漠然と、こんな日が来るのではないかと思っていた。

「お願いします。一緒に調べてください」

 アンティーク調のテーブルを挟み、目の前に座った少女は、真っ直ぐな視線を僕に向けている。
 透き通ってしまいそうなほど白い肌、長い黒髪、真っ白なワンピース。ベルベット素材のワインレッド色のソファが、より少女の存在を引き立てていた。きゅっと上がった目尻、小さな鼻と口。会話の中でも、節々にマイペースさを感じる。まるで、猫のような少女だ。
 ふと、先ほど手渡された資料に、視線を落とした。
 X(旧Twitter)のスクリーンショットを引き延ばしたものだ。プロフィール写真も、アカウント名も、数々の呟きも、見覚えがある。数年前から更新されないままのプロフィール欄を見て、痛いくらいに胸が締め付けられた。呼吸をすることさえ忘れていた僕は、苦しさを掻き消すように大きく息を吸うと、その資料をテーブルの上に置き、少女の前に押し返した。

「僕は仲が良かったわけでもないし、同じクラスになったことだってない――」
「だからです。だから、あなたにお願いしているんです」

 丁寧に断ろうとした僕の声を遮り、少女は淡々と言った。
 理解が出来ず固まる僕に、ふたたび少女は口を開く。

「こんなこと、仲が良かった人にはお願い出来ません」

 彼女と仲が良かった人物を頭に思い浮かべた。
 ――たしかに。この少女の言うとおりだ。
 ()()は、何を嗅ぎまわっているんだと責め立ててくるだろう。一瀬(いちのせ)は、困ったように口を噤むだろう。

「この資料、少々拝見しても?」

 先ほどまで、デスクから黙ってこちらを見ていた(くれ)(みや)さんが、僕の隣に腰を下ろした。
 どうぞ、と言う少女の声で、呉宮さんはその資料を手に取り、にらめっこを始める。

「いろはちゃんの同級生だった人が、同じ大学のミステリー研究会にいると聞いたときに、これはもうお願いするしかないと思ったんです」

 久しぶりに聞いた彼女の名前に、胸がどくんと鳴った。
 手のひらにじんわりとかいた汗をズボンで拭う。

「そんなこと急に言われても……それに、もう何年も前の話だし」

 そうだ。終わったことだ。
 忘れようと、頑丈な箱の中に入れた過去を、蓋をこじ開け、無理矢理取り出された気分だった。
 もう、そのことについて言及するつもりもなかったし、関わるつもりもない。しかし、何年も前に封印したはずの探求心が、永い眠りから覚めてしまったような気がした。

「あなたにとっては、そうかもしれないですね」

 少女の視線が落ちた。その顔には、切なさが浮かんでいるように見えた。
 しかし、それは刹那――少女の強い眼差しが、僕に向けられる。

「すぐに返事をくれとは言いません。むしろ、じっくり考えてください」

 少女はソファから立ち上がり、華奢な体に不釣り合いな大きめのトートバッグを肩に掛けると、長いワンピースを翻して扉の方へと歩いて行った。

「おや、もうお帰りで?」

 資料から目を離した呉宮さんが、不思議そうな顔で少女に問いかける。

「はい。また明日来ます」

「この資料は?」と、呉宮さんが手の中で、紙をひらひらと揺らした。

「預かっといていただけますか」

 では、とドアノブに手を掛けた少女を見て、僕は慌ててその場から立ち上がった。

「ちょっと待って!」

 雪のように白い少女の顔が、こちらに向いた。

「君、名前は?」



「そういえば、名乗っていませんでしたね」

 少々、抜けているところがあるようだ。
 いまのいままで、少女の素性を知らないまま、話をしていた。話の内容的に、同じ大学であることは間違いなさそうだ。

「これは、失礼しました」

 深すぎるお辞儀にも、どこか鈍臭さのようなものを感じる。
 顔を上げ、頬に張り付いた髪を手櫛で整えると、少女は小さく息を吸い込んだ。

()(なみ)(あん)()(さく)()さんと同じ、(えい)(しゅう)大学に通う一年生です」

 ちなみに、と彼女はトートバッグからクリアファイルを取り出し、その中に淹れられている紙をこちらに見せてきた。
 見出しには『入部届』と書かれている。

「今日から、ミステリー研究会の会員です」

 隣で、呉宮さんが感心したような声を上げた。