◇
――PM8時。
私は「茜先生」になりきって、突き当りの教室に向かった。入口の前で人知れず深呼吸していたら……。
「遅いよ。茜先生」
扉が自動で開いた。
出会い頭にスマホのカメラを私に向けて、おどけた笑みを浮かべる男の子。
至近距離でモデル並みの美形と対面するのは、鉄の理性を持ってしても、心臓が持たないはずだ。
――紫羽 一星。
名門高校の三年生。
最初、名簿でその名前を確認した時から、私は彼が気になって仕方なかった。
そして、授業で実物の彼と対面した時、こんなに美しい男性が実在していることに驚愕したものだった。
すらっと背が高い割に、小さな顔。高い鼻梁と薄い唇。
ふわふわの茶髪に、意思の強そうな切れ長の瞳。
制服を着崩してはいるけれど、決してだらしない訳ではなく、センス良く着こなしている。
性格は残念なくらい子供っぽくて、女の子から告白されても、えげつなくフリまくっているという噂だけど、バイト講師で非モテの私には関係ない話だった。
「授業中よ。スマホはしまいなさい」
「一枚くらい撮らせてくれても」
「駄目なものは駄目」
「ケチ。今日は二人きりだし、大目に見てくれてもいいのに」
膨れっ面でスマホを鞄に戻してから、紫羽君は自然な所作で、私を窓際の席に誘導する。
(こういうとこが、女慣れしてそうで嫌なのよね)
彼との授業は、毎回こんな感じだ。
本当の私とは真逆の人気者で陽キャの彼。
極力、接点を持たないように、手を尽くしていたのに……。
そんな私の思惑を嘲笑うように、紫羽君は何度も私を指名して授業後の「補習」を申し込んでくるのだ。
(大体、補習制度なんてあるから悪いのよ)
この塾では、事前に申し込めば、誰でも空き時間に教師と一対一の補習授業を受けることができる。
当然、お給料は発生するが、集団授業を担当するより若干低くなる上に、専門的な質問をされることが多いので、準備に時間が掛かるのだ。
いちいち考えてしまう私には、荷の重い嫌な仕事だった。
特に、相手は我が塾でもトップの成績を誇る紫羽君なのだから、生きた心地がしない。
(まったく、何でいつも私をご指名なのよ?)
きっと、彼には何か企みがあるに違いない。
(この子は本当に、人のことをよく視ているから)
彼とはしょっちゅう目が合う。
昼間の集団授業。
西日に染まる教室の中で。
誰も私のことなんて見てもいないのに……。
彼だけは顔を上げて、じっと私のことを視ている。
切れ長の瞳に映っているのは、夕焼けの橙色と全身モノトーンの私の姿。
きっと、私がどういう人間なのか、彼だけは気づいている。
(だから、私は……)
――彼が苦手なのだ。
「茜先生」のメッキがすべて剥がれる前に、出来るだけ早く最後の授業を終わらせてしまいたかった。
――PM8時。
私は「茜先生」になりきって、突き当りの教室に向かった。入口の前で人知れず深呼吸していたら……。
「遅いよ。茜先生」
扉が自動で開いた。
出会い頭にスマホのカメラを私に向けて、おどけた笑みを浮かべる男の子。
至近距離でモデル並みの美形と対面するのは、鉄の理性を持ってしても、心臓が持たないはずだ。
――紫羽 一星。
名門高校の三年生。
最初、名簿でその名前を確認した時から、私は彼が気になって仕方なかった。
そして、授業で実物の彼と対面した時、こんなに美しい男性が実在していることに驚愕したものだった。
すらっと背が高い割に、小さな顔。高い鼻梁と薄い唇。
ふわふわの茶髪に、意思の強そうな切れ長の瞳。
制服を着崩してはいるけれど、決してだらしない訳ではなく、センス良く着こなしている。
性格は残念なくらい子供っぽくて、女の子から告白されても、えげつなくフリまくっているという噂だけど、バイト講師で非モテの私には関係ない話だった。
「授業中よ。スマホはしまいなさい」
「一枚くらい撮らせてくれても」
「駄目なものは駄目」
「ケチ。今日は二人きりだし、大目に見てくれてもいいのに」
膨れっ面でスマホを鞄に戻してから、紫羽君は自然な所作で、私を窓際の席に誘導する。
(こういうとこが、女慣れしてそうで嫌なのよね)
彼との授業は、毎回こんな感じだ。
本当の私とは真逆の人気者で陽キャの彼。
極力、接点を持たないように、手を尽くしていたのに……。
そんな私の思惑を嘲笑うように、紫羽君は何度も私を指名して授業後の「補習」を申し込んでくるのだ。
(大体、補習制度なんてあるから悪いのよ)
この塾では、事前に申し込めば、誰でも空き時間に教師と一対一の補習授業を受けることができる。
当然、お給料は発生するが、集団授業を担当するより若干低くなる上に、専門的な質問をされることが多いので、準備に時間が掛かるのだ。
いちいち考えてしまう私には、荷の重い嫌な仕事だった。
特に、相手は我が塾でもトップの成績を誇る紫羽君なのだから、生きた心地がしない。
(まったく、何でいつも私をご指名なのよ?)
きっと、彼には何か企みがあるに違いない。
(この子は本当に、人のことをよく視ているから)
彼とはしょっちゅう目が合う。
昼間の集団授業。
西日に染まる教室の中で。
誰も私のことなんて見てもいないのに……。
彼だけは顔を上げて、じっと私のことを視ている。
切れ長の瞳に映っているのは、夕焼けの橙色と全身モノトーンの私の姿。
きっと、私がどういう人間なのか、彼だけは気づいている。
(だから、私は……)
――彼が苦手なのだ。
「茜先生」のメッキがすべて剥がれる前に、出来るだけ早く最後の授業を終わらせてしまいたかった。