翌日、オリエンテーション二日目。最終日。
 二日目は宿舎の近くの公園でスポーツ活動という名のほぼ自由行動だった。自由時間は二時間ほどで、あとはバスで帰るだけの日程。

「菅谷、何する?先生がサッカーボールとかバドミントンの道具を持ってきてくれてるらしいぞ!」
「草野は何してーの?」
「うーん、サッカーは部活でしてるからバドミントンかな。あ、でも菅谷はサッカーしたい?」

 その時、菅谷くんがほんの少しだけ苦しそうな顔をした気がした。

「俺、中学の部活引退してから全くボールに触れてないから、めっちゃブランクあるかも」
「あはは、菅谷がめっちゃ下手になってたら笑ってやるわ!」
「うるせー!お前は大人しくバドミントンしてろ!」
「いや、菅谷の下手なサッカー見たいからサッカーにするわ!」
「うわ、うぜ」

 草野くんがサッカーボールを先生のところに取りに行こうとして、私と美坂さんの方を振り返る。

「っていうか、美坂さんと川崎さんもサッカーしない?」

 草野くんの問いに美坂さんが慌てている。

「私、運動全然出来ないよ……!」
「大丈夫!別にこれ試合じゃないし!折角だし班の皆んなでやろーぜ。川崎さんもそれで大丈夫?」
「大丈夫だけど……私も運動得意じゃないし足引っ張るかも……」
「あれ?川崎さんも文化部だっけ?」

 草野くんの質問に私は出来るだけ、空気が重くならないように軽い感じで過去を話す。

「私は高校は部活入ってないの。中学では美術部だったけど、途中で辞めちゃって……運動は全く得意じゃないから……」
「じゃあ、俺チームと菅谷チームで別れようぜ!人数足りないから、他の奴らも誘ってくる!」

 すると、草野くんが公園にいる生徒に聞こえるように大きな声で「サッカー出来るやつ集合ー!」と叫んでいる。
 男子生徒がぞろぞろと集まり始め、簡単に一試合分の人数が集まった。ほとんど男子生徒が集まったので、結局男子生徒が試合をしているのを女子生徒が隣で見ていることになった。
 女子生徒の中には自分が運動するより、観戦している方が好きな生徒も多かったのか、すぐにギャラリーが増えていく。
 公園の中心で始まった試合を見ながら、女子生徒が好きなチームを応援している。
 私はほとんど知ってる男子生徒が少ないので、菅谷くんと草野くんを目で追っていた。

 昨日、辛そうな顔をしていた菅谷くんが楽しそうに公園を走っている。その事実が無性に嬉しくて。

 菅谷くんがいつから「寂しい」という症状に悩まされているのかは分からなかったが、きっと高校で部活を諦めたのは症状が主な理由だろう。
 私も頻発性哀愁症候群になってから、我慢することや諦めることが増えた。実際にこのオリエンテーションだって参加を諦めていた可能性も高かった。そんな生活を送るからこそ、同じ症状に悩む菅谷くんが楽しそうに笑ってくれていることが嬉しかった。
 
 試合は盛り上がって、すぐに二時間は過ぎて行く。

「全員集合ー!そろそろ帰るぞー!」

 先生の言葉に生徒たちが帰る準備を始める。一日目より二日目の方が時間は何故か早く感じるもので、帰り支度を終えると私たちは帰りのバスに乗って帰路につく。
 バスに乗ってすぐに眠っている生徒がポツポツといた。その時、美坂さんが小声で私に話しかけた。

「川崎さん、これ前に言ってたクッキー。昨日は時間はなくて食べられなかったから」

 美坂さんがクッキーの袋を開けてこちらに向けてくれる。私は袋から一枚クッキーを取った。

「美味しい」
「でしょ!これお気に入りなの。スーパーとかにも売ってるからオススメ!」

 美坂さんが嬉しそうにクッキーの袋をリュックにしまっている。

 それからしばらくすると、眠っている生徒が段々増えていく。隣の席を視線を向けると、美坂さんも眠ってしまっていた。周りは寝ている生徒ばかりなのに、私は何故か眠ることが出来なかった。
 きっと無事に新入生オリエンテーションが終わったことが嬉しかったのだと思う。私の体調が悪くなったり、菅谷くんの苦しみも知ったオリエンテーションだった。それでも、振り返れば「楽しかった」と言えるオリエンテーションだった。それが無性に嬉しくて。
 オリエンテーションに行くとお母さんに伝えた時、私はこう言った。

「お母さん、ちゃんと『楽しかった』って言えるように頑張ってくる」

 その言葉を叶えられるなんて本当は思っていなくて、ただお母さんを安心させたくて出てきた言葉だった。隣で眠っている美坂さんに視線を向ける。私はきっと恵まれ過ぎているくらいに優しい人に囲まれている。それでも、まだ自分が関わることで周りの人に迷惑をかけることが怖かった。


「ねぇ、川崎さん。きっと俺は寂しくて壊れるんだと思う」


 昨日の夜の菅谷くんのその言葉に私は返事が出来なかった。その気持ちが分かりすぎるからこそなんて言えばいいのか分からなかった……ううん、違う。本当は私なんて寂しくて壊れてしまえばいいと思っている。死んでしまえばいいと思っている。

「でも、周りの人を私のせいで壊したくはないの……」

 そう小さく呟いた自分の声が耳に響いた気がした。

 オリエンテーションから帰って、家の扉をあけるとすぐにお母さんがリビングから飛び出してくる。

「おかえり。大丈夫だった……!?」

 オリエンテーションの一日目の夜、菅谷くんと話していて結局お母さんに電話は出来なかった。寝る前にメッセージは送ったが心配してくれていたのだろう。
 心配そうなお母さんに私はニコッと笑顔を作った。

「ただいま!『楽しかったよ』!」

 その時のお母さんの泣きそうなほど嬉しそう顔を私は一生忘れない気がした。