『七月二十五日。お隣の三上さん宅に、親戚のナギサという子が遊びに来ているらしい。歳が近いのだから仲良くするようにと言われたが、女子とどう接したら良いのかわからない。とりあえず家に招いたものの、特にやることはなく、たまに言葉を交わしながらお互い自由に過ごした。彼女はビー玉がお気に召したようだった』

『七月二十六日。ナギサは今日も遊びに来た。特段もてなしもしなかったから、てっきりもう来ないかと思った。だが、ナギサには友達も居ないのだろうから仕方ない。それにしたって玄関から来ればいいものを、背伸びをして窓から必死に部屋の中を覗き込もうとする姿を見つけた時には、驚きよりも笑ってしまった。窓辺に活きの良い麦わら帽子が生えてきたかと思った』

『七月二十七日。今日はナギサがお裾分けにとスイカを持ってきた。一緒に縁側で食べて、ナギサは種を飲み込んだと騒いでいた。腹から芽が出たらどうしようと泣くものだから、その時はまたスイカが食べられるだろうと言うと、すっかり納得したようだった。言っておいてそれで良いのか疑問だったが、マイペースなナギサらしい』

 あまり社交的ではなかった祖父が、このナギサという少女に対しては短期間で心を開いたのであろう様子がありありと浮かんだ。
 そこからナギサと祖父の日々の欠片は、当時の夏の温度を閉じ込めるように何ページにも渡って丁寧に記されていた。
 これが、この日記を大切に保管していた理由なのだろう。

「……おじいちゃんは、ナギサさんが好きだったのかな」
「そうかもね。こんなに毎日、ナギサさんのことばっかり。もはやおじいさんの日記っていうか、ナギサ観察日記?」
「そんな朝顔の観察みたいに……」
「あはは、あったねぇ、そんなやつ。懐かしい」

 思わずぽつりと呟いて、すぐ近くから返事があったことに内心驚いた。
 そういえば、先程から彼女が傍に居たのだ。集中するとつい周りが見えなくなるのは、僕の悪い癖だ。
 それにしたって、他人が傍に居てもここまで気にならないというのもどうなのか。

 決して存在感が希薄という訳ではない。寧ろ華やかな彼女は目立つ部類だ。都会の人混みの中でも人目を惹く存在だろう。

「……」

 いつの間にか太陽が傾いて、快適な日陰だった場所も日光に照らされ始めている。
 彼女の白いシャツが夏の日差しを受けて眩しい。けれど目を離すと、そのまま陽炎の中に幻のように消えてしまいそうだった。

 人懐っこくて、マイペースで、気付けば傍らに居る夏の香りを纏った少女。ふと、ノートの中で息づく少女と、目の前の彼女の姿が重なった。

「……もしかして、あなたがナギサ、さん……?」

 ナギサは祖父の日記の中に居る、もう何十年も前の人だ。有り得ないのに、ついそんな言葉が口をついた。
 目の前の彼女は一瞬目を丸くして、再びくすりと楽しげな笑みを浮かべる。

「……ううん。違うよ」
「で、ですよね……びっくりした」

 すぐに否定を返されて、安堵する。もし目の前に居るのがナギサの幽霊か何かだとしたら、怖いのも当然あるけれど、祖父の日記をそこに書かれた当人に見せるなんて目も当てられない。

「何となく雰囲気が似ている気がしたから、つい……」

 しかしふと、話に夢中で手の中で傾いていたノートの隙間から、一枚の紙が落ちてきた。

 風に飛ばされる前にと慌てて拾うと、それは古い写真だった。
 よく見ると、画質はあまりよくないものの、そこに映っているのは十代前半くらいに見える若かりし頃の祖父と、目の前の彼女に似た少女だった。

「これ、って……」
「あ、懐かしい写真。これうちの庭なんだよね」
「え……?」

 ここに映っているのはきっと、当時の祖父とナギサだ。
 写真を覗き込みながら告げられた言葉と、目の前の彼女より幼いながらあまりにもよく似た顔に困惑する。