かれこれ、三十分は経っただろう。
 自室のベッドの上で、スマートフォンとにらめっこを始めたのは、午後七時過ぎのことだった。
 一階から、母の「ご飯出来たよーっ!」という声掛けが聞こえてきた。「あとで食べるーっ!」と返すと、大きなため息が、二階にいた僕の部屋にまで聞こえてきた。しかし、そんなことは気にしていられない。
 どちらかを選べと言われたら、問答無用で一瀬にお願いをする。岸と同様、二年生と三年生は同じクラスだったし、異性と話さない僕でも、一瀬とは自然に会話をすることが出来ていた。
 三年時のグループチャットから連絡を試みようとしたが、どうやらこの四年間でスマートフォンを買い替えたらしく、トークルームから退出していた。
 微かな希望を胸に、Instagramで検索を掛けたところ、本人らしき公開アカウントを見つけ出すことが出来た。
【一瀬()(すみ)】――プロフィール画像は初期アイコンで、自己紹介も空欄のまま。投稿は風景のみ。本人と断言できる顔写真はないものの、その素朴な雰囲気から、まちがいなく一瀬のアカウントなのだと確信できた。

〔咲間晴彦です〕

〔突然ごめん〕

〔このメッセージ見たら、返事くれると嬉しいです〕

 いろはちゃんと仲が良かった人に、会いたい――そう言われて、真っ先に顔が思い浮かんだのは、一瀬と野辺だった。ムッとしたような顔が思い浮かんだ野辺に対し、僕の記憶の中の一瀬は、いつも上品に微笑んでいた。【フォローする人を見つけよう】で勧められたアカウントの中に、野辺らしきアカウントを見つけたにも関わらずスルーしたのは、それが理由だった。

〔咲間くん、お久しぶりです〕

〔一瀬香澄です〕

〔何かあった?〕

 意外にも、既読はすぐにつき、直後に連続して返事が来た。仰向けに寝転んでいた僕は、思わず上体を起こした。

〔ちょっと話したいことがあって〕

〔少しの時間でいいから、今度会えない?〕

 勢いに任せて送った文面を見て、僕は髪の毛を掻きむしった。要件も伝えず、会えないか、なんて――警戒されるに決まっている。既読がついたまま、いっこうに返信が来る気配はなく、もう一度ベッドに仰向けになった。白い天井が、僕を覆いこんできそうな気がして、目を瞑る。それくらい、いまは焦燥感に駆られていた。
 ブブッ――。
 手の中で、スマートフォンが震えた。

〔もしかして、いろはのこと?〕

 その文面を見て、ぎょっとした。
 なんで?――声に出た疑問を、そのまま打ち込んで送る。

〔咲間くんが、いろはのことについて調べてるって聞いたから〕

 その情報を一瀬に流したのは、僕が調査協力のメッセージを送った、バスケ部のメンバーであることに間違いなかった。
 人を選んで、送るべきだった。
 僕が送ったメッセージは、受け取った者の感受性によって、装飾されたり、除去されたりして、一瀬に伝わっているはずだった。
 これは、調査協力をしてもらうのは難しいかもしれない。
 希望の光が弱まってきたところで、一瀬からメッセージが届いた。

〔わたしに出来ることなら、協力させてほしい〕

 スマートフォンを握りしめる手に、自然と力が入る。

〔咲間くんのこと、ずっと気にしてた〕

 直接話しているわけでもないのに、ただの文なのに、一瀬の温かく優しい声が脳内で再生された。
 心がじーんと熱くなって、全身の力が抜けそうになる。少しでも気を緩めれば、目からとめどない涙が溢れてしまいそうだった。

〔一人でずっと、抱え込んでたんだよね〕

 よく頑張ったね。偉いよ。
 そんな言葉を掛けられているような気がした。

〔ずっと、咲間くんのこと待ってたよ〕

 あぁ――もう、いいのか。
 彼女への想いを、人の目を気にしてずっと隠してきた。
 でも、もうそんなことは、する必要がない。あの日も、隠さなくてよかったはずなのに、僕は隠し続けた。そして、五年が経ったいまも、彼女への気持ちを消化しきれていない。

〔あの日、なんで保健室に来なかったの?〕

 そこで、一瀬からのメッセージが途絶えた。
 素早く画面をタップして、その問いに返信する。

〔そのことも含めて、直接会って話したい〕

〔急だけど、明日の夜会えないかな?〕

 あまりにも急な誘いに、一瀬は少々狼狽たようだったが、最終的には、わかった、と了承してくれた。

〔明日の夜七時、呉宮探偵事務所で待ってる〕

 それだけ送って、すぐに画面を暗くした。ベッドの上に適当にスマートフォンを投げ捨て、ぼうっと白い天井を眺める。
 誰かに、話せる――。
 肩の荷が少しばかり下りたような気がして、全身の力が抜けたと同時に、涙腺も緩んでいた。
 目尻から、つうっと一筋の涙が溢れた。