「クルス様は、えっと……クルス=アッカード様の事です」
「クルス=アッカードっていうと……ミュンゼル王国の王子か! 知り合いなのか?」
「はい! よくご存知でしたね。昔、クルス様がヴェイユを訪ねられた事があって、その時に遊んで頂きました」
と言っても十年くらい前の話ですが、とアーシャは付け足して笑った。
ミュンゼル王国王子・クルス=アッカード──名君主と謳われるアルセイム=アッカードの息子で、その有能さは父を超すとも謂われている人物だ。
ミュンゼル王国はアンゼルム大陸の中でもかなり東に位置しており、アデルが住んでいたランカールの町からは離れているので、直接見た事は勿論ない。だが、遠く離れたランカールにまでその名が届いているのだから、当然その噂も事実なのだろう。
その後、アーシャはクルスとの想い出を語った。想い出と言っても、小さな頃の話だ。少し年上の男の子と遊んでもらった、という程度の話で、何か色恋沙汰があるわけではない。
しかし、アデルは内心兵士になった事を後悔していた。
アーシャ=ヴェイユ……彼女は、ヴェイユ王国の王女で、〝ヴェイユの聖女〟とも謂われる程の人物だ。彼女にはそれ相応の相手がいる。一般人と同様に自由恋愛ができるわけではないのである。
アデルはそこまで深く考えずにアーシャの言葉のままにこの国に仕える事を選んだ。しかし、彼女への気持ちを自覚し始めた今となっては、この身分の差が大きな弊害となって、彼の心を蝕む。
アーシャにとって、アデルはただ話していて楽しい程度の存在なのである。将来どうこうなる関係ではないし、それが許される立場でもない。アデルは国の王子でもなければ、爵位があるわけでもなく……ただの兵士に過ぎないのだから。
「えっと……今日は一日付き合って頂き、ありがとうございました。それと……すみません」
もうすぐ王宮が見えてきて、そろそろ任務を終えようとしていた頃、アーシャはアデルに対して、申し訳なさそうにそう伝えた。
「何で謝るんだ?」
アデルは率直にそう訊き返した。
彼女が謝る理由がわからなかったからだ。
「いえ……アデルがあまり楽しそうでなかったので。帰りも殆ど私ばかりが話していたので、無理をさせていたのかと思ってしまいまして」
おそるおそる、と言った様子でアーシャはアデルを上目で見た。
アデルは小さく息を吐いて、笑みを作った。
「無理なんてしてないさ。ただ、帰りは気が緩みがちになるから、いつもより気を張らせていたんだ。万が一があったら、せっかくご指名を頂いた王宮兵士としては名折れだろ?」
本音を言えば、少し違った。
気を張って周囲には気を付けていたのは紛れもないが、アデルが言葉を発さなかったのは、それが理由ではない。ただ自らの立場と、そして身分の差を考えて、気持ちが沈んでいたのだ。
「本当ですか?」
「ああ、本当だ」
「それなら良いのですけど……」
「こんな用事でいいなら、いつでも付き合うさ。減給されない程度にな」
アデルが笑ってみせると、アーシャも「それでは、またお願いします」と微笑んだ。
それから王宮まで彼女を送り届けると、そこでようやく、アデルの任務は終わった。
(アーシャ王女は俺に居場所を与えてくれただけだ。それ以上を……望んじゃいけない)
王女の後ろ姿を見送ると、アデルはそう心の中で自分に言い聞かせた。
追放された大剣使いは、少しだけ〝ヴェイユの聖女〟に救われてしまった自分を怨んだのだった。
「クルス=アッカードっていうと……ミュンゼル王国の王子か! 知り合いなのか?」
「はい! よくご存知でしたね。昔、クルス様がヴェイユを訪ねられた事があって、その時に遊んで頂きました」
と言っても十年くらい前の話ですが、とアーシャは付け足して笑った。
ミュンゼル王国王子・クルス=アッカード──名君主と謳われるアルセイム=アッカードの息子で、その有能さは父を超すとも謂われている人物だ。
ミュンゼル王国はアンゼルム大陸の中でもかなり東に位置しており、アデルが住んでいたランカールの町からは離れているので、直接見た事は勿論ない。だが、遠く離れたランカールにまでその名が届いているのだから、当然その噂も事実なのだろう。
その後、アーシャはクルスとの想い出を語った。想い出と言っても、小さな頃の話だ。少し年上の男の子と遊んでもらった、という程度の話で、何か色恋沙汰があるわけではない。
しかし、アデルは内心兵士になった事を後悔していた。
アーシャ=ヴェイユ……彼女は、ヴェイユ王国の王女で、〝ヴェイユの聖女〟とも謂われる程の人物だ。彼女にはそれ相応の相手がいる。一般人と同様に自由恋愛ができるわけではないのである。
アデルはそこまで深く考えずにアーシャの言葉のままにこの国に仕える事を選んだ。しかし、彼女への気持ちを自覚し始めた今となっては、この身分の差が大きな弊害となって、彼の心を蝕む。
アーシャにとって、アデルはただ話していて楽しい程度の存在なのである。将来どうこうなる関係ではないし、それが許される立場でもない。アデルは国の王子でもなければ、爵位があるわけでもなく……ただの兵士に過ぎないのだから。
「えっと……今日は一日付き合って頂き、ありがとうございました。それと……すみません」
もうすぐ王宮が見えてきて、そろそろ任務を終えようとしていた頃、アーシャはアデルに対して、申し訳なさそうにそう伝えた。
「何で謝るんだ?」
アデルは率直にそう訊き返した。
彼女が謝る理由がわからなかったからだ。
「いえ……アデルがあまり楽しそうでなかったので。帰りも殆ど私ばかりが話していたので、無理をさせていたのかと思ってしまいまして」
おそるおそる、と言った様子でアーシャはアデルを上目で見た。
アデルは小さく息を吐いて、笑みを作った。
「無理なんてしてないさ。ただ、帰りは気が緩みがちになるから、いつもより気を張らせていたんだ。万が一があったら、せっかくご指名を頂いた王宮兵士としては名折れだろ?」
本音を言えば、少し違った。
気を張って周囲には気を付けていたのは紛れもないが、アデルが言葉を発さなかったのは、それが理由ではない。ただ自らの立場と、そして身分の差を考えて、気持ちが沈んでいたのだ。
「本当ですか?」
「ああ、本当だ」
「それなら良いのですけど……」
「こんな用事でいいなら、いつでも付き合うさ。減給されない程度にな」
アデルが笑ってみせると、アーシャも「それでは、またお願いします」と微笑んだ。
それから王宮まで彼女を送り届けると、そこでようやく、アデルの任務は終わった。
(アーシャ王女は俺に居場所を与えてくれただけだ。それ以上を……望んじゃいけない)
王女の後ろ姿を見送ると、アデルはそう心の中で自分に言い聞かせた。
追放された大剣使いは、少しだけ〝ヴェイユの聖女〟に救われてしまった自分を怨んだのだった。