「え……?」
「俺は、ヴェイユ王国の王女・アーシャ=ヴェイユに居場所を作られて、ここにいるんだ。この国は俺にとってももう大切な居場所で、なくてはならない場所なんだよ」
「アデル……」

 王女の頬を伝う涙を指で拭ってやり、アデルは続けた。

「あなたは俺の為に居場所を作ってくれた。謂わば、俺にとっての主君はアーシャ王女なんだ。主君の厚意を無碍になんてできるわけがない。あなたがここにいろ、生きろと言ってくれるなら、俺はここにいるし、生き続ける。どうだ?」

 そう言うと、アーシャは目を赤くしたままくすっと微笑んだ。

「わかりました。では、アデルに命じます」

 こほんと咳払いをしてから彼女は微笑もうとしたが、失敗してくしゃっと泣きそうになってしまっていた。

「絶対に……死なないで下さい」

 小さく咽び泣きながらも、彼女はアデルの瞳をしっかりと見据えて、そう言った。

「承った」

 アデルはもう一度彼女を抱き締めると、そう呟いた。
 しかし、彼女は涙を浮かべたままくすっと笑ったかと思うと、すぐに「それではダメです」と言った。

「ダメってどういう事だよ?」

 体を離して彼女の顔を覗き込むと、アーシャ王女は顔を涙目のまま顔を赤らめて、悪戯げに笑った。

「えっと……誓いが足りません」
「誓い?」
「はい……ちゃんと、ここに誓って下さい」

 アーシャは言いながら顎を少し上げて、唇を遠慮がちに突き出した。

「ここにって……それって」
「はい。ちゃんと……誓って欲しいです」

 さしものアデルもこれには困惑する。それは、王女の大切なものを一つ奪うという事だ。そして、それは兵士としても、王女としても一つ一線を越える事になってしまうのである。王族である彼女が、一介の兵士に過ぎない彼がして許されるものではない。
 更に言うと、その一線を越えてしまっては、アデル自身自分の気持ちの制御ができそうになかった。間違いなく、彼女をひとりの女として見てしまうだろう。

「……本気で言ってるのかよ」
「本気です。本気じゃないと、こんな事言えません」

 アデルは鼓動が荒ぶるのを感じながらも、もう一度アーシャをじっと見つめる。
 少し冗談じみた口調で言ってはいるものの、彼女の表情は真剣そのものだった。

「後悔……するなよ」
「はい。絶対にしません」

 彼女が頷いたのを確認してから、そっと顔を近づける。
 彼女も、少しだけ顎を上げて瞳を閉じると……大剣使いと王女の唇が重なった。少しの間だけ重なり合い、そしてそっと互いの唇が名残惜しそうに離れる。
 二人は顔を見合わせると、互いに照れくささから笑みを交わした。

「これで、アデルは私のファーストキスを奪った人です。責任は重いですよ?」
「え、ええ&!? 責任って言われても」
「はい。だから、絶対に……死んじゃダメです。ずっと私の傍にいて下さい」

 アーシャは言ってから恥ずかしくなったのか、アデルの胸に飛び込む様に顔を押し付けた。首根っこをしっかりと抱きかかえている。
 アデルは両手を彷徨わせているが、そっと彼女の肩を掴み、そっと彼女を抱き締める。

「アーシャ王女」
「その呼び方、今は嫌です……今は、名前で呼んで下さい」
「……アーシャ」
「はい」

 アデルの呼びかけに応じる様に、アーシャは顔を上げた。
 浅葱色の瞳が潤んでいて、頬は赤くなっていた。

「俺は絶対に死なないし、アーシャとこの国を守る。この口付けを以て、誓うよ」
「……はい」

 アーシャはもう一度顎を少し上げて、瞳を瞑った。アデルも瞳を閉じて、もう一度顔を寄せる。
 兵士と王女の、内緒の口付け。月明りも相まって、とても浪漫で溢れていて、幸福感に包まれていた。
 その幸福感を感じたくて、誓いを絶対なものにしたくて、二人は何度も口付けを交わす。
 だが、世界は──彼らが望む様には、動いてなどくれなかった。