ダインズヴェルシュに向かう道中、俺は集団の一番後ろを歩いていた。のしのしと先陣をきるように堂々と歩くガークに続いて、サティー、ウェイド、カクスケ、そして俺の順番に並んでいる。
 ウェイドはすっかりカクスケのことを自分よりも強い実力者だと認識しているらしく、彼を敬うようにひたすらペコペコとしていたから、カクスケが困った様子で俺をチラチラと見てくるのが、ちょっと可笑しかった。俺はそれに気付かないふりをしてやり過ごすことにした。そのほうが見ている分にはいろいろと面白いことがおこりそうだ。
 それにしても、こんなにも当たり前のように、竜族という異種族の者たちと一緒に過ごしていることが不思議だ。俺たちの適応力が高いのだろうか。それとも、本能的に現状を受け入れることしか出来ないのだと思っているから、なにも疑問を持たないように脳が処理しているのだろうか。
 姿形は俺たちと違えども、言葉を話し、喜怒哀楽の感情があり、命を抱いて生きている。共通点は、意外といっぱいあるものだ。
「カクスケくん、君はどうしてそんなに強いんですか?」
「うぅ……。拙者共使い魔は、主さまをお守りするために、ときに己の身ひとつで脅威に立ち向かうこともあります。それ故に、己を鍛え、格上の脅威にも怯まぬよう、強くあらねばならないのです」
 自分のことを褒められるのはあまり慣れていないのか、カクスケは困ったように唸っていたが、ウェイドの質問には真摯に答えていた。
「コタロー様も、カクスケくんのような使い魔を従えることができて、安泰ですね!」
 ウェイドの矛先が突然こちらに向けられる。ああ、と俺は頷いた。
 ダインズヴェルシュの街は、夕陽が建物にキラキラと反射して綺麗だった。俺にもっと語彙力があれば、この景色を詩的に例えることができたのだろうが、生憎そんなセンスは持ち合わせていない。
 俺たちは、道ゆく人々の視線を集めていた。みんながこちらを見てくる理由は、色々あるだろう。まずは六人の集団であること。カクスケの格好に、先頭を歩くガークがやけに堂々としていること。あるいは俺を除く男たちがいずれも筋骨隆々な肌を露出させているから、まるでどこかの戦闘民族が現れたと思われても致し方ないだろう。
「なんかわたしたち、注目を集めているみたい」
 サティーが苦笑いを浮かべながら、俺に言ってきた。頷く。
「そうだな。たぶん、ガークたちのせいだろうな」
 当人たちには聞こえないように、俺はサティーに耳打ちをした。
 俺たちは、注目は浴びたが、誰にも話しかけられることはなかった。
 ガークが、自分はアマドキアの家を知らないということにようやく気付いたため、俺に「前を歩け」と命じてきた。俺がにやにやしながらガークの前に立つと、「なにを笑っているんだ!」と、また顔を真っ赤にした。

「うおっ! 誰かと思えばカクスケじゃん!」
 ツヴァルザランが転倒していた噴水の広場にさしかかったとき、どこからかそんな声が聞こえてきた。俺がガークに先頭を譲られたせいか、ウェイドから離れて俺のとなりを陣取っていたカクスケがぴたりと立ち止まる。
 声の主は、広場の端に設置されているベンチから立ち上がり、こちらに駆け寄ってきた青年だった。藍色の甚平のようなものを身につけ、裸足にサンダルを履いている。茶色の髪はツンツンと尖ったようなヘアスタイル。手にはどこかの屋台で買ったのだろうか、焼いた肉の塊を刺した串を持っていた。
 この世界では、俺の常識を覆すようなことが当たり前のように現れるものだが、今回もその例には漏れず、不思議な光景を目にすることができた。青年の左の肩あたりに、木の桶のようなものがふよふよと浮いているではないか。
「カクスケ、今日はずいぶんと賑やかな面子と一緒にいるようじゃん」
「知り合いなのか?」
 俺はカクスケに視線を落として尋ねた。カクスケは、はいと頷く。
「やつがれはサンスケといいます。貴殿は?」
 俺が聞く前に、青年のほうから名乗ってきた。またもや存在は知っているものの、実際に使っているやつは見たことのない一人称の使い手。サンスケは手に持っていた串の肉をにがぶりと食らいつき、人懐っこそうな笑顔で俺を見ていた。
「あ、俺は空野虎太朗です……」
 押しが強そうな青年だと思って、俺はすこしたじろいでしまった。身長も体格も俺と同じくらい。見た目の年齢も、俺とさほど変わらなさそうに見える。ここで大事なのはあくまでも「見た目の年齢」だということだ。
「空のこたろう? 貴殿は空からやって来たんすか?」
「い、いや、そういうわけじゃなくって……コタローと呼んでくれればいいよ」
 これまでの経験からすればベリュージオンには苗字という概念はなさそうだ。だとすると、訳の分からない解釈をされるくらいなら、初めから「コタロー」と名乗っておいたほうがいいかもしれないなと思った。
「サンスケ殿……、お久しゅう御座います」
「おー、カクスケ、やっとやつがれと言葉を交わしてくれたか。その様子だと、おぬしの『主さま』は、こちらのコタロー青年になったようだな」
「はい」
 さっきからカクスケの言葉はなんだか歯切れが悪い。カクスケとサンスケ。二人は互いに名前も似ているし、昔からの知り合いっぽいけど、なにか深い因縁でもあるのだろうか。
 そのとき。サンスケから視線を外した俺は、そこには誰もいないというのに、サンスケ以外の誰かと目が合ったような気がした。
「え!? あ!? お、桶に目がある!?」
 俺は思わずそう口走っていた。視線がかち合ったのは気のせいではなかったようで、サンスケの肩の近くに浮かんでいる木桶に目がついていて、そいつがじっと俺のことを見ていたのだ。
「ぼ木、驚かせてしまいやしたか?」
 木桶が喋った。落ち着け俺。ここはベリュージオン。なにが起こっても不思議じゃないと、さっきあらためて認識したばかりじゃないか。
「あ、あああ、だ、大丈夫」
 一歩後ずさる俺の横に、ガークがぐいと進み出てくる。
「なんだ貴様は。奇妙な生きものだ。名乗れ」
「ぼ木でぃすか? ただのしがない木桶でござんす。イルム……じゃなかったサンスケ坊ちゃんに命を与えられた、ただの木でできた洗い桶でぃす」
 木桶は「ぼ木のことはオケと呼んでくだしい」としめくくった。坊ちゃんも坊ちゃんだが、この木桶も一層個性的な口調で話してくる。
「貴様、魔族か」
 ガークの威厳のある鋭い口調は、こういう得体の知れないやつらを相手にするときに役に立つなと思った。少なくとも、ガークのような我の強いやつが一人でもこちらにいれば、俺たちは舐められずにすむだろう。
「ご名答!」サンスケはひゅうっと口笛を吹いた。つかめないやつだ。ガークを前に、飄々としている。それともガークには俺が思っているほどの威厳がないのだろうか。
「やつがれの得意とする魔術で、この桶には命を与えているんすよ」
 広義でいえば、カクスケも魔族だったよな。だとすると、この二人は同じ種族同士の間柄というわけか。
「坊ちゃんがぼ木から魔力を抜かない限り、ぼ木は生きものとして生きられるでありんす」
 オケはそう言って、空中でぐるりと本体を一回転してみせた。
「それはそうと、カクスケ、こんな大勢の皆さん方を引き連れて、どこに行こうとしているんだい」
「せ、拙者が引き連れているわけでは御座いません。あくまでも拙者はお供」
「わかってんだよ、そんなこと。ジョーダンの通じないやつだなあ」
「申し訳ございませぬ……」
 カクスケは明らかにしゅんとなって顔を伏せた。同じ魔族でも、カクスケのような使い魔と、サンスケとでは、立場がちがうのだろうか。どこの世界でも、目下の者が上に強く出られないのは一緒なんだな。
「サンスケくん、俺たちはこの街に住んでいるご老人のところに用があってな。君とカクスケがそんな関係なのかは俺は知らないけれど、あまり俺の友人をからかわないでやってくれ」
「坊ちゃん、また誤解を生むような発言をしてるでぃすよ」
 オケがふわりと高度を上げて、サンスケの頭のちょうど真上に浮かんだと思うと、次の瞬間、すとんと桶の底面がサンスケの頭頂部に直撃した。
「いてえ!」
 俺たちが相手の頭をはたくのとおなじように、オケはサンスケに警告の意思を示すために頭に落下したのだろう。
「すまない、そんなつもりはないんだ」
 硬い木の桶の直撃を食らうと、やはり痛いようだ。頭をこすりながら、サンスケは素直に詫びてきた。
「見てのとおり、坊ちゃんは目立ちたがり屋で高飛車な性格をしているものでぃすから、カクスケくんのような控えめで礼儀正しい坊ちゃんが現れれば、とたんに自分の力を誇示しようと虚勢を張る癖があるんでぃす。悪気はないはずですから、大目に見てやってくだしい」
「礼節のなっていないヤツだ」
 ふんとガークが肩をいからせる。こんどはサンスケがしゅんとする番だった。俺はちょっと可哀想になって、もう少し詳しく俺たちのことを話してやろうと思った。
「俺たちは介護といって、生活に困っているお年寄りの手助けをする仕事をしようとしている。この街に寝たきり……あ〜、一日中ベッドの上で過ごして生活をしているおじいさんがいてな。今からその人の家に行くところなんだ」
「コタロー青年、もしかしてそれは、アマドキア氏ではないだろうか!?」
 バッと顔を上げて、サンスケはそう言った。

「サンスケ坊ちゃんは、商いとして三助をしているのでぃす。依頼が入りましたら、坊ちゃんとぼ木で人様の邸宅に赴き、お風呂のお世話をする仕事でぃすね」
 こいつの名前の由来は、三助のサンスケ、というわけか。ということはサンスケというのは本名じゃなさそうだ。考えられるのは、さっきオケがチラッと口走った、『イルム』というのが、彼の本名だということだろう。
「アマドキア氏の邸宅には、四日に一度の間隔で伺っているんすよ。彼は一人では風呂には向かえませんから、やつがれが世話をしているってすんぽーっす」
 俺が元いた世界には、訪問入浴というサービスがあった。これも介護の仕事のうちのひとつだ。看護師と介護士が、なんらかの理由で入浴が困難な利用者の自宅に訪問し、専用の浴槽を部屋に設置して利用者が自室で入浴できるようにするという内容だ。多くの場合、寝たきりの利用者が対象になる。訪問介護で行う入浴介助と違うのは、利用者の自宅にある浴室でサービスを行うのではなく、利用者が寝ている部屋などに浴槽をセットして介助を行うという点だ。水を自宅の水道から引いて、入浴車と呼ばれる車の装置でお湯を沸かし、部屋に設置した浴槽に溜めてから入浴をするという手順で行われる。俺はその仕事に就いたことはないけれど、町なかで業者の車が停まっているのは何度も見たことがある。
 サンスケがアマドキアに提供しているのは、それに似たようなサービスだという。さすがにこの世界に入浴車などという大それたものはないから、どうやって部屋で入浴が出来るような装置を運んでいるのだろうと考えたが、サンスケは「そこはやつがれの力の見せどころっすよ」と得意げに胸を張って言った。
「坊ちゃんの魔術で、浴槽を準備するんでぃす」
 どういうことだと問うと、「ぼ木が動いているのとおんなじ原理でぃす」と、オケは答えた。
「サンスケ殿は、無機物に意思を与える術を得意としておられます」
 すかさずカクスケが助け舟を出してくれる。
「浴槽に意思を与えて、部屋まで連れてくる……ということか?」
「ご名答!」
 サンスケは、また口笛を吹いた。この世界の浴室に設置してある浴槽というのは、壁や床に埋め込んでいるものではなく、移動ができるのだという。もちろん、おいそれと人力で動かせるようなものではないから、サンスケの魔術のように、特別な能力が必要なのだろうが。
「浴槽がすぐそばにあれば、アマドキア氏のような人でも、やつがれや、お付きの使い魔の手助けで風呂に入れるからね」
「ぼ木もちゃーんと、坊ちゃんのお役に立ってるんでぃすよ! お湯を汲んで背中を流したり、ときには坊ちゃんの小物を運んだりしていますでぃす」
 ふんと鼻を鳴らすように(鼻はないが)、オケは得意げに言った。
「なんだコタロー、風呂は大丈夫そうじゃないか」
「ガーク、もう忘れたのか。あの家で困っているのは、アマドキアさんだけじゃないだろう」
「ぐっ、忘れていたわけではない!」
 ガークの言ったとおり、実は俺がいちばん懸念していたアマドキアの入浴は、サンスケが普段から担ってくれていることで、どうやら心配するほどのことでもないとわかった。あとはツヴァルザランだ。彼女はたぶん、プライドが高そうだから、俺やガークなんかが、「一緒に風呂に入りましょう、手伝いますよ」と言っても、なかなか受け入れてはくれなさそうだ。俺がサティーを連れてきたのは、いわゆる同性介助が必要になったときに彼女にやってもらおうと思っているからだ。だが、同性でなくとも、カクスケのように気心の知れた間柄であったり、ウェイドのように腰の低い穏やかな青年が声をかけることで、すんなりと入浴介助に介入できるケースもある。いろんな展開にそなえて、俺たちも対応していかねばならないのだ。
「ほんじゃあ、やつがれもついていっていいすか? なんか面白そうだし!」
 サンスケは串に刺さっていた最後の肉を口に放り込み、俺の肩に腕を回して尋ねてきた。距離が近い。学生のときに、同じ部活内でこんなふうにすぐスキンシップをとってくる仲間がいたなと、俺はそいつの顔を頭に思い浮かべた。
 断る理由もないし、かといってサンスケの申し出を受け入れる理由もないけれど、アマドキアたちの馴染みの人物を連れていけるなら、まあいいかと思って、俺はサンスケの動向を承諾した。