2
「コタロー殿、お客人が見えておりまする」
燦々と日差しが降り注ぐ日向で、ガークやオケと一緒にアヴァリュートの身体を洗っていたカクスケが、大きな声で俺を呼んだ。ちょうどアヴァリュートの頭の上に乗って角を磨いていたようだ。それにしてもあんな不安定な場所で、何処にも捕まらずに二本の足だけで立っているカクスケの体幹が凄い。水浴びをしたかのように全身がずぶ濡れになっていた。
カクスケが指し示したのは、こもれびの杜の入口だった。そちらを見ると、初めて見る誰かが立っている。畑にいた筒原さんと無言で顔を見合わせる。ほら、行きなさいよというふうに合図を送ってきた筒原さんに頷きかけて、俺は駆け出した。
「あの、どうかしましたか?」
ベリュージオンには人間以外の異種族がわんさか存在している。こっちの世界に来て、これまで過ごしてきた日々の積み重ねで、その考えは俺の頭の中に染みついた。だからこもれびの杜の前にいたのが、耳の尖った生きものであることには、なにも驚かなかった。
「コモレビノモリという場所は、此方でしょうか」
耳の尖った生きものが言った。手には、カクスケがダインズヴェルシュで撒いてきたと思わしきチラシが握られている。腰まで伸びる銀色の絹のような髪。吊り長の目は水色だ。俺の独断と偏見というか、脳にすり込まれている情報だけで判断すると、目の前にいるのは、エルフの女性だった。
裾がふわりとたなびくワンピースのような衣装は、無垢な白色で、この森の中を歩いてきたとは思えないほど、埃ひとつもついていない。
「そうだけど、俺たちに用事っすか?」
「これを」
女性は、そこでようやく手に持っていたチラシを差し出して、俺に見せてきた。「ダイインズヴェルシュにて拝見させて頂きました。通りすがりの使い魔から評判を聞きまして」
是非、わたくし共の相談に乗ってくださいと、彼女は恭しくそう言った。
通りすがりの使い魔というのが、カクスケなのか、ツヴァルザランなのか、あるいは俺の知らない別の誰かなのか。そこはまだ分からなかった。
「ああ、それなら大歓迎っす。むしろ、わざわざここまで伺ってもらって申し訳ありません」
ここ、ベリュージオンにおいて、エルフというのがどんな立場で生息しているのかは不明だが、高貴な種族であるイメージが強い。相手は今のところ丁寧な言葉遣いをしているから、俺もそれに合わせる。変にへりくだるのもわざとらしいから、その辺の塩梅が難しかった。
「ここで立ち話もなんですから、中にどうぞ」
俺が促すと、女性は素直に着いてきた。突然高飛車な態度になって、「このような低俗な場に、足を踏み入れさせるというのか?」などと言われなくて良かった。
俺の勝手な思い込みかもしれないが、女性に近づいたとき、彼女の周りの空気が、凜と澄んでいるような感覚におそわれた。
「変なこと聞くけど、お姉さんはエルフっすか?」
人間のことをロイメンというように、エルフにも別の呼び名があったらどうしようとか、そもそもこの女性の種族はエルフで合っているのだろうかなどと頭の中でぐるぐると思案しながら、俺は尋ねた。
「ええ。貴方がたロイメンの尺度では、そうですね」
では他になにか呼び名があるのか。とにかくそこはツッコまずに、話を進めることとする。
「それで、相談というのは?」
「ええ」
エルフの女性はそう言って、話し始めた。
「わたくしはダインズヴェルシュの向こうのジェインズという町に住んでいます」
女性は名をオフィリアと名乗った。音もなくカクスケが事務所の中に入ってきて、給湯室へ入っていく。カチャカチャと湯呑みと茶器を触る音が聞こえてきて、やがてカクスケはこちらに戻ってきた。
俺とオフィリアのそばに歩いてきて、ぺこりと頭を下げると、緑茶の入った湯呑みをテーブルの上に置いた。
「ソチャですが、どうぞ」
俺は噴き出しそうになった。ばあちゃんがお茶を淹れて、筒原さんに出すときに決まって言う文言をカクスケは覚えたのだろう。意味が分かっていなさそうだったが、それはオフィリアも同じようだ。湯呑みを一瞥したあと、話を再開させた。カクスケの姿を見ても、オフィリアがとくに反応を示さなかったということは、彼女にチラシを渡して俺たちのことを話したのは、カクスケではないようだ。
ジェインズは、ヴェリザで竜族が暮らしているのと同じように、エルフの集落がある町だという。オフィリアが話している最中、カクスケが俺の横にちょこんと立っていたので、椅子に座るように促した。
「わたくしが仕える御方様が、なんとなく変なのであります」
仕える……と言うからには、オフィリアには上司のような立場の相手がいるのだろう。見たところ彼女は若い。例に漏れず見た目だけで感じた予想だけれど。
なんとなく変……。随分と抽象的で頼りない言葉のように感じられるその一言は、介護現場においては、重要な視点となり得る。普段一緒にいる近しい人が、要介護者についてそう思うということは、そこにはやはりなにか異変が隠されている場合が多いからだ。
「オフィリアさんがそう思ったのは、いつぐらいからですか?」
「最初に気付いたのは、半月ほど前でしょうか」
オフィリアはそう言って、状況を語りはじめた。
オフィリアが仕えているのは、ヴェルチンシアという名前のエルフの女性だという。ヴェルチンシアはベリュージオンで二千年の月日を生きている。俺の尺度で考えると、ばあちゃんみたいな高齢の女性なのだろう。
ヴェルチンシアは、このところ、幻覚と幻聴の症状が現れはじめたらしい。傍にいるオフィリアが見えない誰かの名を呟きながら、なにかを掴もうと手を虚空に彷徨わせているときが多くなったという。
「クォートレットと、消え入るようなお声でどなた様かの名を呟いておられるのです」
オフィリアには馴染みのない名前だという。憶測でものを語るのは、あまり良くないかもしれないが、おおかたそれはヴェルチンシアの昔の知り合い……もっと言えば、想い人だろう。
「他になにか変わったことはありますか?」
「陽の出ている日中は、うとうとと微睡んだりして穏やかに過ごしておられるときが多いのですが、先程のもののような症状は大抵、夕方から夜にかけて、現れることがあります」
オフィリアの表情に、不安の色が滲み出ている。目の前の男に話したところで、ほんとうになんとかなるものなのだろうか。そう思っているようにみえた。
『夕暮れ症候群』という言葉がある。認知症の高齢者に起こりうる症状で、一日のうち夕方から夜にかけて不安や混乱が大きくなり、攻撃的な行動を取ったり、興奮状態が続いたりする。俺たちはそういった症状を一括りにして『不穏』と呼んでいる。
「ヴェルチンシアさんは、夜、眠れていますか?」
エルフの生活習慣が俺たちとは違って、夜行性だったらどうしようかと思ったけれど、オフィリアは「そういえば」となにかを思い出したように目を丸くした。俺が初めて見た、オフィリアの表情の変化だった。
「眠れていないようです」
夕暮れ症候群の症状があらわれるのは、体内時計の変化、感覚の低下、疲労、薬の影響なんかが関係していると習った。ただ、原因ははっきりしていないともいわれている。体内時計が狂ってくると、日の出と共に覚醒し、日没以降は眠りに誘われていくという一般的なサイクルが変化する。それを俺たちは昼夜逆転と言っているが、文字通り、夜に覚醒して昼に眠っている状態のことを指している。
「ちなみに、クォートレットって方は、ご存命ですか?」
「生憎、わたくしはお目にかかったことはありませんので……」
オフィリアの話から推察すると、ヴェルチンシアはばあちゃんやアヴァリュートと同じように、認知症になっているのだろう。日常の中で時折、クォートレットという誰かの幻影が見えていて、それがオフィリアの気を煩わせている原因になっている。
しかし、ここにとどまって机上の空論のような会話を繰り広げていても、オフィリアが抱いている不安は拭い取れず、根本的な解決にはならない。それにわざわざ俺たちを頼って出向いてくれたのだ。
俺が実際にヴェルチンシアの状態を見に行くのが、礼儀ってものだろう。
「よし。オフィリアさん。今からあなたの住むジェインズに行って、ヴェルチンシアさんに会ってみようと思うけど、ご都合は如何っすか」
「今からですか?」
オフィリアが驚いて言った。
「あれ? 都合、悪かったっすか?」
「い、いえ。こんなにも迅速に対応していただけるとは、思ってもいませんでしたので……」
「こういうことはなるべく早いほうがいいんです。今はちょうど俺の手も空いているし、是非お目にかからせてください」
ニッと笑ってみせる。それにつられたかのように、オフィリアの表情が少しだけ和らいだ。
俺はカクスケとガークを引き連れて、オフィリアのあとをてくてく歩いていった。屈強な男が二人も隣を歩いているから、まるでボディーガードを引き連れているようだ。
サンスケがいなくて暇を持て余しているのか、「ぼ木もお供いたしますでぃす!」とオケがキンキン騒いでいたが、あまり大勢で押しかけるのもよくないと考えた俺は、その提案をことわった。感情が人並みにある木桶は、少ししょんぼりとしていたから、ちょっとだけ心苦しかった。
「コタロー殿。拙者がお供するのは、おそらくジェインズとダインズヴェルシュの境界線までであります。役に立てず、かたじけのう御座います」
何故だとは聞けなかった。なんとなく、理由を察したからだ。その推測を決定づけるかのように、カクスケは言葉を続ける。
「拙者共使い魔のような下賤の身の者は、高貴な身分の方々が住まわれている場所に立ち入ることは許されていないのです」
俺はなんだか気まずくなって助けを求めるようにガークを見たが、彼もオフィリアも、まるでカクスケの声が聞こえなかったかのように、だんまりを決め込んでいる。沈黙の中、全員の足音だけが森の中をこだましていた。
学生の頃、日本史の授業で、昔は身分制度があったと習った。社会人になって、その内容もだんだんと記憶の彼方に追いやられていっているが、穢多、非人という言葉は覚えている。その身分に生きていた人々は、社会に必要な仕事を担いながらも、不当な差別を日常的に受けていたそうだ。
カクスケたち使い魔は、それぞれ何者かに遣い、生きている。そう、他の種族のいきものたちと同じように生きているのだ。それなのに、なんだか使い魔の周りには、俺が日本史で習ったものと同じようなものが渦巻いている気がする。カクスケはそれを当たり前のこととして受け入れている節があるし、正義感の強そうなガークも言及しない。ウダイ国の昔からの風習として染みついてしまっているのだろうが、部外者からすれば決して気持ちのいいものじゃないから、なんとかしてやりたいと思うのは、俺の傲慢なのだろうか。
「コタロー殿、お客人が見えておりまする」
燦々と日差しが降り注ぐ日向で、ガークやオケと一緒にアヴァリュートの身体を洗っていたカクスケが、大きな声で俺を呼んだ。ちょうどアヴァリュートの頭の上に乗って角を磨いていたようだ。それにしてもあんな不安定な場所で、何処にも捕まらずに二本の足だけで立っているカクスケの体幹が凄い。水浴びをしたかのように全身がずぶ濡れになっていた。
カクスケが指し示したのは、こもれびの杜の入口だった。そちらを見ると、初めて見る誰かが立っている。畑にいた筒原さんと無言で顔を見合わせる。ほら、行きなさいよというふうに合図を送ってきた筒原さんに頷きかけて、俺は駆け出した。
「あの、どうかしましたか?」
ベリュージオンには人間以外の異種族がわんさか存在している。こっちの世界に来て、これまで過ごしてきた日々の積み重ねで、その考えは俺の頭の中に染みついた。だからこもれびの杜の前にいたのが、耳の尖った生きものであることには、なにも驚かなかった。
「コモレビノモリという場所は、此方でしょうか」
耳の尖った生きものが言った。手には、カクスケがダインズヴェルシュで撒いてきたと思わしきチラシが握られている。腰まで伸びる銀色の絹のような髪。吊り長の目は水色だ。俺の独断と偏見というか、脳にすり込まれている情報だけで判断すると、目の前にいるのは、エルフの女性だった。
裾がふわりとたなびくワンピースのような衣装は、無垢な白色で、この森の中を歩いてきたとは思えないほど、埃ひとつもついていない。
「そうだけど、俺たちに用事っすか?」
「これを」
女性は、そこでようやく手に持っていたチラシを差し出して、俺に見せてきた。「ダイインズヴェルシュにて拝見させて頂きました。通りすがりの使い魔から評判を聞きまして」
是非、わたくし共の相談に乗ってくださいと、彼女は恭しくそう言った。
通りすがりの使い魔というのが、カクスケなのか、ツヴァルザランなのか、あるいは俺の知らない別の誰かなのか。そこはまだ分からなかった。
「ああ、それなら大歓迎っす。むしろ、わざわざここまで伺ってもらって申し訳ありません」
ここ、ベリュージオンにおいて、エルフというのがどんな立場で生息しているのかは不明だが、高貴な種族であるイメージが強い。相手は今のところ丁寧な言葉遣いをしているから、俺もそれに合わせる。変にへりくだるのもわざとらしいから、その辺の塩梅が難しかった。
「ここで立ち話もなんですから、中にどうぞ」
俺が促すと、女性は素直に着いてきた。突然高飛車な態度になって、「このような低俗な場に、足を踏み入れさせるというのか?」などと言われなくて良かった。
俺の勝手な思い込みかもしれないが、女性に近づいたとき、彼女の周りの空気が、凜と澄んでいるような感覚におそわれた。
「変なこと聞くけど、お姉さんはエルフっすか?」
人間のことをロイメンというように、エルフにも別の呼び名があったらどうしようとか、そもそもこの女性の種族はエルフで合っているのだろうかなどと頭の中でぐるぐると思案しながら、俺は尋ねた。
「ええ。貴方がたロイメンの尺度では、そうですね」
では他になにか呼び名があるのか。とにかくそこはツッコまずに、話を進めることとする。
「それで、相談というのは?」
「ええ」
エルフの女性はそう言って、話し始めた。
「わたくしはダインズヴェルシュの向こうのジェインズという町に住んでいます」
女性は名をオフィリアと名乗った。音もなくカクスケが事務所の中に入ってきて、給湯室へ入っていく。カチャカチャと湯呑みと茶器を触る音が聞こえてきて、やがてカクスケはこちらに戻ってきた。
俺とオフィリアのそばに歩いてきて、ぺこりと頭を下げると、緑茶の入った湯呑みをテーブルの上に置いた。
「ソチャですが、どうぞ」
俺は噴き出しそうになった。ばあちゃんがお茶を淹れて、筒原さんに出すときに決まって言う文言をカクスケは覚えたのだろう。意味が分かっていなさそうだったが、それはオフィリアも同じようだ。湯呑みを一瞥したあと、話を再開させた。カクスケの姿を見ても、オフィリアがとくに反応を示さなかったということは、彼女にチラシを渡して俺たちのことを話したのは、カクスケではないようだ。
ジェインズは、ヴェリザで竜族が暮らしているのと同じように、エルフの集落がある町だという。オフィリアが話している最中、カクスケが俺の横にちょこんと立っていたので、椅子に座るように促した。
「わたくしが仕える御方様が、なんとなく変なのであります」
仕える……と言うからには、オフィリアには上司のような立場の相手がいるのだろう。見たところ彼女は若い。例に漏れず見た目だけで感じた予想だけれど。
なんとなく変……。随分と抽象的で頼りない言葉のように感じられるその一言は、介護現場においては、重要な視点となり得る。普段一緒にいる近しい人が、要介護者についてそう思うということは、そこにはやはりなにか異変が隠されている場合が多いからだ。
「オフィリアさんがそう思ったのは、いつぐらいからですか?」
「最初に気付いたのは、半月ほど前でしょうか」
オフィリアはそう言って、状況を語りはじめた。
オフィリアが仕えているのは、ヴェルチンシアという名前のエルフの女性だという。ヴェルチンシアはベリュージオンで二千年の月日を生きている。俺の尺度で考えると、ばあちゃんみたいな高齢の女性なのだろう。
ヴェルチンシアは、このところ、幻覚と幻聴の症状が現れはじめたらしい。傍にいるオフィリアが見えない誰かの名を呟きながら、なにかを掴もうと手を虚空に彷徨わせているときが多くなったという。
「クォートレットと、消え入るようなお声でどなた様かの名を呟いておられるのです」
オフィリアには馴染みのない名前だという。憶測でものを語るのは、あまり良くないかもしれないが、おおかたそれはヴェルチンシアの昔の知り合い……もっと言えば、想い人だろう。
「他になにか変わったことはありますか?」
「陽の出ている日中は、うとうとと微睡んだりして穏やかに過ごしておられるときが多いのですが、先程のもののような症状は大抵、夕方から夜にかけて、現れることがあります」
オフィリアの表情に、不安の色が滲み出ている。目の前の男に話したところで、ほんとうになんとかなるものなのだろうか。そう思っているようにみえた。
『夕暮れ症候群』という言葉がある。認知症の高齢者に起こりうる症状で、一日のうち夕方から夜にかけて不安や混乱が大きくなり、攻撃的な行動を取ったり、興奮状態が続いたりする。俺たちはそういった症状を一括りにして『不穏』と呼んでいる。
「ヴェルチンシアさんは、夜、眠れていますか?」
エルフの生活習慣が俺たちとは違って、夜行性だったらどうしようかと思ったけれど、オフィリアは「そういえば」となにかを思い出したように目を丸くした。俺が初めて見た、オフィリアの表情の変化だった。
「眠れていないようです」
夕暮れ症候群の症状があらわれるのは、体内時計の変化、感覚の低下、疲労、薬の影響なんかが関係していると習った。ただ、原因ははっきりしていないともいわれている。体内時計が狂ってくると、日の出と共に覚醒し、日没以降は眠りに誘われていくという一般的なサイクルが変化する。それを俺たちは昼夜逆転と言っているが、文字通り、夜に覚醒して昼に眠っている状態のことを指している。
「ちなみに、クォートレットって方は、ご存命ですか?」
「生憎、わたくしはお目にかかったことはありませんので……」
オフィリアの話から推察すると、ヴェルチンシアはばあちゃんやアヴァリュートと同じように、認知症になっているのだろう。日常の中で時折、クォートレットという誰かの幻影が見えていて、それがオフィリアの気を煩わせている原因になっている。
しかし、ここにとどまって机上の空論のような会話を繰り広げていても、オフィリアが抱いている不安は拭い取れず、根本的な解決にはならない。それにわざわざ俺たちを頼って出向いてくれたのだ。
俺が実際にヴェルチンシアの状態を見に行くのが、礼儀ってものだろう。
「よし。オフィリアさん。今からあなたの住むジェインズに行って、ヴェルチンシアさんに会ってみようと思うけど、ご都合は如何っすか」
「今からですか?」
オフィリアが驚いて言った。
「あれ? 都合、悪かったっすか?」
「い、いえ。こんなにも迅速に対応していただけるとは、思ってもいませんでしたので……」
「こういうことはなるべく早いほうがいいんです。今はちょうど俺の手も空いているし、是非お目にかからせてください」
ニッと笑ってみせる。それにつられたかのように、オフィリアの表情が少しだけ和らいだ。
俺はカクスケとガークを引き連れて、オフィリアのあとをてくてく歩いていった。屈強な男が二人も隣を歩いているから、まるでボディーガードを引き連れているようだ。
サンスケがいなくて暇を持て余しているのか、「ぼ木もお供いたしますでぃす!」とオケがキンキン騒いでいたが、あまり大勢で押しかけるのもよくないと考えた俺は、その提案をことわった。感情が人並みにある木桶は、少ししょんぼりとしていたから、ちょっとだけ心苦しかった。
「コタロー殿。拙者がお供するのは、おそらくジェインズとダインズヴェルシュの境界線までであります。役に立てず、かたじけのう御座います」
何故だとは聞けなかった。なんとなく、理由を察したからだ。その推測を決定づけるかのように、カクスケは言葉を続ける。
「拙者共使い魔のような下賤の身の者は、高貴な身分の方々が住まわれている場所に立ち入ることは許されていないのです」
俺はなんだか気まずくなって助けを求めるようにガークを見たが、彼もオフィリアも、まるでカクスケの声が聞こえなかったかのように、だんまりを決め込んでいる。沈黙の中、全員の足音だけが森の中をこだましていた。
学生の頃、日本史の授業で、昔は身分制度があったと習った。社会人になって、その内容もだんだんと記憶の彼方に追いやられていっているが、穢多、非人という言葉は覚えている。その身分に生きていた人々は、社会に必要な仕事を担いながらも、不当な差別を日常的に受けていたそうだ。
カクスケたち使い魔は、それぞれ何者かに遣い、生きている。そう、他の種族のいきものたちと同じように生きているのだ。それなのに、なんだか使い魔の周りには、俺が日本史で習ったものと同じようなものが渦巻いている気がする。カクスケはそれを当たり前のこととして受け入れている節があるし、正義感の強そうなガークも言及しない。ウダイ国の昔からの風習として染みついてしまっているのだろうが、部外者からすれば決して気持ちのいいものじゃないから、なんとかしてやりたいと思うのは、俺の傲慢なのだろうか。


