休憩室の窓のすぐ近くには、裏庭から目隠しするように木が植えられている。その木の葉を通して室内には優しい光が入り込んでくる。日差しの温かさにウトウトしそうになるのを堪えながら、レイラは他国の旅人が記したという旅行記に目を落としていた。
庭師の老人が設置してくれた窓辺の棚には、ホールから借りて来た物と一緒に、リューシュカのところから持って来た本も並べた。マーサがここで休む時は縫い物やレースを編んだりすることが大半で、新しい棚はほぼレイラ専用になってると言っても良い。
あまり外に出ることを好まない、かなり引き籠り気味の森の魔女だったが、彼女の蔵書には旅行記の類いも多く含まれている。旅関連に限らず、魔法や調薬とは関係のない伝記や物語なども並んでいるところを見ると、アナベルは活字から知識を得ること自体が好きなのかもしれない。
レイラ自身も本を読むのは大好きで、学舎に通っていた頃は教室の棚から毎日一冊ずつを借りて帰って、卒業する前には読みたい物は一通り読み切っていた。
誰でも通うことができる学舎のおかげで、識字率はそれなりに高いグラン領だが、子供のお小遣いで買えるほど本は安くない。だから、ホールの天井まである壁面棚から好きなだけ手に取れるこの環境は夢のようだった。
しかも、定期的に街から新しい本が送られてくるので、その蔵書数は常に増え続けている。読みたい物があれば注文すれば良いとアナベルからも言ってもらえるが、まだまだ今あるだけで十分過ぎるくらいだ。
読み進めていた旅行記をキリの良いところで一旦終え、レイラはページを閉じて棚へと戻す。隣の調理場でマーサが慌ただしく作業している音が聞こえてきたので、何か手伝うことはないかと覗いてみる。
「お客様ですか？」
「ええ。弟子入り希望みたいですわね」
ワゴンにティーセットを乗せて準備しながら、世話係は困ったような微妙な顔をしている。
猫の存在が無かった頃は、基本的には森の魔女は弟子入りを断ることはなかった。全てを受け入れていたが、ほぼ全員が数日で辞めて行く。なので、弟子が既にいる状況で弟子入り希望者が訪問してくるという状況は初めてのこと。
もし猫達から認めて貰えたら、新しい弟子をさらに受け入れるつもりなのかどうか、長年仕えている世話係でさえも、アナベルの思惑は測れない。
一方、レイラはというと、姉弟子になるかもしれないという喜びと同時に、自分よりも魔力のある弟子が新たに入って来ることで自分の居場所が無くなるのではないかという不安を感じていた。
マーサが給仕に向かう先を調理場の扉の隙間からドキドキしながら覗き込んでみる。入口すぐに設置されたソファーには父親に引き連れられた少女の姿があった。長い髪を後ろで二つに結び、まだ幼さが残った顔は学舎を出たばかりという感じ。レイラよりも年下だろうか。緊張したように両手を握りしめて俯いている様に、レイラはほんの少し前の自分のことを思い出した。
世話係が淹れたお茶に恐縮するように頭を下げている父親に、レイラは見覚えがあった。すぐには出て来ず、首を傾げて必死になって思い出す。
――あ、中心街の魔力屋のおじさんだ。
魔石の魔力補充を生業とする魔法使いだと分かって納得する。横に座る少女もきっと、父親譲りの魔力保有者なのだろう。
二階から降りて来た森の魔女に気付き、二人は揃って立ち上がると頭を下げる。
「困ったわね。弟子はもういるのよね……二人も同時に教えるのは難しいわ」
父親の挨拶と娘の自己紹介を聞いた後、アナベルは少しばかり眉を寄せる。親の魔力屋を手伝うよりも薬魔女になりたいと願う少女の心意気には多少なりとも感心していたようだった。けれど、猫達のことを思えば館に人はこれ以上増やしたくはない。
アナベルが弟子入りを断ったのはこれが初めてだ。
「お願いします、薬が作れるようになりたいんです」
あっさりと諦めた父の横で、必死でアナベルに懇願の瞳を向ける少女へ、森の魔女は少し考えてから微笑んで見せる。
「ソルピットの魔女になら、手紙を書いてあげることはできるわよ」
「ソルピットというと、キノコの解熱剤のでしょうか？」
その村の名にすぐ気付いて確認する父親に、そうよとアナベルは頷き返す。弟子入り予定だったレイラがこちらに来たということは、ルーシーのところには誰もいないはずだ。紹介のし合いになってしまうが、まさにこれも縁。
「森の館に仕えるよりは、親としても安心でしょう？」
「それはもう！ ……あ、いえ、そんなことはないです」
思わず漏れてしまった本音を慌てて否定する魔力屋に、アナベルがおかしそうに笑った。幽霊屋敷の噂すら出る館に送り込むよりは、材木業とキノコ栽培で活気溢れるソルピット村へ行かせる方が心配は減るはずだ。
「でしたら、お嬢様の薬草茶を手土産にお持ちになられると良いですわね」
「そうね。手紙を書いている間に用意してくれるかしら、レイラ？」
人見知りの激しい魔女ルーシーと打ち解けるキッカケになったという薬草茶の話をレイラから聞いていたアナベル達。調理場の扉から覗き見していたレイラは、ふいに声を掛けられて慌ててホールへと飛び出した。覗き見していたのが完全にバレている。
「は、はいっ。すぐに用意いたします」
庭師の老人が設置してくれた窓辺の棚には、ホールから借りて来た物と一緒に、リューシュカのところから持って来た本も並べた。マーサがここで休む時は縫い物やレースを編んだりすることが大半で、新しい棚はほぼレイラ専用になってると言っても良い。
あまり外に出ることを好まない、かなり引き籠り気味の森の魔女だったが、彼女の蔵書には旅行記の類いも多く含まれている。旅関連に限らず、魔法や調薬とは関係のない伝記や物語なども並んでいるところを見ると、アナベルは活字から知識を得ること自体が好きなのかもしれない。
レイラ自身も本を読むのは大好きで、学舎に通っていた頃は教室の棚から毎日一冊ずつを借りて帰って、卒業する前には読みたい物は一通り読み切っていた。
誰でも通うことができる学舎のおかげで、識字率はそれなりに高いグラン領だが、子供のお小遣いで買えるほど本は安くない。だから、ホールの天井まである壁面棚から好きなだけ手に取れるこの環境は夢のようだった。
しかも、定期的に街から新しい本が送られてくるので、その蔵書数は常に増え続けている。読みたい物があれば注文すれば良いとアナベルからも言ってもらえるが、まだまだ今あるだけで十分過ぎるくらいだ。
読み進めていた旅行記をキリの良いところで一旦終え、レイラはページを閉じて棚へと戻す。隣の調理場でマーサが慌ただしく作業している音が聞こえてきたので、何か手伝うことはないかと覗いてみる。
「お客様ですか？」
「ええ。弟子入り希望みたいですわね」
ワゴンにティーセットを乗せて準備しながら、世話係は困ったような微妙な顔をしている。
猫の存在が無かった頃は、基本的には森の魔女は弟子入りを断ることはなかった。全てを受け入れていたが、ほぼ全員が数日で辞めて行く。なので、弟子が既にいる状況で弟子入り希望者が訪問してくるという状況は初めてのこと。
もし猫達から認めて貰えたら、新しい弟子をさらに受け入れるつもりなのかどうか、長年仕えている世話係でさえも、アナベルの思惑は測れない。
一方、レイラはというと、姉弟子になるかもしれないという喜びと同時に、自分よりも魔力のある弟子が新たに入って来ることで自分の居場所が無くなるのではないかという不安を感じていた。
マーサが給仕に向かう先を調理場の扉の隙間からドキドキしながら覗き込んでみる。入口すぐに設置されたソファーには父親に引き連れられた少女の姿があった。長い髪を後ろで二つに結び、まだ幼さが残った顔は学舎を出たばかりという感じ。レイラよりも年下だろうか。緊張したように両手を握りしめて俯いている様に、レイラはほんの少し前の自分のことを思い出した。
世話係が淹れたお茶に恐縮するように頭を下げている父親に、レイラは見覚えがあった。すぐには出て来ず、首を傾げて必死になって思い出す。
――あ、中心街の魔力屋のおじさんだ。
魔石の魔力補充を生業とする魔法使いだと分かって納得する。横に座る少女もきっと、父親譲りの魔力保有者なのだろう。
二階から降りて来た森の魔女に気付き、二人は揃って立ち上がると頭を下げる。
「困ったわね。弟子はもういるのよね……二人も同時に教えるのは難しいわ」
父親の挨拶と娘の自己紹介を聞いた後、アナベルは少しばかり眉を寄せる。親の魔力屋を手伝うよりも薬魔女になりたいと願う少女の心意気には多少なりとも感心していたようだった。けれど、猫達のことを思えば館に人はこれ以上増やしたくはない。
アナベルが弟子入りを断ったのはこれが初めてだ。
「お願いします、薬が作れるようになりたいんです」
あっさりと諦めた父の横で、必死でアナベルに懇願の瞳を向ける少女へ、森の魔女は少し考えてから微笑んで見せる。
「ソルピットの魔女になら、手紙を書いてあげることはできるわよ」
「ソルピットというと、キノコの解熱剤のでしょうか？」
その村の名にすぐ気付いて確認する父親に、そうよとアナベルは頷き返す。弟子入り予定だったレイラがこちらに来たということは、ルーシーのところには誰もいないはずだ。紹介のし合いになってしまうが、まさにこれも縁。
「森の館に仕えるよりは、親としても安心でしょう？」
「それはもう！ ……あ、いえ、そんなことはないです」
思わず漏れてしまった本音を慌てて否定する魔力屋に、アナベルがおかしそうに笑った。幽霊屋敷の噂すら出る館に送り込むよりは、材木業とキノコ栽培で活気溢れるソルピット村へ行かせる方が心配は減るはずだ。
「でしたら、お嬢様の薬草茶を手土産にお持ちになられると良いですわね」
「そうね。手紙を書いている間に用意してくれるかしら、レイラ？」
人見知りの激しい魔女ルーシーと打ち解けるキッカケになったという薬草茶の話をレイラから聞いていたアナベル達。調理場の扉から覗き見していたレイラは、ふいに声を掛けられて慌ててホールへと飛び出した。覗き見していたのが完全にバレている。
「は、はいっ。すぐに用意いたします」
