王女と密会して、キスをする──一介の兵士に過ぎないアデルに、許される行為ではない。しかし、それでも二人はこうして互いの繋がりを求め合う。
 アーシャが雑談もなく、いきなり口付けてくる時は大概精神的に余裕がない時だ。ただ救いを求めるかの様に、彼女はアデルとの口付けを求める。
 アデルの予想を裏付ける様に、そのまま何度か唇を重ねていると、はらりと王女の頬に涙が伝った。慌てて見ると、アーシャはその浅葱色の瞳いっぱいに涙を浮かばせていた。

「アーシャ……? どうした?」
「何でも……ありません」

 彼女は嫌々する様にして首を横に振ると、顔を伏せた。

「……王宮を発つ日が決まったのか?」

 そう訊くと、アーシャはハッとして顔を上げた。

「知っていたんですか……?」
「さっきシャイナから聞いた」

 彼女は小さく息を吐いて、力なく微笑んだ。

「まだ明確な日付は決まっていません。ただ……そう遠くはない、との事です」
「……そうか」
「私、怖いです。自分の預かる文書がこの国の運命を左右していて……それを届けても届けなくても、たくんさんの血が流れてしまいます……私は、その重圧に耐えられません」

 アデルは無言でアーシャを抱き締めて、その背中と白銀の髪を優しく撫でてやった。
 耐えられないのは当然だ。自分の一挙一動で、戦争が起こるか、戦争が起こらず民が苦しんだ後に国が売り飛ばされる事が決まってしまう。いくら王族として育ち、〝聖女〟と言われていても、彼女はまだ十六の少女なのである。その様な立場に耐えられる程、強くはない。

「ごめんな、アーシャ。俺、お前の事何も支えられなくて。お前の重圧もプレッシャーも、何もわかってやれない」

 アデルは冒険者上がりでひとりの王宮兵士に過ぎない。戦争が起こるかどうかについての重圧について、ましてや王族の悩みなど、わかってやれるはずがなかった。

「そんな事……ありません。アデルは、今も私を支えてくれています」

 アーシャは歔欷しながらも、小さな声で続けた。

「アデルとこうして毎週会えなかったなら……私、耐えられませんでした。こうして好きな人の体温を感じられないと、生きてる心地すらしません。あなたと会えるから、何とか自分を奮い立たせる事ができるんです」
「アーシャ……」

 この時、アデルは初めて王女の気持ちを知った。
 ただ身近な人間がいないから、ただ頼れる存在が欲しかったから自分が選ばれているのではないか──アデルは心のどこかでそう思っていた。父王の消息が不明で、王妃が軟禁されていて、それで心細いからただ自分を求めているのではないか、と。
 しかし、違った。彼女は心の底からアデルを好きでいて、そして精神的支柱にしていたのである。

「ふふっ……ダメな王女ですね。私があなたを支えたくて、居場所になるって言って誘ったのに……私が支えられちゃってます」
「そんな事ないさ」

 アデルはアーシャを抱き締めて、その言葉を否定する。

「俺が絶望に暮れていて、人生の指針を失ってた時……裏切られて死にたくなっていた時に、まだ生きようって思ったのは、あの時のアーシャの言葉があったからだ。だから……今度は俺が支える番」

 今はどこで何をしているのかすらわからない、元恋人と仲間達。彼らから裏切られて、人生の指針を見失った時に支えになったのが、アーシャの言葉だった。
 あの選択が正しかったのかはわからない。結果的に一国の王女に恋をする事になって、将来もっと辛い想いをするかもしれない。
 だが、こうして崩れそうな彼女を支えられる存在が自分だけなのだと思うと、あの時の自身の選択は誤りではなかったと思うのだ。
 この少女は〝ヴェイユの聖女〟と呼ばれ、大地母神フーラの生まれ変わりとも称される程の人物だ。ひと時でもその様な偉大な人物に想われ、支えになれるのであれば、それは光栄なのだろう──アデルはそう思って、自らの人生に意味付けしようとしていた。
 しかし、〝ヴェイユの聖女〟は少し微笑んだかと思うと、そんなアデルの思いも寄らない事を口走った。