最強だった日々を懐かしんでいるうちに、スマホの時計は約束の時間を示していた。健が遅刻するのはいつものことだが、遅刻に厳しい萌が遅れるのはおかしい。私は心配になった。
「萌、大丈夫かな」
 怪我、病気、事故。悪い想像ばかりが頭をよぎる。
「仕方ないだろ、あいつ子供いるし」
 私の不安をなだめるように翔が言った。しかし、予想外の言葉にますます慌てふためいてしまった。
「子供?」
「出来婚したらしいよ。いつ頃だったかな」
 私の知らない間に萌と健が結婚して、子供までいる。それだけで頭がパンクしそうだ。しかし、言葉にできない何かが引っ掛かった。
「そうだったんだ」
 かろうじてそれだけ言った。私たちは先ほどまで思い出話に終始していて、最近のことについてはあまり話さなかった。それは断じて、今の私がしょうもない人生を送っているからではない。あの頃の思い出を共有する方が楽しいからだ。翔はそんな私の思いを汲んで思い出話をしていてくれていた。
「健はIT系に就職したっぽい」
「そっか。それなら健も仕事頑張んないとだね」
「いやー、大手のホワイトで羨ましいわ」
 萌のついでとばかりに健と翔の近況についても教えてくれた。
「瀬川健でググったら、会社のホームページの若手社員紹介に載っててびっくりした。萌のことはSNSで知った」
 ようやく萌の近況を教えてくれた時の違和感の正体に気づいた。「ぽい」「らしい」という不確定で伝聞体の報告。友達の人生の節目を間近で目にしたわけではなく、人伝に知ったという証明に他ならない。
「高校、ばらばらになっちゃったの?」
 どんなに仲が良くても、学校が離れてしまえば疎遠になるのは仕方がないことだ。特に、ちょうどメインの連絡手段がメールからラインに移りつつあったあの時代には。
「中二の時に転校した。父さんの店、潰れてさ。あの頃マジで金なくて携帯も解約したから連絡途絶えてごめん」
 間違っても楽しい話ではないから、翔の性格的に積極的に話さなかったことにも納得した。意図せず過去を暴いてしまったことに罪悪感を覚えた。
「いいよ、翔のせいじゃないもん。そんなこと言ったら、そもそも私が勝手にアメリカ行ったのが悪いんだし」
「それこそ紗菜のせいじゃないだろ」
 最強だと信じた私たちも、結局親の都合に翻弄された。でも、こうしてまた会えたのだから、最強の絆は運命に打ち克ったのだ。

「日付変わるまで待って、あいつらが来なかったら二人で開けようぜ」
 何時まで待つか。そのタイムリミットを翔が設定した。
「だったら、連絡とってみようよ。令和になっちゃったからさ、もしかしたら今年が平成三十七年だってわかってないかもしれないし。萌のSNSは知ってるんだよね? 萌に言えば二人とも慌てて来るよ。あっ、私から連絡したら驚くかな?」
 萌は性格的に本名でSNSをしているはずだから、「瀬川萌」とスマホで検索する。
「萌の結婚相手、健じゃねえよ」
 その言葉に冷水を浴びせられたような気持ちになった。
「だって、萌は健が好きで、健も萌が好きで」
 本人たちは絶対に認めないだろうけれど、誰が見てもバレバレだった。
「あいつら、来ないよ」
 翔の声には諦めの気持ちがこもっていた。
「だから、それは今年が平成三十七年だってわからないだけで……」
「そもそも萌が言い出したんだろ。昭和百年って。ちょっとでも俺たちのこと覚えてたら、萌の母さんの大同窓会とやらのタイミングで思い出すんじゃねえの」
 確かに、萌のお母さんは楽しいことがあったら私たちにも報告してくるようなオープンな人だった。
「健だって、IT企業にいて今年が昭和百年だって知らないわけがないんだよ。年末年始に散々ニュースでやってただろ、昭和百年問題」
 ITには詳しくないが、私でもその言葉は知っていた。
「もう忘れてるんだよ。二人とも」
 その言葉とともに、翔が設定したアラームが鳴った。午前零時。日付が変わって九月一日になった。
「結婚したり、仕事で重要なポジションついたりしたら、いつまでも昔のこと覚えてたりしないもんなんだよ。普通は」
「もうやめてよ……」
 私は翔の言葉に泣き出してしまった。悲しかった。
「普通って何? 普通はそうかもしれないけど、私たちは普通じゃないじゃん。私たちは、最強四天王だったじゃん」
 私はしゃがみこんで泣きじゃくった。私たち四人の絆は何よりも強いはずだった。優しい翔はこんなひどいことを言う人ではなかった。

「ごめん。無神経だった。これ以上待っても紗菜が傷つくだけだと思って。でも、紗菜にとっては萌も健も小学生の時のままだもんな。ごめん、もう少し配慮するべきだった」
 顔を上げると、翔は深く頭を下げていた。考えてみれば、翔は変わっていく健と萌を目の当たりにしながら生きてきた。多感な時期にそれを受け止めていたのだ。私よりずっとつらかったはずだ。
「ううん、翔は悪くない」
 私がそういうと、翔は顔を上げて親指で私の涙を拭った。泣き虫だった低学年のころ、よくこうしてくれたことを思い出す。昔より大きくなった手にドキドキして何も言えずにいると、翔はハッとした。
「悪い、さすがに手はないよな」
「ううん、ありがと」
 翔は悲しげに笑った後、意を決したように言った。
「ほら、開けようぜ。紗菜が埋めた携帯、充電しないといけないんだからさ」
 ああ、翔は覚えてくれていた。夏休みを前に、海外ではろくに使えないガラケーを解約し、iPhoneに変えた。思い出のメールや写メがたくさん入った携帯はタイムカプセルに埋めた。
「うん、覚えててくれてありがとう」
「覚えてるよ、全部」
 私も覚えている。誰が何を埋めたかも、あの日の約束も。

 タイムカプセルを掘り出して、あの日埋めた携帯をモバイルバッテリーに繋いで充電する。ガラケーにつなげるケーブルが売っているお店が少なくて大変だった。充電をしている間に、みんなが埋めたものを見ていく。
 まず手に取ったのは健が埋めたトランプだ。これでいつも大富豪をしていた。萌はプリクラ帳を埋めていた。私たちは何でもない日にも四人でプリクラを撮った。数々のプリクラと思い出のトランプを見れば、思い出話が弾む。ここにいない二人の痴話喧嘩の声は記憶の中で鮮明だ。
「健と萌、くっついてほしかったな」
「でも、もうどうにもならないんだよな。好きだけで結婚なんて絵空事なんだよ」
 翔は大きくため息をついた。