イセカイ・カイゴッ!



 ばあちゃんがサティーと一緒に畑仕事をしている傍らで、アヴァリュートが日なたぼっこを楽しんでいる。ガークとウェイドは相変わらず、暇さえあれば二人でトレーニングをしている。
「こら、お兄さんがた! こんなところでじゃれ合って、作物に向かって転ぶんじゃありませんよ!」
 ばあちゃんが声を張り上げたときに、ふたりが気まずそうにしていたのが可笑しかった。
 筒原さんはいま、アマドキアのところに訪問して、食事介助と排泄介助をしているはずだ。ベリュージオンでの介護業務は、俺に任せて隠居するのだろうかと思っていたが、やっぱり動かないと気が済まないみたいだ。事務所の中でおとなしくしていたのは最初の二日間だけで、三日目には「私にもできることはあるかしら」と俺に言ってきたのだ。
 初日は俺と一緒にアマドキア邸に行って、介助の手順などを確認したけれど、次の日にはもう単独で訪問していた。以来、俺、ガーク、サティー、カクスケ、筒原さんと、順番にアマドキアの様子を見に行っている。ガークたちに限っては、まだ俺が付き添ってはいるが、もう少しで独り立ちできそうな雰囲気だ。そうすれば、俺も、ばあちゃんの面倒をもっと見ることができるはずだ。
 ばあちゃんはもしかすると、俺たちの中でこの世界にいちばん順応しているかもしれない。家に帰りたいとは言わないし、畑仕事をバリバリこなし、俺がホライゾンで取り寄せた本を読んで一日を過ごしている。
 最近、自分の家が欲しいと思うようになったのは、俺だけなのだろうか。家を建ててほしいとガークたちに相談するのも烏滸がましい気がするから黙っているけれど、それもいつまで我慢出来るか分からない。
「アヴァリュートさん、最近、調子はどうだ?」
 自分の孫たちがじゃれ合っているのを穏やかな表情で見守っていることの多い老竜は、俺の手のひらほどの大きさもある目玉をぎろりと向けてきた。
『生憎、貴様を煩わせているつもりはないが』
 俺の脳内に響いてくるアヴァリュートの言葉は、どこまでも高飛車だ。まあ、それが一番アヴァリュートらしいといえばそうなのだけれど。
『貴様には感謝している。我々に、新たな余生の過ごし方を提案してくれたのだからな』
 まったく、感謝しているならさっさとそう言えよ……とは思っただけで、口には出来なかった。
 アヴァリュートの声は、任意の相手に聞かせることができるらしい。たとえば今みたいに俺と一対一の会話なら俺だけに。俺とガークとの会話だったなら二人に。これが、テレパシーという能力なのだろうか。
「上々なら、俺も頑張った甲斐があったな」

 穏やかな日々が続いていた。あくせくと時間や仕事に追われがちだったかつての生活はどこへやら、いろいろな縛りのない解き放たれた感覚。スローライフとは、今の俺にピッタリの言葉だ。
「コタロー兄さん、今日もオイラの魚をご所望かい?」
 べつに所望はしてないが、マルクが魚を売りにくるとその日の食事は魚料理になる。肉より魚が好きなばあちゃんは、大喜びだ。マルクの姿を見ると、俺よりも早く彼のもとへ、近寄っていく。
「今日は、スケトウダラがありますねえ。コタロウくん、照り焼きにでもして、ごはんと一緒に食べましょうね」
 魚が並んでいるのをみても、それが一体なんの種類か分からない俺は、「そうだな」とばあちゃんに話をあわせていた。
「おっ、キョウコおばあちゃん、お目が高いね! 今日の『マキコウオ』は飛びきり新鮮だよ! なんたってオイラが素潜りで捕まえてきたからな!」
 なるほど、この世界でスケトウダラは、マキコウオというのか。なんだか誰かの名前みたいだな。
「マルクはどんな方法で魚を獲るんだ?」
「ぐふふ、企業秘密だ!」
 得意げに胸を張ってマルクは言ったが、おおかた体のパーツを分離させて、網を持った腕を海中に沈めたりするのだろう。
 俺がスケトウダラ、もといマキコウオを四匹買うと、マルクは上機嫌で「また来るよ!」と手を振って次の拠点へと歩き去っていった。ガークの姿が見当たらないから、それもマルクにとっては功を奏したのかもしれない。ガークに売りつけるときよりも魚の値段が高かった気がするが、まあ、目を瞑ってやるとしよう。
「拙者が運びまする」
 カクスケは、サンスケやオケとともに、アヴァリュートの身体を洗っていたが、そのあいだにも俺の動向を見ていたのだろう。マルクとのやり取りが終わると、瞬時にこちらへやって来て荷物をこもれびの杜の中へと運び入れてくれた。
 元々誰も住んでいなかったせいか、ここ一帯は近くに水源がなかった。畑の水やりだとかは、ホライゾンで長いホースを買い、こもれびの杜の蛇口から水を引っ張ることにした。アヴァリュートの洗身も、そのホースで行う。なにしろ図体がでかいもんだから、大量の水を使うし、カクスケもサンスケも全身びちゃびちゃになっている。
「ほら、カクスケくん、ドラゴンは皮膚が硬いでぃすから、もっと力を入れて擦らないと、垢が落ちないでぃすよ!」
「かしこまりました!」
 オケに横から口を挟まれて、カクスケは息を上げながらデッキブラシでアヴァリュートの表皮を擦っている。あまり力を入れすぎるとデッキブラシの方が折れてしまいかねないから、力加減が難しそうだ。大変な作業だろうに、カクスケは文句のひとつも言わずに黙々と仕事をしているからえらいなと思った。こいつのような謙虚さと真面目さを、元いた世界の、文句ばっかり言っていたおばちゃんヘルパーたちも見習ってほしかったと思ったのはナイショだ。
「コタロウくん、今日はばあちゃんに夕食を作らせてくださいね。せっかくいい魚が手に入ったんですから、コタロウくんがぐちゃぐちゃにしてしまってはいけませんからね!」
 いま、ばあちゃんは、完全に俺を子供扱いしている。魚を買ったということは覚えているようだ。
 認知症の症状の度合いは、日によってばらつきがある。とんでもなくいろんなことを忘れて混乱しているときもあれば、今日みたいに短期記憶がしっかりしているときもある。俺が思うに、ベリュージオンに来てから、ばあちゃんの認知症は少しマシになったような気がする。マシになったと感じるだけで、症状が完全に治ったわけではない。穴の空いた袋に砂を入れれば漏れ出てくるように、一度空いてしまった記憶の穴からは、どんどんと色々な物事が抜けていってしまう。生きている限り、認知症は進んでいくもの。俺たちに出来るのは、その人が最期まで自分らしく生きるために、手助けをすることくらいだ。
 介護の教科書に書いてあるような綺麗事ばかりでは務まらない。時には、心が削がれるような困難に立ち向かわなければいけないときがある。そして大抵、『その時』は突然やってくるものだ。
 
 アマドキアが急変したのも、まったく予想外のタイミングだった。