リースとの別れから数か月後。
王太子の婚約者に内定したリースと言う名の令嬢には、黒い噂があった。
苛烈な性格で他家の令嬢を虐めると言ったごく身近にもありそうな話から、邪教と懇意にしていると言う陰謀じみた噂まで。
いずれにせよ、俺が知っているリースはそんなことをする少女ではない。
だから王太子の婚約者リースは、気泡を手に微笑むリースとは別人だろう。
しかし、娘の犯した罪によって近いうちに領主が変わるかもしれない、と言う話を聞いたとき、儚い願望は崩れ落ちた。
俺の知るリースは、紛れもなく領主の娘だからだ。
こうして手を取らなかったことへの後悔を日々募らせていく中、その日は訪れた。
「お嬢さまを助っ……いえ。……お会いになられませんか?」
常にリースの後ろに控えていた侍女が俺の元にやってくる。
唯一彼女の姿を見なかったのは、最後にリースと出会った日だけ。
「お嬢さまは無実の罪を着せられ、王都で見せしめとして処刑されてしまいます」
救いを求める言葉を呟きかけ、思い直したのは、俺がリースの手を取らなかったことを彼女に聞いたのだろうか。
「何故……それを俺に?」
「……お嬢さまが最後まで励みにしていらしたのは、貴方の作った硝子玉ですから」
「……」
「どう、ですか?」
「……会いたい」
噂話なんて信じられなかった。いや、信じたくなかった。
「リースに会うまで、俺は彼女が処刑されるなんて信じたくないんだ」
不意に俺の脳裏に彼女の過去の予言が過った。
『私ね、数年後に死ぬの。首を刎ねられて、殺されるのよ』
奇しくもそれは、彼女の予言通りとなってしまった。
何故俺は、あの時彼女の手を掴まなかったのだろうか。
俺は生きている限り、後悔に苛まれ続けるだろう。
だからここで、彼女の手によって……命を絶った方が……。
「馬鹿野郎ッ! 死ぬ気か⁉」
不意に男の怒鳴り声と共に腕を引っ張られ、走馬灯の如き世界から引き戻される。
「ッ⁉」
我に返った頃には、彼女だった躯が生み出した血の海が俺の目前まで迫りつつあった。
「逃げろ! 死の間際に彼女が願った、その通りに!!」
「え……」
「お嬢さまが最期に叫んだのは、貴方の無事です!」
振り返ると侍女がリースの頭髪を一房だけ手にしていた。
決意を新たにした侍女とは真逆に、未だ走馬灯明けの後悔に揺れている俺の爪先にふと軽い何かが触れる。
『気泡がいっぱい入ってるから、良いのよ』
それは、彼女に贈った世界で一つの硝子玉。
『だってこの隙間に、希望があるみたいでしょう?』
彼女にとっての希望が、首から零れ落ちて俺の足元に舞い戻ってきた。
それは彼女が希望を失ってしまった証拠のようで、罪悪感がますます募っていく。
「リース……」
きっとこの中には、彼女が込めた思いが詰まっているのだろう。
残酷な結末に到らずに済んだかもしれない、希望に溢れた未来が。
「リース、ごめんっ……!」
いくら懺悔しても足りないが、謝罪を伝えるべき人間はもういない。
けれど、俺はせめて彼女が託した希望を拾い上げたい一心で、硝子玉を掬いあげた。
この世界に彼女の心を置いて行けない。
彼女の心が在るべき場所は、希望に溢れた世界のはずだ。
俺と侍女は彼女の遺品を手に、広場から駆け出す。
不思議と、血の濁流が俺たちを襲うことはなかった。
こうして……その日、たった一人の少女の断罪を発端に、王都は壊滅した。
それからと言うもの、旧王都では底なしの怨念をドレスにした首なしの令嬢が王都の血の絨毯の上で優雅に踊り続けている。
もう誰も、彼女の本当の思いを知ることは出来ない。
けれど、彼女の思いが俺たちを助けたいと願ったことだけは、確かだろう。
手に握り締めた硝子玉の気泡が、物悲しく音を立てたような気がした。
王太子の婚約者に内定したリースと言う名の令嬢には、黒い噂があった。
苛烈な性格で他家の令嬢を虐めると言ったごく身近にもありそうな話から、邪教と懇意にしていると言う陰謀じみた噂まで。
いずれにせよ、俺が知っているリースはそんなことをする少女ではない。
だから王太子の婚約者リースは、気泡を手に微笑むリースとは別人だろう。
しかし、娘の犯した罪によって近いうちに領主が変わるかもしれない、と言う話を聞いたとき、儚い願望は崩れ落ちた。
俺の知るリースは、紛れもなく領主の娘だからだ。
こうして手を取らなかったことへの後悔を日々募らせていく中、その日は訪れた。
「お嬢さまを助っ……いえ。……お会いになられませんか?」
常にリースの後ろに控えていた侍女が俺の元にやってくる。
唯一彼女の姿を見なかったのは、最後にリースと出会った日だけ。
「お嬢さまは無実の罪を着せられ、王都で見せしめとして処刑されてしまいます」
救いを求める言葉を呟きかけ、思い直したのは、俺がリースの手を取らなかったことを彼女に聞いたのだろうか。
「何故……それを俺に?」
「……お嬢さまが最後まで励みにしていらしたのは、貴方の作った硝子玉ですから」
「……」
「どう、ですか?」
「……会いたい」
噂話なんて信じられなかった。いや、信じたくなかった。
「リースに会うまで、俺は彼女が処刑されるなんて信じたくないんだ」
不意に俺の脳裏に彼女の過去の予言が過った。
『私ね、数年後に死ぬの。首を刎ねられて、殺されるのよ』
奇しくもそれは、彼女の予言通りとなってしまった。
何故俺は、あの時彼女の手を掴まなかったのだろうか。
俺は生きている限り、後悔に苛まれ続けるだろう。
だからここで、彼女の手によって……命を絶った方が……。
「馬鹿野郎ッ! 死ぬ気か⁉」
不意に男の怒鳴り声と共に腕を引っ張られ、走馬灯の如き世界から引き戻される。
「ッ⁉」
我に返った頃には、彼女だった躯が生み出した血の海が俺の目前まで迫りつつあった。
「逃げろ! 死の間際に彼女が願った、その通りに!!」
「え……」
「お嬢さまが最期に叫んだのは、貴方の無事です!」
振り返ると侍女がリースの頭髪を一房だけ手にしていた。
決意を新たにした侍女とは真逆に、未だ走馬灯明けの後悔に揺れている俺の爪先にふと軽い何かが触れる。
『気泡がいっぱい入ってるから、良いのよ』
それは、彼女に贈った世界で一つの硝子玉。
『だってこの隙間に、希望があるみたいでしょう?』
彼女にとっての希望が、首から零れ落ちて俺の足元に舞い戻ってきた。
それは彼女が希望を失ってしまった証拠のようで、罪悪感がますます募っていく。
「リース……」
きっとこの中には、彼女が込めた思いが詰まっているのだろう。
残酷な結末に到らずに済んだかもしれない、希望に溢れた未来が。
「リース、ごめんっ……!」
いくら懺悔しても足りないが、謝罪を伝えるべき人間はもういない。
けれど、俺はせめて彼女が託した希望を拾い上げたい一心で、硝子玉を掬いあげた。
この世界に彼女の心を置いて行けない。
彼女の心が在るべき場所は、希望に溢れた世界のはずだ。
俺と侍女は彼女の遺品を手に、広場から駆け出す。
不思議と、血の濁流が俺たちを襲うことはなかった。
こうして……その日、たった一人の少女の断罪を発端に、王都は壊滅した。
それからと言うもの、旧王都では底なしの怨念をドレスにした首なしの令嬢が王都の血の絨毯の上で優雅に踊り続けている。
もう誰も、彼女の本当の思いを知ることは出来ない。
けれど、彼女の思いが俺たちを助けたいと願ったことだけは、確かだろう。
手に握り締めた硝子玉の気泡が、物悲しく音を立てたような気がした。