「ありが、とう……ございましたぁ」

 ルーカスとカロンは同時にそう言うと、その場でぱたりと倒れた。

「あいよ、お疲れさん」

 アデルは訓練用の木剣を壁に掛けて、小さく息を吐いた。
 場所は夜の訓練場。ここ数日アデルはここ数日、ルーカスとカロンに稽古をつけてやっていたのだ。
 理由は、言うまでもなく先日のミュンゼル王国の滅亡だ。いつ何時このヴェイユ王国も帝国に狙われるかわからず、戦火に襲われる可能性も有り得る、そうなった時の為に鍛えて欲しい、と二人から言われたのだ。
 戦争が起きる起きないについては、アデル達が実際にできる事など何もない。戦争が起きると言われれば嫌でも起きるし、起きたら戦わなければならない。その時の為に、こうして鍛錬をして備えるしかできないのである。

「じゃあ、今日はもうお終いな。明日、俺が朝早いんだ」

 アデルは明日の早朝から城壁付近の警備の任務が与えられている。ただ外を見ているだけで暇な任務ではあるが、万が一異変があった場合は知らせないといけないし、遅刻は言語道断だ。

「アデルさんは早朝の見回りでしたっけ。わかりました、僕らはもうちょっと休んでから帰りますー」

 カロンの返事を聞いて、アデルは嘆息を吐いてから「じゃあな」と訓練場を後にする。

(これだと、俺の腕が鈍ってしまうな)

 アデルは自らの手のひらを眺めて、強く握り締める。
 彼はカロン達との訓練では、まだ五分の一ほどの力も出していない。それは、他の兵士と訓練をしても同じだ。
 これは仕方のない事だった。ろくに実戦経験を積んでいない王宮兵団と、常に魔物や人と命の奪い合いをしていたアデルとでは、実力以外にも戦いへの覚悟等の心意気も雲泥の差がある。それは、カロンやルーカスが多少の戦いを王宮兵団に入ってからしたからと言って、簡単に埋まるものではない。
 それに、戦いと言っても、ここヴェイユに住まう賊や魔物など、大陸では到底生きていく事などできない程弱いのである。その程度の相手に実戦経験を多少積んだところで、それが大きく力を引き延ばす事などない。
 だが、それはヴェイユ島に国がひとつしかない事も大きく影響している。この島には国王直轄地の王都近辺の国王領の他、ダニエタン伯爵の統治するルベルーズ領と、ヴィクトル伯爵の統治するベルカイム領しか領土がない。そして、どちらの伯爵も国王に忠誠を誓っており、争いなど起きる気配もないのだ。実際に建国以来、ヴェイユ王国は内戦などした事がないそうだ。国政が優れているが故に、争いも生じない。ヴェイユ王国とはそういった国なのだ。
 この国が平和なのは良い事だ。それは疑う余地はない。
 だが、そのせいで兵士達は危機感を抱けず、訓練も訓練としか思えないでいるのも現実だった。本当に命のやり取りをするものという覚悟を持てていないのである。
 無論、賊や魔物とは命のやり取りをするし、命を奪う事もある。だが、賊は所詮賊だ。殺されそうになると降参もするし、すぐに敗走もする。謂わば、兵士達が圧倒的に有利な状態の戦闘しか生じないのである。
 逃げる事が許されない敵兵との戦いや、死の恐怖を()()()()()()敵兵や魔物との戦いとは、勝手が異なる。
 この国にも手練れの精鋭部隊はいるそうだが、それもロレンス王直属の部隊のみだ。もし、この国で内紛や外敵からの侵略が生じたらどうなるのか……アデルには、皆目見当もつかなかった。