アデルとアーシャの中に芽生えた小さな幸福とヴェイユ王国の平和は、そう長くは続かなかった。それから間もなくして、大陸に戦乱が訪れ、ヴェイユ王国は建国史上最も存続が危うい状態となったのだ。
 国が大きく揺れ始めたのは、アデルが王国兵団に入ってから半年が経った頃だった。
 ミュンゼル王国を滅ぼしたゲルアード帝国は、国名を『ゾール教国』へと改名し、アンゼルム大陸西部への侵略を進めたのである。
 海洋国家・バルムス王国は〝海賊王〟と亡国ミュンゼルの王子・クルス=アッカードの強力なタッグによって守りを固め、ゾール教国軍をイブライネ砂漠から先へは進ませなかったのもあるだろう。ゾール教国軍は、まずは大陸の諸国を制覇しにかかったのである。自由都市アイゼン、ダリア公国は死をも恐れぬゾール教兵の前に散って行った。
 危機が目前まで迫ってきたライトリー王国は、ヴェイユ王国に使者を出し、同盟を望んだ。ヴェイユ王国とて、東ではいつバルムス王国が陥落するかわからない状況で、万が一西のライトリー王国までもゾール教国の手に堕ちれば、もはや逃げ場も味方もいなくなる。ロレンス王も同盟を承諾し、ロレンス王を盟主とした西部同盟が締結された。
 それから間もなく、ゾール教国はライトリー王国へと侵攻を進め、早速西部同盟軍の出番が訪れた。ヴェイユ王国としても、ライトリー王国は大陸西部国家の最後の要。落とされるわけにはいかなかったのである。
 この西部同盟軍とゾール教国軍の戦いは、『ヘブリニッジ戦役』と呼ばれた。ロレンス王は西部同盟を指揮する為に、ヴェイユ王国の殆どの主力軍を率いて出陣して、そのヘブリニッジ戦役に挑んだ。
 しかし、ヘブリニッジ戦役でもゾール教国の勢いは留まる事を知らず、同盟軍は敗北。ロレンス王はそのまま行方不明となってしまった。そして、ヘブリニッジ戦役で多くの軍を失ったライトリー王国は降伏し、ゾール教国の占領下となったのである。
 ヴェイユ王国は優れた為政者を失い、一気に内政面でも綻びを見せて行った。それは、ロレンス王の不在を任された宰相に原因があった。その宰相が、私利私欲に走り出したのである。
 ロレンス王の不在を任されたのは、宰相グスタフ。グスタフの家系は建国当初から宰相としてヴェイユ王国に貢献してきた、優秀な家系である。実際に、グスタフ自身もヴェイユ王国にこれまでも尽くしてきて、忠誠心が高く、優れた宰相として評価されていた。
 しかし──ロレンス王の行方不明の報を聞くや否や、グスタフは態度を一変させた。国王の留守を良い事に、王国をわが物にしようと画策をし始めたのだ。
 グスタフ宰相は自らに逆らう者は処刑し始め、これまで平和だったヴェイユ王国は見る影も失くし、恐怖政治が始まった。
 本来であれば、王妃であり大陸六英雄のリース王妃がグスタフ宰相を一掃して終わるだろう。しかし、リース王妃は亡国ダリアの家系の者で、ヴェイユ島内で権力があるわけではない。個人の武勇はあれど、多勢に無勢では反抗もできず、王室に軟禁されていた。