桜の蕾が膨らみ始めた三月中旬。大学の卒業式を終えた私は急いで帰宅し、袴から私服に着替える。
お気に入りの花柄ワンピースにカーディガンを羽織り、メイクを直して完了。
ハーフアップにしたままの髪だけが唯一、卒業式の名残を留めている。

着替えを終えた私が電車を乗り継ぎ、一人で向かった場所。それは、大学の友人たちが集まる学校近くの居酒屋だった。
大学の卒業式後、夕方からみんなで飲もうという話になっていたのだ。

「あっ! 彩未(あやみ)、いらっしゃーい」

私がお店に着くと、友人のエリコに声をかけられる。すでに私以外の四人全員が揃っていたが、私の到着を待っていてくれたらしい。

「みんな、ごめんねー」
「全然。んで? 彩未は何にする?」
「そうだなあ……最初はやっぱりビールかな」

しばらくして注文したお酒が運ばれてきたので、皆で乾杯する。

「カンパーイ!」
「卒業おめでとーう!」

カチンとグラスを合わせる音が複数回響いたあと、私はジョッキを口にする。
少し苦みのあるビールが、渇いた喉を潤していく。

大学のテスト明け、学祭の打ち上げ。
ハタチになってからは、友人と幾度となく通いつめた居酒屋。
大学終わりにこうして皆で集まって飲むのも今日で最後だと思うと、少し寂しさを感じる。

「私、次はレモンサワーにしようかなー」

生ビール、ワインにカクテル。お酒はそこまで強いほうではないけれど。何だか今日は、いつもよりも飲みたい気分で。グラスがどんどん空になっていく。

「ちょっと、彩未。アンタ、飲み過ぎじゃない?」
「いいの〜」

お酒を飲んで騒ぐのではなく、友人と飲みながら楽しくワイワイお喋りするのが好きだった。だから今日もいつもの感じでおつまみを片手に、友人たちとひたすら飲んでお喋りする。

でも、三杯目を過ぎたあたりからさすがに少し酔いがまわってきたかも。頭がふわふわする。

「ねえ、エリコ。もう一軒寄ってかない?」
「あたし、明日早いからごめーん」

十七時から始まった飲み会は、二十一時を過ぎた頃お開きに。私がエリコに支えられながら千鳥足で店外に出ると、真っ暗になった空は星一つ見えない。

友人たちと別れ、電車に揺られてどうにか地元の駅まで戻ってきた私。駅の改札を出て家までの道をフラフラ歩いていると、公園が目についた。
ああ、まだ帰りたくない。そう思った私は、ふらっと公園に立ち寄る。

ブランコと滑り台しかない小さな公園。そこのベンチに私は腰をおろす。
夜の十時近くだからか、人っ子一人いない。ふと空を見上げると、三日月がほのかに霞んで見えた。

……そういえば、あの子は元気かな?

この公園に来ると、ここでよく一緒に遊んだあの子のことを思い出す。
十代の頃からの、忘れられない恋のことを。
幼なじみの『友樹』のことを……。



私には、幼なじみが一人いる。彼は、同い年の平野(ひらの)友樹(ともき)

少し癖のある黒髪に、涼やかな切れ長の瞳。クシャッと笑うとできる、えくぼが可愛い。

友樹は爽やかで、誰にでも優しくて。そんな友樹のことが、私は物心ついた時から好きだった。

家が近所だった私たちは、幼い頃からよく一緒に遊んでいた。


「彩未。十五時にいつもの公園な」

小学生の頃は学校が終わると、近所の公園で遊んだり。家の近くのコンビニでお菓子を買って、二人で仲良く半分こしたり。私は毎日、友樹と一緒にいた。

私の隣には、いつも友樹がいるのが当たり前で。そんな当たり前が、これからもずっと続くのだと思っていた。

しかし、小学校を卒業してから私たちの関係は少しずつ変わり始める。


* * *


中学に入学してすぐの頃は、小学生の時と同じように、私は毎朝友樹と一緒に登校していたが。

「おはよう、友樹くん」
「おっす」

中学入学と同時にバスケ部に入った友樹は、グングン背が伸びて日に日にかっこよくなっていくものだから。気づけば学年で一番、女子からモテるようになっていた。

「うそ。竹原さん、また平野くんと一緒にいるんだけど」
「幼なじみって聞いたけど。友樹くんと全く釣り合ってないし。いつも付きまとうなっての」

なぜか私は幼なじみというだけで、友樹のファンの子たちから敵視されるようになった。

平和な中学校生活を送りたかった私は、ファンの子たちに目をつけられるのが嫌で。
私は、徐々に友樹と一緒に登校しなくなり、彼と距離を置くようになってしまった。

「彩未。今日、一緒に帰らない?」

それでも友樹は私に、今までと変わらず声をかけてくれた。それなのに私は……。

「ごめん! 私、このあと先生に呼ばれてるから。一緒に帰れないや」

女子の目を執拗に気にしてしまう私は、いつも何かしらの理由をつけて彼のことを避け続けた。


そんな日が続き、中学生になって初めての夏休みが近づいてきた六月末のある日。

期末テスト一週間前ということもあり、放課後私は学校の図書室に残って、数学のテスト勉強に取り組んでいた。数学が苦手な私が、一人で頭を悩ませていると。

広げた問題集のところに影ができ、「ここ、良い?」と、私の隣に腰掛けてきた人がひとり。

「と、友樹!?」
「お疲れ、彩未」

爽やかに微笑む友樹をよそに、私は彼のファンが辺りにいないかと思わずキョロキョロしてしまう。

「彩未、数学やってるの?」
「う、うん。でも、どうにも分からない問題があって」
「どれ?」

友樹が隣から私の問題集を覗き込んできて、近づいた距離にドキリとする。

「この問題なんだけど」
「ああ……これは、この公式に当てはめると簡単だよ」

それから友樹はとても分かりやすく、私に数学を教えてくれた。

「ありがとう、友樹。お陰で解けたよ」
「いや……なあ、彩未」
「なに?」

少し緊張した面持ちの友樹が、ゴクリと唾を飲み込む。

「あのさ、今度の期末テストで……俺と勝負しない?」
「勝負??」

隣に座る友樹の突拍子もない発言に、私は目をパチクリさせる。

「ああ。数学のテストで点数が良かったほうの言うことを、負けたほうが何でもひとつ聞くっていうの……どうかな?」
「ええ!?」

ただでさえ私は、期末テストの数学で赤点をとったら、夏休みに補習になるかもしれない状況なのに。

「やだよ。数学だなんて、友樹のほうが絶対に有利じゃない」
「そんなの、やってみなきゃ分かんないだろ? ってことで、はい決定ー!」

どうやらこの件は、彼のなかではすでに決定事項のようで。せめてもの私の抵抗は、あっさりと却下されてしまった。


それにしても、“点数が良かったほうの言うことを、負けたほうが何でもひとつ聞く”なんて。友樹は、どうして急にそんなことを言い出したのだろう。

もしも、私がテストで友樹に勝ったなら……頭の中で真っ先に浮かんだことは、たったひとつ。

“友樹に、私の彼氏になって欲しい”

なんて。いくら友樹に何でもひとつ言うことを聞くって言われたとはいえ。こんなことを言ったら、引かれちゃうかな?

私は、隣で黙々と数学の問題集に取り組む友樹をこっそり見つめる。
彼の真剣な瞳に、トクンと高鳴る胸。

友樹を見ただけで、鼓動が一瞬で速まるなんて。私自身と違って、心臓はいつも本当に正直だ。

女子の目は気になるけど、やっぱり私は友樹が好きだから。もし私がテストで友樹に勝ったら……ダメ元でお願いしてみようかな。

だってこういう機会でもないと、今の私は自分の気持ちを素直に伝えられそうにないから。


* * *


一学期の期末テストが終わり、数日後の放課後。私と友樹は、二人で学校近くのファミリーレストランにやって来た。

「お待たせしました。デラックスパフェです!」

店員さんが笑顔でテーブルに置いてくれた高さ約三十センチのボリュームたっぷりのパフェに、私は目を見張る。

グラスの中には、バニラアイスやケーキ、コーンフレーク、生クリームなどがびっしりと詰まっていて。
パフェが来た途端、周りのお客さんたちの目線が一気にこちらに集中して恥ずかしい。


「オーッ! すっげー」

大きなパフェを前に、友樹は瞳をキラキラと輝かせている。

「めっちゃ美味そう! いただきまーす」

そしてスプーンを手に、彼はさっそくパフェを食べ始める。

期末テストの数学の結果は、三点差で友樹の勝利。負けてしまった私が、一体どんなことを言われるのかと身構えていたら。
友樹は『彩未にファミレスの期間限定のパフェを奢って欲しい』と言ったのだ。

それを聞いたとき、何とも彼らしいお願いに思わずクスッと笑ってしまった。だって友樹は、自他共に認める甘党だから。しかも、かなりの。

そんなわけで今、私は彼とファミレスに来ているのだけど。まさか友樹が、こんなにも大きいパフェを注文するなんて思ってもみなかった。

「やばい、超美味い。俺、一度で良いからこんなでっかいパフェを食べるのが夢だったんだよ」

食べ始めてから、笑顔が継続中の友樹。

パフェ代が、私の一ヶ月分のお小遣い三千円と同額なのはかなりの痛手だけど。

ここ最近避け続けていた友樹と、こうして久しぶりにファミレスに来て。幸せそうな顔でパフェを食べる彼を、目の前で見られたから。それでもう、私は満足だ。


「……なあ、彩未。パフェ食べないの?」
「え?」
「早く食べないと、なくなっても知らねえぞ」

友樹が私に、もう一つのスプーンを渡してくれる。


「えっ。でもこれは、友樹が一人で食べるんじゃ?」
「バーカ。いくら俺でも、こんなデカいパフェを全部一人で食うわけないだろ? これは最初から、彩未と食べたいなって思って頼んだんだよ」

私と? そうなの?!


「ほら。食べろよ、彩未」
「うんっ」
「このパフェも、昔みたいに半分こな」

予想外の友樹の言葉が嬉しくて。私は、パフェを頬張る。

「美味しい」
「そっか、良かったな。もっと食え」

友樹に促された私は、次から次へとパフェを口へ運ぶ。

この日食べたパフェは、今まで食べてきたパフェのなかで一番美味しく感じた。そして、やっぱり私は……友樹のことが大好きなんだとも。

ファミレスで改めて友樹への想いを自覚した私は、テストの際のお願いなんて関係なく、素直に彼に想いを伝えようと決意した。



「ねえ、竹原さん!」

翌日。私が登校すると、教室で真っ先にクラスメイトの横田さんに声をかけられた。

なんだか深刻な顔をしてるけど、どうしたんだろう?

「昨日、平野くんと二人でファミレスに行ってたって本当!?」
「えっと、そうだけど。なんで知って……」
「昨日、二人が一緒にいるところを見たっていう子がいて」

別に隠していたわけではないけど。まさか昨日友樹とファミレスにいるところを、誰かに見られていたなんて。

「ずっと気になってたんだけど。竹原さんと平野くんって、付き合ってるの?」

横田さんが鋭い目で私を見る。

「えっ、それ私も知りたい」
「実際二人はどうなの!?」

横田さんの話を聞いていたのだろうか。クラスの他の女子たちが、私たちの周りに集まってくる。

「ねえ、どうなの? 竹原さん」
「えっと。友樹とは……付き合ってないよ」

私がそう口にした途端、周りの女子たちが安堵するのが分かる。

「それじゃあ竹原さんは、ぶっちゃけ友樹くんのこと、どう思ってるの?」

付き合ってないと言えばこの場から解放されるのかと思いきや、今度は別の質問を投げかけられる。

「やっぱり好きなの?」
「えっと……」

針みたいな視線を四方から受け、一気に脈が加速する。

友樹のことは『好き』だけど。こんな教室で正直に話したら、公開告白になってしまう。

それに、友樹のファンの子だって大勢いるのに。彼女たちの前で好きだなんて言ったら……どうなるんだろうと思うと、怖くなった。

そして何より『好き』って言葉はやっぱり、友樹の前だけで言いたい。だから……。


「す、好きじゃないよ。友樹は、ただの幼なじみ」

後ろめたさを感じながらも、震える声で何とか言い切ったとき。どこからか視線を感じて、そちらに目をやると。
いつの間にか教室に入ってきていた友樹が、驚いたような顔でこちらを見ていた。

うそ。もしかして友樹、今の聞いて……?
友樹はすぐに目を逸らすと、駆け足で教室を出ていく。


「友樹っ!」

私は、慌てて彼を追いかける。


「友樹、待って……!」

廊下で私がもう一度名前を呼ぶと、少し先を行っていた友樹がようやく足を止めてくれた。

「友樹、さっきのは……」

『さっきのは本心じゃない』そう伝えようとしたけれど。

「ははっ。ごめん、彩未」

チラリと見えた友樹の横顔は、笑っているのになぜか泣きそうに見えた。

「俺、今は……何も聞きたくない」

私を一切見向きもせず、友樹は廊下を走っていく。

友樹が私のことを好きなのかどうかは分からないけど……きっと、傷つけてしまった。そして、初めて彼に拒否された。

どうして、さっき私は……あんなことを言ってしまったんだろう。先程の友樹の顔を思い出すと、胸が痛くてたまらない。

私は小さくなっていく友樹の背中をただ見つめることしか出来なかった。



あの日を境に、私は友樹に避けられるようになった。目を合わさず、言葉も交わさない。

「あの、友……」

夏休み直前、私は友樹に“ごめん”だけでも言いたくて。学校の廊下ですれ違った彼に、思い切って話しかけようとしたけれど。

「友樹ーっ! 早く来ないと置いてくぞぉ」

蚊の鳴くような私の声は、彼の友達の声にかき消され言えずじまいだった。

せめて誤解だけでも解いておきたいと、夏休みが明けてからも私は友樹に何度か声をかけてみるが。「ごめん」とだけ言って、友樹は私からすぐに離れて行ってしまう。

そんな友樹の態度に、やっぱり嫌われちゃったのかなって思うと、私はそれ以上彼に話しかけることができなかった。

友樹と話したいけど、話せない。そんなモヤモヤした気持ちを抱えながらただ時間だけが虚しく過ぎていき、そのまま中学一年目が終了。


中学二年生と三年生では友樹とクラスが離れたため、幼なじみとはいえ彼と会うことはほとんどなくなった。

それでも私のなかの、友樹を好きっていう気持ちだけは、どれだけ時間が経っても消えることはなかった。
そして友樹と話さないことが普通になりつつある頃、ついに中学卒業の時を迎えた。


卒業式後、校庭で友樹の学ランのボタン欲しさに、彼の周りを取り囲む女子たち。
私もあの中に混ざりたいなと思いつつ、遠くからただ友樹を見つめることしかできない。彼を傷つけた私に、学ランのボタンが欲しいだなんて。そんなことを言う資格はない。


「……友樹、卒業おめでとう。大好きだったよ」

せめてもの思いで、教室の窓から校庭にいる友樹へと向かって発した声は、喧騒の中へと儚く消えていった。

そして、中学卒業後。友樹は県外の全寮制の高校に進学したため、そこから私は一度も彼に会うことはなかった。


* * *


そして現在。今日は大学の卒業式で寂しい気持ちになったからか、久しぶりに初恋のことを思い出してしまった。

お酒をたくさん飲んだせいか、少しひんやりとした夜の風が心地よい。


私は公園のベンチから立ち上がり、今度はブランコに腰かける。ブランコは私が遊んでいた頃とほとんど変わっていなくて。昔と同じように、キィキィと音を立てる。

懐かしいな。このブランコに乗っていると、友樹と仲良く遊んでいた頃を思い出して胸が疼く。


友樹への片想いは、中学卒業から七年が経つ今までずっと、忘れられない恋だった。

大学生にもなったら、素敵な恋愛をしているはずだったのに。友樹以上に好きになれる人は、未だに現れなくて。
もしかしたら私は、叶わなかった初恋をまだ引きずってしまっているのかもしれない。


しばらく夜風に当たりながら、一人寂しくブランコを漕いでいると。

「ここ、いいですか?」

隣のブランコに、誰かが座る気配がした。その人に目をやった瞬間、思わず息を飲む。


「……えっ」
「久しぶりだな、彩未」

それは、中学卒業以来七年ぶりに会う友樹だった。


「どっ、どうして友樹がここに!?」

確か、大学も県外だったはずだ。

「中学の頃のダチと、この近くで飲み会があってさ。今はその帰りで、今日は実家に泊まるんだ」

久しぶりに会った友樹は、中学時代よりも更にかっこ良さが増して、大人っぽくなったけれど。クシャッとした笑顔は、あの頃と変わらない。ていうか……。

彼と話すのは中学一年のとき以来だということを思い出した私は、途端に緊張する。


「彩未、元気だった?」
「う、うん」

あのときの気まずい気持ちが蘇り、私は俯いてしまう。予想だにしなかった友樹との再会に、どんな顔をして話せば良いのか分からない。

さっきから心臓は、ドクドクと身体中に響くくらい激しく脈打っている。︎︎︎︎

「えっと、私……」

何となく気まずくて、私はブランコから立ち上がる。友樹から少しでも離れようと、私はベンチに向かって歩きだす。
しかし、まだお酒が抜けていないのか、足元がおぼつかない私は躓いて転びそうになる。

「きゃっ」
「危ない!」

そんな私を、近くにいた友樹が咄嗟に受け止めてくれた。


「大丈夫か?」
「あ、ありがとう」

友樹の逞しい腕と触れ合った身体に、心臓が早鐘を打つ。


「彩未、顔真っ赤。もしかして酔ってる?」
「今日は大学の卒業式で。夕方から飲み会だったから」
「そっか。大学卒業おめでとう。ていうか彩未、綺麗になったよな」

友樹の突然の言葉に胸が跳ねる。友樹に言われると、たとえお世辞でも嬉しい。


それから友樹は後ろから私を支えたまま、ベンチへと連れて行ってくれた。さらに、近くのコンビニまで走って、私のためにわざわざペットボトルの水まで買ってきてくれた。

昔と変わらない彼の優しさに、胸の奥がじわっと温かくなる。


「ありがとう」
「つーか、少し気になってたんだけど。さっきから彩未の顔が浮かないのって、俺のせい……だよな?」

先ほどまでと違い、ぎこちなく笑う友樹。


「今更だけど、あのときは避けたりしてごめんな? 俺、彩未にただの幼なじみって言われたのがショックで。気まずくて、なんか話せなかったんだよな」

やっぱり、私のせいで友樹を傷つけてしまってたんだ。


「私もごめん。あのときは、つい周りを気にして素直になれなくて。本当は友樹のこと、ただの幼なじみじゃなく、それ以上に大切な幼なじみだって思ってたよ」

これじゃあまるで、告白してるみたいだ。恥ずかしさから、顔に熱が集中していくのが分かる。


「彩未、本当に?」
「うん」
「俺、あのとき彩未を避けてしまったことをずっと後悔してて。高校生になってからは、彩未に会いたいってずっと思ってたから。今日久しぶりに会えて、そう言ってもらえて嬉しいよ」


やだ。会いたいって思ってたって。そんなことを言われたら、期待してしまいそうになる。
もしかして、今でもまだチャンスがあるのかな?

彼の言葉に、ドキドキと大きくなっていく鼓動。
他の男の人の前では、決してドキドキしない。中学のあの頃と同じ。このドキドキは、今でも友樹の前でだけ。ああ、やっぱり私は……。

まだ初恋は続いていると自覚した私は、今度こそ素直になろうと思った。


「あの、友樹。私、友樹のことが……」

『好き』と、七年越しに彼に想いをぶつけようとしたとき。ふいに口元をおさえた友樹の左手の薬指に、キラリと光るモノが見えた。

「えっ。友樹、その指輪……」

ドクッドクッと心臓が嫌な音を立てだす。

「ああ。実は俺、六月に結婚するんだよ。今付き合ってる彼女に、先月プロポーズしてさ」
「けっ、こん?」
「ああ。あと、今年の秋には家族が一人増えるんだよね」

そう言って友樹が、ニコッと今日一番の幸せそうな笑みを見せる。

「そう、なんだ……」

結婚とかいきなり過ぎて、頭が追いつかない。ショックがあまりにも大きくて、息もできないような辛さが襲ってくる。

まさか、友樹に家族が増えるなんて。彼はもうとっくに、私の手が届かない遠いところまで行ってしまってたんだね。

「うっう……」

突きつけられた現実に、私の目には涙が溢れてくる。あの頃からずっと時間が止まったままなのは、私だけだったんだ。

「おい、彩未……どうしたんだよ、いきなり泣いて」
「うっ……わ、私……っ」

嗚咽が混ざって上手く話せない。


「嬉し、くて。大切な幼なじみが結婚するって知って……嬉しいの。これは嬉し泣きだから心配しないで」

私はまた、嘘をついてしまった。本当は嬉しいんじゃなく、失恋が悲しくて泣いているというのに。
ほんと私ったら、友樹の前では昔から嘘をついてばかりだね。

来月から社会人になるというのに。いつまでも中学生から成長しない私を、どうか許して欲しい。


「ねえ、友樹……幸せになってね?」

結婚は、まだ心から祝福できないけど。友樹に幸せになって欲しいのは本当。これだけは、偽りのない本心だから。何度でも言うよ。

「友樹。絶対、絶対に幸せになってね」
「ありがとう。俺だけでなく、彩未も幸せになってくれよな? だって彩未は……俺の初恋の人だから」
「え?」

俺の初恋って……。


「十年近く経って、もう時効だから言うけど。中学一年のとき、期末テストで点数が良かったほうの人の言うことを、何でもひとつ聞くって話してたことがあっただろ?」

バクバクと、胸の鼓動が速くなっていく。

「あのとき俺……本当はパフェを奢ってもらうんじゃなく、彩未に俺の恋人になってって言おうとしてたんだ」
「う、そ……」

彼の言葉が、深く胸に刺さった。まさか、友樹も私と同じことを考えていたなんて。私たちが、両想いだったなんて。


「だけど、彩未は俺のこと好きじゃないって言ってたから。やっぱりあのとき、パフェにして正解だったなって思うよ。だって俺、お前のこと困らせたくなかったし」

胸がヒリヒリと痛い。痛くて痛くて、苦しい。


もしもあのとき、私が勇気を出していたら。
横田さんたちに、友樹が好きだと伝えていたら……今と、少しでも何かが変わっていたのかな。

どうしてあの頃の私はあそこまで、女子の目を執拗に気にしていたんだろう。

大人になった今、横田さんをはじめ、当時の友樹のファンの子たちとは誰一人として付き合いがないというのに。どうして……。

私は唇をきつく噛み締める。


けど、あのときの中学生の私にとって、学校が生活の大部分を占めていたから。できたらいじめられたりすることなく、平和に穏やかに学校生活を送りたかったんだ。

だけど、友樹のファンの子たちのことなんて気にせずに。あのとき、教室で勇気を出して友樹のことが好きだと言えていたら。

友樹と恋人同士という、今とは違う未来があったりしたのかな……。


「……っう」

ぼろぼろと、また涙が溢れてきて止まらない。

「彩未、会わないうちに泣き虫になったな」
「良いでしょう。今夜は泣きたい気分なの」

友樹を想うのは、今日で終わりにするから。後悔のないように、最後にこれだけ言わせて欲しい。

「友樹、大好きだよ……結婚してもずっと、友樹は私の大切な幼なじみだから」

中学卒業の日。教室の窓からこっそり言った『好き』を、七年の時を超えてようやく友樹に言えた。だから、もう後悔はない。

友樹への長年の片想いは、たった一晩で終わりを迎えてしまったけれど。
彼を想ってドキドキしたり、悩んだりした日々は私にとって何にも変え難い宝物だ。

それはこれからもきっと……永遠に。

【完】