グラン領主家に仕える護衛騎士の長であるアデルは、ジョセフにとっては剣術の師でもある。そのベテランが先ほどまで護衛に付いていた若い騎士と同じように、窓際のティーテーブルで待機しようとするのを、アナベルと二人で必死に引き留めたのは当然のこと。

 アデルは剣士として隣領シュコールで冒険者をしていた時に、アナベルの父親のジークと出会い、その縁からグランへと渡って来た。
 元々の剣術の腕前に、ジークの推薦もあり、彼がグランの騎士の頂点に登り詰めるのは異例の早さだったと聞いている。アナベルの父のような冒険譚が書かれる程の目立つ功績は無いが、彼の剣の腕に憧れて英雄視する者は少なくない。

 最近ではもう表立って護衛の任務に就くことが無くなった彼が、本来の業務を放棄して、若手の任務を奪ってでもここに来た理由はただ一つ。親友の大事な一人娘の無事を自分の目で確認したかったからだ。

「――では、昨夜のことを私も一緒に伺っても?」

 アデルは交代の護衛として来たつもりだったが、アナベル達からソファーへ一緒にと勧められて、これでは部下に示しが付かないなと困ったように笑いながらも、ジョセフの隣に腰を置いた。

 席に着くとすぐにマーサが熱いお茶を淹れてくれたので、目を合わせて礼を言う。この世話係とは同じくらいのタイミングで領主家に仕えるようになったので、知らない仲ではない。元気そうで何よりと、互いに言葉なく確認し合った。

「ええ。勿論」
「捕らえられた者達の話では、三人で裏口から侵入したが、何も盗っていないということですが」

 警備兵から報告された強盗達への尋問の内容を、アデルはすでに確認済みだった。抗う態度も無く、男三人は洗いざらいを告白し、それにより森の中に隠されていた逃走用の馬の回収もとうに終わっている。聞いた内容を繰り返すと、アナベルは神妙な顔付きで黙って頷いていた。

 本来はジョセフが事情聴取役を担うつもりで館へやって来たはずだったが、アナベル本人よりもオロオロしているだけだったので、アデルの落ち着いた物腰はとても頼もしく感じる。

「アナベル様が放たれたのは、風魔法ですか?」
「ええ。階段の上から突風と、その後は風の刃を少し」

 少しという傷跡ではなかったような気がするが……。とジョセフは連行された男達の姿を思い出して首を傾げる。アデルも報告書には目を通して状況を把握していたけれど、その点については特に追及はしなかった。森の魔女が少しと思うなら、あれは「少し」なんだろうと。

「火魔法だと館まで燃えてしまうから、マーサに怒られてしまうもの」

 どうして風魔法をと問われて、アナベルはしれっとそう答える。父と同じく、アナベルが得意なのは炎系だと聞いていた。咄嗟の状況で、得意魔法以外を発動できる冷静さにアデルは心底驚いていた。

 現場であるホール内を見渡してみても、戦った跡は一切見当たらない。対象を極限まで絞った攻撃は見事としか言えない。

「あの者達もいずれ、あなたの優しさと強さに感謝する日が来るでしょう」

 一撃で抹殺できる力を持ち合わせているのに、アナベルはそれを使わなかった。常人なら最速で排除しようとするところを、恐怖を感じながらも最小の攻撃に留めることのできる強さ。命を奪わなかったことは何よりも褒めるに値する。

 アデルからの事情聴取が進むにつれて、アナベルの心の引っ掛かりが一つずつ丁寧に取り除かれて行くのを感じる。彼女が取った行動の一つ一つを確認しながら、騎士長はそれを順に肯定していってくれるからだ。

「そうですね。アナベル様の判断で唯一間違っているとしたら、侵入に気付いた時点で契約獣を動かさなかったことくらいでしょうか」
「そうだよ、アナベル。先に警備兵を呼んでいれば、君が危ないめに合わなくて済むこともあるんだから」

 早駆けの馬なら街から20分ほどの距離だ。行動の遅い侵入者なら直接対峙する前に警備兵が到着できることもあるかもしれない。次からは部屋を出る前に、まずはブリッドを飛ばすことをアナベルは二人からかなり強く約束させられた。

 夜明けと共に訪れたジョセフが森の館を離れた時も、まだ太陽が真上には昇り切っていなかった。馬車が駆ける足音でようやく目を覚ましたレイラが、気まずそうにホールへと顔を見せると、いつもと変わらない様子の森の魔女はソファーで薬草茶を口にしていた。その膝の上にはティグが丸くなって眠っている。
 あまりにいつも通りで、昨夜の出来事は夢か何かだと勘違いしてしまいそうになる。

 調理場の中を覗くと、昼食の準備をこれから始めようとしているマーサの足下で、子猫達が遅めの朝食を貪っている。父猫に似て、あむあむと喋りながら食べる子が多いので、賑やかというより少し騒々しい。

「おはようございます」
「あら、レイラさん。よく眠れまして?」
「はい。あの……マーサさんは、あれからずっと起きてらっしゃるのですか?」

 先に部屋へ戻され、外から聞こえて来た警備兵の到着した音で安心して眠ってしまったレイラだったが、その後の対応を任された世話係が眠り直す時間は無かったはずだ。

「ご心配はいりませんわ。昼食を作り終えたら、一旦休ませていただくつもりですから」
「いえ、後は私がやります! マーサさんはもう休んでくださいっ」

 話しながら食材の準備を進めているマーサの表情に疲れが見えて、レイラは背を押して調理場から無理やりに追い出した。二人のやり取りをホールで聞いていたアナベルからも、「夕食も適当に済ませるから、今日は休みなさい」と強制的に半休の許可が出される。

「ナァーちゃん、マーサを見張ってて」
「ナァー」

 それまではダイニングチェアーで毛づくろいしていた三毛猫に、マーサの監視を託す。長い尻尾をぴんと伸ばしたナァーは、世話係に寄り添うように一緒に階段を上がっていく。