調理場での片づけを終えたレイラが部屋へ戻って目にしたのは、右手を大きな壺に左手を大鍋へと添えて、粉砕と煮出しを同時に行っている魔女の姿だった。
作業台とコンロとの間に立って両腕を伸ばしている様子は、パッと見では何をしているのかが分からなかった。が、二種類の魔法を同時に繰り出して調薬していると気付くと、驚愕して慌てて師の名前を叫ばずにはいられない。
「ア、アナベル様?!」
壺も鍋もどちらも扱うには相当な魔力を必要とするサイズだ。それを二つ同時に扱うということは、普通に考えて消費魔力も倍になる。アナベルならば魔力を使い果たすことはなさそうだが、異なる魔法を平行して発動するには魔力以外の負荷もかかってくるはずだ。
「まずは夕食を召し上がって下さい! 無茶が過ぎます」
簡易テーブルの上を見ると、あれから一度も手を付けられていないらしく、食事には布が掛かったままだ。マーサから頼まれて運んで来た焼き菓子と果実の皿も一緒に並べ、ポットに新しいお茶を淹れ直す。
――私には無理しないようにって、あれほどおっしゃってた癖に、ご自分は……。
「あら。心配ないわよ」
「いいえ、食事もとらずに作業させたなんて知れたら、私がマーサさんに怒られますから」
さあ、とでも言うように皿の布を捲って、渋るアナベルを椅子へと座らせる。温かいお茶から上がる湯気をしばらく見ていた森の魔女は残念そうにぽつりと呟いた。
「レイラ、最近ちょっと、マーサに似てきたんじゃない?」
「それは光栄ですね」
「ティグが待ってるから、早く終わらせたかったのよねー」
「お利口に、ソファーで待ってましたよ」
ソファーで丸くなっていたことを聞いて、アナベルはとても嬉しそうだ。先に部屋に行って一匹で眠ることもできるのに、アナベルが作業部屋から出てくるのを待ってくれているかと思うと、さらに気が急かされる。
「お食事が終わられたら、私も先に休ませていただきますね」
「そういうところよ、マーサっぽいのは」
アナベルが食べ終わらないとレイラも寝ない、という遠回しな脅しをおかしそうに笑って、根野菜の肉巻きを口へと放り込む。
時々、アナベルは食べるという行為自体が面倒になってしまうことがあるようだ。別に小食という訳ではないから一度食べ始めたら、ちゃんと量も食べるので、黙々と口に運んでいる様子にレイラは内心ホッとしていた。
空いたカップに二杯目を注ぎ足した後、レイラは壁面の棚に並んでいる薬草の在庫の確認をしていた。回復薬で使う種類の一部は完全に空になっているので、今夜にアナベルが作る予定分は今着手している物が最後のようだった。
夕刻に送られて来た瓶は全て詰め終わっているので、空いている木箱にまとめていく。
「もうすぐ、ブリッドが追加の薬草を持って来てくれるわ」
ブリッドはベルの契約獣だ。彼がどこにいるかは感覚で分かる。街を出てこちらへ向かって飛んでいるから、数分後には結界を入ってくるだろう。
「じゃあ、薬を外へ出して出迎えにいきますね。アナベル様は召し上がってて下さい」
レイラが入口扉を開いて木箱を運び出していると、月の無い真っ黒な夜空からバサバサという大きな鳥に翼の音が聞こえてくる。見上げると、オオワシがゆっくりと館の庭に降り立とうとしていた。
そして、夜目が効くということは本来は夜行性の鳥なんだろうかという興味が湧き上がってくる。
――確か、魔鳥図鑑がホールの棚にあったはずだし、後で調べてみようかな。
ブリッドが運んで来た木箱には、薬草が詰まった麻袋がぎっしりと積み込まれている。必要な種類の薬草を道具屋にある分全て送るように依頼したらしく、なかなかの量だ。木箱の中から荷を積み下ろし、代わりに薬瓶の入った箱を積み込んでいく。
「夜遅くにご苦労様。気を付けてね」
いつも師がしているようにブリッドへ声を掛けてみるが、さすがに手を伸ばして触れる勇気まではなかった。オオワシの方も聞こえているのか聞こえていないのか、返事すらしてくれない。そして、レイラが積み荷から離れるとささっと飛び去ってしまった。――つれないものだ。
追加で運ばれて来た薬草を作業部屋へと移動させて、アナベルの食事の後片付けも終えると、レイラは宣言通りに二階の自室へと向かう。その際、ホールの棚から魔鳥図鑑を借りていくのは忘れなかった。
ベッドの上で図鑑を開いていると、少しだけ開いたままにしていた扉から順に子猫達が顔を出し、捲られるページにじゃれ付いたり、読んでいる本の上に乗って来たりと邪魔ばかりされて全く集中できそうもない。
仕方なく寝る前の読書は諦め、部屋の灯りを消してしまうと、さすがに夜も更けていたからか、小さな獣達は各々の好きな場所を陣取り、あっという間に寝息を立て始める。
スースーという小さな寝息に囲まれて、赤茶色の髪の少女もまた深い眠りへと誘われる。この館を訪れた時はショートだった髪は、少し伸びてセミロングくらいにはなった。
翌朝、庭師のクロードが本邸より運んで来た荷物の半分は空の薬瓶が占めていた。ベテラン世話係を見習って、遠慮せず先に休ませて貰ったのは正解だったと、レイラは作業部屋の一角に積み上げられた木箱を前に、しみじみと頷いていた。
作業台とコンロとの間に立って両腕を伸ばしている様子は、パッと見では何をしているのかが分からなかった。が、二種類の魔法を同時に繰り出して調薬していると気付くと、驚愕して慌てて師の名前を叫ばずにはいられない。
「ア、アナベル様?!」
壺も鍋もどちらも扱うには相当な魔力を必要とするサイズだ。それを二つ同時に扱うということは、普通に考えて消費魔力も倍になる。アナベルならば魔力を使い果たすことはなさそうだが、異なる魔法を平行して発動するには魔力以外の負荷もかかってくるはずだ。
「まずは夕食を召し上がって下さい! 無茶が過ぎます」
簡易テーブルの上を見ると、あれから一度も手を付けられていないらしく、食事には布が掛かったままだ。マーサから頼まれて運んで来た焼き菓子と果実の皿も一緒に並べ、ポットに新しいお茶を淹れ直す。
――私には無理しないようにって、あれほどおっしゃってた癖に、ご自分は……。
「あら。心配ないわよ」
「いいえ、食事もとらずに作業させたなんて知れたら、私がマーサさんに怒られますから」
さあ、とでも言うように皿の布を捲って、渋るアナベルを椅子へと座らせる。温かいお茶から上がる湯気をしばらく見ていた森の魔女は残念そうにぽつりと呟いた。
「レイラ、最近ちょっと、マーサに似てきたんじゃない?」
「それは光栄ですね」
「ティグが待ってるから、早く終わらせたかったのよねー」
「お利口に、ソファーで待ってましたよ」
ソファーで丸くなっていたことを聞いて、アナベルはとても嬉しそうだ。先に部屋に行って一匹で眠ることもできるのに、アナベルが作業部屋から出てくるのを待ってくれているかと思うと、さらに気が急かされる。
「お食事が終わられたら、私も先に休ませていただきますね」
「そういうところよ、マーサっぽいのは」
アナベルが食べ終わらないとレイラも寝ない、という遠回しな脅しをおかしそうに笑って、根野菜の肉巻きを口へと放り込む。
時々、アナベルは食べるという行為自体が面倒になってしまうことがあるようだ。別に小食という訳ではないから一度食べ始めたら、ちゃんと量も食べるので、黙々と口に運んでいる様子にレイラは内心ホッとしていた。
空いたカップに二杯目を注ぎ足した後、レイラは壁面の棚に並んでいる薬草の在庫の確認をしていた。回復薬で使う種類の一部は完全に空になっているので、今夜にアナベルが作る予定分は今着手している物が最後のようだった。
夕刻に送られて来た瓶は全て詰め終わっているので、空いている木箱にまとめていく。
「もうすぐ、ブリッドが追加の薬草を持って来てくれるわ」
ブリッドはベルの契約獣だ。彼がどこにいるかは感覚で分かる。街を出てこちらへ向かって飛んでいるから、数分後には結界を入ってくるだろう。
「じゃあ、薬を外へ出して出迎えにいきますね。アナベル様は召し上がってて下さい」
レイラが入口扉を開いて木箱を運び出していると、月の無い真っ黒な夜空からバサバサという大きな鳥に翼の音が聞こえてくる。見上げると、オオワシがゆっくりと館の庭に降り立とうとしていた。
そして、夜目が効くということは本来は夜行性の鳥なんだろうかという興味が湧き上がってくる。
――確か、魔鳥図鑑がホールの棚にあったはずだし、後で調べてみようかな。
ブリッドが運んで来た木箱には、薬草が詰まった麻袋がぎっしりと積み込まれている。必要な種類の薬草を道具屋にある分全て送るように依頼したらしく、なかなかの量だ。木箱の中から荷を積み下ろし、代わりに薬瓶の入った箱を積み込んでいく。
「夜遅くにご苦労様。気を付けてね」
いつも師がしているようにブリッドへ声を掛けてみるが、さすがに手を伸ばして触れる勇気まではなかった。オオワシの方も聞こえているのか聞こえていないのか、返事すらしてくれない。そして、レイラが積み荷から離れるとささっと飛び去ってしまった。――つれないものだ。
追加で運ばれて来た薬草を作業部屋へと移動させて、アナベルの食事の後片付けも終えると、レイラは宣言通りに二階の自室へと向かう。その際、ホールの棚から魔鳥図鑑を借りていくのは忘れなかった。
ベッドの上で図鑑を開いていると、少しだけ開いたままにしていた扉から順に子猫達が顔を出し、捲られるページにじゃれ付いたり、読んでいる本の上に乗って来たりと邪魔ばかりされて全く集中できそうもない。
仕方なく寝る前の読書は諦め、部屋の灯りを消してしまうと、さすがに夜も更けていたからか、小さな獣達は各々の好きな場所を陣取り、あっという間に寝息を立て始める。
スースーという小さな寝息に囲まれて、赤茶色の髪の少女もまた深い眠りへと誘われる。この館を訪れた時はショートだった髪は、少し伸びてセミロングくらいにはなった。
翌朝、庭師のクロードが本邸より運んで来た荷物の半分は空の薬瓶が占めていた。ベテラン世話係を見習って、遠慮せず先に休ませて貰ったのは正解だったと、レイラは作業部屋の一角に積み上げられた木箱を前に、しみじみと頷いていた。