野辺の顔には、木の葉の影が落ちていた。時折、その隙間から差し込む日に目を細めている。
 僕らは前の四人と距離を取ると、話を続けた。

「それは……どういうこと?」

 あの日のことを思い返して悔しさが込み上げたのか、これから話すことに躊躇いを感じたのか、野辺は噛むように唇を内側に巻き込んだ。
 野辺と彼女は(柳原もだが)、同じクラスだった。もともと、一瀬と野辺と彼女の仲良しトリオが結成されたのは、一年生のときに同じクラスだったことがきっかけだった。進級と同時に行われるクラス替えで、新たなコミュニティが結成され、前コミュニティのメンバーと疎遠になるのは、よく見られる光景だ。
 しかし、彼女たちは違った。
 新たなコミュニティに属しながらも、昼休みや放課後は三人でいるところが散見された。野辺が所属していたソフトボール部の試合も、二人でよく観戦に行っていたらしい。ティッシュのようにぺらぺらな友情が垣間見える青春の中で、彼女たちは強い絆で結ばれているようだった。僕だけでなく、誰の目から見ても、彼女たちの姿はそう映ったに違いない。
 野辺はしばらくして一息つくと、心を決めたのか、ゆっくりと口を開いた。

「あの日、いろははあたしに何かを話そうとしてた」

 その日、帰りのHRが終わるなり、彼女は野辺の元へとやって来たらしい。

「中、ちょっと話があるんだけど……」

 珍しく浮かない表情をしている彼女を気にしつつも、野辺は部活動があるからと、そそくさと教室を出た。

「話を聞いてあげればよかった。この後悔は、きっと何年経ってたも拭えない」

「……野辺は、悪くないよ」

「うん。それは、わかってんだよね」

 そう言った野辺の横顔は、洗練されていた。自分の中では、すでに方が付いていることなのだろう。

「あたしが後悔してるのは、いろはを知ろうとしなかったこと。短縮授業だったから、部活が始まるまでに少し時間があったの。それなのに、嘘ついて、逃げるように教室から出た」

「……何か、理由があったんでしょ?」

 野辺は頷いた。

「いろはへの誹謗中傷の話は、知ってるでしょ? 香澄から聞いたよ。何か嗅ぎ回ってたみたいじゃん」

「あぁ、うん」

 お叱りを受けるかと一瞬身構えたが、そんなつもりはないようだった。話が続けられる。

「前々から、TwitterのDMで悪口が送られてくるっていう話は聞いてた。ほら、あのイケメンな先輩――塩野、だっけ。寄り添うこともしないで、現実的なことを淡々と言われたらしくて、いろははそのことに怒ってたみたいで」

 一瀬が呉宮探偵事務所に来た際にも、似たような話を聞いた。
 野辺は、そんないろはの話を聞いて、少し違和感を覚えたという。

「香澄は、それはひどいねって共感してたんだけど、あたしはそうは思わなかった。感情に寄り添うよりも、まずそんな状況から脱するために、現実的な解決策を講ずるべきなんじゃないかって。だから、塩野先輩、いろはと真面目に向き合ってくれたんだと思って、いい人だなって思ってたんだけど――」

 しばらくして、彼女は塩野哲太と別れることになった。
 野辺は、一度深く息を吸い込むと、まるで手に持っている割れ物を落とさないように、慎重に言葉を選びながら話を続けた。

「見ちゃったんだ。いろはのスマホがふと目に入って、覗き見しようとしたわけじゃなくて、本当に偶然だったんだけど……」

 野辺は視線を下に落とし、少しだけ眉を顰めた。地面に落ちた葉を見つめながら、しばらく口を噤んでいた。そして、言の葉を見つけたのか、ふたたび口を開いた。

「そこには、いろはから再三聞かされた、例の嫌がらせのアカウントとのDMが開かれてた。でも、以前見せられたときとは何か違う、違和感があった」

 心臓が、一瞬止まったように感じた。

「吹き出しの位置が、違ったんだ。普通、送られてきたメッセージは左側に灰色の吹き出しで表示されるけど、そのときは右側に青色の吹き出しで表示されてた。つまり――」

 自作自演。
 きっぱりとそう言い切った野辺は、彼女を擁護するつもりはいっさいないように思えた。しかし、深い悲しみを、大きさの合わない冷静さという紙で、なんとか包み込んでいるような、そんな声にも聞こえた。
 共犯者だった僕は、まるで自分の罪が暴かれたような気がして、肩がすくんだ。

「そのとき、怖いって思っちゃったんだよ。二つのアカウントを行き来して、自分で自分に悪口を送りつけてるところを考えたら、ゾワっとした。塩野先輩と別れたのも、自作自演がバレてしまうのが怖かったからなんじゃいかなって思う」

 死人に対して容赦のない言葉を並べる野辺の横で、僕はただその話を聞き続けるしかなかった。自分が共犯であることを告白しようとも考えたが、あえて言わないでおくことにした。墓穴を掘ることは、彼女の名誉を傷つけることにも繋がってしまうからだ。

「でも、だからって、いろはを責めたかったわけじゃない。あの子の気持ち、理解は出来なくても、知ることは出来たはず。そこから逃げたのは、あたしだから」

 頭上に広がる緑葉と、青空を見つめながら、野辺はそう言った。