、まわりには常に女子が絶えない。だからこれまでも根暗な僕を案じて、何度か女子と出会う場をセッティングしようとしてくれているけど、それは丁重にお断りしている。

「灯、爽やかイケメンだと思うけどな」
「いや……。っていうか、そういう気が起きないんだよ」

 ありがたいことにこれまでも女子には何回か告白されたことがあった。でもなぜか気が進まなくて。そうしているうちに今の状況になってしまい、そんな余裕もなくなった。正直、今の生活をこなすことだけで手いっぱいだ。

「……なあ、サッカーもそういう感じで辞めたの? そういう気が起きないなって感じで?」

 イチの言葉の端々に、ささくれだった攻撃の先端を感じる。

 僕は小学校の頃からサッカー部に所属し、中学生の時に出会ったイチとはフォワードでツートップとして切磋琢磨して高め合ってきた。それからイチと共に県代表に選出され、自分が選ばれたこと以上に、イチとふたりで一緒にここまでこれたということが誇らしくてたまらなかった。

 将来を有望視され、大学推薦の話も出ていた僕のサッカー人生。けれど家事に専念するために、僕はサッカー部を理由も告げずに勝手に辞めた。前触れもなく突然辞めたから、サッカー部の連中にはいまだに誠意のない薄情者として快く思われていない。
 唯一イチだけはそれまでと変わらずに接してくれているけれど、それはイチの優しさに守られているだけで、イチの中に溶けきれないわだかまりがあることに僕は気づいていた。
 でも僕は、イチをはじめまわりの奴らに家庭の事情を話すつもりはない。だって僕は大丈夫だから。だれの助けもなくたって、僕はこの足で立っていられるから。
 それに、まわりの奴らの偽善的な同情や憐みの目は、僕をいっそう惨めな気持ちにさせることを知っている。そういう目にさらされたら、今ぎりぎりのところで保っている精神の均衡はきっと崩れるだろう。

「ま、そういうことだな」
「ふーん」

 イチの不満げな視線をいなすように、僕は苦笑を深めたのだった。