それ以上進めば、彼女から王女としての価値を奪ってしまう事になる。王族の女が政略上に相手に嫁がされる事は、冒険者のアデルでも知っている事だ。そしてその際に重要なのは、純潔。
 彼らが本当の意味で恋人同士になるには、今の立場では不可能に近かった。

「王族や貴族に自由恋愛なんてありません。お父様とお母様は自由恋愛で結婚しましたけど、それは二人が王族で、しかも六英雄同士だったからです」

 ロレンス王とリーン王妃は、王族間では珍しい自由恋愛によって結ばれた二人だという。
 ロレンス王は元々ヴェイユ王国の王であったし、リーンはダリア公国の令嬢にして聖騎士だった。二人は先の大戦で共に戦ううちに恋に落ち、終戦後に婚姻したのだという。
 世にも珍しい王族の自由恋愛婚として、その逸話はアンゼルム大陸でもよく知られている。

「でも、私達はそうではありません。私が王女である限り、そしてアデルがヴェイユの兵士である限り……私達が結ばれる事は許されません。こうしてずっとこそこそと会うしか、できないんです」

 アーシャがばっと顔を上げた。その瞳からは涙が溢れる様に流れていた。

「それで将来、私は好きでもない人と結婚させられて……そうなるくらいならッ」

 その言葉の先を言わせない様アデルはアーシャの口元を人差し指で押さえて、首を横に振る。

「それ以上は言っちゃいけない」
「でも……でもッ」
「わかってる。言いたい事は、わかってるから」

 アーシャの願いは、アデルの願いでもあった。だが、それでも彼女にその言葉の先を言わせるわけにはいかない。
 少なくとも、この国の今の情勢を考える限り、言ってはならないのである。今のヴェイユを救えるのは、アーシャ王女の存在だけだ。彼女だけがルベルーズの兵を率いて、蜂起を促せる。彼女が王妃の密書をルベルーズに運ばなければ、ダニエタン伯爵に立ち上がる正当な理由を与えられないのだ。
 それに、今の彼女は頼れるものが何もない。だからこそ、そういった逃避的な思考に陥ってしまっているのではないか、ともアデルは考えるのだった。

「ともかく、今はまずはこの国を何とかしなきゃいけない。その為には、アーシャの力が必要だ。それはわかってるだろ?」

 アーシャは力なく頷き、何かを乞う様にアデルをじっと見つめる。

「俺達の事は、その後だ。気持ちは俺だって同じなんだ。きっと上手くいく」
「アデル……はい」

 二人はそれから、時間一杯までただ互いを抱き締め合いながら、そのぬくもりから互いの存在を感じ取り続けた。
 何が上手くいくのか、どう落ち着けば上手くいったと言えるのかすら、アデル自身もわかっていない。上手くいく保証など何もなかった。
 だが、今は──自分にもアーシャ王女にも──そう言い聞かせるしかなかった。