森のざわめきがいつもより激しい夜。微かな月明かりが入り込む窓辺のベッドで丸くなっていたトラ猫の耳がピクピクと動いた。しばらくは耳だけで反応していたが、丸い頭を上げ、さらに何かの気配を確認するかのように四角い窓を見上げている。

「ふふふ、さすがね」

 寄り添って眠っていた森の魔女も、猫が動き出すとすぐに目を覚まし、褒めるようその頭を撫でてやる。さすがに猫の察知能力には敵わない。アナベルがそれの侵入に気付けたのは、館に張られた結界を通過した時だったのだから。

 正面ではなく裏口からの侵入は、どう考えてもまともな訪問者ではないだろう。施錠された門を無理にこじ開け、裏庭に入り込んでいる気配は三人。馬などの足となりそうな物の気配は近くに感じないので、離れた場所にでも隠しているのだろうか。

 自らが張った結界だ、中での動きは手に取るように分かる。落ち着いた動作で寝着の上にカーディガンを羽織り、館の他の住人達の様子を探る。マーサもレイラもそれぞれの部屋で眠っているようだし、ナァーはマーサの傍にいるから何かあれば守ってくれるだろう。子猫はレイラのところに集まっているが、チビ達はまだ魔法を使ったことがない。

「ティグ、レイラの部屋へ行けるかしら?」
「にゃーん」

 声を潜めてお願いされたからか、トラ猫も小さな鳴き声で返事する。足音も立てず静かにベッドを離れると、開いたままの扉の隙間から部屋を出て行く。大人猫達が付いていれば安心だと、アナベルは再び階下に入り込んだ不審者の動きに意識を戻す。

 裏口から調理場に侵入した強盗は隣の休憩室を覗いた後、ゆっくりとホールへ向かっているようだ。その先に、小さな気配を感じてアナベルはハッとする。

 ――下に誰かが、居る? ……ラン?

 一匹でホールのソファーに眠っていた黒猫のランが、いきなりの見知らぬ人間の訪問で動けなくなっている。上手く隠れているのなら良いが、万が一見つかり傷付けられでもしたらと、アナベルが慌てる。

 ティグと同じようにそっと扉の隙から部屋を抜け出て、階段の上で不審者の様子を伺う。月明かりで分かるのは、男が三人ということ。どれも黒い布で顔を隠し、腰に剣を携えている。

「ちっ、持ち運べそうな物はあんまねぇな。二階か?」
「この椅子とか、めちゃくちゃ高く売れそうなんだけどな」
「これも頑丈に固定されてやがる……何なんだ、この屋敷?」

 それなりの値段がするのは分かるが、簡単に持ち出せそうな物が無いと、悔し気に舌打ちしている声が聞こえてきた。
 目を凝らしてホール中を探してみるが、薄暗い室内で黒猫の姿は見えない。上手く隠れているようなので、そのままでいてと願いながら、アナベルは男達の動きを息を殺しながら見張っていた。

 壁に飾られた絵画や彫刻などを持ち上げようとしているが、どれも固定されているから動かせない。猫達が多少暴れるくらいなら耐えられるようにと、装飾類もかなり頑丈にして貰ったおかげだ。それ以外は全てホールからは撤去しておいたのが功を奏していた。

 強盗の一人が親指を上げて、仲間たちへと二階を指し示す。頷き合い、二人が会談へ向かい、一人は見張りとして下に残るようだ。
 足音を忍ばせ、階段を昇ってくる男二人。アナベルは壁に身を隠しながらタイミングを計る。

 館の階段は螺旋ではなく真っ直ぐに伸びている。その最上段まであと一歩というところで、森の魔女は男二人に向かって風魔法を放つ。いきなりの突風に吹き飛ばされ、階段の上から勢いよく転げ落ちる男達。

「お、おいっ、どうしたんだ?!」

 派手な音を立てて上から降って来た仲間に、下で見張り役を担いながらも調度品の物色を続けていた男が、慌てて駆け寄っていく。

「わ、わかんねえ、いきなり飛ばされた……」

 上手く受け身を取れたのか、打った腰や頭をさすりながら起き上がった二人は二階を見上げる。ここが魔女の館だということは分かっている。例え魔女でも男三人がかりならと腰に携えた剣に手を掛ける。
 瞬間、ホール中の照明が煌々と灯り、強盗達はその眩しさに目を細めた。

「まっぶし……なんだぁ?!」

 明るさに慣れ始めた目で階上を仰ぐと、森の魔女が冷たい瞳で右手を振り下ろしている。三人にめがけて撃たれた風は、鋭い刃となって男達の皮膚を切り裂きに向かう。致命傷にはならないワザと浅い攻撃。周りの調度品には傷一つ付けず、男達の周囲にだけ吹き続ける風は、彼らの服と皮にだけその跡を残す。アナベルが手を下ろしても、風の刃が止まる気配はない。身体を覆う鋭い痛みが無数に増えていく。
 絶えず続けられる小刻みな攻撃と、一段一段ゆっくり階段を降りて近付いてくる魔女の足音に、男達は背筋にゾクリと冷たい物を感じる。

「も、申し訳ありませんっ」
「勘弁して下さい……」
「すみませんでしたぁ」

 繰り返される見えない刃の攻撃に、武器を手放し、顔を隠すように巻いていた布も外して許しを乞う男達。アナベルは困ったように眉を寄せながら、その姿を見下ろす。
 血が滲んだズタズタの服を纏った強盗は、抵抗することを諦めて膝をついている。森の魔女の力を見くびっていたことを完全に思い知らされた。

「お、お嬢様?」

 騒ぎに気付いたマーサが青い顔で声を掛け、階下にいる傷だらけの見知らぬ男達に目を見開く。悲鳴を上げそうになるのを堪えて、必死で心を落ち着ける。

「マーサ、部屋にそれを置くのは認めないわよ」

 震える世話係の手に握られているのは、長さ30センチもある出刃包丁。おそらく護身用のつもりなのだろうが、物騒極まりない。部屋にそんなものを持ち込んでいるなんて、今初めて知った。

「レイラも、それは盾にもならないわ」

 マーサの後ろに隠れている弟子が持っていたのは、厚さ1センチの本だ。せめて分厚い薬草図鑑なら何とか使えるかもしれないが、その薄さでは刃物も通してしまうのに、咄嗟に手に持ったのがこれだった。

 この後をどう処理しようかと悩んでいるアナベルに、後はお任せ下さいと世話係が男達の身柄をロープで拘束していく。アナベルによって付けられた傷には傷薬を塗って回るという慈悲深さを見せつつも、念入りに容赦なく縛り上げている。

「ブリッドを呼んでいただければ、後は街の警備兵にお任せされるのが良いと思います」
「そうね。急いで呼ぶわ」

 外に向かって魔力を飛ばし、契約獣のオオワシを呼び寄せる。緊急の通達を願えば、日が明ける頃には街から駆け付けてくれるだろう。怯えた表情のレイラにも、もう大丈夫よと声を掛けてきて、傍に寄り添ってくれていたティグとナァーの頭を褒めるように撫でている。子猫達は怖がっているのか、レイラの部屋から出てくる気はないようだ。
 縛り上げた強盗を入口扉の外へ放り出したマーサは、逃げないようにとさらに三人の足にロープを巻いている。

 一匹でホールで寝ていた黒猫のランは、事が落ち着いた頃になってようやくソファーの下から顔を出して来た。