7
「コタロー!!!!!!! コタロー!!!!!!」
畑でばあちゃんが水やりをしているのを見守っていると、森の向こうから、ガークが血相を変えて走ってきた。俺がガークと出会ってから、初めて見る狼狽えようだった。
「どうした? なんかあったか?」
ガークにはサティーと一緒にアマドキアの様子を見に行ってもらっていた。となると、アマドキアになにかが起こったということだろう。
「アマドキアが、転んで動けなくなったんだ! いまはサティーがそばについているが、オレたちではどうしたらいいか見当がつかない。コタロー、助けてくれ!」
「わかった!」
俺は事務所にいる筒原さんにばあちゃんの見守りを変わってもらい、「事態は一刻を争う。オレに乗れ!」と声を張ったガークの背におぶさられて森を突き抜けた。
いつもの半分以下の所要時間で、俺たちはアマドキア邸に到着した。正面から吹きつけてくる風の勢いが凄すぎて、息をするのもやっとだったから、ガークの背から降りると、俺はゲホゲホと咳き込んでしまった。いつもなら俺の身を案じてくれるガークは、そんな余裕はなかったのか、慌てたように屋敷の中に入っていった。俺もあとに続く。
居間のテーブルの横に、アマドキアが仰向けに横たわっていた。サティーとツヴァルザランがそばに寄り添っていたが、なにをすればいいのか分からないようで、表情を強ばらせたまま膝をついているだけだった。
「コタローさん、どうしよう! アマドキアさんが……」
「落ち着け、サティー」
俺も落ち着かなきゃ。元の世界でも、利用者の緊急事態に立ち会ったことは何度かあるが、こればかりはいくら経験しても慣れないものだ。医師や看護師のように、医療の知識に長けているやつならともかく、多少の知識はあれど、俺はその方面に関しては素人なのだ。
俺はアマドキアのそばにしゃがんで彼の様子をうかがった。
「アマドキアさーん! 聞こえますか!?」
外傷はない。アマドキアは瞼をぴくぴくと動かして微かに目を開き、「ああ、コタローくんか」と呟いた。意識はあるようだ。
「アマドキアさんが倒れたときの状況を教えてくれ」
「あ、あのね、アマドキアさんが散歩に行きたいなと言ったから、私と一緒に行くことになったの。最近は部屋の中だったら伝い歩きで歩けてたでしょ? だから大丈夫かなと思って……。でも、足を滑らせちゃって、尻餅をつくような感じで転んじゃったの」
「頭は打っていないか?」
「ああ、それは大丈夫だ」
俺の質問をきっぱりと否定したのは、アマドキア本人だった。しかし、腰が痛くて立ち上がれないという。転倒したときに腰を打って、骨盤などを骨折している可能性があると、俺は考えた。
「この世界には、病人や怪我人が出たときに運び込まれるような施設はあるのか?」
俺のそばでそわそわしているガークに尋ねる。俺にはなじみ深い、『病院』や『救急車』などという単語を使っても通じない可能性があるから、言葉の表現には気をつけてみた。
「竜族には馴染みがないが、『癒舎』と呼ばれる場所はあるぞ。」
ダインズヴェルシュにも大きな癒舎があるという。おおむね病院と考えて間違いはないだろう。
「じゃあ、その癒舎に病人や怪我人を運んでくれる職業のヤツらはいるのか?」
「わたくしたち使い魔の中に、『ケーラ』という職業に就いている者がいますわ。世界の治安維持のために、悪人を捕まえたり、事件が起これば現地に駆けつけて捜査を行ったり、ときには脅威と闘ったり。あとは事故や怪我人の処理なんかも担っています。コタローさんが仰るのはそういった方々のことかしら」
大方、俺たちでいう警察と消防が合体したような職業なのだろうと考えた。
「その人達をここに呼ぶにはどうしたらいいんだ」
電話を使いますと、ツヴァルザランは言った。あるのかよ! と俺は心の中でツッコむ。俺の元いた世界と比べて文明が後退しているのか、それともそれなりに同等なのか、よくわからないが、竜族の生活が原始的なだけかもしれない。
「とにかく、アマドキアさんを搬送しよう。ツヴァルザランさん、そのケーラとやらに連絡をとって、運んでもらうように要請してくれ」
「コタロー君、なにもそこまで大袈裟なことじゃないだろう」
「駄目です。もし腰とかを骨折していたとして、このまま放置すればまた寝たきりに戻っちゃいます。折角歩けるようになったのに、今後一生ベッドから動けなくなってもいいんですか?」
「……ここまで皆に迷惑をかけるなら、あるいはそうしたほうがいいのかもしれんなあ」
消え入るような声で、アマドキアが言った。職業柄、年寄りの消極的な発言は日常茶飯事で耳にするが、こういう非常事態のときにそれを聞かされると、心にくるものがある。
「と、とりあえず、その癒舎とやらに行ってみよう。今後どうしたらいいか分かるかもしれないからな!」
俺はなるべく元気な口調で言った。本人が落ち込んでいるのに、周りまで暗い雰囲気だともっと気分が沈み込んでしまうかもしれない。
問題はアマドキアをどうやって運ぶかだ。ケーラとやらを呼んで、搬送してもらうのがいちばん手っ取り早い気がするが、それはアマドキアの望むところではない。だったら俺たちでなんとかするしかないが、腰の骨折が疑われるいま、ガークに背負って運んでもらうのは現実的ではない。ガークがどれだけ慎重に運んでくれたとしても、揺れは避けきれないからだ。
車椅子や担架なんて代物は、ここにはなさそうだ。……ん? だったら、持ってくればいいじゃないか。
アマドキアの意識が保たれているのは、不幸中の幸いだ。俺はガークを呼んだ。
「ガーク、何度も申し訳ないが、もう一度俺をこもれびの杜に戻してくれないか。最速で戻りたいんだ」
「なにか思いついたのだな。任せろ。オレに出来ることは、なんでもする」
「サティー、ツヴァルザランさん、ちょっと道具を取ってくるから、待っててくれるか? アマドキアさんのそばについていてほしい」
俺はそう言い残して、ガークに乗ってこもれびの杜へと急いで戻った。急いでくれたのはガークだけど。
元いた世界では、人間が移動を急ぐときに使う最も身近な道具といえば乗り物だったが、ガークの走る速度はバイクのように速かった。ガークの背中にしがみついて、顔をうずめていないと、目や鼻や口がとんでいってしまいそうになる。それほどに速いのに、こもれびの杜に到着したときには息ひとつ切らしていないから凄い。
「なに? なんだか凄い勢いで戻ってきたわね」
筒原さんは、ばあちゃんと一緒にアヴァリュートの小屋の掃除をしていた。きれい好きだから、少しの埃も許さない一面がある。筒原さんみたいな姑がいたら、お嫁さんは大変だろうなと思ったりしたことがある。
「アマドキアさんが転倒して動けなくなったんです。癒舎……ああ、病院みたいなところっすけど、アマドキアさんをそこに連れていくには車椅子が必要だから、ホライゾンで買って持っていこうかと」
俺は、元いた世界の通販サイト、ホライゾンを使って車椅子を買って、アマドキアのもとに持っていこうと思いついたのだ。
事務所の中に入り、パソコンを使ってホライゾンにアクセスし、車椅子と検索する。いろんなタイプの商品がヒットしたが、その中から自走式車椅子を選んで購入した。黒と赤を基調にしたデザインの、ちょっとカッコイイやつだ。ちなみに自走式車椅子とは、後輪がでかくて、乗っている人が手漕ぎできるタイプのよくある車椅子のこと。
購入ボタンを押してものの数秒もしないうちに、なにもない空間から巨大な段ボールが落ちてくる。さすがに重量物だけあって、それを受け止めた机が軋んで、けたたましい音を事務所内に響かせた。
「うおっ! なんだ!?」
俺の後ろで待機していたガークが驚いて、胸の前で拳を構える。
「大丈夫だ、ただの荷物だよ。車椅子だ」
「クルマイス……?」
「これを組み立てて、アマドキアさんを乗せて癒舎につれていくんだ。ほら、マルクが魚を運ぶのに使っている荷車があるだろう。あれをもっと人を運ぶのに特化したような道具だな。椅子に車輪をつけたようなかたちをしている」
「オレも乗れるのか!?」
ガークはやたらと目を輝かせる。男といういきものは、どうして乗り物だとか、メカだとか、マシンとかに惹かれる習性を持つ者が多いのだろうか。
「ガークも乗ってもいいけど、たぶんお前が自分で走るほうが速いだろうな……」
「そりゃそうだ」
なぜか胸を張って頷くガークを無視して、俺は段ボールを開けて中から車椅子を取り出した。親切なことに、すでに組み立てられていて、あとは広げて使うだけだ。
俺は一応、破損や不具合の有無を確かめて、座面にガークを乗せて押してみた。異常なし。これをアマドキアの元に持っていけば、彼を癒舎に運べるだろう。
「コタロー、オマエはオレをこき使うのが好きなのか?」
ガークはその体ひとつで車椅子と俺を担ぎ、アマドキア邸までの道のりを再び走った。
「なに言ってんだよ。俺は、ガークを頼りにしてるだけだ」
「そうか」
ガークはそう言ってそっぽを向いた。元々褐色だからわかりにくいが、耳元が赤くなっているようにみえた。
車椅子の重量が加わったせいか、さっきよりも走る速度は落ちたが、それでも俺が自力で運ぶよりは何倍も速くアマドキア邸に戻ってきた。屋敷の中に入ると、さっきはここにいなかったウェイドが立っていた。
「コタローさん! こんにちは!」
ウェイドは俺を見るなり、ピシッと姿勢を正してお辞儀をしてきた。
「ああ、こんにちは。アマドキアさんをベッドに運んでくれたんだな」
「わたしが頼んだの。あまり動かさないほうがいいかなと思ったけど、床は固いし、なんだか気の毒だなと思って」
「助かった。ありがとう。俺もそこまで気が回らなくてごめんな」
ガークが担いでいた車椅子を床におろす。この調子だとあと何往復かしてもらっても平気そうだ。
俺はアマドキアが横になっている寝室に入り、彼の様子を確認した。
「アマドキアさん、お待たせ。ほら、これ車椅子っていう用具なんだけど、乗ると座ったまま移動できるんだ。これでアマドキアさんも癒舎に行けるだろ」
「……ああ、すまないね、コタローくん」
アマドキアの声はかすれて、いつもの覇気がなかった。落ち込んでいるのか、元気がないのか、あるいはその両方か。俺はあえてそこには触れないようにして、アマドキアを車椅子に移乗させた。
ツヴァルザランの案内で、俺たちは癒舎を目指した。
「ゆっくり押すけど、道路の形状とかでどうしても振動は伝わってくるけど、ごめんな」
アマドキアが乗っている車椅子は、俺が押す。なにかあったときのためにガークが着いてくるように段取りを組んで、ウェイドとサティーにはとりあえず集落に戻ってもらうこととなった。あまり大勢で押しかけても、向こうの迷惑になるかもしれないからな。
「ほんとうに申し訳ない。わたしの不注意で、皆に迷惑をかけたね」
アマドキアは虚ろな声でそう言った。車椅子に座ったまま、俯いている。表情は見えなかったが、その声色だけで充分、彼の気持ちを推し量ることができた。
「仕方ないっす。誰にだって不測の事態ってのは起こりうるんですから。そんなに落ち込まないでください。最初はガークが大騒ぎするもんだから何事かと思ったけど、命に別状がなくてよかったです」
「……いっそ、頭を打って死んだほうが楽になれたんじゃないだろうかねえ……」
それは、俺たちの同情を誘うつもりで言った戯れ言だったのかもしれない。だが、俺にはどうしてもふざけて言っているようには聞こえなかった。誰もなにも言えなかった。車椅子が前に進む音と、俺たち三人分の足音がただ街の中に響いているだけ。年寄りが悲観的なことを口にしたとき、そうじゃないよと否定するのも、あるいはそのまま本人の気持ちを汲み取って受け入れるのも、どちらも間違いに思えるし、間違いじゃないとも思える。介護の仕事をしていると、正解、不正解のどちらにも振り分けられない、答えの出ない出来事に直面することが多くなる。ただそれは、その人らしく最期まで生きて貰おうと思うからこそ、周りにいる俺たちが、誰かの人生を一定の枠にはめてしまわないようにと考えているからなのかもしれない。
アマドキア邸から歩いて十分ほど。癒舎は、ダインズヴェルシュの街の外れにあった。そこは周りの他の家とは違い、三階建ての四角い建物だった。元いた世界の病院のイメージとあまり変わらない見た目。ただ、自動ドアなどといったハイテクな設備はなく、木で出来た入口の引き戸は手動だった。
「これ、開けていいのか?」
「ええ。大丈夫。わたくしが開けますわ」
ツヴァルザランがいそいそと俺たちの前に出てきて、引き戸に手をかける。ギイと木が軋み、俺たちのいる外と癒舎の中の空間が繋がった。
「コタロー!!!!!!! コタロー!!!!!!」
畑でばあちゃんが水やりをしているのを見守っていると、森の向こうから、ガークが血相を変えて走ってきた。俺がガークと出会ってから、初めて見る狼狽えようだった。
「どうした? なんかあったか?」
ガークにはサティーと一緒にアマドキアの様子を見に行ってもらっていた。となると、アマドキアになにかが起こったということだろう。
「アマドキアが、転んで動けなくなったんだ! いまはサティーがそばについているが、オレたちではどうしたらいいか見当がつかない。コタロー、助けてくれ!」
「わかった!」
俺は事務所にいる筒原さんにばあちゃんの見守りを変わってもらい、「事態は一刻を争う。オレに乗れ!」と声を張ったガークの背におぶさられて森を突き抜けた。
いつもの半分以下の所要時間で、俺たちはアマドキア邸に到着した。正面から吹きつけてくる風の勢いが凄すぎて、息をするのもやっとだったから、ガークの背から降りると、俺はゲホゲホと咳き込んでしまった。いつもなら俺の身を案じてくれるガークは、そんな余裕はなかったのか、慌てたように屋敷の中に入っていった。俺もあとに続く。
居間のテーブルの横に、アマドキアが仰向けに横たわっていた。サティーとツヴァルザランがそばに寄り添っていたが、なにをすればいいのか分からないようで、表情を強ばらせたまま膝をついているだけだった。
「コタローさん、どうしよう! アマドキアさんが……」
「落ち着け、サティー」
俺も落ち着かなきゃ。元の世界でも、利用者の緊急事態に立ち会ったことは何度かあるが、こればかりはいくら経験しても慣れないものだ。医師や看護師のように、医療の知識に長けているやつならともかく、多少の知識はあれど、俺はその方面に関しては素人なのだ。
俺はアマドキアのそばにしゃがんで彼の様子をうかがった。
「アマドキアさーん! 聞こえますか!?」
外傷はない。アマドキアは瞼をぴくぴくと動かして微かに目を開き、「ああ、コタローくんか」と呟いた。意識はあるようだ。
「アマドキアさんが倒れたときの状況を教えてくれ」
「あ、あのね、アマドキアさんが散歩に行きたいなと言ったから、私と一緒に行くことになったの。最近は部屋の中だったら伝い歩きで歩けてたでしょ? だから大丈夫かなと思って……。でも、足を滑らせちゃって、尻餅をつくような感じで転んじゃったの」
「頭は打っていないか?」
「ああ、それは大丈夫だ」
俺の質問をきっぱりと否定したのは、アマドキア本人だった。しかし、腰が痛くて立ち上がれないという。転倒したときに腰を打って、骨盤などを骨折している可能性があると、俺は考えた。
「この世界には、病人や怪我人が出たときに運び込まれるような施設はあるのか?」
俺のそばでそわそわしているガークに尋ねる。俺にはなじみ深い、『病院』や『救急車』などという単語を使っても通じない可能性があるから、言葉の表現には気をつけてみた。
「竜族には馴染みがないが、『癒舎』と呼ばれる場所はあるぞ。」
ダインズヴェルシュにも大きな癒舎があるという。おおむね病院と考えて間違いはないだろう。
「じゃあ、その癒舎に病人や怪我人を運んでくれる職業のヤツらはいるのか?」
「わたくしたち使い魔の中に、『ケーラ』という職業に就いている者がいますわ。世界の治安維持のために、悪人を捕まえたり、事件が起これば現地に駆けつけて捜査を行ったり、ときには脅威と闘ったり。あとは事故や怪我人の処理なんかも担っています。コタローさんが仰るのはそういった方々のことかしら」
大方、俺たちでいう警察と消防が合体したような職業なのだろうと考えた。
「その人達をここに呼ぶにはどうしたらいいんだ」
電話を使いますと、ツヴァルザランは言った。あるのかよ! と俺は心の中でツッコむ。俺の元いた世界と比べて文明が後退しているのか、それともそれなりに同等なのか、よくわからないが、竜族の生活が原始的なだけかもしれない。
「とにかく、アマドキアさんを搬送しよう。ツヴァルザランさん、そのケーラとやらに連絡をとって、運んでもらうように要請してくれ」
「コタロー君、なにもそこまで大袈裟なことじゃないだろう」
「駄目です。もし腰とかを骨折していたとして、このまま放置すればまた寝たきりに戻っちゃいます。折角歩けるようになったのに、今後一生ベッドから動けなくなってもいいんですか?」
「……ここまで皆に迷惑をかけるなら、あるいはそうしたほうがいいのかもしれんなあ」
消え入るような声で、アマドキアが言った。職業柄、年寄りの消極的な発言は日常茶飯事で耳にするが、こういう非常事態のときにそれを聞かされると、心にくるものがある。
「と、とりあえず、その癒舎とやらに行ってみよう。今後どうしたらいいか分かるかもしれないからな!」
俺はなるべく元気な口調で言った。本人が落ち込んでいるのに、周りまで暗い雰囲気だともっと気分が沈み込んでしまうかもしれない。
問題はアマドキアをどうやって運ぶかだ。ケーラとやらを呼んで、搬送してもらうのがいちばん手っ取り早い気がするが、それはアマドキアの望むところではない。だったら俺たちでなんとかするしかないが、腰の骨折が疑われるいま、ガークに背負って運んでもらうのは現実的ではない。ガークがどれだけ慎重に運んでくれたとしても、揺れは避けきれないからだ。
車椅子や担架なんて代物は、ここにはなさそうだ。……ん? だったら、持ってくればいいじゃないか。
アマドキアの意識が保たれているのは、不幸中の幸いだ。俺はガークを呼んだ。
「ガーク、何度も申し訳ないが、もう一度俺をこもれびの杜に戻してくれないか。最速で戻りたいんだ」
「なにか思いついたのだな。任せろ。オレに出来ることは、なんでもする」
「サティー、ツヴァルザランさん、ちょっと道具を取ってくるから、待っててくれるか? アマドキアさんのそばについていてほしい」
俺はそう言い残して、ガークに乗ってこもれびの杜へと急いで戻った。急いでくれたのはガークだけど。
元いた世界では、人間が移動を急ぐときに使う最も身近な道具といえば乗り物だったが、ガークの走る速度はバイクのように速かった。ガークの背中にしがみついて、顔をうずめていないと、目や鼻や口がとんでいってしまいそうになる。それほどに速いのに、こもれびの杜に到着したときには息ひとつ切らしていないから凄い。
「なに? なんだか凄い勢いで戻ってきたわね」
筒原さんは、ばあちゃんと一緒にアヴァリュートの小屋の掃除をしていた。きれい好きだから、少しの埃も許さない一面がある。筒原さんみたいな姑がいたら、お嫁さんは大変だろうなと思ったりしたことがある。
「アマドキアさんが転倒して動けなくなったんです。癒舎……ああ、病院みたいなところっすけど、アマドキアさんをそこに連れていくには車椅子が必要だから、ホライゾンで買って持っていこうかと」
俺は、元いた世界の通販サイト、ホライゾンを使って車椅子を買って、アマドキアのもとに持っていこうと思いついたのだ。
事務所の中に入り、パソコンを使ってホライゾンにアクセスし、車椅子と検索する。いろんなタイプの商品がヒットしたが、その中から自走式車椅子を選んで購入した。黒と赤を基調にしたデザインの、ちょっとカッコイイやつだ。ちなみに自走式車椅子とは、後輪がでかくて、乗っている人が手漕ぎできるタイプのよくある車椅子のこと。
購入ボタンを押してものの数秒もしないうちに、なにもない空間から巨大な段ボールが落ちてくる。さすがに重量物だけあって、それを受け止めた机が軋んで、けたたましい音を事務所内に響かせた。
「うおっ! なんだ!?」
俺の後ろで待機していたガークが驚いて、胸の前で拳を構える。
「大丈夫だ、ただの荷物だよ。車椅子だ」
「クルマイス……?」
「これを組み立てて、アマドキアさんを乗せて癒舎につれていくんだ。ほら、マルクが魚を運ぶのに使っている荷車があるだろう。あれをもっと人を運ぶのに特化したような道具だな。椅子に車輪をつけたようなかたちをしている」
「オレも乗れるのか!?」
ガークはやたらと目を輝かせる。男といういきものは、どうして乗り物だとか、メカだとか、マシンとかに惹かれる習性を持つ者が多いのだろうか。
「ガークも乗ってもいいけど、たぶんお前が自分で走るほうが速いだろうな……」
「そりゃそうだ」
なぜか胸を張って頷くガークを無視して、俺は段ボールを開けて中から車椅子を取り出した。親切なことに、すでに組み立てられていて、あとは広げて使うだけだ。
俺は一応、破損や不具合の有無を確かめて、座面にガークを乗せて押してみた。異常なし。これをアマドキアの元に持っていけば、彼を癒舎に運べるだろう。
「コタロー、オマエはオレをこき使うのが好きなのか?」
ガークはその体ひとつで車椅子と俺を担ぎ、アマドキア邸までの道のりを再び走った。
「なに言ってんだよ。俺は、ガークを頼りにしてるだけだ」
「そうか」
ガークはそう言ってそっぽを向いた。元々褐色だからわかりにくいが、耳元が赤くなっているようにみえた。
車椅子の重量が加わったせいか、さっきよりも走る速度は落ちたが、それでも俺が自力で運ぶよりは何倍も速くアマドキア邸に戻ってきた。屋敷の中に入ると、さっきはここにいなかったウェイドが立っていた。
「コタローさん! こんにちは!」
ウェイドは俺を見るなり、ピシッと姿勢を正してお辞儀をしてきた。
「ああ、こんにちは。アマドキアさんをベッドに運んでくれたんだな」
「わたしが頼んだの。あまり動かさないほうがいいかなと思ったけど、床は固いし、なんだか気の毒だなと思って」
「助かった。ありがとう。俺もそこまで気が回らなくてごめんな」
ガークが担いでいた車椅子を床におろす。この調子だとあと何往復かしてもらっても平気そうだ。
俺はアマドキアが横になっている寝室に入り、彼の様子を確認した。
「アマドキアさん、お待たせ。ほら、これ車椅子っていう用具なんだけど、乗ると座ったまま移動できるんだ。これでアマドキアさんも癒舎に行けるだろ」
「……ああ、すまないね、コタローくん」
アマドキアの声はかすれて、いつもの覇気がなかった。落ち込んでいるのか、元気がないのか、あるいはその両方か。俺はあえてそこには触れないようにして、アマドキアを車椅子に移乗させた。
ツヴァルザランの案内で、俺たちは癒舎を目指した。
「ゆっくり押すけど、道路の形状とかでどうしても振動は伝わってくるけど、ごめんな」
アマドキアが乗っている車椅子は、俺が押す。なにかあったときのためにガークが着いてくるように段取りを組んで、ウェイドとサティーにはとりあえず集落に戻ってもらうこととなった。あまり大勢で押しかけても、向こうの迷惑になるかもしれないからな。
「ほんとうに申し訳ない。わたしの不注意で、皆に迷惑をかけたね」
アマドキアは虚ろな声でそう言った。車椅子に座ったまま、俯いている。表情は見えなかったが、その声色だけで充分、彼の気持ちを推し量ることができた。
「仕方ないっす。誰にだって不測の事態ってのは起こりうるんですから。そんなに落ち込まないでください。最初はガークが大騒ぎするもんだから何事かと思ったけど、命に別状がなくてよかったです」
「……いっそ、頭を打って死んだほうが楽になれたんじゃないだろうかねえ……」
それは、俺たちの同情を誘うつもりで言った戯れ言だったのかもしれない。だが、俺にはどうしてもふざけて言っているようには聞こえなかった。誰もなにも言えなかった。車椅子が前に進む音と、俺たち三人分の足音がただ街の中に響いているだけ。年寄りが悲観的なことを口にしたとき、そうじゃないよと否定するのも、あるいはそのまま本人の気持ちを汲み取って受け入れるのも、どちらも間違いに思えるし、間違いじゃないとも思える。介護の仕事をしていると、正解、不正解のどちらにも振り分けられない、答えの出ない出来事に直面することが多くなる。ただそれは、その人らしく最期まで生きて貰おうと思うからこそ、周りにいる俺たちが、誰かの人生を一定の枠にはめてしまわないようにと考えているからなのかもしれない。
アマドキア邸から歩いて十分ほど。癒舎は、ダインズヴェルシュの街の外れにあった。そこは周りの他の家とは違い、三階建ての四角い建物だった。元いた世界の病院のイメージとあまり変わらない見た目。ただ、自動ドアなどといったハイテクな設備はなく、木で出来た入口の引き戸は手動だった。
「これ、開けていいのか?」
「ええ。大丈夫。わたくしが開けますわ」
ツヴァルザランがいそいそと俺たちの前に出てきて、引き戸に手をかける。ギイと木が軋み、俺たちのいる外と癒舎の中の空間が繋がった。


