「うわっ! すっげえ!」
 癒舎の正面玄関は、三階の天井まで突き抜ける吹き抜けが広がっていて、開放感が凄まじかった。エスカレーターやエレベーターのような装置はなく、上階までは階段で上がっていくようだ。吹き抜けがある場所には受付のような円形のカウンターがあり、三百六十度あらゆる方向から誰かがやってきても応対できる造りになっていた。石造りの床は、やけにつやつやしている。流石に俺たちの姿が反射して見えるというほどではないが、塵ひとつ落ちてなさそうで、筒原さんが喜びそうな美しさだった。
「あれ? コタローさんたちじゃないでぃすか!」
 癒舎に来たはいいが、どうしたらいいものかと悩みかけた俺の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「ん? あっ、ほんとだ!」
 受付の向こう側にいたのは、サンスケとオケだった。
「ぼ木のことを追いかけてきたんでぃすか?」
 オケがふよふよと浮いてこちらに近づいてくる。
「そんなわけねえだろ。おまえたちこそ、こんなところで何をしてたんだよ」
 サンスケは見たところ、健康優良児そのもの。それにオケも、怪我や病気をしたところで、彼を治す手立てがあるのかよくわからない。サンスケの術で、別の木桶にこいつの魂を移したほうが、肉体を持たないこいつにとってはいいのではないだろうか。ん? でも違う木桶に魂を宿したこいつは、果たしてオケそのものなのだろうか。と、よく船に例えられるパラドックスが俺の頭の中に浮かんだ。
「ぼ木たちは、ここで療養しているみなさんのお背中を流していたんでぃすよ。ひとりではお風呂に入ることもままならない方もいらっしゃいますでぃすからね」
 言うなれば、入浴介助専門の介護士みたいなもんか。
「ややっ、これはこれは、アマドキア殿! もしやあなたに、なにかあったのでぃすか?」
 車椅子に座っているアマドキアの姿を見とめると、オケはなぜか空中で上下に弾んだ。驚いているのだろうか。
「オケくん。実はだね……」
 アマドキアは自分で転倒したことをオケとサンスケに話して聞かせた。俺は横でそれを聞いていたが、やはり口調に覇気がない。
「あちゃー、アマドキアさん、それは大変だったね。腰も痛むだろうから、早く受付を済まそう。やつがれも手伝うよ」
「坊ちゃん、ぼ木は嬉しいでぃす……。坊ちゃんがお風呂の手伝い以外で、自らロイメンを助けようとなされる瞬間に立ち会えるなんて……」
「うるせえぞオケ! 余計なことを言うな!」
「ヒィ! でぃす!」
 オケはものすごい速さで空中を横切って、サンスケの間合いから離れた。
「アマドキアさんはやつがれの大切な知り合いだ。ここで知らぬふりをして立ち去るわけにはいかないだろう」
 サンスケはそう言って甚平のような装いを縛っている帯をキュッと締めた。
「それにしても何だい? アマドキアさんが座っているそれは。動く椅子なんて、初めて見たよ!」
 サンスケは目をキラキラ輝かせて、車椅子に興味津々だ。ここにもいたか。見たことのないマシンに心惹かれる男が。
「これは車椅子という。自力では歩けない人たちを運ぶ、俺たちがよく使う道具だよ」
「なんだか便利そうだな! これを使えば、わざわわざ対象者を小さくして、オケの中に入れて運ぶ必要もなくなるってことか」
 逆にお前、そんなことが出来るのかよ。
 オケが受付に立っていた礼儀正しそうな青年に話しかけている。
「ぼ木の知り合いの怪我人をすぐに見てほしいでぃす!」
「かしこまりました」
 受付の青年は、ちらりと俺たちに目配せをして、そう言った。不思議そうに彼を見ていたのがサンスケにばれたようで、「心配いらないよ、コタローさん。やつがれたちに任せておけばいいから」と、気を遣われてしまった。
「すぐに受付の殿方が手筈を整えてくださいます。主さま、もう大丈夫ですからね」
 いままで静観をきめていたツヴァルザランが、アマドキアに耳打ちをした。ああと頷いたアマドキアだったが、すぐに俺の顔をみて謝罪の言葉を口にした。
「すまなかったね、コタローくん。面倒に巻き込んでしまって」
「もう、しつこいっすよ。これから謝るのは禁止。俺だって便乗してこの世界のことをいろいろ勉強させてもらってますから、助かってます」
 俺たちの雰囲気が暗くならないように、俺はつとめて明るい声を出した。
 
 しばらくその場で待っていると、奥から担架を抱えた職員がこちらに近づいてきた。
「こちらに移ってください」
 彼らがそう言うので、俺はガークと一緒にアマドキアの移乗を手伝った。ここで車椅子はお役御免というわけか。
「では、あとは我々にお任せを」
 担架を持った癒舎の職員は、えらく淡々としている。これからアマドキアがどうなるのか、説明のひとつでもしてくれればいいのにと思ったが、この世界のことをあまり知らない俺が口を挟んでややこしいことになったら大変だと考え、いまは黙っておくことにした。
 アマドキアが運ばれていくのを見送ったあと、手持ち無沙汰となった俺は、周りをきょろきょろと観察していた。
 癒舎は、概ね俺がイメージする病院とおなじような内装と設備が整っている。円形の受付の周りには、それを囲むように長い椅子が置かれていて、ここに用がある者たちが座っている。アマドキアの診察が終わるまでは、俺たちもここで待っていたほうがいいのだろうか。
「サンスケ……というよりは、オケが頼んだら、やけに早く案内してもらえたが、なんかあるのか?」
 ちょうど椅子が一脚分空いていたので、俺たちはそこに並んで座った。隣に腰を下ろしたサンスケに、そっと耳打ちをする。
「簡単なことさ。やつがれが魔族だから、お前たちはその恩恵にあずかれたんだ」
「どういう意味だ?」
「コタローさんがいた世界では、階級というものはなかったのかい?」
 それでなんとなく察した。このベリュージオンという世界では、身分がものを言わせる一面があるのだろう。俺がなにも答えないでいると、サンスケは話を続けた。
「動物を想像してみてよ。たとえば狼は群れのリーダーに従い、鳥は高い木の枝を奪い合うだろ? ベリュージオンにはいろんな種族が暮らしているけど、ここじゃ、竜族が一番幅を利かせているな」
「当たり前だ。我らは崇高な民だからな」
 ガークはそう言って胸を張った。彼らの会話から察するに、ベリュージオンでは、生まれた種族によって序列があって、それを基準に物事が決まることがあるのだろう。俺からすればなんだそれと呆れてしまうような予感しかしないが、彼らにとっては普通のこと。武士や町人、それから農民などで身分が分かれていた時代があったと歴史の授業で習ったのを思い出した。
 俺たちが生きてきた時代にはもうそんな制度はなかったけれど、社会的な地位が、本人のステータスを決める指標になっていたりしたように、どこの世界にも生きものたちは互いに優劣をつけたがるものなのだろう。
「それで、サンスケは魔族だからわりと優遇されてるってことかよ」
「ご名答! やつがれたちは他の種族のやつらには扱えない魔術が使えるからな」
 要は力の強い者ほど偉いってことか。弱肉強食っていうのは、どこの世界にも存在する考え方なんだな。
「ベリュージオンに住む生きものたちは、種族によって大きく分けて三つの階級に分けられている。竜族や魔族が属する『クラウディー』コタローさんのようなロイメンはその下の『ノーマディー』そして使い魔が属する『ダウディー』だ」
「待てよ。使い魔は魔術が使えるのに、魔族じゃないのか?」
「コタローさん、わたくしたち使い魔は、どのような能力を有していようとも、使い魔ですのよ。魔族にはなれません」
 サンスケの代わりに口を開いたのは、当の使い魔本人であるツヴァルザランだった。
「魔族と使い魔は、元はおなじ種族のいきものだったと伝えられているの。コタローさんは、カクスケくんから、魔術はマナの力を使って繰り出すものと聞いたでしょう。魔族の皆様は、わたくしたち使い魔よりも、そのマナを体内に保有する量が多いとされているわ。ロイメンの皆様が貧富の差で互いの優劣をつけるのとおなじ。われわれが魔族か使い魔のどちらなのかは、わたくしたちの先祖様が、体内に宿していたマナの量で決まったのだと言い伝えられているのです」
「たとえば、サンスケよりもツヴァルザランさんのほうが、持ってるマナの量が多かったり、その……能力的に優れていたとしても、ツヴァルザランさんは使い魔のままなのか?」
「わたくしは代々、使い魔の家系に産まれましたから。それ以外の道は御座いません」 
「坊ちゃんがどうしようもない落ちこぼれだったとしても、坊ちゃんは魔族としてちやほやされるというわけでぃす。ああっ、これはたとえ話でぃすからね! 坊ちゃん、怒らないでくださいでぃすよ!」
「やつがれは自分が凄いとも思っていないし、魔族はクラウディーの身分にかこつけて傲慢なやつらも多い。あんなやつらと一緒にされたくないから、やつがれは普段サンスケと名乗り、使い魔のようにみんなの役に立ちたいと思って生きているんだ」
「坊ちゃんは凄いんでぃすよ! ぼ木は坊ちゃんに命を与えられて、ほんとうに良かったでぃす! 坊ちゃんが他の魔族の方々とおなじような性格だったら、今頃ぼ木は木片となって、海に漂っているかもしれませんでぃす」
 オケはふざけて言っているわけではないようだ。もしもサンスケが傲慢な性格だったら、オケという概念はそもそもうまれていないような気がするが。
 なんだかベリュージオンの黒い一面が見え隠れする話だったなと、俺はため息をついた。既に根付いている慣習にとやかく口出しをする気はないが、権力だのなんだのといった、ややこしい事態に巻き込まれないことを祈るしかない。