大男は怒りあまり、殴らん勢いである。

「アレがだめになったらどうしてくれる! 弁償してくれるのか!」

 弁明は出来る。証拠もある。真実も大体は読めた。
 しかし、いかに大男を逆上させぬよう語るかが問題だ。

 落ち着かせる言葉を探していると、そ担当していた美女のハナメが頬に手を当てて、のんびりとした口調で茉莉花を引き留めた。

「茉莉花ちゃん、こちらの方は厨房にお招きしましょう」
「……いえ、それでは」
「現場保存? よくわからないけど、殺人事件場を荒らすのはよくないのでしょう?」
芍薬姉(しゃくやくねぇ)さま」

(死んでないんですよ)

 とんでもない発言だったが、頭に血が上った大男の耳には入っていなかったようだ。失言は勘弁してほしい。

 ハナメとして、大男の座敷についた芍薬姉はお淑やかに微笑んで、垂れた猫耳をぴくぴくと動かしている。
 彼女は狐花の一番人気だ、色々慣れているので任せたが、嫌な場面に居合わせてしまった。

「申し訳ございません。料理長から説明いたしますので、こちらに」
「くそっこれだから人間は! 普通不手際があった方が来るのが当然だろう!」
「申し訳ございません」
「もちろん店主殿は釈明しに来るんだろうな、あのアレにもちゃんと謝ってもらうぞ! 店主なのだから――」
「ほらほら、こちらでございます。きてくださいな」

 何かしら言うつもりだった大男の腕に、芍薬姉が抱きついて(さえぎ)る。

 おっとりとした母性溢れる魅力を持つ彼女に、大男はわかりやすく鼻の下をのばして、だらしない顔になる。
 彼女は周りの空気を強引に和やかにする。あやかしの力なのか、天性の才能なのか。茉莉花は分からない。

 デレデレと連行される後ろ姿を見送り、息をつく。
 これで調べられる、大男には悪いがいてもらっては困るのだ。

(さて)

 ぐるりと見渡して、散らかった食事を検分する。
 大男はすでに白い団子をいくつか食べている。
 女性の配膳(はいぜん)された器を覗けば、団子が一つ消えていた。
 畳に小さくられたのが転がっている。全部ではなく、半分食べて倒れたらしい。座布団の付近に、その噛み切った部分も落ちている。どうやら飲み込まず吐いたのか。

 月見団子に似ている。
 白玉とも。それの注文はいくつも受け付けており、彼のこだわりも良く聞くのだから気にしなかったが。

「……うーん」

 大丈夫、とは知っている。
 女性の団子をひとつ、摘まんで思案すること数秒。

 覚悟を決めるか、と口を開けて、


 ――食うんじゃねぇよ、馬鹿が。


 声が内から響く。久しぶりに喋ったと思えば、一言多い。
 聞き慣れた乱暴な制止を無視して、団子を近づけようとしたが。

「――あーん」
「うわ」

 後ろからひょいっと手首を掴まれた。
 そのまま手の中の団子をぱくりと食べたのは。

「……瑚灯さま。来られたんですか」
「ああ。騒ぎを聞いてな」

 濡れた赤い舌をちろりと覗かせて、なまめかしく唇を舐めた。瑚灯が意地悪く、笑う。
 わざとだろう、潤んだ瞳を細めて茉莉花は見つめる。
 何も知らぬものなら勘違いしてしまいそうな程に、熱を孕ませて、蕩けるような吐息が絡む。

 思わず重いため息をついた。

「瑚灯さま、遊ばないでいただけると嬉しいです」
「仕置きだ。観念して受け入れな」
「仕置き?」
「危険な行動はやめろ、と言ったはずなんだがなぁ?」

 怒っている。

 笑っているし艶美(えんび)さも消えていないが、とても怒っている。
 そして自分の魅力を分かっていての行動。
 ずるいあやかしである。

 まずい、非常に。

 茉莉花はさっと彼から視線をそらして、事件について話を戻した。

「瑚灯さまも、知っているでしょう――この団子には毒は入っていない」

 そうだ。
 こちらの団子は問題ない。
 瑚灯も当然だと頷く。

「うちの料理長は腕は確かだ。客の好みに合わせる。間違うはずない」

 茉莉花は取り出した紙を丁寧に広げた。
 自分の走り書きだ、大男から受けた調理の好みが書いてある。
 しっかり茉莉花の口から料理長に伝えたので、間違いない。大男の注文内容は、

「『自分の分は毒あり。《《女には少量、死なぬ程度の毒あり》》』。か」
「はい。好みに合うように、と言いました」
「は、好みに、ね」

 にやりと笑う瑚灯に目をそらす。

 あやかしは人の心を読むのが通常なのだろうか。それとも瑚灯が特別なのか。彼に隠し事ができた試しがない。

「あやかしには、毒を好むのもいる。それは三ヶ月で理解してます」
「ああ。毒が単純に好物な場合や、毒しか食えないやつ。それらを考慮して、どの店にも毒は常備してある」
「とくに、この団子はそうですね」

 団子――彼岸花の団子である。

 本来は毒性があるが、しっかり毒抜きすれば食べられる。

 ただ手間がかかるので、本来は非常事態でもなければ食材に選ばれない。

 が、しかし。
 花送町では名物料理だ。
 町の象徴である彼岸花を使った料理は好まれる。

「普通に毒とか怖いので、食べたいとは思いませんけど」
「まぁ人間は食わないのが安全だな。毒抜きを怠れば下手すると死ぬ」

 どれくらいで、とかは聞かないでおこう。
 もし他に食材がなくて困った際には、必ず毒抜きをしっかりする。確か本来の彼岸花の団子は飢饉(ききん)などのときに作られていたはずだ。

 記憶喪失なのに、こんなことばかり覚えている。

「で、女性のは《《手違いで毒抜きを用意した》》んだな?」
「はい。《《うっかり、少量と間違えました》》。申し訳ございません」
「そうか、罰として一週間、お前のおやつにはさくら餡がぎっしりつまったまんじゅうがつく」

 至極光栄。
 お礼を言いそうな口をきゅっと引き結び、ふるふると首を振った。

 今はそんな場合ではない。
 いったん忘れて事件の捜査に戻らなければ。


「私のうっかりで、彼女の団子に毒は入っていない。ですよね、瑚灯さま」

 食べた瑚灯が頷く。
 それから「しかし大男の団子は毒入り、もしそちらを食べていたらどうだ?」と試す言い方で訊ねた。

 茉莉花はあり得ないと断言する。

「大男さまの注文通りならば、自分のと女性のでは毒の成分量は異なります。わざわざ指定したのですから、己のは女性には良くないのを自覚しているはずです。仮に女性が大男さまの分を奪って食べた、というのおそらく違います」
「さて根拠は?」
「彼女の立場と心情からして、進んで食べようとしないでしょう。それに……」

 それでもおかしいのだ。そもそもの間違いがある。

「一口食べて、悲鳴をあげる毒ではないでしょう」

 毒を飲んだ人間など目撃したことがないが。
 茉莉花が運んで外に出る、その間十秒も満たない。何より襖を閉める際には、まだ手をつけていなかった。となれば、十秒どころではない。

 口に入れて即、だろう。それも飲み込まず形が整っていたから、歯で噛み切ってすぐさま吐いた。咀嚼(そしゃく)すらしないで食わずに。あの金切り声のような、苦しみより恐怖のような叫びは少々ひっかかる。

「ところで瑚灯さま」

 これ以上の収穫は見込めない。

 二人で部屋を出て廊下を歩く、事件があったのに他の座敷は通常営業らしい。

 こういう些細な部分が、現世とは異なっていて、何処か異様で怖いと感じる要因だ。
 普通なら客も全員帰るだろうに、さして興味ないとばかりに、他のものは平常に楽しんでいる。

「あのとき、何を見ましたか」
「いつ」
「大男さまが来店したときです」
「お前には何が見えた」
「ひかり、何かがすり抜けて消えました」
「何色だった?」
「青」
「それが答えだよ」


 女性がお手洗いに、とお願いされたとき。

確かに見たふわりと去る何か。

 答えを瑚灯は知っている様子で、微笑んだ。
 完璧な表情に茉莉花は、目を細める。

『食えねぇ野郎だな。こんなやつ無視しろよ、うっぜぇ』

 また《《内の声》》に茉莉花は頭が痛くなる。

 人様の恩人になんて口の利き方を。もう少し優しい言い方を出来ないのか。
 面倒な己の体質の原因に文句をこぼせば、内で嘲笑う声が脳に直接響く。

『僕はこいつが嫌いなんだよ』

 返事はそこで終わる。

 全く、と茉莉花は内の声を無視して、一つの部屋の前で立ち止まった。

 すると中からかたん、と何かが動く音と気配がした。

「今なにかきこえました?」
「いや、聞こえねぇな」
「そうですか……起きたら妖怪さんにも伝えなければなりませんね」
「そうさな、まぁしばらくは無理だろうなぁ。彼女もだが、あのあやかし随分とご立腹だ。量は適量にしろってな」
「毒の適量ですか」

 毒に適量もあるのか。毒として――傷つけるつもりで扱うならば、そんなのありはしない。

 あって、たまるものか。

「とりあえずお前はあやかしのご機嫌とりに行ってくれ、なおるまで帰ってこなくていいぞ。台所で騒いでくれ」

「……いいえ店主さま、それはお断りします」

 瑚灯の形の良い眉が、ぴくりと動く。
 唇に弧を描きながら、茉莉花の真意を読み取ろうとする。
 
 茉莉花はより一層、大きな声で店主たる瑚灯へ、願い出た。

「食中毒なんて怒られる程度では済みません。ただの下働きの謝罪では怒りは収まらないでしょう。ここは店主さまにお願いいたします」
「……茉莉花」
「はい」

 咎めるようで、そこにあるのは心配。
 暖かな音が愛おしくて仕方ない気持ちを、瑚灯は見透かしているのだろうか。それとも、知らないのか。
 茉莉花にとって、重要ではない。

 頭を下げて再度、乞うた。

「お願いします」
「……頑固な妹分を持つと兄貴は大変だ」

 瑚灯は、茉莉花を拾ったときからずっと「妹分」として扱ってくれる。家族として、接してくれる。
 それが、取り戻した、たった一つの記憶の欠片と重なって嬉しくてたまらない。
 安心が身体中に満ちて、何も恐れることはないのだと勇気が出るのだ。

「よろしくお願いしますね。私は部屋の掃除ついでに、他のお客様に説明してきます」
「ちょっとまちな、これ、忘れ物。あと助手にも付き合わせろ、男手はあったほうがいい。お前じゃあ、ちょいと舐められちまう」 

 ゆらりと、橙色の彼岸花――いや、彼岸花の形をした狐火が瑚灯の手の上で咲く。
 風にふかれるように、ゆったりと茉莉花の元へ来て、道を照らす。

 幻想的な美しい花、茉莉花が見るのは二度目である。
 これの役目は二通りあり、一つは危険から守ってくれることである。

 やはり心配性というか、少し過保護気味だ。
 妹分と思っているせいなのか、ずいぶんと恩人は甘い。

「はぁ、ありがとうございます」
「その危機感のなさ、どうにかしねぇとな」

 半目で睨む瑚灯に、目をそらした。危機感はある、つもりなのだが、どうも他人からすると無鉄砲(むてっぽう)らしい。
 イノシシかよ、と同僚に冷たい目で見下ろされたのを思い出す。
 イノシシほど活発でも元気タイプでもないのだが。
 とりあえず何を言っても言い訳になるので、ぺこりと頭を下げた。

「すみません」
「台所までの道は封鎖しておくから、そっちも好きだけ騒ぎな」
「了解です」
「茉莉花、気をつけな」
「はい」

 彼岸花の炎に導かれるよう、歩み始める。
 お手洗いを過ぎて右の曲がるとき、ふと後ろを見た。

 瑚灯が芍薬姉と、もう一人のハナメ『瑠璃唐(るりから)』が厨房に入るところだった。
 ちょうど、こちらに顔を向けた芍薬姉と瑠璃唐が手を振り、送り出してくれる。芍薬姉は微笑んで、瑠璃唐は呆れたような顔で。
 三ヶ月で見慣れた、茉莉花の居場所に咲く花だ。

 これからの仕事、流れをもう一度頭の中で復習して気合いを入れ直して前を向く。

 廊下が終わり、裏口へと出て鍵を閉めた。