公園の端っこにある、色の褪せたたこの形の滑り台。その中には空間があり、大人ふたりが並んで座ってもぎゅうぎゅうにはならないほどのスペースが広がっている。
僕たちはそこで雨宿りをすることにした。
風邪をひくからと宵は僕を返そうとしたけれど、僕は離れがたくて、まだここにいることを選んだ。
「びっくりしたよね」
少しおどけたような空気感を含めて苦笑する宵。
「……うん、ちょっとね」
「やっぱり信じられないよね」
「本音は……信じたくない。けど、信じるしかないんだろうなって思った」
なぜかこの信じ難い現実が、まるで透明な芯となって僕の中にすとんと落ち着いてしまった。
「そっか」
じゅうぶんなスペースはあるのに、僕は右側の肩を宵の左側にぴったりとくっつけていた。そうやって宵の温度を感じ、宵がそこにいることを実感していた。
触れる宵の体はひんやりと冷たい。
「私は去年の春、あのバス事故で死んだんだ。灯くんも乗ってたよね」
「うん……」
わかってはいても、改めて宵の口からそう告げられると、逃げようのない現実を突きつけられるようで胸が絞めつけられる。
「あれから1年経って、死神さんが私にもう一度チャンスをくれたの」
「死神さん?」
引っかかるワードに首を傾げると、宵がふふっと笑った。そこでようやく宵にいつもの笑顔が戻った気がした。
「あ、ごめんごめん。急に死神なんて言われてもびっくりするよね」
「う、うん」
「でもね、いるんだよ。幽霊がいるように、死神も」
「そうなの……?」
あまりに現実とかけ離れているというのに、だんだん驚かなくなってきている自分がいた。この状況に慣れてきたというのもあるかもしれないけれど、宵が僕を揶揄っているとは到底思えないのだ。
「人は死ぬと、死神が命の回収に来るんだ。その死神さんとは私が死んだときに出会ったの。あ、私は死神さんって呼んでるんだけどね」
「なんで?」
「なんかね、こう、さんって感じなの。スタイリッシュで品があって」
「死神ってそんな感じなの? 漫画とかで見た限り、禍々しい感じかと……」
「だよね。私もそう思ってた」
くすくす笑う宵に、思わず僕もつられて笑んでしまう。
「でもその死神さんがもう一度私にチャンスをくれてね、私はこの世界にやってきたの」
その瞳に直向きさが宿る。なぜだかその眼差しに胸がきゅうっと締めつけられて、僕は縋るかのように宵の手に自分の手を重ねた。
「灯くんの手はあったかいね」
宵が笑む。そうして僕の温度にじんわり浸るようにしながら。
「触れられるし、温度も感じることができるんだよ」
なんだか腑に落ちてしまった。夜でも宵が制服でいることも、『私と貴方の世界とは、流れる時間が少し違うの』――あの日の宵の言葉も。
無意識のうちに気にしないようにしていたけれど、本当は頭のどこかでずっと引っかかっていて、ようやくその答えが提示されたような感覚だ。
宵を見て触れることができる僕には、きっと今まで気づかなかったけど霊感があったのだろう。
あの日、この場所で宵を見つけることができたことが奇跡のように思えてくる。
「怖かったな、つらかったよな」
そんな言葉が口をついて出る。命を落とすということが、どういう感覚なのか僕にはわからない。きっとどれほど思いを馳せても理解してやれないのだろう。
でも宵はこんな壮絶な過去を抱えながらも、いつだって笑ってくれていた。
そして、ああ、やっぱり。こんな時だって、宵はにっこりと笑うのだ。
「そんなことないよ。灯くんが助かってくれてよかった。生きていてくれてありがとう。灯くんが生きていてくれたから、私たちはこうして出会えたんだよ、きっと」
一言一言を慈しむような響きで、宵が声を紡いでいく。宵がくれる言葉すべてが、心という大海の中できらきらと輝きを放つ。
僕が生きていた意味を、君が肯定してくれる。
「それにね、貴方に会える夜が愛おしかった」
眼差しを伏せ声を潜め、けれど柔らかな笑みを作り、そう囁いた。まるで僕にだけ秘密を教えてくれるかのように。
鼻の奥がつんとする。けれど宵の前で涙を流すのは傲慢な気がして、懸命に飲み込む。
それはちょっとずるいと思う。そう抗議したいくらいには、宵の言葉は僕の心を大きく揺り動かした。
「僕だって……」
「灯くん」
僕の声を遮り、宵が僕を見つめた。夜の海のような瞳に至近距離から見つめられ、僕は息をのむ。
「けどね、だめなの」
そうして切なさと覚悟の入り混じる瞳で僕を縫いつけながら、宵は一息で告げた。
「私がこうしてこの世界にいられるのは、この前の満月と次の満月の間だけなの。それが死神さんが出した条件なの」
「え……?」
声が掠れる。
満月と満月の間だけしか宵と一緒にいられない。その途方もなく残酷な真実に、僕は目を見張ったまま動けなくなった。
「私はもう成仏しなきゃいけないから」
なにか言ってやらなきゃいけないのに。寂しく響く宵の声をひとりにしちゃいけないのに。
けれどどれだけ頭の中から言葉を手繰り寄せようとしたって、どれもまるで砂を掴むように手から零れ落ちていく。
「ごめんね。急に現れて急に消えるなんて、勝手だよね。ずっと言わなきゃいけなかったのに、灯くんといる時間が楽しくて、その勇気が出なかった」
「違う、宵が謝ることじゃない」
やっと声が出た。宵に自分を否定するようなことを言わせたくなかった。
次の流星群を見に行こうと言ったら曇り女だからだめだよと返した宵も、新月を見上げた切なげな眼差しの宵も、あの日すぐ隣にいたのに僕は気づいてやれなかった。
「……大丈夫」
掠れた声で呟きながら、僕は手の中の宵の手をぎゅうっと握りしめる。
「大丈夫だよ」
壊れたように繰り返す。
なにが大丈夫なのだろう。そんな確証はどこにもないのに、確証を作ろうとした。不安で彷徨う君の拠り所になりたかった。
だってさ、消えるなんて怖くないわけないよな。
すると宵が俯く。そして。
「……うん」
そこで初めて、気丈に振る舞っていた宵の声が、濡れた。