タイムリミットはあと1日だというのに、私の脚本はまだ完成していない。
どうせいないだろうと私は部室の戸を開ける。

こちらを振り返った彼は気まずそうに私から目をそらした。
結局、依田先輩の居場所はここなのだろう。


「依田先輩」

呼べば、彼は少し動きを止めて返事をしなかった。
そしてまた作業を再開する。
まだ最後まで書ききれていない捨てきれなかった脚本を私は依田先輩に駆け寄って押し付けた。


「先輩、読んでください」

「っ、あと」

「いつだって『あと』があると思わないで下さい。明日私が死んだらどうするんですか!」

極論だとは思ったけれど、依田先輩は言葉を詰まらせて押し付けたそれを迷いながら受けとった。
そして首を横に振る。嫌だ、逃げたい、その瞳がそう言っていた。


「俺は、好きな世界に関われているだけで、それだけでいいんだ。それ以上望まない。俺は裏方で演劇部を卒業する」


「…本当に、それが本音ですか」


「本音だ」


偽りの言葉を吐き出したような声色、その言葉が自分自身を苦しめているようだった。


「依田先輩は、誰のためにそんな格好をして自分を押し殺しているんですか?縁が切れてしまった友達ですか?」


「なっ、」

声を荒げようとして、唇を堪えた先輩。感情を爆発させないようにしている。いっそのこと怒りを全てぶつけてくれたらいいのにと思った。
泣き喚いて、そして、本音を吐き出してほしい。


「そんなの依田先輩の自己満足です!」


手に持っていた脚本が依田先輩の手からすり抜けて落ちていく。
地面に落ちたそれを私は1枚ずつ拾い上げた。


「ここで、前に進まなかったら先輩はずっとそのままです!誰かのためを思ってるんだったら、私のために舞台に立ってください!」


私は何度だって床に落ちた希望を拾って、彼に渡す。エゴだっていい。
好きな人に、好きなことを存分にやってほしいから。

先輩は苦しそうに、今にも泣き出しそうに唇を噛み締めたあと、「なんなんだよ」と小さく呟いた。


「ずっと、これでいいって言い聞かせてやってきたのに最後の最後に、人の気持ちえぐるようなこと言ってきやがって」


先輩はくしゃくしゃの紙にやっと、やっと目を落とした。
そしてゆっくりと眼鏡を外す。


「…ひよりの為じゃない」


うざったそうに髪をかきあげる。
依田先輩は、いつも冷静で仕事をそつなくこなして、みんなをまとめてくれる。
陰でみんなを守ってくれている存在。

だけど今、自分は何かを必死に求めてはならないと自制して見守っていたその瞳は変わった。初めてみたそんな雰囲気に私はなんとも言えない高揚感が埋めてくされていく。やっぱり好きだと思った。

「俺は俺のために、これをやりたいって思ったらやるよ」


挑発的に笑った依田先輩。

私は大きく頷いた。