翌日の菅谷くんとの約束は10時だった。前と同じ公園で会おうと菅谷くんは言ったが、菅谷くんの体調が心配だった私は「菅谷くんの家にお邪魔出来るなら、私が会いにいくから菅谷くんは家で休んでいてほしい」と送った。
 10時の約束なのに、目が覚めて時計を見ると6時を指している。

「もう一眠りしようかな……」

 しかし、気持ちがどこか落ち着かなくてもう一度目を瞑っても眠れる気がしない。
 ふと、昨日のテレビの番組を思い出してしまう。

「頻発性哀愁症候群は先天性と後天性があります。後天性の場合は何らかの出来事などで発症する場合があり……その出来事は本人にとって印象に残ることが……」

 思い出したくなくても、ただベッドで目を瞑っているだけの今の状態では嫌でも記憶が(よみがえ)る。


 小さい頃から絵が好きだった。当たり前のように中学の部活は美術部を選択した。

「え!奈々花ちゃん、絵上手(うま)くない!?」
「それ思った!」

 優しい部員に囲まれて、ただ絵を描ければそれで良かった。それでも、私が入っているのは美術「部」でコンテストにだって出さなくてはいけない。
 初めて部活で描いたのは地域のお祭りのポスターコンテストだった。私は前の年にそのお祭りに行っていたので、その光景を思い出しながらポスターを完成させた。
 応募数は100作くらいで、私は地域で使われるポスターに選ばれた。

「奈々花ちゃん、おめでとう!」
「マジですごくない!?」
「私、ポスター見かけたら写真撮ろ!」

 嬉しくて、家に帰ってすぐに両親に報告した。両親はとても喜んでくれて、その週末は私の好きなご飯を作ってお祝いをしてくれた。
 好きだった絵を描いて認められることが、ただただ嬉しかった。それでもまだ私は幼くて、結果より周りの人が喜んでくれることが嬉しかった。褒めてもらえることが嬉しかった。
 私の美術部の顧問の先生は熱心な人で、私に次のコンテストを進めてくれる。

「川崎さん、このコンテスト応募してみない?」

 しかし、美術の世界はそんなに簡単なものじゃなくて、次のコンテストは当たり前のように落ちてしまった。それでも、それからも選ぶコンテストによっては賞を取ることが出来た。
 そんなに大きくない美術部では、私への期待は大きくなっていく。

「奈々花ちゃん、また賞取ったの!?」
「凄くない!?」

 周りからの嫉妬はなかった。中学は部活が強制で、絵が好きじゃなくても運動が嫌いで美術部に入る生徒も多かったから。
 周りが楽しそうにおしゃべりをしながらゆっくりと絵を完成させていく中、私だけコンテストに追われるようになった。

「川崎さん、次はこのコンテストを……」

 私が気づいていないだけで、誰も私に期待なんてしていなかったのかもしれない。うん、きっと多分誰も本気で期待なんてしてなかった。
 私が勝手に自分が出してきた結果にプレッシャーを感じるようになっただけ。

 馬鹿みたいだけど、誰かに褒められたかっただけ。

 それほどまでに私は幼かった。中学生という難しい時期に私は「他人の評価」を求めてしまった。
 段々とどうやって絵を描いていたのか分からなくなっていく。

「奈々花ちゃん、今日の放課後遊ばない?」
「ごめん!今日はもうちょっと今書いている絵を進めたくて……!」
「あれ、今日部活休みじゃなかったっけ?」
「そうなんだけど……ちょっと家でも描こうかなって!」

 一つのことだけで視界がいっぱいになっていく。焦れば焦るほど評価は出ないのに、周りの部員とは(あいだ)が空いていく。

「奈々花ちゃん最近ノリ悪くない?」
「元からでしょ」




「一人で絵を描くのが好きなんじゃない?」




 壊れかけるには十分な言葉が部室から聞こえてきても、当たり前だけどもう過去に戻ってやり直すことは出来なかった。
 焦って描いた絵で結果が出るわけがない。他の部員が帰った後も、一人残って下校時刻ギリギリまで作品制作を進めていた。そんな「頑張っている自分」に酔っていたのかもしれない。
 集中して近づいて描いた絵を離れた場所から見ると、全然良い作品ではなかった。まるで今の私みたいで。

 そのことに気づいた瞬間、その感情は急に私を襲ってきた。



 寂しい。



 その感情に振り回されていく。



 寂しい。



 周りと距離が出来てから、初めてそのことに気づくのだ。そして、意識し始めた「寂しい」という感情は、段々と大きくなっていく。
 そこからはあっという間に「頻発性哀愁症候群」を発症した。その後、中学校も休むことが多くなり、部活は自然と行かなくなった。
 周りから見れば、小さすぎる出来事かもしれない。それでも、私に取っては大きすぎる出来事だった。
 「悩みは人それぞれ」とよくいうけれど、まさにその通りだと思う。周りから見れば大したことのない出来事で私の人生は壊れていった。

 思い出したくない昔話から私を戻してくれるように、一階からお母さんの声が聞こえる。

「奈々花ー、起きてるー?朝ごはん出来たけれど、もう食べられる?」
「はーい!」

 もう一度時計に目を向けると、七時前を指していた。中学の時を思い出しながら、少し眠っていたのかもしれない。
 私は一階に降りて朝ご飯を食べ終えた後に、出かける準備を済ませる。
 菅谷くんが送ってくれた家の住所をスマホで調べると一駅先だった。電車の時間から逆算して家を出る。最寄り駅までの道のりは見慣れた道のはずなのに、どこか見慣れていないような不思議な感覚に(おちい)った。