笑い合えるだけで十分な関係なんだと思うよ、私だって。
 氷に落として、底が割れた花瓶に雪花をさすように、
 私と君は現実逃避を繰り返している。

 何度も、曖昧な関係を明確にしようとしたって、
 レモンを切って、輪切りをたくさん作っては捨て、
 甘く、酸っぱい匂いを感じるように、虚しいんだよ。
 
 もう、すべてが遅いことなんてわかっているし、
 今日も満たされなくて、寂しいんだよ。

 だけど、今のままがいいから、私はそのままでいるよ。
 君がわかってくれなくても、いいって思っているから。
 






 幼なじみの君とはセフレのままだった――。
 私は本当の気持ちを未だに隠したままで、私はまだ、きっと本当の自分になれてもいない。
 私と凛久(りく)は幼稚園から一緒で、もちろん小学校も一緒だった。そして、中学校、高校も――。

 凛久と初めてした日は11月のすごく冷えた日で、学校も午前授業だったから、私が家に誘った。両親はちょうどおばあちゃんが家を引き払って、施設に引っ越すことになったから、その家の片付けに行っていた。

「タッチ全巻揃えてるとか、橙花(とうか)どんだけ乙女なんだよ」と凛久はそう言って、カラーボックスからタッチを一冊抜き出して、パラパラとめくっていた。きっと、タッチが幼なじみの恋の話だなんて、きっと知らないんだろうなって思って、私は少しがっかりした。

「親が全巻買ってたの、私が読むって言って、私の部屋に持ってきたんだ」
「へえ。古すぎて話、わからんけど、乙女なのは感じる」
「でしょ。――人から愛されることはタッチから教えてもらった」
「――愛されることってなんだろうな」
 凛久はそうポツリと言ったあと、単行本を元の場所に戻した。カラーボックスの横にあるベッドはセットされていた。朝、少しだけ早く起きて、わざとベッドを整えた。こうしてベッドを見ると、しっかりとセットされていて、私にしては上出来だなって思い、思わず頬が緩んだ。

「なに、にやけてるんだよ」
「――なんでだと思う?」
 そう言いながら、私は座っている凛久におもいっきり近づいて、そして、鼻と鼻があたるくらいの距離でじっと、凛久を見つめた。凛久は少しだけ驚いたように、奥二重の両目がバッチリと見開いた。
 きっと、アニメとか漫画だったら、無意味に部屋の隅の天井から撮ったようなアングルで、何コマか使われているような気がする。

「――マジで?」
「うん。大真面目だよ」
 そう言っている途中で、背中から私を抱きしめる熱を感じた。そして、そのまま身体は凛久の元へ行き、唇と唇が触れたあと、お互いに物足りなくなって、すぐに舌を交えた。最初、私が凛久のことを押し倒そうとしたのに、気がついたら、私はフローリングの上に仰向けになっていた。

 キスを続けながら、右手でそっと凛久のブレザーのボタンを外すと、凛久はブレザーを脱ぎ捨てた。そして、私の首元から制服のリボンを取り、Yシャツのボタンを上から一つずつ外し始めたから、私は背中を浮かせて、スカートからYシャツの裾を出し、ボタンがすべて外れたあと、Yシャツとキャミソールを脱いだ。

「――どう?」
「いつもの幼なじみじゃないね」
「おっぱい出してるからね」
「いつも出してくれたらいいのに」
「変態じゃん」
 ケラケラ笑いながら、私は凛久のYシャツのボタンを丁寧に外していった。そして、それをそっと脱がせて、左手でそっと、制服のズボン越しでしっかりと硬くなっているのを感じた。

「出したい?」
「まだ入れてもいないのに?」
「ほら、これ、準備したんだよ」
 私はベッドへ飛び込み、ベッドサイドに置いておいたコンドームを凛久の方に投げると凛久はしっかりと両手でそれをキャッチした。

「準備いいな」
「親の部屋から拝借した」
「なんか嫌だな。親の顔がちらつくじゃん」
「じゃあ、次から買ってきてね」
 右手を凛久の方に手を伸ばすと、凛久は私の右手を掴み、ベッドに入ってきた。





 本当は先に告白をすればよかったのかもしれない。
 あの日から、私の恋は溺れている。あの日の私は、どうかしていたと、今でも思う。

 結局、大学生になっても、この曖昧な関係を続けている。
 私と凛久はそれぞれ函館の違う大学に行った。凛久は理系の大学に行き、私は文系の大学に進学した。時間が自由になった私たちは一週間に一度、五稜郭で軽く飲んだあと、ホテルに行って、一晩、お互いの気持ちが発散されるまで、一緒に交わって、そして、一晩過ごしたあと、市電に乗って、またそれぞれの家に帰る。

 今日もいつものホテルに泊まった。安く済ませるためにいつもはビジネスホテルで泊まっているけど、今日はクリスマス近いし、温泉行こうぜってなって、湯の川の温泉ホテルに泊まることにした。

「クリスマス祝ってくれるんだね」
「メリークリスマス」
 凛久はダブルベッドに座って、コンビニで買い込んだ缶ハイボールを開けて、勝手に飲み始めた。
「フライング。ズルいね」
「飲めよ。飲んだほうが気持ちいいよ」
「媚薬みたいに言わないでよ。お酒のこと」
 私は小さなローテーブルに置いたままのコンビニの袋から桃のチューハイを取り出し、そして、缶を開けながら、凛久の隣に座り、凛久が持っている缶に強引に自分の缶を当てて、3分の1くらいの量を一気に飲み込んだ。弱いアルコールと微炭酸で喉に一気に熱を感じ始めた。

 凛久といると私はいつも自然体でいられる。
 幼稚園から気心しれているから、お互いのことをもう完全にわかりきっているし、私は幼稚園の頃から、凛久のことがずっと好きだった。より好きになったのは中学2年生のときで、私がいつものように凛久と話していたら、周りからカップルみたいと言われて、幼なじみだからって返しているうちに、本当に好きになってしまった。
 そして、なんでかわからないけど、凛久といると友達といるよりも、居心地がいいし、すごくしっくりきた。だけど、幼なじみだから、急に恋愛のスイッチなんて凛久も入らないと思った。
 だったら、幼なじみだし、先に身体を許してしまえば、本気になってくれるかもと思って、先に思いを伝える前に行動することにした。

「飲むねぇ。お姉さん」
「ベロベロになって君の理想に近づきたいからね」
「なにそれ」
「宇多田ヒカル知らないの?」
「ベロベロで違う意味になってるだろ。それ」
「じゃあ、いつもはお店で飲んでるからできないけど、こういうことしちゃおうか。きっと、刺激的だよ」
 私はチューハイを口に含んだあと、凛久にキスをした。そして、そのまま桃のチューハイを注射するみたいにゆっくり口移ししてあげた。キスをしながら、凛久はそれを飲み込み、喉が鳴るたびにその低い振動が私の脳天まで伝わった。
 そっと、唇を離すと凛久は目を細めてそっと微笑んだ。
 ――その微笑みをきっと、彼女にもしているんだと思うと、嫌な気持ちになるし、早く別れてほしいなって、思うときがある。

「ねえ」
「なに?」
「もう飽きたんじゃない?」
「え、なにが?」
 そう言って、いたずらに凛久は私のことを見つめてくるから、今だけは楽しいことしたいから、彼女に飽きたんじゃないのって言いたかったけど、私は胸の内を言わないことした。

「ハイボール」
「飽きるわけないだろ」
 凛久は左手に持ったままのハイボールを口づけた。





 19時過ぎの大浴場は空いていた。温泉に入り、大きな窓から、夜の海をぼんやり眺めることにした。
 8階の高さから見る景色は夜でも十分、きれいだった。左側の低い位置にある月が揺れる海面を弱い白さで照らしていて、右手に見える函館山は雪で白くぼんやりと闇の中に浮かんでいて、ロープーウェイの明かりや、函館山の麓のオレンジ色の街がぼんやり光っていた。

 どこで間違ったんだろう――。
 本当は付き合う前に身体を許してもいいと思ったから、高校生2年生のあの日、私は凛久に身体を許した。
 だけど、告白や愛の言葉をあまり重ねないまま、ただ、回数を重ねた。

 LINEもそのときから、ほぼ毎日していた。だけど、一向に告白なんて、お互いにないまま、私たちは付き合っているのか、付き合っていないのかよくわからない状態のまま、半年が経ってしまった。
 だから、次に会ったら好きだってこと、伝えようと思ったけど、凛久は私にこう伝えてきた。

 好きな人ができて、その人から告白されて付き合うことにした。
 だから、この関係はやめたほうがいいと思う。
 また、幼なじみとしていつも通りに――。

 「戻れるわけないじゃん」って私は強く言って、凛久の右腕をつかんだ。
 そして、思わず、「セフレだったらいいでしょ。友達だし」って意味不明なことを言って、私が無理やり、凛久のことを引き止めたみたいになって、私は凛久の正式なセフレになった。

 そして、3年生になっても、お互いに気が向いたときに身体を重ねて、キスもしたけど、凛久は他の女と付き合い続けた。それは高校を卒業して、別々の大学に行っても変わらなかった。
 ただ、私は凛久の彼女になりたいだけなのに――。

 あれから、2年近く経ち、17歳だった私たちは、19歳になってしまった。
 今も、私は溺れた恋を蘇生できないままでいる。

 窓の外では雪がちらつき始めた。
 凛久のこと、つなぎとめたら、もしかしたらいつか、夜明けが訪れるかもしれないと思った。その夜明けは彼女になることだし、きっと、結婚しても凛久となら上手く行きそうな気がする。だけど、きっと、凛久はそう思っていないんだと思う。

 私は2人目として、ただ、隣にいればいいと思っているのかもしれない――。
 思いを気持ちの底に沈めて、そっと、湯船から上がった。


 


「なあ、明日――。まだ空いてる?」
「どのくらい?」
「夜まで」
「えっ。――いいの?」
 驚きすぎて、3缶目の酎ハイを落としそうになった。さっきまでモヤモヤしていた、気持ちは一瞬で、ポジティブになった。彼女より、私を選んでくれるってこと? 私と普通のデートしてくれるの? ベッドサイドで隣に座っている凛久を見ると、凛久はそっと、微笑んでくれた。

「たまにはいいだろ。そういうのも」
「これって、普通のデートにカウントしていいの?」
「今も普通のデートだろ?」
 そう言ったあと、凛久は手に持ったままのハイボールを口元に持っていき、それを一口飲んだ。確かに、彼と温泉に泊まっているデート。それはもちろん、普通のデートなのかもしれない。

「だけど、俺に相手がいるから、普通じゃないのかもしれないな」
「今更、気づいたの?」
「――幼なじみだから、自然か」
「セフレの時点で十分、不自然だよ」
 いいよ、私は。
 ただ、凛久のそばにいれたら、それだけで十分だから。
 そんなことを考えている間にも凛久はハイボールを飲みきったみたいで、首と一緒に缶を上に傾けたあと、持っていた缶をベッドサイドに置いた。部屋に乾いた音が響いた。

「――なあ」
「なに?」
「――最初に橙花とした日のこと、覚えてる?」
「実家で大人なった日でしょ」
 私は酔いにまかせて、自分が言ったことを笑いながら、そんな適当なことを言って、凛久に対して、優しく愛情を込めて返してあげた。

「それはそうなんだけどさ。今言おうとしたのはそうじゃないんだよ。あーあ、マジな話、しようと思ったのに」
「えっ、真面目な話なの?」
「そう、マジだよ。あの日、言おうと思ってたことあったけど、今でもそれ、言えなくて後悔してるんだ」
「へぇ」
 私だって、後悔してるよ。あの日のことは。だけど、もう、仕方ないじゃん。そんなこと言ったって。そう思っている間に、少しの間、沈黙が流れた。何か言おうかと思ったけど、結局、思いつかなかった。

「――まあ、いいや。あの日、タッチ見ただろ」
「うん、読んでたね」
「俺が見たページなんだったと思う?」
「えー、なんだろう」
「はい、時間切れ」
「早すぎでしょ」
「正解はボクシング部に入部したところでした」と凛久は反発いれずに勝手に自分の世界を展開していた。それが面白くて、私はお腹に無駄な力が入るくらい思いっきり笑った。すると、凛久も馬鹿らしくなったのか、一緒に同じテンションで笑ってくれた。

「もう、どんなクイズさ。それ」
「少しだけ思い出に浸るクイズ」
 膝に乗せたままだった左手の甲に重ねるように凛久は右手を乗せてきた。温かくて、その感触にのぼせようと思ったら、右肩を掴まれて、凛久の方へ寄せられて、思いっきりキスされた。
 




 市電に乗り、ベイエリアまで行くことにした。昨日の夜、ずっと雪が振り続けていたみたいで、もこもこでサラサラした雪が街中を白くしていた。だけど、空は突き抜けるくらい青くて、冷たい海風が時折、強く吹いていた。
 朝も凛久と繋がったあと、レイトチェックアウトのプラン通り、11時にホテルをチェックアウトして、そのまま電停まで歩き、電車に乗った。土曜日だからか、観光客もそれなりにいて、電車はあっという間に混み始めていた。

「ねえ」
「なに?」
「どうして、私たちって素直になれないんだろうね」
「知りすぎてるんじゃね?」
 凛久はそう言いながら、私の右膝を左手で軽くさすってきた。
「――真面目な話だったのに」
「――別にそういう意味じゃねーよ」
「じゃあ、どういう意味さ」
「ただ、ずっといたいなって。意味」
「なんか、口説かれてるんですけど」
 と冗談っぽく思わず返してしまったけど、本当はこのまま私から口説きたいなって思った。たぶん、口説くというよりは本当の今まで、言えてなかった気持ちをただ、シンプルに伝えたいと、そう思った。

「こうやって、お互いに脇道にそれるからだろ。てか、そういうノリだから、もう修正することもできないけどな」
「あー、ひどいな。彼女にもそういうこと言ってるの?」
「言えたら苦労してないよ」
「あら、えらく真面目な回答で」と私がそう言っても、凛久は何も返してこなかった。しばらくの間、電車の甲高いモーター音と、レールをまたぐたびにガタンと鈍い音だけが響いていた。



 十字街の電停を降りて、電停近くのイタリアンでパスタを食べた。今日はよくわからないけど、やけに凛久との会話が弾んで、気がつくと、二時間もイタリアンの中で話していた。お店を出るとき、iPhoneをちらっと見ると、すでに15時をすぎていた。

 そのまま、凛久と手を繋いだまま、ベイエリアのほうへ向かい、金森レンガまでお互いに黙ったまま、歩いた。
 ときおり吹く、強い風で雪が舞い、辺りを白くキラキラさせていた。見慣れた地吹雪ですら、綺麗に見えるのはどうしてだろうと思いながら、その気持ちを凛久に共有しようと思ったけど、少しだけ躊躇う気持ちが出てきたから、結局、言わないことにした。

 大きめの道を曲り、路地を進むとレンガ倉庫が道路越しで向かい合っていた。道の先には海に浮かぶ大きなクリスマスツリーが見えた。遠くからでもオーナメントの赤い丸や太陽の光をわずかに反射して、キラキラしていた。

「遠くからでも、やっぱり存在感あるな」
「そうだね」
 私と凛久は別に手を繋がずにカップルっぽいありきたりな話をしながら、クリスマスツリーの方には向かわず、右手に見える金森レンガの広場へ続くゲートの方へ向かった。黒い鉄筋のゲートには『金森レンガ倉庫』と白い字で、レトロな書体で、書かれていた。ゲートをくぐると左側にレンガ倉庫の入口があったけど、私たちはそれをスルーして、なんとなく広場の方に向かった。
 冷たい風に乗って、潮の香りがした。左手を見ると、運河がまっすぐ、海まで続いているのが見えた。運河は対岸をレンガ倉庫に挟まれていて、倉庫同士が歩道で繋がれていた。その下にはヨットが一隻停留されていた。
 
「入ってみたけど、さすがにベンチには座れないな」とか言いながら、凛久は雪が積もったベンチに座る素振りを見せた。
「ちょっと、はずかしいからやめてよ」
「バカ。マジでやるわけないじゃん。びしょ濡れのまま、このあとも過ごすのは嫌だよ」と言って、凛久は笑い始めたから、
「もう。間に受けちゃったよ」
 と私はそう返したあと、すっと息を吐いた。息は白くなり、ゆっくりと空に昇っていった。 

「あれ、鳴らそうぜ」
 凛久は両手をコートのポケットに突っ込んだまま、首をくっと右側に上げた。だから、私はその方を見ると、鐘があった。鐘はLを逆さにしたレンガの柱に吊るされていた。すでに何人かがその鐘を鳴らしたみたいで、鐘の周りにはいくつも足跡が残っていた。
 凛久が先に歩き始めたから、私はすぐに凛久の後ろをついて行った。凛久はようやっとポケットから両手を出すと、鐘の縄を両手で握った。

「いいよ。鳴らして」と私はニヤニヤしながら、凛久が鳴らすのを待つことにした。だけど、凛久は縄から手を離し、私の方まで戻ってきた。

「え、どうしたの?」
「――橙花」
「なに?」
「一緒に鳴らそうぜ」
 そう言うのと、ほぼ同じタイミングでさっと、右手を繋がれた。今まで、しっかりと凛久に手を繋がれたことなんてなかったから、急に心拍数が上がり始めた。凛久の手はこんなに寒いのに温かくて、まるで私が熱を奪っているみたいに思えた。
 手を繋がれたまま、鐘の前にたどり着いた。

「ありきたりなネーミングだね」
 柱に付いている看板には『幸せの鐘』って書いてあった。
「それがいいんじゃん。わかりやすくて」
 凛久は左手に私の手を繋いだままで、右手で縄を持った。だから、私は左手で縄を持ち、せーのと言われたから、縄を凛久と一緒に振ったら、しっかりと大きくて鈍い音が辺りに響いた。
 そして、凛久を見ると、お互いに顔を見合うような形になって、別に何が面白いのかわからないけど、笑い合った。

 このまま、ふたりで笑い合えたらいいのに――。

 こうしてふたりで、笑っていても、私の心は笑うたびに寂しさで冷たくなっていくように感じた。
 凛久はそんな、私の気持ちなんて、気がついてなさそうに笑い続けていた。





 二階の階段近くの席に向かい合って座った。右手の吹き抜けのガラスから、金森レンガが見えていて、枝だけの街路樹が風で時折、揺れていた。すでに日はオレンジ色になり始めていて、まだ、冬至から数日しか経っていない、今日は、16時の間に闇に包まれ、簡単に終わってしまうんだと、ふと思った。

 私たちは、海を背に風で静かに揺れているクリスマスツリーを見たあと、ベイエリアのスタバに入り、身体を温めることにした。さすがにフラペチーノを飲むのは寒いから、私たちは、限定のキャラメルラテを飲むことにした。
 そういえば、凛久とスタバに来ることも初めてのことだった。高校生のときは親がいないタイミングを見計らって、私の家か、凛久の家に行って、していたし、大学生になってからもベッドがホテルに変わっただけだった。

「なんか、こういう感じ、初めてだな」
「そうだね。スタバデート」
「――今さらだけど、どうして橙花との話って尽きないんだろう」
 そう言って、凛久はキャラメルラテを一口飲んだ。
 ――本当に、今さらだよね。私は中学生の時から、もう気がついていたよ。
 
 私だって、凛久に惹かれ始めた中学二年生の時に告白してたら、こんなもどかしい気持ちなんて抱えなかったのに。本当にもっと早く告白してたらよかったんだ、私から。
 告白しようと思っていた高校生の時から、私だって、別の人を探そうとした。だけど、凛久のことが頭の片隅に残ったままで、何も考えられなかったんだよ。
 だから、余計に後悔しているし、こんな曖昧な関係をずっと続けちゃったんだ。
 
 もっと、私が素直に好きって高校生のときに言っていたら、もしかすると、今、凛久とこうしていることが当たり前の日々になっていたのかもしれない。
 だけど、私は失いたくない関係に甘えて、凛久のことが好きだってこと、言い出せなかっただけなんだよ。

「なあ」
「なに?」
「――高校生のとき、もっとこういうことすればよかったのかもしれないな。そしたら、俺たち、もっと、上手く言ってたのかもしれないな」
「――そうだね」
 今さら、そんなこと言わないでよ――。
 私だって、本当は高校生のときから、こういう当たり前のデートしたかったんだよ。凛久と。

「なあ」
「今度はなに?」
「橙花といると落ち着くわ」
「――彼女、いる癖に」と私はぐちゃぐちゃしている気持ちを紛らすために、弱く笑ったあと、キャラメルラテを一口飲んだ。凛久の表情がわずかに歪んだように見えたけど、私はそれを無視することにした。





 スタバを出るとすっかり辺りは暗くなっていて、ベイエリアは暖かい雰囲気の電球色になっていた。凛久と私はまた、黙ったまま、手を繋いで、闇の中にうっすらと白い輪郭が浮かんでいる函館山を見ながら、その麓の方へ歩いた。
 そして、十字街を超えて、白が電球色を反射している坂が見えてきたとき、凛久は急に立ち止まった。だから、私は凛久に引っ張られるようにして、その場に立ち止まり、凛久を見た。

「別れたんだ」
「――そうなんだ」
 その言葉で一瞬、嬉しくなった私は、他人の不幸を喜ぶ最低な人間だと思った。だけど、その罪悪感はやっぱり、一瞬で消えてしまい、私は冷静にドキドキし始めていた。
 凛久は冷静そうな表情から、ふっと弱く笑ったあと、
「バカみたいだよな」と言ったから、
「行こう」と言って、私は凛久を引っ張るようにまた、歩き始めた。

 私のこと、選んでくれるの? とつい口に出しちゃいたくなった。
 だけど、そう言いたいのをぐっと喉に力を入れて、我慢した。

 八幡坂(はちまんざか)の広い道幅の両端に等間隔で植えられている街路樹は電飾されていて、幹から枝先まで電球色で暖かく染まっていた。雪で白くなった坂はその電球色に淡く包まれて、坂の下には函館駅前の海が闇の中で船の僅かな白い明かりを反射していた。

「そんなこと、自撮りする前に言うなよって感じだろうけど、撮ろうぜ」
 私がゆっくり頷くと、凛久は慣れたように左腕をそっと私の肩にかけて、二人で身を寄せ合った。その姿が凛久が持っているiPhoneの画面にしっかりと写っていた。iPhoneのインカメラで見る私たちは付き合っているみたいに思えた。
 そして、凛久は何枚か画像を撮ったあと、
「かわいく写ってる。いい写真じゃん」と得意げにそう言ってのけた。私はその言葉にまた、あっけにとられて、何も返事をすることができなかった。

「なあ」
「――な、なに?」 
「本当の愛ってさ、何なんだろうな」
「それ、私に言う?」
「――相手も、浮気してた」
「そうなんだ」
「意外とドライな反応だね」
 ――違うよ。
 好きな人に本当の愛なんて言われたら、私の我慢していた気持ちがものすごくつらいから、そういう反応なんだよ。いい加減、気がついてよ、私のこと。
 そんなことを考えていたら、私は高校生のあのとき、凛久に彼女が出来たって言われて、惨めな気持ちになったの思い出して、全部が悔しくなった。

 もう、言っちゃおう。
 もう、二度とこんな思いしたくない。

「――私と付き合ったほうが絶対、楽しいと思うよ」
「えっ」
 服を着たままこうやって、真剣に凛久と向き合うのは本当に久しぶりな気がした。昨日の夜、間接照明に照らされて、顔半分が陰っていた、気持ちよさそうな凛久の表情をふと、思い出した。

「――もう、呪いを解いてほしい」
「いいよ」
「えっ」
「だから、いいって言ってるだろ。橙花のことが好きだってこと、今さら気がついたんだよ」
 気がつくと、私は温かさに包まれていて、凛久の胸の中にいた。
 いつもと違って、コートのウールの香りが、なぜか新鮮だった。この瞬間、ドローンで撮影して、私と凛久が抱き合っているところから、ぐっとコードを上げていき、私たちが小さくなる頃に、八幡坂のイルミネーションと函館の海が見えて、さらに高度をあげると、夜の函館のイルカの尾っぽがオレンジ色に浮かび上がっているところが思い浮かぶくらい、私はふわふわしていた。

 ――本当の私になれたのは2年ぶりかもしれない。
 これからの私は、もう、君への思いを沈めなくていいんだ。

 気がつくと、頬に涙が数滴、流れた感触がした。