解熱剤の試作品を両手に持った状態で動きを止め、ソルピットの魔女は目をぱちくりさせている。今、何かおかしなことを言われやしなかったかと、アナベルの顔を見た後、救いと説明を求めるかのようにレイラの方へ視線を移してくる。
まだ十代の若い弟子は、師の意見に賛成とばかりにニコニコと頷いている。
「え?」
アナベルが考えもなく言葉を発する人でないことは分かっているから、最初は単に自分が聞き間違えただけだと思った。そんな旨い話がそうそうあってなるものか。
「ソルピット茸なら、ルーシーの方が扱い慣れているでしょう?」
「そうかもしれませんが、でも……これはアナベル様がお作りになった物ですし……」
聞き間違いじゃなかった。森の魔女が開発した新薬を、ルーシーの名で作って売れと言っているのだ。治験も終わっているし品質にも問題はない、あとは売り出すだけだという段階でその権利を譲ると言われ、素直に喜んで良いのかが分からない。
ソルピットのキノコを使うから、その村の薬魔女が作ればいいという考え方も分からないではないが、開発者を差し置いて自分の名前を使うことには抵抗がある。
やっぱりお受けできません、と首を横に振ろうとしかけたルーシーへ、アナベルがぽつりと本音を漏らす。
「薬草茶を領外へ出すことも決まったし、これ以上は抱えられないのよね」
壁面に設置された棚には薬やお茶の材料となる薬草がぎっしりと収納されている。うんざりという視線をそちらへ送って、アナベルはわざとらしい溜め息までついてみせる。確かに、そこにはもうキノコの入る隙など無いように思えた。
さらに「これ以上増やしたら、面倒だわ……」という心の声まで漏れてきた気がして、ルーシーは自信なさげに恐縮しつつ頷くしなかった。
「私では、アナベル様がお作りされるほどは、売れないとは思いますが……」
「反応が悪かったら、止めても構わないわ」
薬草茶とキノコの良いとこ取りのような新薬の反応が悪い訳はないと、ルーシーは勢いよく首を横に振る。
「薬草を合わせて使うことで薬の単価も下げることが出来そうですし、きっと喜ばれると思います」
詳しい製法の説明をアナベルから享受され、作業部屋の慣れない道具を使って試作を繰り返す黒髪の魔女の横で、レイラもまた額に汗を浮かべながらソルピット茸の解熱剤を作り続けていた。
「薬草を煮出した物はキノコとは違って、急いで冷却した方が良いんでしょうか?」
「いいえ。放っておいても品質は変わらないと思うわ。先代は自然に冷めるのを待っておられたもの」
単に待つのが面倒というだけで、アナベルは魔法で急速冷却していたが、薬草の場合は特にその辺りに決まりはない。
さすがに森の魔女が普段から使っている鍋や壺では魔力の消費が早いのか、ルーシーは薬草茶で魔力疲労を補いながら作業を続ける。少しばかり苦戦している風にも見えたが、黒髪の魔女もそれなりに魔力量があるようだ。
「ルーシー様、キノコの煮出しはこのくらいでよろしいでしょうか?」
「ええ、良い感じ。そのまま自然に冷めるのを待ってあげて」
ルーシーが使っているのよりも半分の大きさしかない自分専用の鍋で、レイラは粉末化したキノコを煮込んでいた。丁寧に灰汁を除けて透き通った煮汁になったそれを確認してもらうと、風通しの良い窓際に移動させてから冷まし始める。
レイラに解熱剤の作り方を教えに来たつもりが、なぜかベルから新薬の製法を指導されている。この不思議な状況に、ルーシーは口の端だけで小さく微笑む。
「先代に初めて薬作りを教えていただいた時のことを思い出しますね」
「先代の魔女様は、どんな方だったのかしら?」
「そうですねぇ……」
大鍋に両手を添えて、鍋ごと冷却魔法をかけながら、ルーシーは亡き師のことを思い浮かべているようだった。昨年の寒い季節に胸の発作を起こし、そのまま亡くなったという先代魔女は老魔女と呼ぶにはまだ若い方だったらしい。
「静かな方、でしょうか。私と居ても、ほとんど会話も無くって」
慣れたら意外とお喋りなルーシーだが、人見知り全開の弟子入りしたての頃でも、全く干渉して来ない先代と居るのは割と平気だったという。きっと似た物同士で波長が合ったのだろう。
「先代も私も、虫が大の苦手なんですが、ある時に作業部屋に大きな虫が入り込んでしまって――」
先代と打ち解けたキッカケを問われて、ルーシーは恥ずかしそうに眼をそらす。そして、入荷した原料の中に紛れ込んでいた大きな蛾のことを思い出したのか、ぶるっと身体を震わせた。
「二人して大騒ぎしながら虫を追い払おうとほうきを振り回してたら、いつの間にか日も暮れてて、冷静になって見回したら部屋もぐちゃぐちゃになってて。で、何だか疲れちゃったわねーって一緒に大笑いして、でしょうか」
「あら、楽しそうね」
おとなしい魔女と人見知りの弟子との絆は、一匹の虫が作り出したかと思うと滑稽だが、それを話しているルーシーの表情からとても愉快な思い出となっているのは確か。
すっかり冷めた鍋の中身をろ過してから精製までし終えると、ルーシーは自分が朝一で持ち込んだ乾燥キノコを、麻袋から壺へ入れ替えて粉砕し始める。その慣れた手付きはさすがに現役の薬魔女だと感心しつつ、レイラは自分の鍋に手を添えて温度を確認してみる。
「意外と冷めないものですね」
「ふふふ、せっかちだとキノコは扱えないわね」
そのアナベルの一言に、彼女がなぜ自分で新薬を作ろうとしないのかをレイラは十分に察した。確かに森の魔女にはキノコの取り扱いは向いていない。
まだ十代の若い弟子は、師の意見に賛成とばかりにニコニコと頷いている。
「え?」
アナベルが考えもなく言葉を発する人でないことは分かっているから、最初は単に自分が聞き間違えただけだと思った。そんな旨い話がそうそうあってなるものか。
「ソルピット茸なら、ルーシーの方が扱い慣れているでしょう?」
「そうかもしれませんが、でも……これはアナベル様がお作りになった物ですし……」
聞き間違いじゃなかった。森の魔女が開発した新薬を、ルーシーの名で作って売れと言っているのだ。治験も終わっているし品質にも問題はない、あとは売り出すだけだという段階でその権利を譲ると言われ、素直に喜んで良いのかが分からない。
ソルピットのキノコを使うから、その村の薬魔女が作ればいいという考え方も分からないではないが、開発者を差し置いて自分の名前を使うことには抵抗がある。
やっぱりお受けできません、と首を横に振ろうとしかけたルーシーへ、アナベルがぽつりと本音を漏らす。
「薬草茶を領外へ出すことも決まったし、これ以上は抱えられないのよね」
壁面に設置された棚には薬やお茶の材料となる薬草がぎっしりと収納されている。うんざりという視線をそちらへ送って、アナベルはわざとらしい溜め息までついてみせる。確かに、そこにはもうキノコの入る隙など無いように思えた。
さらに「これ以上増やしたら、面倒だわ……」という心の声まで漏れてきた気がして、ルーシーは自信なさげに恐縮しつつ頷くしなかった。
「私では、アナベル様がお作りされるほどは、売れないとは思いますが……」
「反応が悪かったら、止めても構わないわ」
薬草茶とキノコの良いとこ取りのような新薬の反応が悪い訳はないと、ルーシーは勢いよく首を横に振る。
「薬草を合わせて使うことで薬の単価も下げることが出来そうですし、きっと喜ばれると思います」
詳しい製法の説明をアナベルから享受され、作業部屋の慣れない道具を使って試作を繰り返す黒髪の魔女の横で、レイラもまた額に汗を浮かべながらソルピット茸の解熱剤を作り続けていた。
「薬草を煮出した物はキノコとは違って、急いで冷却した方が良いんでしょうか?」
「いいえ。放っておいても品質は変わらないと思うわ。先代は自然に冷めるのを待っておられたもの」
単に待つのが面倒というだけで、アナベルは魔法で急速冷却していたが、薬草の場合は特にその辺りに決まりはない。
さすがに森の魔女が普段から使っている鍋や壺では魔力の消費が早いのか、ルーシーは薬草茶で魔力疲労を補いながら作業を続ける。少しばかり苦戦している風にも見えたが、黒髪の魔女もそれなりに魔力量があるようだ。
「ルーシー様、キノコの煮出しはこのくらいでよろしいでしょうか?」
「ええ、良い感じ。そのまま自然に冷めるのを待ってあげて」
ルーシーが使っているのよりも半分の大きさしかない自分専用の鍋で、レイラは粉末化したキノコを煮込んでいた。丁寧に灰汁を除けて透き通った煮汁になったそれを確認してもらうと、風通しの良い窓際に移動させてから冷まし始める。
レイラに解熱剤の作り方を教えに来たつもりが、なぜかベルから新薬の製法を指導されている。この不思議な状況に、ルーシーは口の端だけで小さく微笑む。
「先代に初めて薬作りを教えていただいた時のことを思い出しますね」
「先代の魔女様は、どんな方だったのかしら?」
「そうですねぇ……」
大鍋に両手を添えて、鍋ごと冷却魔法をかけながら、ルーシーは亡き師のことを思い浮かべているようだった。昨年の寒い季節に胸の発作を起こし、そのまま亡くなったという先代魔女は老魔女と呼ぶにはまだ若い方だったらしい。
「静かな方、でしょうか。私と居ても、ほとんど会話も無くって」
慣れたら意外とお喋りなルーシーだが、人見知り全開の弟子入りしたての頃でも、全く干渉して来ない先代と居るのは割と平気だったという。きっと似た物同士で波長が合ったのだろう。
「先代も私も、虫が大の苦手なんですが、ある時に作業部屋に大きな虫が入り込んでしまって――」
先代と打ち解けたキッカケを問われて、ルーシーは恥ずかしそうに眼をそらす。そして、入荷した原料の中に紛れ込んでいた大きな蛾のことを思い出したのか、ぶるっと身体を震わせた。
「二人して大騒ぎしながら虫を追い払おうとほうきを振り回してたら、いつの間にか日も暮れてて、冷静になって見回したら部屋もぐちゃぐちゃになってて。で、何だか疲れちゃったわねーって一緒に大笑いして、でしょうか」
「あら、楽しそうね」
おとなしい魔女と人見知りの弟子との絆は、一匹の虫が作り出したかと思うと滑稽だが、それを話しているルーシーの表情からとても愉快な思い出となっているのは確か。
すっかり冷めた鍋の中身をろ過してから精製までし終えると、ルーシーは自分が朝一で持ち込んだ乾燥キノコを、麻袋から壺へ入れ替えて粉砕し始める。その慣れた手付きはさすがに現役の薬魔女だと感心しつつ、レイラは自分の鍋に手を添えて温度を確認してみる。
「意外と冷めないものですね」
「ふふふ、せっかちだとキノコは扱えないわね」
そのアナベルの一言に、彼女がなぜ自分で新薬を作ろうとしないのかをレイラは十分に察した。確かに森の魔女にはキノコの取り扱いは向いていない。