長身の青年が森の魔女と向かい合ってソファーに腰掛けるまでに、敏腕の世話係は散らかったテーブルを神業のような素早さで片付ける。アナベルにより雑に放置されていた手紙や書類の束も、積読状態になっていた本もまとめて、脇に置いていたワゴンの下の段にささっと突っ込み、目隠しの布で覆い隠してしまった。
マーサの指示でティーセットが乗ったワゴンを押して来た見習い魔女は、その手際の良い動きに惚けたように見入っていた。が、慌てて客人に向かって深々と頭を下げる。
「彼女が例の、新しい弟子？」
「ええ、レイラよ。マーサのお手伝いもして貰っているわ」
マーサと共にお茶の給仕をするレイラに向かって、ジョセフはにこりと微笑みかけてくる。アナベルとは違い、社交の場に出慣れている彼の笑顔は、たとえ作り笑顔であっても至極自然体だ。
弟子入りなのに侍女相当の給金の申請が森の別邸から届いた時は驚いたが、アナベルよりもマーサの補助が多いのなら妥当だと判断した。従姉妹が気まぐれでしか調薬しないことはよく知っている。
それに、使用人の多い本邸では分担されて行われている業務も、ここでは世話係一人でこなしていたのだから、人員が増えたことでマーサが少しでも楽になればいい。そう思ってジョセフは喜んで承認の判を押した。
「彼女もかなりの魔力持ちなのかな？」
「強くはないけれど、道具を選べば調薬も問題ないわ。薬草の覚えも早いし、お茶のブレンドはほとんど任せているのよ」
そこまで言って、アナベルは丁度良かったわと両手を合わせた。近い内に従兄弟宛てに手紙を送ろうと思っていたが、直接頼めるのならこれ以上楽なことはない。
「薬草茶のブレンドを、領外へ出すのは可能かしら？」
薬じゃないから大丈夫でしょう？ と嬉々とした瞳を不意打ちで向けられ、飲みかけたお茶でジョセフはむせ返りそうになる。
物心ついた頃からつい最近まで、この自由奔放な魔女とは婚約者という間柄だった。アナベルが森の魔女として調薬の道を選んだことで話は解消されたものの、彼の気持ちは幼い頃より変わりはしない。ずっと振り回され続けてはいるが、彼女以外の伴侶は考えられなかった。
そんな従姉妹がイキイキと話す新たな計画は、森の魔女印の薬草茶を他領でも販売すること。調薬された薬は領外での売買は禁止されているが、乾燥薬草をブレンドしただけなら合法ではないかと、次期領主でもあるジョセフに確認を取っているのだ。
「なるほどね。薬草の需要も増えるし、ガラス工房の支えにもなるってことか」
グラン領の財源は魔の森にまつわる資源が主だ。その主軸の一つである薬草が薬以外での消費が増えるのは喜ばしいこと。さらに、アナベルが提案した薬の粉末化によって瓶の生産量が落ちてしまったガラス工房へ、代わりの注文を増やす手助けにもなる。
「君の薬草茶の人気は、僕も耳にしているよ。今度、出入りの商会に話してみよう」
「ジョセフが聞いたっていう噂は、薬草茶のことだったのかしら？」
着いて早々に彼が口にしていた、館の噂。ブレンド茶の売れ行きに関することだったのかと聞き返したアナベルに、ジョセフは困惑の表情をして首を横に振る。歯切れ悪く、そして気持ちばかり視線を逸らしてから口を開く。
「噂っていうのは、その――ここに、何かが居るんじゃないかって……」
「何かって、何かしら？」
――ここに猫達が居ることが、バレてしまった？！
館に住む三人は、同時に息を飲んだ。
お茶のお替りを準備していたマーサの手が止まるのを、アナベルは視界の端でとらえたが、気付かないふりを通した。レイラに至っては、万が一追及されることがあったら嘘を付き通す自信が無いと、調理場へと引っ込んでしまう始末。
分からないフリをしながらも、猫達の居場所を守れる方法をアナベルは必死で思案する。聖獣という扱いを受けている以上、存在が明るみになれば国が動いてくる可能性もある。
「いや、ここに弟子入りを願いに来た者達が言うには――」
レイラの時に限らず、弟子入りを請われれば全ての者に同じ条件を出していた。「この館に住んでいる子達に認めて貰えるなら」と。
猫の審査を通らなかった者には軽い忘却の魔法を施してから帰宅させるようにしていたが、つい面倒になってその内の何人かや、一匹も出て来なかった者にはリラックス効果の強いお茶を飲ませるだけで適当に済ませたことがある。
さすがにティグや子猫達の姿を見た者への忘却魔法はきちんとかけたつもりだったが、もしかするとそれに漏れがあったのかもしれない……。
「この館には、何か霊的な物がいるんじゃないかって噂が出回っていてね」
「霊？」
「そう、館に憑りついている亡霊が見えなければ弟子になれないと、君から提示されたとか」
「亡霊……」
確かに、姿を確認できなければ何がいるのかは分からない。実際に見た者はいないも同然で、この館が森の奥深くに建つという状況が、よく知らない者からすれば陰気で謎めいているように映ってしまうのだろう。それが今回は亡霊という噂へ繋がったのか。
「ここで亡くなった人は誰もいないわ」
「まあ、そうなんだけどね。場所柄、そういうイメージを持たれやすいんだろう」
レイラという新しい弟子を迎えたことで、これ以上の噂は流れることはないだろう、というのがジョセフの見解。アナベルもそれには同調した。
「まさか、幽霊屋敷の扱いを受けているとは思わなかったわ」
そう言えば近頃、館へ売り込みに来る行商人の数も減っていたかもしれない。特に気にしてなかったが、そういうことだったのだろう。
マーサの指示でティーセットが乗ったワゴンを押して来た見習い魔女は、その手際の良い動きに惚けたように見入っていた。が、慌てて客人に向かって深々と頭を下げる。
「彼女が例の、新しい弟子？」
「ええ、レイラよ。マーサのお手伝いもして貰っているわ」
マーサと共にお茶の給仕をするレイラに向かって、ジョセフはにこりと微笑みかけてくる。アナベルとは違い、社交の場に出慣れている彼の笑顔は、たとえ作り笑顔であっても至極自然体だ。
弟子入りなのに侍女相当の給金の申請が森の別邸から届いた時は驚いたが、アナベルよりもマーサの補助が多いのなら妥当だと判断した。従姉妹が気まぐれでしか調薬しないことはよく知っている。
それに、使用人の多い本邸では分担されて行われている業務も、ここでは世話係一人でこなしていたのだから、人員が増えたことでマーサが少しでも楽になればいい。そう思ってジョセフは喜んで承認の判を押した。
「彼女もかなりの魔力持ちなのかな？」
「強くはないけれど、道具を選べば調薬も問題ないわ。薬草の覚えも早いし、お茶のブレンドはほとんど任せているのよ」
そこまで言って、アナベルは丁度良かったわと両手を合わせた。近い内に従兄弟宛てに手紙を送ろうと思っていたが、直接頼めるのならこれ以上楽なことはない。
「薬草茶のブレンドを、領外へ出すのは可能かしら？」
薬じゃないから大丈夫でしょう？ と嬉々とした瞳を不意打ちで向けられ、飲みかけたお茶でジョセフはむせ返りそうになる。
物心ついた頃からつい最近まで、この自由奔放な魔女とは婚約者という間柄だった。アナベルが森の魔女として調薬の道を選んだことで話は解消されたものの、彼の気持ちは幼い頃より変わりはしない。ずっと振り回され続けてはいるが、彼女以外の伴侶は考えられなかった。
そんな従姉妹がイキイキと話す新たな計画は、森の魔女印の薬草茶を他領でも販売すること。調薬された薬は領外での売買は禁止されているが、乾燥薬草をブレンドしただけなら合法ではないかと、次期領主でもあるジョセフに確認を取っているのだ。
「なるほどね。薬草の需要も増えるし、ガラス工房の支えにもなるってことか」
グラン領の財源は魔の森にまつわる資源が主だ。その主軸の一つである薬草が薬以外での消費が増えるのは喜ばしいこと。さらに、アナベルが提案した薬の粉末化によって瓶の生産量が落ちてしまったガラス工房へ、代わりの注文を増やす手助けにもなる。
「君の薬草茶の人気は、僕も耳にしているよ。今度、出入りの商会に話してみよう」
「ジョセフが聞いたっていう噂は、薬草茶のことだったのかしら？」
着いて早々に彼が口にしていた、館の噂。ブレンド茶の売れ行きに関することだったのかと聞き返したアナベルに、ジョセフは困惑の表情をして首を横に振る。歯切れ悪く、そして気持ちばかり視線を逸らしてから口を開く。
「噂っていうのは、その――ここに、何かが居るんじゃないかって……」
「何かって、何かしら？」
――ここに猫達が居ることが、バレてしまった？！
館に住む三人は、同時に息を飲んだ。
お茶のお替りを準備していたマーサの手が止まるのを、アナベルは視界の端でとらえたが、気付かないふりを通した。レイラに至っては、万が一追及されることがあったら嘘を付き通す自信が無いと、調理場へと引っ込んでしまう始末。
分からないフリをしながらも、猫達の居場所を守れる方法をアナベルは必死で思案する。聖獣という扱いを受けている以上、存在が明るみになれば国が動いてくる可能性もある。
「いや、ここに弟子入りを願いに来た者達が言うには――」
レイラの時に限らず、弟子入りを請われれば全ての者に同じ条件を出していた。「この館に住んでいる子達に認めて貰えるなら」と。
猫の審査を通らなかった者には軽い忘却の魔法を施してから帰宅させるようにしていたが、つい面倒になってその内の何人かや、一匹も出て来なかった者にはリラックス効果の強いお茶を飲ませるだけで適当に済ませたことがある。
さすがにティグや子猫達の姿を見た者への忘却魔法はきちんとかけたつもりだったが、もしかするとそれに漏れがあったのかもしれない……。
「この館には、何か霊的な物がいるんじゃないかって噂が出回っていてね」
「霊？」
「そう、館に憑りついている亡霊が見えなければ弟子になれないと、君から提示されたとか」
「亡霊……」
確かに、姿を確認できなければ何がいるのかは分からない。実際に見た者はいないも同然で、この館が森の奥深くに建つという状況が、よく知らない者からすれば陰気で謎めいているように映ってしまうのだろう。それが今回は亡霊という噂へ繋がったのか。
「ここで亡くなった人は誰もいないわ」
「まあ、そうなんだけどね。場所柄、そういうイメージを持たれやすいんだろう」
レイラという新しい弟子を迎えたことで、これ以上の噂は流れることはないだろう、というのがジョセフの見解。アナベルもそれには同調した。
「まさか、幽霊屋敷の扱いを受けているとは思わなかったわ」
そう言えば近頃、館へ売り込みに来る行商人の数も減っていたかもしれない。特に気にしてなかったが、そういうことだったのだろう。
