そのまま帰ればよかったなあとは思った。
お手洗いから帰ってくればいつのまにやら私の座っていたところには同期の女、木下さんが座っていた。

そして、三瀬くんの顔の前に指先をみせている。

自慢のネイルでもみせているのだろうか。

三瀬くんはあしらうこともなく、「いいですね」と笑っていた。


小さく息を鳴らして、私は同期の女たちの集まりの方に目を向ける。
それに気づいた1人が私に声をかけた。


「川北さん!こっち座りなよ」


「あ、う、うん」


木下さんが抜けた場所に私が座れば、少し気まずい雰囲気が流れる。


「木下さん、川北さんがお手洗い行った瞬間、三瀬くんの隣に即座に移動してたわ」


「まああれだけ美人だったら三瀬くんレベル狙わないと自分のステータス落ちちゃうって思ってそう」


「彼氏と別れたばっかなのによくやるよねえ」

正直女のこういう雰囲気が苦手だった。いつも群れで行動してその中にたいした絆もないものだからこうやって容易く貶すというジャブを打っていくのだ。
まあ、私も「そうですね」と愛想笑いを浮かべることしかできないのだけれど。

いくつになっても、変わらない。


「わたし、噂できいたんだけどさ」


正面の女が少し身を前にして、声を顰めた。
残りの2人が好奇心の塊を抑えきれないように「なになに?」と声を弾ませる。


「木下さんの元カレってやばかったらしいわよ」


「やばいって何が」


「薬物に手だしてたって」


「え!?」


さすがに私も2人と同様、小さく声をあげてしまった。得意げな顔になった正面の女が言葉を続ける。


「で、警察に捕まって木下さんも事情聴取とかされてめちゃくちゃ大変なことになったらしい」


「やばいじゃん!三瀬くん知らないのかなそれ」


「言えるわけないでしょう、元カレが犯罪者なんて」


「それはそうね。木下さんは手だしてなかったのかな」


「知らなかったみたいよ、彼氏がそんなことやってたなんて。まあ本当かどうか知らないけど」


「そんなこと現実にあるんだね」


隣の女の放った言葉に私も確かにと小さく頷く。
非現実的な話だと思った。ちらりと木下さんをみる。楽しげに三瀬くんと話していた。

いろんな人がいて、いろんな過去があって、「普通」のレッテルが剥がれないように、仮面をして生きていくのって大変そう。まあ、私も愛想笑いという仮面をよくつけているような気がする。今、この現状でさえ。

「ほら、でも最近問題になってるよね危険ドラックっていうの?10代の子とかの間でも広まってるって」


「あー、ニュースでやってたね」


全く知らない話になり、私はきいているふりをしながらまだあまり手をつけられていないサラダを一口たべる。


「あのアホらしい名前でしょ、なんだっけ「レホメディ」だっけ?」


「そうそう、それ」


「レホメディ?」


その言葉が脳内に入り込んできた瞬間、なんだか聞き覚えがあって思わず口に出した。
聞き覚えがあったというのは、彼女たちと一緒でニュースかなんかできいたのだろう。そう思ったがなんだかモヤモヤする。


「ね、変な名前だよね、川北さん」


「うん、確かに」


そのモヤモヤが何かを理解する前にまた愛想笑いの仮面を貼り付けた。