「アデル!」

 王女の私室に入った瞬間、ふわりと甘い香りがアデルの鼻腔を擽った。それと同時に、彼の体にほんの少しだけ重みが加わる。

「アーシャ、久しぶり。って言っても一週間ぶりだけど」

 飛びついてきた彼女をしっかりと抱きとめて、その頬に触れようとした時である。背後から、こほんという咳払いが聞こえた。

「……一応、私が近くにいるという事を忘れない様に」

 敬称をつける事もね、と怒りを我慢するかの様な低い声がアデルの耳に入って思わずぞくりとする。

「はあ。ほんとに……あなたを招き入れる幇助をしてるって国王様に知られたら、私まで処刑されるんじゃないかしら」

 シャイナはそうぼやきながら、隣室へと入っていく。アデルとシャイナがこうして逢瀬している間、彼女はその部屋でいつも待っていてくれるのだ。
 その背中を見送ると、アーシャとアデルは顔を見合わせ、互いに笑みを交わしあった。

「俺はシャイナに恐ろしい程嫌われているな」
「そんな事ないですよ。きっと、信用されています。じゃなきゃ、こうして会わせてなんてくれなません」
「まあ、確かにな」

 アーシャと話してあげて欲しい──そうシャイナから頼まれたのは、三か月程前だった。
 国王が遠征先で行方不明になり、母が軟禁状態となってから、母君の代わりにアーシャが民を勇気付ける役割を担っていた。
 しかし、十五~六の少女が平気なわけがない。その心労がたたって、遂に寝込んでしまったのだ。シャイナが自分にできる事なら何でもするから言って欲しいとアーシャに言ったところ、彼女が願った事が『アデルと話したい』だった。その願いを聞き入れるべく、彼女は自分が受け持つ礼儀作法の講義の時間を二人が逢引する時間に当てたのである。
 一年前の誓いの口付け──あの誓いは二人だけの秘密である──以降、アデルとアーシャの間ではこっそりと口付けを交わす程度の事はしているが、それ以上の行為や愛の言葉等は一切交わされていない。勿論恋人関係でもないし、情夫というわけでもなかった。
 ただ、シャイナが近衛騎士としてこの密会を許している事が明るみになれば、嫁入り前のアーシャにアデルを情夫──という言葉が正しいのかもわからないが──とする事を幇助している様にも受け取られる危険性がある。少なくとも、嫁入り前の王族や貴族の令嬢が密かに身分の低い男と密会するなど、本来許される事ではないのだ。彼女の言う『私まで処刑される』とは、そういう事を意味しているのだろう。
 ただ、それでもシャイナがこうしてアーシャとアデルが話せる機会を設けたのは、それだけ彼女が王女を大切に想っているからだ。
 また、この国の現状を鑑みるに、何か打ち手を考える際にも必ず必要となってくる存在が〝ヴェイユの聖女〟であるアーシャ王女だ。国の為にも、彼女に倒れられるわけにもいかなかったのである。

「ちなみに、シャイナは私がアデルの事を好きなのも、知ってますよ?」
「えっ」

 何気にぽそっと衝撃的な事実をアーシャが言った。
 こうして逢引をした際に、二人は毎回()()()()()()を行ってはいる。いつもそれを求めてくるのは彼女だ。アデルも彼女のそんな態度から、彼女からの好意を察していた。
 しかし、アーシャは王族で、アデル自身は兵士だ。その関係性もあって──会う度に口付けているくせに今更なんだとは思うが──その好意を敢えて口にしない様にしていると思っていた。

「でも、毎回キスをしているのは内緒です」
「いや、おまッ」

 慌ててシャイナがいる方の部屋の扉を見て声を潜めるアデルに、くすくす笑うアーシャ。
 そんな王女を見て、アデルも頬を緩めた。

「叱られるぞ、本当に」
「シャイナに叱られるのは慣れてます」
「全く……悪い王女様だ」
「はい。私、悪い子です」

 言いながら視線を合わせると、二人は自然と唇を寄せた。そして、一瞬だけ二人が唇を通して繋がる。