俺とガークが本題に入ったのは、日が暮れてからのことだった。竜族は食事をみんなで囲んで食べるという風習らしく、夕暮れが近づくにつれて、厨房に集まる人の量が増えていった。場は自然に賑やかになっていき、ガークがつれてきた俺たち三人の『ロイメン』は、集落の民たちに奇異の眼差しを向けられることとなった。
「しかしそんなこと、実際にあるもんなんだなあ! まあ、現におまえたちがここにいるのと、奇妙な建物が森の中に建っているんだから、おまえたちの言っていることは事実なんだろうよ」
 そう言ったのは、ザンドラという名前の竜人だった。ジュヴァロンと仲の良い彼は、赤い竜の鱗が腕や足を覆い尽くしている。ジュヴァロンほど竜の血は濃くないのか、彼よりは人間に近い見た目だ。
 竜族に共通しているのは、皆揃って爬虫類のような目をしているということだった。それ以外の見た目が竜に近いのか、人に近いのか、あるいは純粋な竜なのかは、それぞれの体内に流れている竜の血の濃さによって変わってくるということなのだろう。
 ザンドラは、好奇心の旺盛な性格で、猪突猛進な一面があるようだった。俺たちのいきさつを聞いている最中、こもれびの杜が集落の先に建っている話になった際、「うわ! マジか! ちょっとおれ見てくるわ」と言って、一目散に走り出していってしまったので、彼が戻ってくるのをしばらく待つ羽目になったのだ。
 俺が(体感で)片道十分ほどかけて歩いた道を、ザンドラは往復五分程度で戻ってきた。恐ろしい脚力だ。建物を確認したのが、ほんの数秒であったとしても、だ。それに戻ってきたとき、彼は息を切らしてもいなかった。
「コタローたちは、元にいた世界で、年寄りを手助けしている『カイゴ』という仕事をしていたらしい。我は」
「ガーク、お前自分のこと『我』っていうの似合ってないぞ」
 俺がガークの言葉を途中で遮って突っ込んでしまったからか、彼にギロリと睨まれた。威嚇のように凄まれると、迫力があってちょっと怖かった。
「……オレは長老の処遇をどうにかしたいと、心底考えていた。今の長老の扱いは、竜族の皆の総意で、長老やオレも一度は承諾したことだ。とくに長老は、ご自分の状況を一番よく理解されている。自らの失態で竜族の皆に危害が及ぶことを懸念しての判断をされた。……当初は英断だと思ったが、今はとてもそうは思わない」
 ガークは、周りに集まっている民たちの顔をひとりひとり見ながら、ゆっくりとそう言った。一人称が変わっているということは、やっぱりガークも気にしていたのだろう。
 ガークがもの言いたげに視線をよこしてきたので、俺はこくりと頷いて、ガークの隣に立った。
「あー、えっと……初めまして、俺は空野虎太朗といいます。純粋なロイメンです。ガークに紹介されたとおり、俺はお年寄りの生活を手助けする仕事をしています。俺と、こっちにいる筒原さんと、俺のばあちゃんの空野恭子は、元々……たぶん此処とは別の世界で生きていました。でも、突然大きな地震に巻き込まれて、どういうわけかこの世界に居場所ごと転生してきたみたいなんです」
 一同は顔を見合わせて、ざわついた。こいつは何を言っているんだ。ロイメンという種族の生き物は、このような場においても妄言を平気で口にするのかと思われていたらどうしよう。
「それで、この世界にやってきた俺が、一番初めに会ったのがガークでした。こいつは俺が介護職に就いているとわかって、妙に俺に興味を持ったようだから、理由を聞くと、長老さんが認知症を発症して困っていることが分かったんです」
「にんちしょう?」
 ザンドラの隣で俺たちの話を聞いていた竜族の女性が問い返してきた。
「たとえば、さっき確かにご飯を食べたのに、そのことをすっかり忘れてしまっていたり、今日が何月何日であるとか、いまは朝か昼か夜かということも分からなくなってしまう。他にも色々あるけど、そういった症状が出てきて、生活に支障をきたす症状のことを、俺たちの世界では認知症って呼んでいました」
「コタロウくん、じゃあわたしは認知症なのかい?」
 ばあちゃん、話がややこしくなるから今は黙っていてくれ。俺はばあちゃんを無視して話を続けることにした。
「じゃあ、長老様は……」
「コタローのいう認知症なのかもしれぬ」
 ガークが言い張った。後継者としての自覚と、竜族の少年としての立ち位置が綯い交ぜとなったような口調になる。何百年と生きていようと、彼はまだ竜族の中では幼い部類なのだろう。
「はっきりと言わせてもらうけど、俺は、皆さんのとった選択は間違っていると思います。直ちに長老さんの幽閉を解除して、元の生活に戻してあげるべきだ」
「でも……そんなことをしたら……」
 先ほどの女性だ。不安の色が一同に広がっていく。
「皆さんが不安になるのは、当たり前のことだと思います。でも、認知症になった人に、どうやって関わればいいのかをちゃんと知っていれば、何も不安になる必要はありません」
 俺もそうだった。ガークたち竜族に説明しながら、自分の過去を思い出す。
 ばあちゃんの認知症が発覚したとき、俺は気が動転して、しばらくの間、何も手につかなかった。あんなにしっかりしていたばあちゃんが、いつの間にこんなことになっちまったんだ……。
 介護の勉強をしていたときに聞いた話がある。認知症は、家族や周りの者たちが本人の様子をおかしいと思い始めたときには、もう症状はだいぶ進行してしまっているのだ、と。俺がばあちゃんの症状を知ったときにはすでに……。
 俺のせいか? と自問した。たった一人で俺を育ててくれたばあちゃんに迷惑ばかりかけて、気疲れさせてしまっていたのかもしれない。その疲弊が蓄積して、症状の進行を促してしまったのではないか。知識をつけていくたびに、俺は自責の念を拭えなかった。
——ごめんな、ばあちゃん……。
 何度も俺はその言葉を口の中で噛み殺した。たとえばあちゃんに「俺のせいか?」と聞いても、正しい答えが返ってくることは、おそらく永劫ないだろう。俺は答えのわからない呵責を、これからも続けていかなければならないのだ。
 ガークも同じだろうか。自分が持ち合わせている知識をガークに伝えたとき、あるいはこの先いずれ彼らが自分たちのとった選択を省みたとき、今の俺と同じように自分を責めたりしてしまうのだろうか。
それでも。
長老が少しでもいい状態で余生を過ごせるように、俺はガークたちと共に最善を尽くす責務がある。
「バカなことを言うな、ガーク、お前も知っているだろう! 長老が我を忘れて暴走すれば、こんな集落ひとつ、簡単に滅んでしまうんだぞ!」
 ふと舞い出た火種は、竜族の民たちの心に邪念の炎を灯した。テーブルについていた竜族の誰かがそう言うと、喧騒は一気に伝播していった。
 宴のように楽しい内容の騒ぎだったらいいものの、現実は正反対で、俺たちに対する非難が轟々と湧いている。ガークは困ったように眉を潜めていた。長老の後継者とは言われているものの、まだガークにはその器は尚早ではないかと思われる。
「ガーク、ここはお前が、しっかりと芯を持っていないと、あいつらにやられるぞ」
 俺はガークの耳元で囁いた。いくら俺がそそのかしてガークがその気になったとはいえ、竜族の総意を覆せるのは、彼しかいない。
「オレが……」
 ガークは呟くようにそう言うと、俺のほうを見つめた。右の手のひらを自分の胸の前にかざし、そのまま握りこぶしを作る。
 それは決意のあらわれのようでもあり、見方を変えればなにかにじっと祈りを捧げているようでもあった。
「たしかに、長老の今の処遇は、竜族の皆で決めた総意で、長老も納得したうえで実行している。オレもそれでいいと思っていた。……だけどそれは、『長老の後継者』としてのオレの意見だ。ほんとは……長老の……じいちゃんの孫としてのオレは、今すぐに幽閉を解いてやりたいと……思っている」
「それはただの我儘だろう」
 ガークを咎める声がする。俺の目にも、誰がその言葉を放ったのかがはっきりと見えた。ガークよりも歳上に見える、人型の竜族の男だった。言い終えたあと、口を真一文字に締め、鋭い目つきでガークのことを見咎めている。厳格で真面目な初老の男——それが彼に抱いた印象だった。
「一族で一度決まったことを今更になって蒸し返し、私情のままに己の意見を押し通そうとする。長老の後継者なら尚更、己が行おうとしている事の重大さを鑑みるべきだ」
 男の声に、彼の周りにいた何人かがうんうんと頷いている。彼らはきっと、ガークのことをよく思っていないんだろうなと感じた。もしかすると、長老に近しい立場の人なのかもしれない。長年、長老に連れ添って一族を率いてきたけれど、今はガークが長老の孫というだけの理由で、一族の長になり得る器として持て囃されている。それが彼にとっては面白くないのかもしれない。だが、長老のいまの境遇をなんとかしたいと思うのがガークの私情なら、それを咎めようとするのもまた、彼らの私情なのではないだろうか。一人の(この場合、一匹の、と表現するのが正しいのか)竜の末路を犠牲に、一族の安寧を計るのか、一族で結託して、危険を承知の上で、今まで世話になった恩義を長老に還すのか。彼らがどんな選択をとるにしろ、後になって後悔しないようにしてほしい。

「オレは……じいちゃんが、あんな状態になってまで、一族の総意を優先させようなんて思わなくていいと、思ってる……」
「ガーク」
 そのときザンドラが口を開いた。
「……お前は優しい子だ。長老のことを想う気持ちもよく分かるよ。だがな、リアズが言ったように、お前が抱いている気持ちは、『我儘』だと思う奴もいる。」
 ザンドラは諭すようにそう言った。そこで先ほどガークに難色を示した男は、リアズという名前なのだとわかった。
「長老の身に何かあれば、その皺寄せを被るのは俺たちだ。一族を滅ぼしかねない事態に陥ったとき、お前はどうするつもりなんだ」
 ザンドラは周囲の竜族を見渡した。先ほどガークに意見した男を含め、彼の言葉に頷く者は多かった。ガークは何も答えない。いや、答えられないのだ。
「先のことをなにも考えていなくて、いっときの感情で物事を判断しているのなら、頭を冷やせ、ガーク」
 ザンドラはガークの頭をポンと叩いた。その仕草がなんだか父親っぽくて、こんな状況なのにちょっと微笑ましい気持ちになったのは内緒だ。
「……コタロー、オレは間違っていただろうか」
 ガークがこちらを向いた。彼は縋るような目をしていた。
「俺は竜族のことがよくわからないから、適切なアドバイスはできないかもだけど……」
 俺は一呼吸おいて続けた。
「少なくとも俺は、ガークは間違ってないと思ってるよ」
 俺の言葉を受けて、ガークは少しだけ微笑んだ。その笑顔に安堵すると同時に、彼のことをなんだか遠くに感じてしまった。

「長老のことに関しては、我々竜族が取るべき選択はふたつあった。ひとつは、このまま幽閉を続け、彼の命の灯火が消えるのを見届けること」
 ザンドラがそう言うと、ガークに反対の意を唱えたリアズも頷いた。他の竜族たちもそれにならって頷く。
「そしてもうひとつは、直ちに彼に安らかな死を与えるということだ」
「えっ!?」
俺は自分の耳を疑った。今なんて言った?
「それは、つまり……」 
 俺の言葉を引き継ぐように、ザンドラが口を挟む。
「長老を介錯するということだ」
 俺は思わず顔を顰めていた。腹を斬るだの首を落とすだのという行為は、俺のいた世界にも、昔はごく普通に行われていた。ただ、俺の生きてきた時代にはその文化は廃れていたから、想像するだけでゾッとする。
「ガーク、お前も覚えているだろう。一族の話し合いの場を設けたとき、長老の口からはっきりと、今すぐにこの首を落とせという言葉が出たことを」
 ザンドラは続けた。
「長老は聡いお方だ。一族の長として、我々の未来のことを案じておられるのだ。自分がその命を繋ぐことによっておこる最悪の結末を、自身が贄となることによって回避できるのなら、喜んでその選択を受け入れる……と。ただ、心残りはひとつ。ガーク、お前のことだ」
「覚えている、忘れるわけないだろう」
 ガークは絞り出すような声で答えた。その日——俺にとってはいつのことなのかはわからない。もしかすると俺が産まれるよりもずっと昔のことかもしれない——、長老が自らに下そうとした決断を、ガークは隣で聞いていたのだろう。
「先の戦争で、お前の両親は死んだ。そのうえで長老までお亡くなりになることがあれば、肉親のいなくなるお前にとって、それはあまりにも酷なのではないか、と。そこで我々は折衷案をあげた。直ちに長老の首はとらない。その代わりに一族に万が一でも危害が及ばぬよう、身柄を幽閉し、長老には来たるべき最期までそこで隠居していただくと」
ガークは何か言いたげに口を開いたが、それを飲み込んで押し黙ってしまった。
 確かに長老がこれから長く生きれば生きるほど、変化は起こりやすくなっていくかもしれない。今はまだ普通に会話ができている状態であっても、何かが引き金となって、認知症の症状が悪化し、彼らの言うとおり、一族に危害が及ぶかもしれない。でもだからといって、生きていること自体が罪だというのか。それはあまりにも酷な話じゃないか。
「そういうことだ、お客人」
ザンドラの矛先がこちらに向いた。出自のわからないどこの馬の骨とも知れぬロイメン無勢が、竜族の後継者であるガークを唆し、一族を引っ掻き回そうとするな。暗に彼はそう言いたいのだろう。
そのとき、なぜか俺は無性に腹が立った。ザンドラの言わんとしていることは間違っていない。自分たちとは何の関係もない余所者が口を挟んできて、お前たちのやっていることは間違っているからすぐにやめろ。いい方法を教えてやると言われれば、誰だって癪に触るだろう。わかっている。だけどそれ以上に、ガークがせっかく吐露した気持ちを蔑ろにしようとしていることに、俺は言いようのない苛立ちを感じたのだ。
「じゃあお前らに長老が何も危害を加えなかったらいいんだな」
「ちょっと空野くん!」
 筒原さんに咎められたけれど、俺はもう引っ込みがつかなくなっていた。
「長老が静かに、安心して、今まで通りに生活できるなら、あんな陰気臭い洞窟に閉じ込められなくて済むんだな!」
「だったらなんだ。お前は我々の取り決めを反故にして、むざむざとこの集落に危害を及ぼそうとしているのか」
 ザンドラの声が低くなる。リアズが彼に近づいてきて、隣に立つ。威嚇だ。ガタイのいい奴が並んで、俺に脅しをかけようとしているのだ。
「お前たち、ガークを唆して、この集落を占拠しようと企んでいるんじゃないだろうな」
 リアズの被害妄想は、認知症の人が時折突拍子のない作話をするのと同じくらい、現実離れした内容だった。ひとたび相手を敵対視し、抱いた疑念を綺麗に払拭させるのは、本人が認知症であってもそうでなくても、同じくらい困難なことだ。
「そう思うんなら、勝手に思っていればいいさ。ガーク!」
 こうなら強行突破だ。この世界にやってきたということは、俺はどうせ一度死んだ身。あっちの世界では、おおかた大地震に巻き込まれて、筒原さんやばあちゃん諸共帰らぬ人となったんだろう。どうにでもなりやがれ!
「っ……なんだっ!?」
ガークは俺の呼びかけに驚いて、目を見開いてこちらを見つめ返してきた。
「もう一度長老に会わせてくれ。集落に入れなければいいんだろ。おまえのじいちゃんの介護は『こもれびの杜』でやってやる!」