彼女の体に星のタトゥーは入っていなかった。
「川北星子は、おそらくペリクではありません」
とめどなく蛇口から出る水に指先を当てる。
人を利用することに、罪悪感などという感情が自分の中にあったのかと驚いた。
今、自分自身のことが分からなくなっている。
先輩は、俺を潜入調査にいかせたことを後悔しているだろう。
「だがアイマイとの関与は必ずあるはずだろ!高橋!」
「先輩、声でかいです」
キンキンと鼓膜を揺らす先輩の声に俺は思わずスマホを少し耳から離した。そしてまだ喚き散らしている先輩を落ち着かせるように俺は「溝口先輩」と小さな声で呼ぶと、「なんだよ!」と怒りをこめた返事が返ってくる。
「川北星子は、おそらく何も知りません。
例のものもありません。とんだ無駄足でした」
「…タトゥーもなしか、だったらお前の過去のそれはただの思い違いの可能性があんのか、俺はお前に踊らされてんのか、ああ?」
「思い違いはないです。ペリクは必ずスター国物語を知ってる人物
なので、」
言いたくなかったけれど、これが最終手段であり、やれることの全てではあった。
自信はなかったので小さく、小さく、声を顰めて俺は言葉を放つ。
「…彼女を協力させる方向でいきます」
「はあ!?何言ってんだ高橋!」
「では、また連絡します」
そう言って一方的に電話を切る。
そして蛇口の水を止めて、戸を開けた。
そうだった、元々彼女は巻き込まれて体質である。
どこまで聞こえていたのかは定かではないか、自分を見る瞳が何も分からない子供のようだ。
ペリクであったら、おそらくこんなに困惑していないだろう。俺を疑い、軽蔑し、目の前から去っていく。
「…星子さん」
少し泣きそうな顔をした星子が、ゆっくりと俺を見上げる。
ああ、やっぱり彼女は絶対にペリクじゃない。
「三瀬くん、あなた何者なの」
問われたそれに俺は、彼女の横を通り過ぎてソファに腰掛ける。
三瀬として、ではなく、高橋として。
星子は、おぼつかない足取りで俺の隣に座った。
首元には、覚えていないがおそらく自分がつけたであろう赤い「あと」がついていた。
みっともなく溺れていたことに気づいて、片手で額をおおった。
「いちから話しますが、他言無用です」
「う、うん、分かった」
俺は、自らを落ち着けるように息を吐き話を始めた。
しばらく小さく頷きながら話を聞いていた星子。
おそらく何が何やら分からず時々首を傾げていた。
だが、薬物である『レホメディ』の話は知っていたようであった。
「スター国物語は、今どこにありますか」
そうきけば、星子は過去の記憶をなんとか絞り出すように唸って、顔を上げる。
「確か、中学に上がった時に長谷川先生だったかな、が届けにきてくれたんだけど、なんか辛かったし受け取らなかったの」
「じゃあ、今持ってるのは長谷川先生ってことですか」
「たぶん。物語を一緒に書いてた子も遠いところに行ってたし」
「一緒に書いてた子の、名前を覚えていますか」
「ふふ、なんか事情聴取みたいだね、そっか、三瀬くん慣れてるもんね、だから木下さんの件も」
「星子さん」
「あ、ごめんごめん、えっと一緒に書いてた子だよね」
そう言って、また思い出すように唸って、その顔が暗くなった。
俺から顔をそらして、思い出したくない記憶を吐き出すように声を絞り出した。
「ヨウくん、かわさき ようたくんって名前だった」
いつも持っている手帳がないため、スマホのメモを開いた。
「漢字、分かりますか」
「かわは普通の川で、さきがね上の部分が大きいじゃなくて立つの方なの、本人がよく間違えられるって言ってたから。ようたは分からない。
ひらがなだったような漢字だったような」
小学校の名前と、本人の名前さえ分かればこっちのものだ。
メモに『川﨑ようた』と打ち込まれる。
星子さんはそんな様子を見ながら、せつなげに笑った。
「私のしょうもない小説が、まさかそんなことになってるなんて、何も知らなかった」
彼女は罪悪感に苛まれているようなそんな顔をしていた。きっと俺が今彼女を巻き込んでいるのは間違った選択なのだろう。
それでもいい、真実が明らかになれば。
成果をあげなければという焦った気持ちとかではなかった。
自分自身が、この物語の真相を知りたかったからだ。
誰が、なんのためにスター国物語を利用したのか。
「しょうもなくなんかないですよ、俺、スター国物語に救われたんで」
「えっ、なに、どういうこと?」
「その話は、この事件が終わったあとですね」