朝、ゆったりとした十人掛けの重厚なダイニングテーブルでアナベルは朝食を取る。その時の師の装いで、その日に調薬作業があるかどうか。いや、無いかどうかがレイラにも判別できるようになった。
 今朝のアナベルは、白のブラウスに、ロングのフレアスカート。いかにも良家のお嬢様然とした服装は、間違いなく作業は無い。

 反対に、緩いシルエットの黒色ロングワンピの日は調薬の予定がある可能性が高い。あるいは作業部屋ですることがあると言って部屋に籠る時間がある日だ。
 レイラがこの館にお世話になるようになってから、

「またそんな、だらしない恰好を!」
「薬作りにはこれが一番なのよ」

 という、師と世話係のやり取りを度々に耳にすることがある。
 領主一族に仕える世話係として、ゆるゆるのワンピをだらしない恰好と言ってしまうマーサの気持ちも分かる。そして、薬草の粉が舞う部屋での作業には黒い服が最適だというアナベルの言い分もまた理解できる。
 だから、今朝のようにアナベルがまともな服装でいる日のマーサは、目に見えて機嫌がいい。

 レイラが休憩室で朝食を済ませてからホールへと戻ると、アナベルはソファーで食後のお茶を飲んでいた。傍らで寝そべっているトラ猫のティグは、彼女の膝の上へ顎を乗せ、気持ち良さそうに目を瞑っている。

 ここ何日かの猫達の様子を見る限り、大人猫はそれぞれにお気に入りがあるようで、縞模様の父猫は夜寝る時もアナベルのいる主寝室へ行き、ソファーでは必ず隣を陣取っている。
 反して、三毛の母猫は眠る時はマーサの部屋に潜り込んでいるようだが、日中はそれほど寄っては行かない。ダイニングテーブルの下で椅子の座面に丸くなって隠れていることが多い。

 子猫達に関しては、親猫の後を追っている時もあれば、人に付いて回る時もあるし、兄弟で走り回っている時もある。基本的には自由で、夜も日替わりでいろんなとこに潜り込んだり、ホールの隅で力尽きていることもあった。

「そうだわ、レイラに話さないといけないことがあるのよ」

 マーサと代わって給仕に付いた弟子に、向かいの席へ掛けるよう促して、世話係にも一緒に座るようにと目配せする。急に改まられて何事かと、レイラの背筋がピンと伸びる。

「あなたの給金、まだ決めてなかったわね」
「え……お給金、ですか?」
「5日を越えて残っている子は初めてだから、どうしようかしらってマーサと話してたのよ」

 使用人として雇われた訳ではなく、レイラは押しかけの弟子だ。弟子入りで貰えるのはせいぜいお小遣い程度だというのが少女の認識。いや、世間一般的にもそれで間違っていないと教わってきたし、少なくとも老魔女のところではそうだった。
 思わず聞き返してきたレイラの反応に、アナベルは首を傾げている。

「もしかして、前のところでは何も?」
「……はい」

 消え入りそうな声で小さく頷き返したレイラに、大きな溜め息をついてみせたのは、隣に座っているマーサだった。怒りを通り越し、呆れたように嘆く。

「こんな若い子に介護させて、無賃金だなんて……」
「落ち着いて、マーサ」
「ですが、何の修行もさせず、ですよ? 魔女様にそのおつもりは無かったかもしれませんが、容認していたご家族には責任追及するべきですわ!」

 たまに老魔女の様子を見に来ていた息子からも、お金の話をされたことは一度も無かった。あの頃は諦め半分で気にもしていなかったが、体の良い介護要員だと思われていたのよと初めて指摘され、レイラ自身もそうかもしれないと思えてくる。
 自然とそう思えるようになったのは、この館に来てたった五日でも得たものが多かったからだ。

 調薬方法、薬草の種類や取り扱い方、薬魔女として知っておかなければならないことを、レイラはここに来るまでまともに知らなかった。一年近くを魔女の傍に居たにも関わらず、だ。同じ時期に魔女見習いになった者達とは随分と差がついてしまっているはずだ。
 屋敷を出る時に貰った数冊の本が、レイラが得た報酬の全てだった。

「あちらでのことは、本邸にお任せしましょう」
「いえ、そんな大事にしていただかなくても――」

 過ぎたことだし、老魔女にはそれなりに良くして貰ったという認識もある。慌てて止めようとするレイラに、アナベルは首を横に振ってから少し悪戯めいた視線を向けてくる。

「魔法使いの権限は、しっかりと守らなければいけないわ」

 魔力を持たない者の方が多いこの国で、魔法使いの存在は希少だ。その稀有な力をないがしろにした罪は決して軽くはない。

「で、ここでの給金なんだけど、私にはよく分からないのよね」

 本邸の侍従の給金なら執事などが管理しているはずだが、この別邸にはそういう役割の者はいない。森にいる限りお金のやり取りをすることは無いし、物品の購入も本邸経由で注文すれば、向こうから週に何度かやってくる庭師が運搬を担ってくれる。

「私のお手伝いの方が多いでしょうし、本邸の侍女と同じくらいが相場かと」

 そう言われて提示された金額も、まともに賃金を受けた経験のないレイラにはピンと来ない。ただ、間違いなく同年代の初任給としては十分過ぎる額なのだろう。そして、押しかけ弟子の給金としてはありえない金額だ。

「こちらに居る間は使い道がありませんので、私は家に入れていただいてるのですが、レイラさんはどうなさいます?」
「あ、えっと、実家は遠いし、祖母しかいないので……」
「なら、本邸で預かっていただいて、都度払いにしていただくと良いですわね」

 住み込みの侍女達もそうしている子が多いですし、というマーサの提案に、レイラは無言で頷くのが精一杯。