1
「新しい利用者さん?」
こもれびの杜の事務所に、筒原さんの素っ頓狂な声が響き渡る。カクスケの肩がすこしびくっと跳ね上がった。
俺はかくかくしかじかと、ダインズヴェルシュで起こった出来事を筒原さんに話して聞かせた。
ダインズヴェルシュ、ツヴァルザラン、アマドキア——聞き慣れないカタカナが会話の中に並んで、筒原さんは顔をしかめていたが、固有名詞なのだから仕方ない。
「アマドキアさんは、長い間、ベッド上での生活を強いられていて、自分では立つこともままならないかもしれません。ツヴァルザランさんがずっと介護をしていたようですが、今回の転倒で腰を痛めたとなれば、継続的な介護は難しいと思います。いわゆる老老介護ですよ」
竜族の長、アヴァリュートに援助をしようとしたときは難儀したが、今回の介入はスムーズにいきそうだ。寝たきりの老人と、怪我をした彼の介護者が高齢となれば、日常生活の至る場面で俺たちが介入することになるだろう。
「拙者の同胞が、ご迷惑をおかけいたします」
律儀に詫びを入れるカクスケに、筒原さんは破顔して「いいのよ〜」と言った。
「ところで、カクスケとツヴァルザランさんはどういう関係なんだ?」
「はっ、拙者と御婦人の関係でありますかっ」
俺の質問を鸚鵡返しで確認するカクスケを、ソファーに促す。筒原さんは人数分の飲み物を淹れ、テーブルに持ってきた。俺と筒原さんはコーヒー、カクスケの分はオレンジジュ―スだった。かたじけないと、彼はぺこぺこと頭を下げた。
「拙者はまだまだ未熟な使い魔であることは、コタロー殿やツツハラ殿も存じ上げておられるかとは思います。そんな木偶の坊である拙者を、御婦人は献身的に世話を焼いてくれたのでありますっ!」
カクスケが未熟やら木偶の坊だと評されるような仕事ぶりしかできないようには見えないが、とにかく自分を卑下する彼は、そう言って鼻のあたまをごしごしと指でこすった。もしかすると、以前の「主さま」に、いわゆるパワハラのようなことをされていたのかもしれないと勘ぐった。
「御婦人は、先ほどのアマドキア殿の使い魔として、拙者が幼い頃から使役しておりました。アマドキア殿はロイメンでありますから、それ以前も別の何方様かに仕えてはいたかと思いますが、拙者の知るところではありません」
拙者はまだ生まれて六十年ほどしか経っていませんからと、カクスケが言ったので、筒原さんはコーヒーを噴き出しそうになって咳き込んでいた。つまりカクスケと筒原さんは同い年なのだ。勿論、この世界で俺たちの年齢の概念は通用しないことは、竜族の一件で分かってはいるが、やはり数値化された情報を目の当たりにすると、どうにも奇妙な感覚になってしまう。
「ツツハラ殿、大丈夫ですかっ!?」
「え、ええ、ちょっと驚いただけよ。大丈夫」
ティッシュで口元を拭う筒原さん。きっと、カクスケの見た目的には俺たちでいうと、男子中学生のようにしか見えないから、その見た目のギャップに脳が追いついていないのだろう。
「つくづく、人間という種族に生まれたことを悔やむことばかりね」と、筒原さんは大いに悔しがってみせた。
ジュースを飲みなさいと筒原さんにすすめられて、カクスケはグラスを手にとり、ささったストローをちゅーっと啜った。美味しかったのか、カクスケの緑の目が輝く。
「美味いか?」
「はいっ、でも、よろしいのでしょうか。拙者などが、このような高価そうな飲み物をいただいても……」
心配そうに眉をしかめるので、俺は大丈夫だと言ってやった。
「こんなものでよければ、いくらでもあげるからな」
カランコロンとベルの音がして、入口の扉が開いた。見ると、戸口に姿を現したのはウェイドだった。
「こんにちは」
「あれ、ひとりか?」
俺が聞くと、ウェイドはこくりと頷いた。
「じつは、カクスケくんにお願いがありまして……」
俺の顔を伺うようにちらちらと見ながら、ウェイドはこちらに近づいてくる。
「如何ほどの御用でありましょうか」
「カクスケくん、僕の鍛錬に付き合っていただけないでしょうか」
カクスケは目を白黒させた。突然のウェイドの申し出に驚いたようだ。
「拙者が……ですか?」
「はい。使い魔の皆様は、付き従う方をお守りするために、武術に長けていると聞いたことがあります。とくに若い使い魔であるカクスケくんは、高い実力を持っているだろうとガーク様も仰っておりました。不躾なお願いであることは重々承知していますが、ぜひ力をお貸しいただきたいと思いまして……」
「カクスケ、お前強いのか?」
「め、滅相もございません!!」
カクスケの叫びは、ほぼ悲鳴だった。大事そうに飲んでいたオレンジジュースのグラスをひっくり返しそうになるほどの勢いで、ソファーから立ち上がる。
たしかにカクスケの褌一丁の肉体は、細身でもわりとがっしりとした体格をしているし、体幹も強そうだから、なにか武道を心得ているといわれても納得ができる。それに竜族きっての武闘派であるウェイドがわざわざここにやって来て、手合わせをお願いするようなレベルなのだから、もしかするとこいつは相当強いのかもしれない。本人に自覚はないようだけれど。
「ほら、カクスケ、ウェイドに付き合ってやれよ」
俺は好奇心が疼いて、カクスケに無茶振りをした。彼が立場上、俺の頼みを断れないことを見越してのことだった。
「承知いたしました……」
カクスケはやはり不安そうな面持ちで、俺の指示に従うしかないこの状況を憂いているようだった。ウェイドはその様子に気付いていないのか、あるいは気付かないふりをしているのか、自分の望みがかなって嬉しそうな表情を浮かべていた。
ウェイドが乱入してきたせいで、俺たちの話は中断されたけれど、それはまたの機会にするといい。
こもれびの杜の出入口の前はちょっとした広場になっていて、二人が動き回るには充分な広さだ。建物の隣にある畑を耕すのは、ばあちゃんの役目だが、最近勢いあまって畑以外のところも鍬をいれてしまった。そのおかげで、地面の土は柔らかくなっている。多少転んでも、大きな怪我は免れそうだ。
無言のまま、二人はあいだを開けて向き合った。カクスケは表情を強ばらせたまま、ウェイドはいつもよりキリッとした表情で、互いを見ている。
「では、お手合わせよろしくお願いします!」
ウェイドが声を張った。拳を手のひらにパチンと叩き込み、ぺこりと会釈をする。カクスケはどぎまぎしながら、「せ、拙者もよろしくござんす」とよくわからないことを言いながら、丁寧に頭を下げた。
攻めの姿勢にはいったのは、ウェイドだった。カクスケの間合いに入り込み、腰を落としてカクスケの鳩尾めがけて正拳を放つ。
「くっ……」
カクスケは寸でのところで、吐息を置き去りにして回避した。ウェイドの放った突きを振り払い、前蹴りで牽制し距離をとる。それはとてもさっきまで手合わせを躊躇していた者の動きには見えなかった。
ウェイドも負けていない。地面を蹴り、その場で大きくジャンプする。空中で体を捻り、カクスケの頭めがけて蹴りを放った。
カクスケは攻撃を見切り、後ろ手に飛び退いた。ウェイドの体が空中で一回転する。そのまま地面に着地し、ふうっと息を吐きながら体勢を整え、拳を構え直した。
カクスケが、自分から攻撃を仕掛ける様子はない。ウェイドの出方を伺っているようにみえる。
「どうやら、手を抜かなくても良さそうですね!」
ウェイドは口角を上げてそう言った。嬉しそうだ。彼の拳を保護している包帯が、眩しいほどに白くみえる。「カクスケくん、君も全力でかかってきてください!」
「……敵を目の前にして、手を抜く戦士などおりませぬ」
落ち着き払ったカクスケの声が届いたとき、ウェイドの闘争心は確実に烈火の如く燃え上がったようだ。目が細まり、普段の彼からは想像もつかないような好戦的な表情を浮かべている。
「ハッ!!」と声がした瞬間、ウェイドの姿が消えた……ようにみえた。次の瞬間にはすでにカクスケの背後に彼はいて、手刀をカクスケの首に振り下ろそうとしていた。
「あぶなっ!!!」
思わず声が出る。しかし、それよりも早く、カクスケは攻撃を見切っていた。前屈みに体を倒し、手刀を避ける。カクスケはそのまま右腕だけで体を浮かせ、くっと息を漏らしたウェイドの伸び切った腕に、カポエイラのような蹴りを放った。
肉と肉がぶつかり合う音が響く。ウェイドの跳ね上がった腕はそのまま彼の体に反動を伝え、衝撃で後ろ手に倒れかけた。
カクスケはバネのように体を起こし、間合いを詰めた。
「覚悟っ!!」
カクスケの大声に、ウェイドは驚きで目を見張る。そしてそのままバランスを保てずに倒れかけた彼の左脇腹に、カクスケの強烈な三日月蹴りが炸裂した。
「ぐっうっ……フゥッッ!!」
一瞬、ウェイドの腹が陥没したようにみえたから、その威力は凄まじいものだっただろう。苦悶の雄叫びをあげながら、ウェイドは前のりに崩れ落ちた。彼の全身に脂汗がじわじわと滲み出てきて、のたうち回る全身が土で汚れていく。
カクスケはそんな彼の元にすかさず駆け寄り、大慌てで背中をさすっていた。
「申し訳ありませぬ! 大丈夫でありますかっ!」
体を丸めてぐうぐうと呻き、必死で呼吸を整えようと悶絶しているウェイドの顔から、すっかり血の気が引いていた。
「うぐっ……、恐れ……入りました……」
息も絶え絶えに言葉を搾り出すウェイド。涙目になっている。「僕も……まだまだ修行が足りない……ですね」
俺は格闘技をかじっていたわけではないからよくわからないが、手合わせというものは、相手が悶絶するほどの攻撃を繰り出し、ここまで本格的にやるものなのだろうか。これがもし実戦だったとしたら、カクスケが正しいとはいえるが、たぶん、ウェイドも腹をぶち抜かれるとは想像もしていなかったはずだ。自分の体の動きとか、攻撃の型が正しく出来ているかとか、そういうことを確かめ合いながらやりたかったのではないだろうか。
「いやあ……カクスケくん、今のはだいぶ効きました……」
蹴りが炸裂したウェイドの脇腹は、赤くなっていた。痛そうだ。俺なら、意識が飛んでいたかもしれない。
「かたじけのう御座います。……行き過ぎた真似をしてしまいましたっ!」
カクスケは眉を下げ、へたり込んでいるウェイドの前でぺこぺこと頭を下げた。
「手を抜かぬと、ウェイド殿が申し上げた故、拙者もつい、使い魔としての本能が疼いてしまったのです。……その……コタロー殿が悪漢に襲われたと、拙者の頭の中で想像を張り巡らせてしまった次第に御座いまする」
イメージトレーニングというわけか。油断をしていたかもしれないとはいえ、ウェイドも竜族の誇る戦士の一人だ。そんな手練れの彼を、一撃で撃沈させたカクスケは、ウェイドの見込んだとおり、本当に強い使い魔としての才能が秘められていたのだ。
俺はそのとき、少年のような姿をした彼の肉体の中に、まだ見ぬ素晴らしい能力の片鱗を見た気がしたのだった。
「新しい利用者さん?」
こもれびの杜の事務所に、筒原さんの素っ頓狂な声が響き渡る。カクスケの肩がすこしびくっと跳ね上がった。
俺はかくかくしかじかと、ダインズヴェルシュで起こった出来事を筒原さんに話して聞かせた。
ダインズヴェルシュ、ツヴァルザラン、アマドキア——聞き慣れないカタカナが会話の中に並んで、筒原さんは顔をしかめていたが、固有名詞なのだから仕方ない。
「アマドキアさんは、長い間、ベッド上での生活を強いられていて、自分では立つこともままならないかもしれません。ツヴァルザランさんがずっと介護をしていたようですが、今回の転倒で腰を痛めたとなれば、継続的な介護は難しいと思います。いわゆる老老介護ですよ」
竜族の長、アヴァリュートに援助をしようとしたときは難儀したが、今回の介入はスムーズにいきそうだ。寝たきりの老人と、怪我をした彼の介護者が高齢となれば、日常生活の至る場面で俺たちが介入することになるだろう。
「拙者の同胞が、ご迷惑をおかけいたします」
律儀に詫びを入れるカクスケに、筒原さんは破顔して「いいのよ〜」と言った。
「ところで、カクスケとツヴァルザランさんはどういう関係なんだ?」
「はっ、拙者と御婦人の関係でありますかっ」
俺の質問を鸚鵡返しで確認するカクスケを、ソファーに促す。筒原さんは人数分の飲み物を淹れ、テーブルに持ってきた。俺と筒原さんはコーヒー、カクスケの分はオレンジジュ―スだった。かたじけないと、彼はぺこぺこと頭を下げた。
「拙者はまだまだ未熟な使い魔であることは、コタロー殿やツツハラ殿も存じ上げておられるかとは思います。そんな木偶の坊である拙者を、御婦人は献身的に世話を焼いてくれたのでありますっ!」
カクスケが未熟やら木偶の坊だと評されるような仕事ぶりしかできないようには見えないが、とにかく自分を卑下する彼は、そう言って鼻のあたまをごしごしと指でこすった。もしかすると、以前の「主さま」に、いわゆるパワハラのようなことをされていたのかもしれないと勘ぐった。
「御婦人は、先ほどのアマドキア殿の使い魔として、拙者が幼い頃から使役しておりました。アマドキア殿はロイメンでありますから、それ以前も別の何方様かに仕えてはいたかと思いますが、拙者の知るところではありません」
拙者はまだ生まれて六十年ほどしか経っていませんからと、カクスケが言ったので、筒原さんはコーヒーを噴き出しそうになって咳き込んでいた。つまりカクスケと筒原さんは同い年なのだ。勿論、この世界で俺たちの年齢の概念は通用しないことは、竜族の一件で分かってはいるが、やはり数値化された情報を目の当たりにすると、どうにも奇妙な感覚になってしまう。
「ツツハラ殿、大丈夫ですかっ!?」
「え、ええ、ちょっと驚いただけよ。大丈夫」
ティッシュで口元を拭う筒原さん。きっと、カクスケの見た目的には俺たちでいうと、男子中学生のようにしか見えないから、その見た目のギャップに脳が追いついていないのだろう。
「つくづく、人間という種族に生まれたことを悔やむことばかりね」と、筒原さんは大いに悔しがってみせた。
ジュースを飲みなさいと筒原さんにすすめられて、カクスケはグラスを手にとり、ささったストローをちゅーっと啜った。美味しかったのか、カクスケの緑の目が輝く。
「美味いか?」
「はいっ、でも、よろしいのでしょうか。拙者などが、このような高価そうな飲み物をいただいても……」
心配そうに眉をしかめるので、俺は大丈夫だと言ってやった。
「こんなものでよければ、いくらでもあげるからな」
カランコロンとベルの音がして、入口の扉が開いた。見ると、戸口に姿を現したのはウェイドだった。
「こんにちは」
「あれ、ひとりか?」
俺が聞くと、ウェイドはこくりと頷いた。
「じつは、カクスケくんにお願いがありまして……」
俺の顔を伺うようにちらちらと見ながら、ウェイドはこちらに近づいてくる。
「如何ほどの御用でありましょうか」
「カクスケくん、僕の鍛錬に付き合っていただけないでしょうか」
カクスケは目を白黒させた。突然のウェイドの申し出に驚いたようだ。
「拙者が……ですか?」
「はい。使い魔の皆様は、付き従う方をお守りするために、武術に長けていると聞いたことがあります。とくに若い使い魔であるカクスケくんは、高い実力を持っているだろうとガーク様も仰っておりました。不躾なお願いであることは重々承知していますが、ぜひ力をお貸しいただきたいと思いまして……」
「カクスケ、お前強いのか?」
「め、滅相もございません!!」
カクスケの叫びは、ほぼ悲鳴だった。大事そうに飲んでいたオレンジジュースのグラスをひっくり返しそうになるほどの勢いで、ソファーから立ち上がる。
たしかにカクスケの褌一丁の肉体は、細身でもわりとがっしりとした体格をしているし、体幹も強そうだから、なにか武道を心得ているといわれても納得ができる。それに竜族きっての武闘派であるウェイドがわざわざここにやって来て、手合わせをお願いするようなレベルなのだから、もしかするとこいつは相当強いのかもしれない。本人に自覚はないようだけれど。
「ほら、カクスケ、ウェイドに付き合ってやれよ」
俺は好奇心が疼いて、カクスケに無茶振りをした。彼が立場上、俺の頼みを断れないことを見越してのことだった。
「承知いたしました……」
カクスケはやはり不安そうな面持ちで、俺の指示に従うしかないこの状況を憂いているようだった。ウェイドはその様子に気付いていないのか、あるいは気付かないふりをしているのか、自分の望みがかなって嬉しそうな表情を浮かべていた。
ウェイドが乱入してきたせいで、俺たちの話は中断されたけれど、それはまたの機会にするといい。
こもれびの杜の出入口の前はちょっとした広場になっていて、二人が動き回るには充分な広さだ。建物の隣にある畑を耕すのは、ばあちゃんの役目だが、最近勢いあまって畑以外のところも鍬をいれてしまった。そのおかげで、地面の土は柔らかくなっている。多少転んでも、大きな怪我は免れそうだ。
無言のまま、二人はあいだを開けて向き合った。カクスケは表情を強ばらせたまま、ウェイドはいつもよりキリッとした表情で、互いを見ている。
「では、お手合わせよろしくお願いします!」
ウェイドが声を張った。拳を手のひらにパチンと叩き込み、ぺこりと会釈をする。カクスケはどぎまぎしながら、「せ、拙者もよろしくござんす」とよくわからないことを言いながら、丁寧に頭を下げた。
攻めの姿勢にはいったのは、ウェイドだった。カクスケの間合いに入り込み、腰を落としてカクスケの鳩尾めがけて正拳を放つ。
「くっ……」
カクスケは寸でのところで、吐息を置き去りにして回避した。ウェイドの放った突きを振り払い、前蹴りで牽制し距離をとる。それはとてもさっきまで手合わせを躊躇していた者の動きには見えなかった。
ウェイドも負けていない。地面を蹴り、その場で大きくジャンプする。空中で体を捻り、カクスケの頭めがけて蹴りを放った。
カクスケは攻撃を見切り、後ろ手に飛び退いた。ウェイドの体が空中で一回転する。そのまま地面に着地し、ふうっと息を吐きながら体勢を整え、拳を構え直した。
カクスケが、自分から攻撃を仕掛ける様子はない。ウェイドの出方を伺っているようにみえる。
「どうやら、手を抜かなくても良さそうですね!」
ウェイドは口角を上げてそう言った。嬉しそうだ。彼の拳を保護している包帯が、眩しいほどに白くみえる。「カクスケくん、君も全力でかかってきてください!」
「……敵を目の前にして、手を抜く戦士などおりませぬ」
落ち着き払ったカクスケの声が届いたとき、ウェイドの闘争心は確実に烈火の如く燃え上がったようだ。目が細まり、普段の彼からは想像もつかないような好戦的な表情を浮かべている。
「ハッ!!」と声がした瞬間、ウェイドの姿が消えた……ようにみえた。次の瞬間にはすでにカクスケの背後に彼はいて、手刀をカクスケの首に振り下ろそうとしていた。
「あぶなっ!!!」
思わず声が出る。しかし、それよりも早く、カクスケは攻撃を見切っていた。前屈みに体を倒し、手刀を避ける。カクスケはそのまま右腕だけで体を浮かせ、くっと息を漏らしたウェイドの伸び切った腕に、カポエイラのような蹴りを放った。
肉と肉がぶつかり合う音が響く。ウェイドの跳ね上がった腕はそのまま彼の体に反動を伝え、衝撃で後ろ手に倒れかけた。
カクスケはバネのように体を起こし、間合いを詰めた。
「覚悟っ!!」
カクスケの大声に、ウェイドは驚きで目を見張る。そしてそのままバランスを保てずに倒れかけた彼の左脇腹に、カクスケの強烈な三日月蹴りが炸裂した。
「ぐっうっ……フゥッッ!!」
一瞬、ウェイドの腹が陥没したようにみえたから、その威力は凄まじいものだっただろう。苦悶の雄叫びをあげながら、ウェイドは前のりに崩れ落ちた。彼の全身に脂汗がじわじわと滲み出てきて、のたうち回る全身が土で汚れていく。
カクスケはそんな彼の元にすかさず駆け寄り、大慌てで背中をさすっていた。
「申し訳ありませぬ! 大丈夫でありますかっ!」
体を丸めてぐうぐうと呻き、必死で呼吸を整えようと悶絶しているウェイドの顔から、すっかり血の気が引いていた。
「うぐっ……、恐れ……入りました……」
息も絶え絶えに言葉を搾り出すウェイド。涙目になっている。「僕も……まだまだ修行が足りない……ですね」
俺は格闘技をかじっていたわけではないからよくわからないが、手合わせというものは、相手が悶絶するほどの攻撃を繰り出し、ここまで本格的にやるものなのだろうか。これがもし実戦だったとしたら、カクスケが正しいとはいえるが、たぶん、ウェイドも腹をぶち抜かれるとは想像もしていなかったはずだ。自分の体の動きとか、攻撃の型が正しく出来ているかとか、そういうことを確かめ合いながらやりたかったのではないだろうか。
「いやあ……カクスケくん、今のはだいぶ効きました……」
蹴りが炸裂したウェイドの脇腹は、赤くなっていた。痛そうだ。俺なら、意識が飛んでいたかもしれない。
「かたじけのう御座います。……行き過ぎた真似をしてしまいましたっ!」
カクスケは眉を下げ、へたり込んでいるウェイドの前でぺこぺこと頭を下げた。
「手を抜かぬと、ウェイド殿が申し上げた故、拙者もつい、使い魔としての本能が疼いてしまったのです。……その……コタロー殿が悪漢に襲われたと、拙者の頭の中で想像を張り巡らせてしまった次第に御座いまする」
イメージトレーニングというわけか。油断をしていたかもしれないとはいえ、ウェイドも竜族の誇る戦士の一人だ。そんな手練れの彼を、一撃で撃沈させたカクスケは、ウェイドの見込んだとおり、本当に強い使い魔としての才能が秘められていたのだ。
俺はそのとき、少年のような姿をした彼の肉体の中に、まだ見ぬ素晴らしい能力の片鱗を見た気がしたのだった。


