上甲板にいたレオナルドと合流し、四人は会議室へ集まった。
まず口火を切ったのは、ハリソンだった。
「久しぶりですね、レオくん。随分、立派になって」
「やめてよ先生、俺もう子どもじゃないんだからさ」
「すみません。会った時は、まだ小さかったものですから。その時の印象が抜けなくて」
眉を下げて微笑みながら、ハリソンは昔を思い出すように目を伏せた。
「サクラさんのことは……今でも、覚えています。あの時は力になれず、本当に申し訳ありませんでした」
「いいって。別に、先生のせいじゃ、ないんだしさ」
少しだけ苦しそうに笑ったレオナルドに、ハリソンもそれ以上続けることは無かった。
空気を変えるように、レオナルドはメイズに向き直って説明をした。
「前に話しただろ? 母さんが流行り病にかかった時、島に腕のいい医者が来たって。それがハリソン先生なんだ」
薄々そうだとは気づいていたが、レオナルドの話でメイズは確信を持った。つまり、ハリソンは、異世界の人間を治療した経験がある。
そう考えたところで、メイズは一つの疑問を抱いた。
「レオは、母親が違う世界の人間だとは知らなかったよな。何故、ハリソンは知っていた?」
レオナルドは、サクラの出身地をどこか遠いところだと認識していて、奏澄の話を聞いて初めて異世界だと知ったはずだ。だがハリソンは、それを聞いても疑う様子を見せなかった。本人から聞いていたのだろうか。それなら何故、レオナルドには伝えなかったのか。
「私は、ダビデさんから聞いていました」
「親父から?」
レオナルドは驚いたように声を上げた。父親は、知っていたのだ。サクラの本当の出身を。
「薬が効かなかった時に、何か体質に特徴がないか尋ねたんです。それで」
「そ、っか。親父は、知ってたのか」
寂しそうな顔をしたレオナルドに、ハリソンがフォローするように言った。
「あなたは、まだ小さかったですから。混乱させまいとしたんでしょう」
「いや、いいんだ。母さんが、一人で抱えないで、ちゃんと親父と話せてたってことだから」
そう言って、レオナルドは笑った。その答えに辿り着けたのは、彼が大人になったからだろう。父親が知っていたのなら、ハリソンが言わなかったのは納得だ。レオナルドの成長に合わせ、いずれ父親が告げると考えるのが普通だ。
「それで、結局薬が効かなかった原因はなんだったんだ?」
本題に入るべく、メイズが切り込んだ。ハリソンが、真面目な顔で答える。
「血液です」
「血液?」
「サクラさんの血液は、我々とは違う構造をしていました。おそらく、それが原因です」
血液の構造が違う、と言われても、ハリソン以外の面々はピンとこない。メイズが黙って先を促した。
「あの時……サクラさんを助けられなかった私は、どうしても原因が知りたくて、ダビデさんの許可を得てサクラさんの血液を持ち帰りました。しかし、個人での研究には限界がある。そこで、設備や資料の整っているセントラルの国家研究員になったんです」
「セントラルの!?」
レオナルドが驚いた声を上げる。セントラルの国家研究員ということは、エリートだ。そうそうなれるものではない。
「もともと、私はセントラルで医学を学んでいたんですよ。その後、国を出て各地で医者をやっていましたが、誘いは受けていたので。意外とあっさり入れました」
そのあっさり、が言葉通りかどうかは不明だが、セントラルの側から誘いがあったということは、ハリソンは相当に優秀だということだ。
「ここからは、セントラルの機密情報になります。よろしいですか?」
確認を取るハリソンに、メイズとレオナルドが頷く。アニクは特に気にしていない、ということは既に内容を知っているのだろう。ハリソンは一呼吸置いて、話し始めた。
「セントラルには、異世界から来た人……俗称では『はぐれ者』と呼んでいるようですが、彼女たちに関する資料が存在していました。血液のデータも」
それを聞いたメイズは、思わず口を挟んだ。
「待て。セントラルは、異世界の人間の存在を、認知しているのか?」
「はい。むしろ、セントラルは内密に、異世界に関する研究を行っています」
メイズは愕然とした。気のせいであってほしかった。泳がされていると感じたこと。生け捕りを指示する手配書の意味。
もし奏澄が何者であるかわかった上でのことなら、もう考えすぎだとは言えない。
口元を押さえるメイズに、ハリソンは気づかうように声をかけた。
「カスミさんが指名手配されているのは、もしかしてそれが原因で……?」
「……かも、しれない」
メイズの返答に、ハリソンも顔を険しくする。少しの間考えるように口を閉ざし、続きを語り始めた。
「……私は、暫くの間セントラルで研究を行い、はぐれ者にも有効と思われる薬の開発をいくつか行いました。ですが、実際に薬を試せる機会はありませんでしたから、効果があるかどうかは未知数です。そしてその薬を、研究データと共に、私は無断で持ち出しました」
ハリソンの言葉に、メイズとレオナルドが息を呑む。この紳士的な老人の行動とは、とても思えない暴挙だ。
「私は、サクラさん以来、直接はぐれ者の方とお会いすることはありませんでしたが……。セントラルの研究所では、どうも、はぐれ者を『人間』として捉えている……というより、『研究対象』として扱っている印象が強く。医者としての私の理念とは、合わなかったのです」
ハリソンは、言葉を選んで喋っている。実際は、もっと酷い認識だったのかもしれない。薬を試せなかった、ということは、はぐれ者は研究所にはいなかったと思われるが、果たしてそれも真相はどうだったか。もし、人体実験のようなことを、行っていたのだとしたら。
メイズの背中に、冷たいものが走った。
「そのせいで、私はセントラルから目をつけられていまして。エドアルド船長のご厚意で、今は白虎海賊団に保護していただきながら医療活動に従事しています」
黙って話を聞いていたアニクが、心なしか自慢げに胸を張った。確かに、白虎であれば、セントラルもうかつに手は出せない。白虎は民衆の支持も厚い。白虎を敵に回せば、少なくとも金の海域のほとんどは敵に回すことになるだろう。
「先ほどカスミさんに打ったのは、通常の薬です。もしこのまま効果が無ければ、セントラルで開発した薬を試そうと思います。それが効くかどうかは、正直賭けですが……。何もしないよりはましだと、私は考えます。どうしますか?」
ハリソンはメイズに問いかけた。先ほどの話を聞くに、その薬は、まだ人体に試したことが無い、ということだろう。しかし、他に手は無い。
ハリソンの医師としての腕は信用できる。ヴェネリーアでの実績もあり、セントラルに勧誘されるほどの実力があり、何よりはぐれ者を知る医師など、他にはいるまい。機密に当たることを包み隠さず話す姿勢からも、実直さが見える。
「治療に関しては、あんたに全て任せる。カスミを、頼む」
頭を下げたメイズに、レオナルドの驚いた息づかいが聞こえた。その後はっとしたようにレオナルドも頭を下げた。
「確かに、承りました」
落ちついた、しかし芯のある声で、ハリソンは返した。
「では、私は一度本船に戻って準備してきますね。さすがにはぐれ者のことまでは想定していなかったので、用意ができていなくて」
「わかった」
「終わり次第戻ってきますので」
ハリソンとアニクの案内をレオナルドに任せ、メイズは奏澄の部屋に向かった。
奏澄の看病をしていたマリーに、メイズは一部始終を話して聞かせた。
事が事だけに、マリーも暫く考え込んでいた。
「カスミの体質のことまで理解した先生がいるってのは、僥倖だね。ライアーじゃないけど、本当に奇跡だよ」
「そうだな」
白虎海賊団が見つけられたことも、その船にサクラを診たハリソンが乗っていたことも、そしてメイズが乗り込んだあの時あの場に、ハリソンがいたことも。全てが奇跡に近い。
白虎は船医を複数人抱えている。あの場にいたのが、ハリソンでなかったら。それだけでも、事態は大きく違っていただろう。
「けど、メイズ。セントラルの国家研究員だったなら、カスミの持ってきたコンパスと本のこともわかったんじゃないかい? 何か聞かなかったの?」
その問いに、メイズは目を瞬かせた。完全に、頭から飛んでいた。元々は、そのために白虎を探していたはずだったのに。
「忘れてたな。まぁ、今はそれどころじゃないだろ。カスミの体調が回復してから、改めて本人を交えて聞けばいい」
「……忘れてた、ね」
含みのある言い方がひっかかり、メイズは眉を寄せてマリーを見た。
「……なんだ」
「別に。ただ、いよいよカスミは帰れるのかも、って思ってさ」
それの何がいけないのか。メイズは眉間の皺を深くした。
「メイズは、このままカスミを帰しちゃっていいの?」
予想外の問いかけに、メイズは面食らった。
「何を、今更。そのための航海だろう」
「それは、出発した時の動機だろ。今も、変わらない? 二人とも、ちゃんとそう思ってる?」
見透かすような視線に、メイズは怯んだ。マリーのこの目は、苦手だ。
「あんたが帰したくない、って言ったら、意外と聞いてくれるかもよ」
「何を馬鹿なことを」
「自分の気持ちに正直になるのが、馬鹿なことかねぇ。二度と会えなくなってから後悔するより、言える内に言っといた方がいいと思うけど」
メイズはむっつりと黙り込んで、暫くしてから口を開いた。
「……迷わせたくない」
「へぇ、迷わせるかも、ってくらいには自信あるんだ」
「!」
「故郷と自分を天秤にかけてもらえると思ってるんだろ?」
そのつもりはなかったが、にぃっと笑うマリーに、メイズは苦虫を噛み潰した顔をした。何を言っても、躱される気しかしない。
「迷わせてあげなよ」
優しげな声のトーンにマリーの表情を見ると、もうからかうような顔はしておらず、穏やかに微笑んでいた。
「すんなり送り出されちゃうよりさ。さんざん迷って、悩んで、苦しんで。それで出した結論の方が、この子にとって意味があると思うよ」
そう言って、マリーは奏澄の方を見た。相変わらず意識は戻らないまま、時折うなされている。
彼女を。これ以上、苦しませることなど。
「……考えておく」
そう答えたメイズに、マリーは仕方なさそうに笑った。
まず口火を切ったのは、ハリソンだった。
「久しぶりですね、レオくん。随分、立派になって」
「やめてよ先生、俺もう子どもじゃないんだからさ」
「すみません。会った時は、まだ小さかったものですから。その時の印象が抜けなくて」
眉を下げて微笑みながら、ハリソンは昔を思い出すように目を伏せた。
「サクラさんのことは……今でも、覚えています。あの時は力になれず、本当に申し訳ありませんでした」
「いいって。別に、先生のせいじゃ、ないんだしさ」
少しだけ苦しそうに笑ったレオナルドに、ハリソンもそれ以上続けることは無かった。
空気を変えるように、レオナルドはメイズに向き直って説明をした。
「前に話しただろ? 母さんが流行り病にかかった時、島に腕のいい医者が来たって。それがハリソン先生なんだ」
薄々そうだとは気づいていたが、レオナルドの話でメイズは確信を持った。つまり、ハリソンは、異世界の人間を治療した経験がある。
そう考えたところで、メイズは一つの疑問を抱いた。
「レオは、母親が違う世界の人間だとは知らなかったよな。何故、ハリソンは知っていた?」
レオナルドは、サクラの出身地をどこか遠いところだと認識していて、奏澄の話を聞いて初めて異世界だと知ったはずだ。だがハリソンは、それを聞いても疑う様子を見せなかった。本人から聞いていたのだろうか。それなら何故、レオナルドには伝えなかったのか。
「私は、ダビデさんから聞いていました」
「親父から?」
レオナルドは驚いたように声を上げた。父親は、知っていたのだ。サクラの本当の出身を。
「薬が効かなかった時に、何か体質に特徴がないか尋ねたんです。それで」
「そ、っか。親父は、知ってたのか」
寂しそうな顔をしたレオナルドに、ハリソンがフォローするように言った。
「あなたは、まだ小さかったですから。混乱させまいとしたんでしょう」
「いや、いいんだ。母さんが、一人で抱えないで、ちゃんと親父と話せてたってことだから」
そう言って、レオナルドは笑った。その答えに辿り着けたのは、彼が大人になったからだろう。父親が知っていたのなら、ハリソンが言わなかったのは納得だ。レオナルドの成長に合わせ、いずれ父親が告げると考えるのが普通だ。
「それで、結局薬が効かなかった原因はなんだったんだ?」
本題に入るべく、メイズが切り込んだ。ハリソンが、真面目な顔で答える。
「血液です」
「血液?」
「サクラさんの血液は、我々とは違う構造をしていました。おそらく、それが原因です」
血液の構造が違う、と言われても、ハリソン以外の面々はピンとこない。メイズが黙って先を促した。
「あの時……サクラさんを助けられなかった私は、どうしても原因が知りたくて、ダビデさんの許可を得てサクラさんの血液を持ち帰りました。しかし、個人での研究には限界がある。そこで、設備や資料の整っているセントラルの国家研究員になったんです」
「セントラルの!?」
レオナルドが驚いた声を上げる。セントラルの国家研究員ということは、エリートだ。そうそうなれるものではない。
「もともと、私はセントラルで医学を学んでいたんですよ。その後、国を出て各地で医者をやっていましたが、誘いは受けていたので。意外とあっさり入れました」
そのあっさり、が言葉通りかどうかは不明だが、セントラルの側から誘いがあったということは、ハリソンは相当に優秀だということだ。
「ここからは、セントラルの機密情報になります。よろしいですか?」
確認を取るハリソンに、メイズとレオナルドが頷く。アニクは特に気にしていない、ということは既に内容を知っているのだろう。ハリソンは一呼吸置いて、話し始めた。
「セントラルには、異世界から来た人……俗称では『はぐれ者』と呼んでいるようですが、彼女たちに関する資料が存在していました。血液のデータも」
それを聞いたメイズは、思わず口を挟んだ。
「待て。セントラルは、異世界の人間の存在を、認知しているのか?」
「はい。むしろ、セントラルは内密に、異世界に関する研究を行っています」
メイズは愕然とした。気のせいであってほしかった。泳がされていると感じたこと。生け捕りを指示する手配書の意味。
もし奏澄が何者であるかわかった上でのことなら、もう考えすぎだとは言えない。
口元を押さえるメイズに、ハリソンは気づかうように声をかけた。
「カスミさんが指名手配されているのは、もしかしてそれが原因で……?」
「……かも、しれない」
メイズの返答に、ハリソンも顔を険しくする。少しの間考えるように口を閉ざし、続きを語り始めた。
「……私は、暫くの間セントラルで研究を行い、はぐれ者にも有効と思われる薬の開発をいくつか行いました。ですが、実際に薬を試せる機会はありませんでしたから、効果があるかどうかは未知数です。そしてその薬を、研究データと共に、私は無断で持ち出しました」
ハリソンの言葉に、メイズとレオナルドが息を呑む。この紳士的な老人の行動とは、とても思えない暴挙だ。
「私は、サクラさん以来、直接はぐれ者の方とお会いすることはありませんでしたが……。セントラルの研究所では、どうも、はぐれ者を『人間』として捉えている……というより、『研究対象』として扱っている印象が強く。医者としての私の理念とは、合わなかったのです」
ハリソンは、言葉を選んで喋っている。実際は、もっと酷い認識だったのかもしれない。薬を試せなかった、ということは、はぐれ者は研究所にはいなかったと思われるが、果たしてそれも真相はどうだったか。もし、人体実験のようなことを、行っていたのだとしたら。
メイズの背中に、冷たいものが走った。
「そのせいで、私はセントラルから目をつけられていまして。エドアルド船長のご厚意で、今は白虎海賊団に保護していただきながら医療活動に従事しています」
黙って話を聞いていたアニクが、心なしか自慢げに胸を張った。確かに、白虎であれば、セントラルもうかつに手は出せない。白虎は民衆の支持も厚い。白虎を敵に回せば、少なくとも金の海域のほとんどは敵に回すことになるだろう。
「先ほどカスミさんに打ったのは、通常の薬です。もしこのまま効果が無ければ、セントラルで開発した薬を試そうと思います。それが効くかどうかは、正直賭けですが……。何もしないよりはましだと、私は考えます。どうしますか?」
ハリソンはメイズに問いかけた。先ほどの話を聞くに、その薬は、まだ人体に試したことが無い、ということだろう。しかし、他に手は無い。
ハリソンの医師としての腕は信用できる。ヴェネリーアでの実績もあり、セントラルに勧誘されるほどの実力があり、何よりはぐれ者を知る医師など、他にはいるまい。機密に当たることを包み隠さず話す姿勢からも、実直さが見える。
「治療に関しては、あんたに全て任せる。カスミを、頼む」
頭を下げたメイズに、レオナルドの驚いた息づかいが聞こえた。その後はっとしたようにレオナルドも頭を下げた。
「確かに、承りました」
落ちついた、しかし芯のある声で、ハリソンは返した。
「では、私は一度本船に戻って準備してきますね。さすがにはぐれ者のことまでは想定していなかったので、用意ができていなくて」
「わかった」
「終わり次第戻ってきますので」
ハリソンとアニクの案内をレオナルドに任せ、メイズは奏澄の部屋に向かった。
奏澄の看病をしていたマリーに、メイズは一部始終を話して聞かせた。
事が事だけに、マリーも暫く考え込んでいた。
「カスミの体質のことまで理解した先生がいるってのは、僥倖だね。ライアーじゃないけど、本当に奇跡だよ」
「そうだな」
白虎海賊団が見つけられたことも、その船にサクラを診たハリソンが乗っていたことも、そしてメイズが乗り込んだあの時あの場に、ハリソンがいたことも。全てが奇跡に近い。
白虎は船医を複数人抱えている。あの場にいたのが、ハリソンでなかったら。それだけでも、事態は大きく違っていただろう。
「けど、メイズ。セントラルの国家研究員だったなら、カスミの持ってきたコンパスと本のこともわかったんじゃないかい? 何か聞かなかったの?」
その問いに、メイズは目を瞬かせた。完全に、頭から飛んでいた。元々は、そのために白虎を探していたはずだったのに。
「忘れてたな。まぁ、今はそれどころじゃないだろ。カスミの体調が回復してから、改めて本人を交えて聞けばいい」
「……忘れてた、ね」
含みのある言い方がひっかかり、メイズは眉を寄せてマリーを見た。
「……なんだ」
「別に。ただ、いよいよカスミは帰れるのかも、って思ってさ」
それの何がいけないのか。メイズは眉間の皺を深くした。
「メイズは、このままカスミを帰しちゃっていいの?」
予想外の問いかけに、メイズは面食らった。
「何を、今更。そのための航海だろう」
「それは、出発した時の動機だろ。今も、変わらない? 二人とも、ちゃんとそう思ってる?」
見透かすような視線に、メイズは怯んだ。マリーのこの目は、苦手だ。
「あんたが帰したくない、って言ったら、意外と聞いてくれるかもよ」
「何を馬鹿なことを」
「自分の気持ちに正直になるのが、馬鹿なことかねぇ。二度と会えなくなってから後悔するより、言える内に言っといた方がいいと思うけど」
メイズはむっつりと黙り込んで、暫くしてから口を開いた。
「……迷わせたくない」
「へぇ、迷わせるかも、ってくらいには自信あるんだ」
「!」
「故郷と自分を天秤にかけてもらえると思ってるんだろ?」
そのつもりはなかったが、にぃっと笑うマリーに、メイズは苦虫を噛み潰した顔をした。何を言っても、躱される気しかしない。
「迷わせてあげなよ」
優しげな声のトーンにマリーの表情を見ると、もうからかうような顔はしておらず、穏やかに微笑んでいた。
「すんなり送り出されちゃうよりさ。さんざん迷って、悩んで、苦しんで。それで出した結論の方が、この子にとって意味があると思うよ」
そう言って、マリーは奏澄の方を見た。相変わらず意識は戻らないまま、時折うなされている。
彼女を。これ以上、苦しませることなど。
「……考えておく」
そう答えたメイズに、マリーは仕方なさそうに笑った。