「……アデルに一目惚れしたあの時の自分を褒めてあげたいです」

 もしかしてこの時を見越していたのかもしれませんね、と恥ずかしそうに付け足した。
 思いもよらなかった言葉に、アデルはぽかんと口を開けて、彼女を見る。

「一目惚れ、だったのか……?」
「はい。一目惚れでした」

 彼女は恥ずかしさと微苦笑が混ざり合った様な複雑な表情をしてから、視線を逸らした。

「俺も同じ。きっと、一目惚れだった」

 そう言いながらアーシャの頬に触れてこちらを向かせ、もう一度口付けを交わす。
 そうして唇を重ねながら、アデルは彼女と出会った時の事を思い出していた。あの時彼には恋人がいたはずなのに、彼女に惹かれる自分を食い止められなかった。
 命を救われた事もあるだろう。しかし、それだけではなかった。ただ彼女と話すのが楽しくて、癒されていて、心の中の刺々しいものが落ちていく様な、そんな感覚になったのである。
 今こうして彼女と気持ちを重ねていると、その感覚は決して命を救われた事による錯覚ではなくて、自分の本心からのものだった事を理解する。
 そして、だからこそアデルは、どうしようもなく切ない気持ちになるのだった。良い大人が好きな女と部屋で二人きりで口付けまで交わしているのに、彼らはこれ以上進む事はできないのである。
 静かな部屋でただ唾液の交わる音と彼女の舌先の感触だけ感じていると、劣情に襲われて彼女を押し倒したくなった事はこうした逢瀬の度に何度もある。
 しかし、アデルにそれ以上の事などできるはずがない。王女の純潔に一介の兵士風情が触れて良いわけがないのである。彼女を大切に想えば想う程、アデルはそうした葛藤を味わうのであった。
 また、彼女の息遣いや頬の火照りを見ている限り、そうした葛藤を味わっているのは、自分だけではない様にも思えた。

「アデル……お願いがあります」

 次に唇を離した時、アデルの予感を肯定する様に、アーシャは何かを決意した瞳で、彼を見上げた。

「もし、戦争が無事に終わったら……私を何処か遠くに連れていってくれませんか?」

 浅葱色の瞳は揺れていて、涙を浮かべていた。しかし、それは迷いのない決意の様にも受け取れた。決して冗談や現実逃避で言っている言葉ではない。

「どこかって……?」

 アーシャの意図を理解しなかったわけではない。
 だが、アデルの口からそれは言えるわけがなかった。なぜなら、それは彼女を〝ヴェイユの聖女〟ではなくならせてしまう事でもあるし、ヴェイユ王国そのものから希望を奪い取ってしまうものでもある。

「ヴェイユ島ではない、誰も私を知る人がいないどこか、です」

 しかし、アデルのそんな躊躇を一蹴する様に、アーシャは自らの希望を伝えた。

「どうして」
「だって、そうしないと私達……いつまで経っても、恋人同士になれないじゃないですか!」

 アーシャは心に秘めた言葉──そしてそれは絶対に口に出してはいけない言葉──を吐露した。

「アデルだって、それは……」
「まあ、うん」

 わかっていた。わかり過ぎているからこそ、アデルは彼女に対して()()()()()()()口付けだけしかできなかった。